紫禁城の隆宗門にはおもしろい逸話があります。
小説「蒼穹の昴」は、夜の路地裏で安徳海が春児に向かって「言い伝え」だと断った上でこんなエピソードを打ち明けるシーンがありました。
1644年、農民を動員して明国を滅ぼし紫禁城を乗っ取った李自成は、天子のみしるしである龍玉を探します。しかし、城内を探しても探しても見つかりません。
そうこうしているうちに清の満洲八旗軍は長城を越えて北京になだれ込んできます。
龍玉を探しあぐねた李自成は追い込まれ、城に火を放ちます。
そして、自らに天命がないことを悟ると、恨みをこめて馬上から隆宗門に矢を射込みます。その矢は扁額に命中し、梁にまで達しました。まさに一矢を報いたというわけです。
この伝説は「地球の歩き方」北京編でも少し紹介されています。
その恨みの矢が現代となった今でも扁額に刺さったまま残っていると。
本当でしょうか。実際に観察してみました。
隆宗門は外朝と内邸を隔てる重要な境界です。乾清門前広場の西側にあります。
これです。
最初に門が造られたのは永楽帝時代の1420年で、その後何度か再建されているようです。
これが扁額です。東側を向いています。
目を凝らすと、左側に鋭利な矢か釘らしきものが刺さっていることがわかります。
言い伝えが事実なら、380年前に放たれた恨みの一本ということになります。なんとも興味深い話です。
しかし、ネットで調べてみるとこの矢には諸説あるようです。
とある文献は李自成説を否定しています。
いわく、これは1813年に嘉慶帝が巡行に出かけて北京を不在にした間に発生した天理教の農民反乱軍と清国軍の激しい戦闘の痕跡なのだとか。のちにこの出来事を知った嘉慶帝が、下部に対して常に危機感を煽るために矢尻を残すよう命じたのだそうです。
さらに違う説もありました。
義和団の乱を鎮圧した8か国連合軍が北京でゲームをしていたときに矢を残していったという説です。
他にもあります。清朝が滅亡した後、紫禁城に取り残された溥儀が練習としてこの扁額を的にして矢を放ったという説もあるようです。その頃の溥儀はやけになっていたでしょうし、もはや内廷の制御も効かなかったでしょうから、これもあり得そうな話です。
いやはや、どれが事実だったとしてもおもしろい話です。この外観からすると矢は人為的に撃たれたものである可能性は高いように思います。
なんとも興味を掻き立てられます。
こういう伝説は深く追求せずに、分からないままにしておいた方がよいと思います。
小説「蒼穹の昴」は、夜の路地裏で安徳海が春児に向かって「言い伝え」だと断った上でこんなエピソードを打ち明けるシーンがありました。
1644年、農民を動員して明国を滅ぼし紫禁城を乗っ取った李自成は、天子のみしるしである龍玉を探します。しかし、城内を探しても探しても見つかりません。
そうこうしているうちに清の満洲八旗軍は長城を越えて北京になだれ込んできます。
龍玉を探しあぐねた李自成は追い込まれ、城に火を放ちます。
そして、自らに天命がないことを悟ると、恨みをこめて馬上から隆宗門に矢を射込みます。その矢は扁額に命中し、梁にまで達しました。まさに一矢を報いたというわけです。
この伝説は「地球の歩き方」北京編でも少し紹介されています。
その恨みの矢が現代となった今でも扁額に刺さったまま残っていると。
本当でしょうか。実際に観察してみました。
隆宗門は外朝と内邸を隔てる重要な境界です。乾清門前広場の西側にあります。
これです。
最初に門が造られたのは永楽帝時代の1420年で、その後何度か再建されているようです。
これが扁額です。東側を向いています。
目を凝らすと、左側に鋭利な矢か釘らしきものが刺さっていることがわかります。
言い伝えが事実なら、380年前に放たれた恨みの一本ということになります。なんとも興味深い話です。
しかし、ネットで調べてみるとこの矢には諸説あるようです。
とある文献は李自成説を否定しています。
いわく、これは1813年に嘉慶帝が巡行に出かけて北京を不在にした間に発生した天理教の農民反乱軍と清国軍の激しい戦闘の痕跡なのだとか。のちにこの出来事を知った嘉慶帝が、下部に対して常に危機感を煽るために矢尻を残すよう命じたのだそうです。
さらに違う説もありました。
義和団の乱を鎮圧した8か国連合軍が北京でゲームをしていたときに矢を残していったという説です。
他にもあります。清朝が滅亡した後、紫禁城に取り残された溥儀が練習としてこの扁額を的にして矢を放ったという説もあるようです。その頃の溥儀はやけになっていたでしょうし、もはや内廷の制御も効かなかったでしょうから、これもあり得そうな話です。
いやはや、どれが事実だったとしてもおもしろい話です。この外観からすると矢は人為的に撃たれたものである可能性は高いように思います。
なんとも興味を掻き立てられます。
こういう伝説は深く追求せずに、分からないままにしておいた方がよいと思います。