合気道の稽古で、一教の技は、基本中の基本といわれます。
お互いが右、左と素手を交叉して下ろし、相手を畳に押さえる。
これを「とり(投げ)と受け」を交代してやる単純な技ですが、
入身十年、一教一生といわれるくらい、奥は深いものがあります。
かつて、佐々木将人師範は、某大学校の合宿で、
一教の技を一時間、休憩なしで、無言で不動心を練るため稽古したと聞きました。
やはり、稽古は、無言で集中して行なわないと、身につかないと考えています。
ある師範の先生は、研鑽会の稽古の時、
「(参加者の)命は私があずかっている。稽古に集中してください。」といわれ、
稽古時間に、各自自由に、休憩することを許していませんでした。
当然、全体を見て、休憩が必要と判断された時点で、
全員の方に休憩を許可していました。
最低の状態で、最高のものを出す武道としては、必要な考えだと思います。
以前にも、黙々と稽古しましょう、という主旨のことを、この而今に書きました。
その日の稽古の指導者の技を、言葉で理解しようとするのではなく、
体で感じる、体現する稽古、体話する稽古にしたいと思っています。
中今塾でも、ときたま、稽古時時間中に、初心者の方に、技の講釈をして、
体が、手が、足が、止まっている人がいますが、
言葉はいらない、ただ、ともに、稽古をするだけ、と考えています。
入門当初の初心者であっても、受身は怪我をしないように、
教える必要はありますが、技は、難しくとも、
相手をした先達者の方が、体現してもらいたいと考えています。
1回1時間位の稽古時間です。
今持っている力を全て絞り出しましょう。
心配なく、出せば入るです。
まずは、自分に厳しく、自分を甘やかさず、自分に負けず。
苦あればこそ、楽ありです。
黙々と稽古しましょう。
お互いが右、左と素手を交叉して下ろし、相手を畳に押さえる。
これを「とり(投げ)と受け」を交代してやる単純な技ですが、
入身十年、一教一生といわれるくらい、奥は深いものがあります。
かつて、佐々木将人師範は、某大学校の合宿で、
一教の技を一時間、休憩なしで、無言で不動心を練るため稽古したと聞きました。
やはり、稽古は、無言で集中して行なわないと、身につかないと考えています。
ある師範の先生は、研鑽会の稽古の時、
「(参加者の)命は私があずかっている。稽古に集中してください。」といわれ、
稽古時間に、各自自由に、休憩することを許していませんでした。
当然、全体を見て、休憩が必要と判断された時点で、
全員の方に休憩を許可していました。
最低の状態で、最高のものを出す武道としては、必要な考えだと思います。
以前にも、黙々と稽古しましょう、という主旨のことを、この而今に書きました。
その日の稽古の指導者の技を、言葉で理解しようとするのではなく、
体で感じる、体現する稽古、体話する稽古にしたいと思っています。
中今塾でも、ときたま、稽古時時間中に、初心者の方に、技の講釈をして、
体が、手が、足が、止まっている人がいますが、
言葉はいらない、ただ、ともに、稽古をするだけ、と考えています。
入門当初の初心者であっても、受身は怪我をしないように、
教える必要はありますが、技は、難しくとも、
相手をした先達者の方が、体現してもらいたいと考えています。
1回1時間位の稽古時間です。
今持っている力を全て絞り出しましょう。
心配なく、出せば入るです。
まずは、自分に厳しく、自分を甘やかさず、自分に負けず。
苦あればこそ、楽ありです。
黙々と稽古しましょう。