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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

甘井子 旧満州化学神社 - 珍しい社内向け神社建築跡

2016-09-04 | 大連を歩く
甘井子公園内に、日本租借時代に建設された神社の跡が残っています。


神社? ・・・あまり神社っぽくありません。



当時、ここは満州化学工業株式会社の敷地内でした。

文献が見当たらないので鎮座年次や由来、社格、祭神などの情報は不明ですが、おそらく、この社は正式な設立手続きを経ていない満州化学の社内神社のような位置づけだったのではないでしょうか。

この神社に関する古写真などの資料が残っていないところからも、そう考えるのが自然だと思います。

建物の特徴からして社寺建築であることは感じますが、およそ標準的な神社の体ではありません。
寺と神社を合成したような感じです。

いかんせん、古い記録が残っていないので詳細がわからないのですが、ここを「満化神社」と紹介している文献がありますので、当時はそのように呼ばれていたのでしょう。

周囲に鳥居や灯篭のような跡があるわけでもなく、この建物のみです。

どのような由来で建てられたのか、想像を巡らしてみます。

ここは当時、化学工場だったわけですから、現場はいつも危険と隣り合わせだったはずです。
周囲には住宅もたくさんありました。

一歩間違えば大事故に繋がりかねません。

このため、施設内にこのような祈祷施設を設け、操業の安全を祈ったものと推測しました。

この推測が当たっているのかどうか、自信はありません。

ただ、そう考えると当時の化学工場内の雰囲気や従業員家族たちの暮らしぶりのイメージが沸々と湧き出てきます。


西側から見てみます。注目してみてください。

中央に恵比寿様のレリーフがあります。
恵比須様はご存知、七福神の中で唯一の日本オリジナルの神様です。


こちらは東側から。こちらは布袋尊のレリーフが確認できます。


満州化学の社員がここで安全と商売繁盛を祈って手を合わせたのでしょうか。


裏側から。屋根にはしゃちほこらしき姿が確認できます。

現在、建物は閉鎖されています。
最近まで使われていたような形跡は残っており、保存状態もまずまずですので、利用を再開することも可能だと思います。


これも裏側から。瓦の劣化が時間の流れを感じさせます。

取り壊さずに、このまま残してほしいものです。
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