大連市内で、ときどきこのマンホール蓋を見かけます。

中型の蓋です。
日本租借時代のものと思われます。
しかし、中央の「H」の意匠が何のロゴマークなのか、わかりません。
僕がこのマンホールを蓋の存在を認識してからもう2年以上経つのですが、この間、ずっとこの「H」の正体を探してきました。
「H」ではなく、漢字の「工」の可能性も考えました。
当時大連に存在した会社の社章なのだと思います。
突き止めることができたらこの日記でご紹介しようと思ってきたのですが、確証が得られる資料が見当たりません。

(ときどき、このように意匠が削られているものもあります)
かつて、東京には「工」の意匠が入った工部省のマンホール蓋があったようですが、それでしょうか?
ただし、大連にも工部省があったという記録はありませんので、決め手になりません。
どなたか、お心当たりの方がいらっしゃったら、ぜひご一報ください。

中型の蓋です。
日本租借時代のものと思われます。
しかし、中央の「H」の意匠が何のロゴマークなのか、わかりません。
僕がこのマンホールを蓋の存在を認識してからもう2年以上経つのですが、この間、ずっとこの「H」の正体を探してきました。
「H」ではなく、漢字の「工」の可能性も考えました。
当時大連に存在した会社の社章なのだと思います。
突き止めることができたらこの日記でご紹介しようと思ってきたのですが、確証が得られる資料が見当たりません。

(ときどき、このように意匠が削られているものもあります)
かつて、東京には「工」の意匠が入った工部省のマンホール蓋があったようですが、それでしょうか?
ただし、大連にも工部省があったという記録はありませんので、決め手になりません。
どなたか、お心当たりの方がいらっしゃったら、ぜひご一報ください。