随想録 ー而今ー

 而今は、「にこん」と読みます。
 今の瞬間を精一杯生きるということを意味する言葉です。
 

第73号 ウケとトリ

2007年09月17日 | 合気道について
 合気道の稽古では、お互いが、ウケとトリの立場をを交互に入れ替わって稽古します。
 これは、お互いの立場を理解しあうことにつながると思いますし、トリの立場の時だけでなく、ウケの立場の時も、また稽古であると思います。
 ところが、中今塾の稽古の時でも、往々にして、トリだけが稽古になってしまっている傾向になっています。
 トリは投げるだけ、いうより、むしろ、投げつけるのが目的になってしまっているような気がします。
 特に、入り身投げのような投げ技のような時には、それが、顕著になっています。ウケを投げつけるのが目的になってしまう。投げるより、入り身に入ることの方を大事にした稽古にしたいと思っています。
 かといって、投げをおろそかにしてもいけないと思います。
最後の結びまで気を抜かない、そういう稽古をしていきたいと思っています。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第72号 躾(しつけ)その2

2007年09月12日 | 中今塾について
 しつけという字は、美しいからだ(身)と書きます。
腰が伸び、背筋がしゃんとして、肩に力が入らず、顎が上がっていない良い姿勢のことをあらわしているのだと思います。
良い姿勢とは、外面(外形)だけではなく、内面(心の面、精神面)も意味すると思います。
 この良い姿勢を教えることが躾であると筆者は思います。

 以前に、アメリカの五月女師範の道場を訪れたことがあります。
その時、弟子の皆さんが、五月女師範の教えられること、注意されることに、「はい、先生」と日本語で答えておられていました。
 そこには、アメリカにありながら、日本の文化があったと感じました。

 躾とは、朝の挨拶、はいという返事、後始末であると教わりました。(これは佐々木先生から)
 合気道だけでなく、武道では、後始末を教えることが大事だと思います。
稽古の前の道場の掃除は、自分のため、稽古の後の掃除は、次に稽古する人のため。
 他人のことをおもんばかる心を教えるのが、武道であり、後始末であると思います。
 (現在の道場では、稽古の後の掃除の大切さを教えられないのが残念です。)

 中今塾では、子供の部での準備運動の際、舟こぎ運動を行っています。
舟こぎ運動には、いろいろな方法があるようですが、中今塾では、舟こぎ運動のときに、声を出すように指導しています。
 元気よく声を出すことが大事だと思っています。
子供だけでなく、一般の部の方も、声を出してほしいと思っています。
なかなか、日頃の生活の中で、大きく声を出す機会は少ないと思います。
ぜひ、腹から、声を出して舟こぎ運動を行って欲しいと思います。
(健康法としても、腹から、声を出すことは良いことだと思います。)
 挨拶のとき、はいと返事のとき、元気よく、応えられるよう、
子供の頃から、習慣づけてもらいたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第71号 出会い、ふれあい、結び

2007年09月01日 | 中今塾について
夏もいよいよ終わりです。 夏の終わりは、なんともいえぬ寂しさを感じる季節です。

 先日、ある塾生の方(仮にAさんと称します)から、退会したいとの申し入れがありました。
 Aさんは、入会より3年余り。入会当初より、非常に研究熱心な方で、合気道だけでなく、他の武道にも深く関心を持っておられ、中今塾への寄贈本も多数あります。
 最近は、中国拳法に、強く惹かれている様子とお見受けしていました。
「他の塾生の方と求める方向がちがってきた。」というのが、退会を申し出られたひとつの理由でした。
 Aさんの発言は、時には刺激的に、時には鮮烈で、他の塾生の方には、誤解をされがちな面もありますが、本意は、別のところにあったように思っています。
 中今塾では、塾生の方が、他の武道をすることを制止することはしていませんので、それぞれの方が、合気道の基本を身につけた上で、他の武道で学んだことをご自分の合気道の中に、活かしてもらえればと思っています。 
 確かに、塾生の方は、それぞれが、求める方向が違うとは思いますが、合気道を通して、共に、学びあえればと思うのが、筆者の考え方です。
 もうひとつの理由として、「合気道は難しすぎる」ということでした。「理路整然と整理された指導がされていない。どれぐらい続ければ、どのくらいのレベルに達するかというものがわからない。」という意見でした。
 これは、塾長としての指導方法の問題もあり、謙虚に受け止めてねばと思っています。
 もっと、体系立てて指導すべきであり、理論的に説明していかねばと思っていますが、筆者は、合気道は掌(たなごころ)で感じることが大切であると思っています。
 いろいろな先生方の受けをとらせていただいて、自分の体の中で感じ、それを消化し、今度は自分の体で表現していくものだと思っています。
 そういう意味で、Aさんと共に、出稽古で、いろいろな先生方の指導を受ける機会を、つくれなかったのは残念に思っています。

 合気道には、出会いがあり、ふれあいがあり、結びがあると学びました。
世の中では、会うは別れの始めなりという言葉がありますが、出会い、ふれあいの後、結びではなく、別れになってしまうと、なんとも寂しい思いになります。

 出会い、ふれあい、そして、結びを大切にする稽古を、そして、その考えを毎日の生活に活かせるように心がけていきたいものです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする