随想録 ー而今ー

 而今は、「にこん」と読みます。
 今の瞬間を精一杯生きるということを意味する言葉です。
 

第509号 集中稽古会

2014年08月25日 | 中今塾について
 中今塾として、先週土曜日に、いつもより長めの時間をとり、
6の杖の素振り、31の杖の素振りの習得を目的にしての集中稽古会を行ないました。
 昇級、昇段審査の項目に、素振りが含まれているわけではないですが、
習得度確認のため、試験を行なわせていただきました。
 土曜日の稽古に参加できなかった方には、
翌日の稽古の際、試験を行わせていただきました。
 有段者の方にも、初心者の方の見本として、受験していただきました。
試験を受かるのが到達点ではないのですが、
初心者の方には、目前の目標となったと思います。
真剣に取り組まれ、短時間で、素振りの手順を覚えられたのには驚きました。
 今週の稽古に参加できなかった方には、
来週の稽古で、試験を行いたいと思っています。
 剣、杖の稽古を通して、合気道を研究したいと思っていますが、
素振りがきっちりできていないと、
組太刀、組杖の稽古にならないと思っています。
 ようやく、次のステージの稽古ができるところまで、
近づけたかと思っています。
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第508号 山岡鉄舟の話より(徳を積む稽古)

2014年08月20日 | 最近感じること
 お盆を過ぎると、明け方に吹く風は、肌寒さを感じさせることがあります。
夏休みも終盤、夏休みの宿題の一つには、今も、読書感想文があるのでしょうか。


 さて、現在、勝海舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟といわれた山岡鉄舟について書かれた小説を読んでいます。
(「命もいらず名もいらず」上 幕末編 山本兼一著 集英社文庫)
この中に、以下の様な話があります。

「ある時、鉄舟が、
 槍術の兄弟子であり、他流と槍試合をして負けたことがないと言われていた高橋泥舟に、
 『槍の場合は、力技がものをいうのですか。』と尋ねた。
  これに泥舟は、
 『力で攻めているようにでは勝ちはとれん。技で勝つ。技を磨くからこそ武芸という。』
 と答えたという。
  しかし、当時の試合は戦場のような試合であり、納得したふりをしたものの、
 鉄舟は、『技を磨くより、まず力と気魄が肝要である。』という持論を崩さなかった。
  これをそばで聞いていた泥舟、鉄舟の2人の師匠である山岡静山は、
 『力だの、技だのとというような了見では、いくら鍛錬を積んだところでたいした人間にはなれない。
  まずは、人に勝ちたいという気持を無くすことから始めよ。
  武芸の修行はおのれの徳を積むためにする。
  徳の積み方がわからぬ者は、おのれを見つめよ。
  おのれにかけているものをおぎなううことだ。』
 と諭したという。
  この後、鉄舟は、槍の技もさることながら、人として生きる道を静山に教わりながら、
 剣、槍の稽古に精進したという。」

 この一節を読み、成る程と感じました。
 合気道という武道を稽古する者の一人として、
 徳を積む稽古ということを考えていきたいと感じた次第です、
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第507号 自力整体

2014年08月13日 | 最近感じること
 今日も真夏日になりそうですが、明け方は肌寒さを感じました。
少しづつ秋が近づいてきているようです。

 さて、合気道は健康法でもあると言われますが、
長く合気道を続けている人の中には、
腰や膝や肘等を痛められて、整形外科や整骨院に通われている方がよくあります。
 筆者も例外でなく、腰、膝、肘に不具合を感じ、
整骨院にも通いましたが、通院した直後は体が楽になったように感じるものの
すぐにまた、痛みを感じます。
 稽古の前後の準備運動、整理体操をより十分にすることで、
体の痛みがやわらがないかと、
準備運動や整理運動の内容の見直しを行っていました。
 そんな時、偶然に、自力整体という方法があるのを知りました。
自力整体は、予防医学の一つのメソッドで、
東洋医学の気の思想をバースにつくられた健康法であり、
生命エネルギーの通路である筋肉の緊張をほぐして、
からだの隅々までエネルギーを行き渡らせる技術であると聞き、
実際に、体験してみました。
 ひょっとすると、この方法で、
整骨院に通わなくとも、
自分の力で、腰や膝等の痛みをやわらげることができるかもしれないと、
自身の体で実証しています。
 効果が出てくれば、準備運動、整理運動に取り入れたり、
別途、自力整体の時間を設けるなり考えたいと思っています。
 乞うご期待!
 
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第506号 子供の部での指導について

2014年08月09日 | 中今塾(子供の部について)
 中今塾で稽古する子供達に、何か夏休みの思い出となるようなことをと思い、
今年は、バーベーキュー大会を行ないたいと準備中です。
 保護者の皆様にも、参加、ご協力をいただければと思っています。

 中今塾では、子供の部では、
基礎体力作りと礼の教育、技の面では基本技を中心とした稽古と考えています。
 保護者の方の中には、子供に、合気道を学ばせて、
躾(礼儀)を身につけさせたいと思われる方もあると思います。
週に1度、1時間の稽古だけで、礼儀を身につけることは難しいことを、
保護者の方には、ご理解頂いた上で、
次の世代を担っていく子供達を育てていくのも、合気道の道場の務めであると考えています。

 稽古は、道場に一礼して入るところから始まります。
稽古が始まって遅れてくる子には、稽古に加わる前に、しのび手(音をださない柏手)で、
二礼二拍手一礼して、稽古に加わるようにと言っています。
これも一つの礼儀です。
正面で指導していると、指導者はなかなか、遅れてきた子に説明するまで、手がまわらないので、
有段者の方、大人の部の方が、注意して指導していただきたいと思います。
いろいろな事情があるとは思いますが、
できるかぎり、稽古には遅れないようにしてもらいたいと思います。
稽古に遅れないように参加するという心構えを持ってもらいたいと思いますし、
稽古に行くのが楽しみになるような道場にするのも努めだと思います。

 現在、鴨谷道場の前半の時間は、大人と子供との合同稽古の形をとっています。
子供だけでの稽古にすると、目が届かないところでは、子供同士で遊んでしまうので、
大人の人と組んで稽古するようにした経緯があります。
現在、大人・子供の合同稽古の時間は、
大人が子供を教える時間ではなく、大人と子供が一緒に稽古する時間であると考えています。
このため、大人にとっては、子供が稽古相手であると考えています。
 子供は褒めて育てることが大事ですが、
稽古で子供だと思って幼児扱いせずにすることが大事だと思っています。
また逆に、子供を甘やかさず、大人と子供としてけじめをつけて稽古することも
教育だと思っています。
 このため、現在の鴨谷道場の稽古は、大人と子供の合同稽古の時間から
始まるものと考えています。

 また、服装の乱れは心の乱れ、と言われます。
自分で、道着を直すことも必要です。
帯の結び方、道着の着かたを覚えて、自分でできるようにするのも、
道場での教育だと思っています。
できていない子があれば、これも教えていただきたいと思います。

 子供にとっては、楽しい中にも厳しい稽古。
1時間の稽古時間は、子供にとっては長いかもしれませんが、
気持ちを抜かずに稽古をするという緊張感も大事だと思っています。

子供はよく見ています。
子供を育てるのに、自らが率先垂範しないと、
大人の方が反面教師になってしまいます。
人の振り見て我が振り直せではないですが、
子供を教えるのに、まず自分が率先行動することで、子供を導く。

きびきびとした稽古をしたいと思います。
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第505号 一体化、同化

2014年08月05日 | 合気道について
いろいろな先生から、「合気道は、出会った時には勝っているのです。」
ということをお聞きします。
 合気道は、受けと取りを交替して行なうので、
お互いの立場がわかるのだと理解していますが、
どうも、それだけではないように思います。
 合気道は、試合がなく、勝ち負けを競うものではないといわれますが、
稽古相手より、自分が上手であるということを示そうとすることは、
実は、それは競い合いであり、相対的な強弱の比較であり、
結局、試合と同じではないかと思います。
 むしろ、緊張した顔で相手に対するより、さあ、どうぞと相手を迎える。
出会った相手と一体になり、あたかも相手と自分が一つであると思えるように
同化することが大事なのではないかと思います。
 そのためには、自分の力を抜くということですが、
それは具体的にどうすればいいのか。
 意識が変われば、動きも変わるかもしれないと思っている昨今です。
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第504号 非日常の時間、空間

2014年08月04日 | 中今塾について
 一昨日の暑気払い会に、久しぶりに、
りんくう泉南道場を中心に稽古されているFさんが、出席してくれました。
しばらく、体調を崩され稽古を休んでおられたようですが、
泉佐野道場での稽古への参加もお誘いし、また、稽古を再開してくれそうです。
 また、昨日の鴨谷道場での稽古には、
仕事が変わられて忙しかったOさんが、参加してくれました。
「自分のペースで初段を目指します。」とお聞きし、力強く思いました。
 継続こそ力なり、という言葉がありますが、
1週間に1回の稽古が無理でも、2種間に1回でも、1ヶ月に1回でもいいから、
出来る範囲で、稽古に顔を出して頂いて、
非日常の時間、空間を大事にしていただければと思います。
 合気道の稽古は、階段の踊り場のようなものだ、と教わりました。
人生の長い階段を登っていく中で、踊り場でちょっと一息つく。
せいぜい1時間か2時間、
共に稽古できる仲間がいる道場で、楽しく稽古できることが、
また、翌日からの生活の張りになれたらと思います。
 楽しくなけりゃ合気(道)じゃない、と思います。
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第503号 双方向の対話(体話)

2014年08月02日 | 最近感じること
 通信技術の進歩は、年々、スピードアップされてきています。
今や、スマートフォンは、小学生にまで普及されているようです。
しかし、それはまた、弊害も発生しているようです。
 LINEというツールというのか、ソフトというのか、
複数の仲間と同報通信できる方法があるそうです。
(筆者は、LINEを利用していないので、その利便性を手に入れてはいないのですが。) 
 LINEを通して、届いた連絡(?)に、返答しなかったことで、
仲間はずれにされるということが、小学生の間で起こっているそうです。
 確かに、情報を発信する側にとっては、いつでも、どこでも、
発信できるから便利でしょうが、
受診する側にとっては、深夜であったり、勉強中であったり、
すぐに、返信ができないという状況を、
発信する側は、理解できないのではないかと思います。
 双方向の通信手段でありながら、実は、一方的な通信手段になっているのではないかと思います。

 少々、飛躍するかもしれませんが、
合気道の稽古も、双方向のものであると思います。
 取りと受けとを交替して行なうのですから、
お互いの立場が理解できるのではと思いますが、
稽古の中で、果たして双方向になっているのか考えないといけないと思っています。
 受けのことを無視して、取りが勝手な稽古をしていては、
ひとりよがりな一方的な稽古であり、
受けと取りの立場が変わっても、結局は、一人稽古になっていないのかと思います。
 相手がどう感じているかを感じられることが大事なのではと思います。
それが、対話(体話)の稽古になるのではと思います。
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第502号 命の重さ

2014年08月01日 | 最近感じること
 暑い八月が、今年もやって来ました。

 8月は、8月6日が広島原爆記念日、8月9日が長崎原爆記念日、
8月15日が終戦記念日と、戦争にかかわる記念日が多くある月です。
 戦争といっても、太平洋戦争を連想する人が少なくなってきているようです。
1945年(昭和20年)の終戦から、69年。
戦争に従軍した方たちも、80歳代になられていると思います。

 先日、本屋に入って、ふと目が止まって、「指揮官たちの特攻」(城山三郎著)という本を買い求めました。
太平洋戦争で、特攻隊の指揮官として命を捧げた人達の話です。
 まだまだ二十代前半の年齢の人達が、
親を思い、妻を、許嫁を思い、子を思い、命を捧げた物語です。

 戦争という、悲惨な、非日常の生活の中で、
死に向かっていった人達。
 平和な時代であれば、まだまだこれから日本の社会の色々な分野で活躍された方々も多かった思います。
いつかそういう平和な時代が来ることを信じて、自分の命を投げうっていかれたのではないかと思います。
 戦争はあってはいけないし、戦争があったことも忘れてはいけない。
戦争で亡くなられた多くの人達の命の重さを忘れてはいけない、
そんなことを考える8月であってもいいのではと思います。
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