随想録 ー而今ー

 而今は、「にこん」と読みます。
 今の瞬間を精一杯生きるということを意味する言葉です。
 

第478号 体現する稽古

2014年04月19日 | 中今塾について
 合気道の稽古で、一教の技は、基本中の基本といわれます。
お互いが右、左と素手を交叉して下ろし、相手を畳に押さえる。
これを「とり(投げ)と受け」を交代してやる単純な技ですが、
入身十年、一教一生といわれるくらい、奥は深いものがあります。
 かつて、佐々木将人師範は、某大学校の合宿で、
一教の技を一時間、休憩なしで、無言で不動心を練るため稽古したと聞きました。
やはり、稽古は、無言で集中して行なわないと、身につかないと考えています。
 ある師範の先生は、研鑽会の稽古の時、
「(参加者の)命は私があずかっている。稽古に集中してください。」といわれ、
稽古時間に、各自自由に、休憩することを許していませんでした。
 当然、全体を見て、休憩が必要と判断された時点で、
全員の方に休憩を許可していました。
最低の状態で、最高のものを出す武道としては、必要な考えだと思います。


 以前にも、黙々と稽古しましょう、という主旨のことを、この而今に書きました。
その日の稽古の指導者の技を、言葉で理解しようとするのではなく、
体で感じる、体現する稽古、体話する稽古にしたいと思っています。
中今塾でも、ときたま、稽古時時間中に、初心者の方に、技の講釈をして、
体が、手が、足が、止まっている人がいますが、
言葉はいらない、ただ、ともに、稽古をするだけ、と考えています。
 入門当初の初心者であっても、受身は怪我をしないように、
教える必要はありますが、技は、難しくとも、
相手をした先達者の方が、体現してもらいたいと考えています。
 1回1時間位の稽古時間です。
今持っている力を全て絞り出しましょう。
心配なく、出せば入るです。
まずは、自分に厳しく、自分を甘やかさず、自分に負けず。
苦あればこそ、楽ありです。
黙々と稽古しましょう。
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第477号 合氣道の精神

2014年04月18日 | 合気道について
「合氣とは愛なり。
 天地の心を以って我が心とし、
 万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。
 合氣とは自己に打ち克ち敵をして戦う心無からしむ、
 否、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり、
 而して武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。」

以上、合氣道の精神であります。
塾生諸氏、一読の上、熟考されたし。
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第476号 はきものをそろえる

2014年04月17日 | 中今塾について
「はきものをそろえると心もそろう
 心がそろうとはきものもそろう
 ぬぐときにそろえておくと
 はくときに心がみだれない
 だれかがみだしておいたら
 だまってそろえておいてあげよう
 そうすれば
 世界中の
 人の心もそろうでしょう」(円福寺 藤本幸邦)

 ある道場では、トイレのスリッパは、いつも綺麗にそろえてあるそうです。
 他人が人が見ているから、はきものをそろえるというのではなく、
いつも、穏やかな気持で、はきものをそろえるという
その道場の先生の教えが、しっかりと根付いているのだと思います。
 道場には一礼をして入る。稽古相手に礼をして稽古を始める。
簡単な事ですが、一つ一つ心をこめて、行なうことが必要だと思います。
 段の方の所作は、級の方が見ています。
 級の方の所作は、初心者の方が見ています。
 大人の方の所作は、子供達が見ています。
 上級生の所作は、下級生が見ています。
恥ずかしくない所作を身につけるのも、道場での稽古の一つであると思っています。
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