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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

旧大連商業学校

2014-12-11 | 大連を歩く
旧大連商業学校は、日本租借時代の私立の5年制中等教育学校でした。

労働公園にほど近い唐山街と勝利路の間に残っています。
学校の設立は日本が租借権を獲得した直後の1906年です。


(現在残っているこの校舎の建築は1920年代とされています)


(外壁が塗装されているため新しく見えますが、約90年の老建築です)

広さは約3,000㎡です。
現在は大連市第36中学として利用されています。

一見、西洋風建築です。
玄関に注目してみましょう。


(神社の鳥居を模ったユニークな装飾です)

大連や旧満州には、かつて日本人によって多くの神社が建てられました。
本土から離れる暮らしの中で、心のよりどころを求めたのだと思います。

が、今はほぼすべて撤去され、遺構は残っていません。
しかし、こうして建築物に溶け込む形で「よりどころ」の形跡が残っているのは、かくれんぼでもしているようで面白いですね。

天井にも和風の意匠が凝らされています。帝冠様式です。
日本人建築士のスピリッツを感じます。

ところで、大連商業学校は野球の名門だったようです。
満州地区代表として夏の甲子園に12回出場しています。
なかでも、1926年(第12回大会)には準優勝を果たしています。

これはすごいですね。

大連に住んでいた高校生が海を渡って甲子園に出場して、決勝まで勝ち上がって帰ってきたのです。
当時の練習環境がどのようなものだったのかわかりませんが、大記録です。

当時、この付近には2か所の野球場もありましたので、この一帯は大連の野球のメッカだったようです。


(今のグランドです。ここで甲子園制覇に向けた特訓が行われたのでしょうか)

校舎は、大連市重点保護建築に指定されています。
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