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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

旅順 旧高崎山 - あの名セリフが生まれた場所

2015-08-14 | 旅順を歩く
旅順の旧高崎山は、日露戦争・旅順攻囲戦のハイライトである二〇三高地攻略作戦を児玉源太郎や乃木希典が見守った前線の観測所です。

一六四高地とも呼ばれていました。

二〇三高地の北3キロほどに位置しています。

訪ねてみました。



隣の山から見た山頂です。中央に石碑が見えてきました。



大正5年に建てらた記念碑です。一六四高地という文字が彫り込まれています。

この山頂は、あの名セリフが生まれた場所です。

「坂の上の雲」で日本帝国陸軍第三軍が二〇三高地の奪取に成功したシーンをプレイバックしてみましょう。
ときは1904年12月5日です。

●観測兵:(有線電話を設置して)こちら二〇三高地山頂! 高崎山、応答願います!

●高崎山の通信兵:(受信を確認した後、児玉や乃木の方向を向いて)繋がりました!

●児玉:(受話器を受け取り、二〇三高地をみつめながら)そこから旅順港は見えるか!?

●観測兵:(旅順港方面の視界を確認しながら)・・・見えます! 丸見えであります! 各艦、一望の下に収めることができます!

●児玉:(二〇三高地をみつめ、静かに頷く)

●二〇三高地山頂の歩兵たち:バンザーイ! バンザーイ!

・・・作戦は奏功しました。日本軍が旅順攻囲戦の勝利を確信した瞬間です。

児玉の「そこから旅順港は見えるか?」は、ここで発せられました。

国家の命運を託した問いかけでした。

111年前の出来事です。





これが児玉源太郎が見た光景です。中央一番奥の青い山が老鉄山、その手前が二〇三高地、その手前が海鼠山です。



こちらは旧市街方面。白玉山塔も確認できます。

この旧高崎山ですが、今の山の呼称はわかりません。
今の地図には表記がないので、ひょっとしたら名無しの山かもしれません。
同僚に付き合ってもらい、山道をウロウロ歩いて探し当てました。





こんな文字もありました。





約100年前に建てられた石碑です。良好な状態を保っています。

この地は1904年8月15日に第三軍が奪取したとあります。第一回総攻撃のときです。

ここからは、たしかに旅順港内の様子を窺い知ることはできません。

ここで戦況を見守った児玉源太郎や乃木希典の思いはどのようなものだったでしょうか。

戦況は泥沼化し、一進一退の消耗戦の様相を呈していました。二〇三高地の攻略は、国家の存亡を賭けた天下分け目の戦いでした。

夏のさわやかな風に包まれた穏やかで緑豊かな旅順の風景からは、当時の壮絶な激闘ぶりを連想するには多少の想像力が必要です。
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