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ぶらぶら街歩き日記です。北京編4年目です。

天津旧イタリア租界 湯玉麟旧居

2024-02-21 | 天津を歩く
天津の旧イタリア租界で湯玉麟の旧居を見かけました。

湯玉麟(1871-1937)といえば張作霖の盟友で、奉天派の軍人です。





浅田次郎の傑作「中原の虹」に登場します。

役どころは張作霖馬賊の四当家でした。新民府と奉天城の清国正規軍との連絡役です。
小説では「麒麟当家」、「麒麟攬把」ともよばれていました。

総攬把の張作霖が湯玉麟の先導を受けて奉天に赴き、徐世昌東三省総督に仕事の報酬を直談判するシーンがありました。交渉が難航するとみるや、湯は徐世昌の眉間に銃口の狙い定め、その状態で紅鬼子の首を取った代償として10万元を脅迫するという緊迫の場面です。浅田次郎のこういう緊迫のシーンの描き方は特に印象に残ります。

このやりとりは創作だと思いますが、この頃の湯は36歳ぐらいです。

また、終盤で王永江が張作霖が山海関を越えて北京に攻め入ろうと画策していると疑ったのに対して、思い過ごしだぜ、と諫めます。これは駆け引きなのだと。
これまたカッコいいシーンです。

史実によると、湯玉麟はその後も基本的には張作霖とともに行動し、1926年からは熱河省の行政を司りました。その後日本軍が熱河を奪うと、1933年にこの天津に逃亡してきました。





湯玉麟がここで暮らしたのは1933年から没する1937年までだったようです。ときに湯はすでに60代になっていました。

このルネサンスとバロックが融合したような洋館は1922年の竣工です。いかにもイタリア租界の建物です。当時は北洋政府交通局長の邸宅として建設されたのだとか。イタリア人建築士の設計でしょうか。

今は何の用途に使われているのか分かりませんが、保存状態はとても良好そうに見えます。

個人宅としてはずいぶん立派で広い家です。激動の時代を生きた湯にとって、天津での暮らしはどのようなものだったでしょうか。

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