Senkaku Library 尖閣ライブラリー

尖閣諸島は日本の領土である動かぬ証拠

尖閣近海で地下資源発見

2012-11-25 | 魚釣島の歴史
(以下、「尖閣諸島は日本固有の領土である」茂木弘道:著より転載)

米軍占領下の沖縄においても、尖閣諸島および近海における学術調査が、沖縄と日本の学者によって継続実施されてきた。

・1959(昭和25)年~1970(昭和45)年 琉球大学による生態学術調査
・1968(昭和43)年 総理府学術調査団・琉球大学・琉球政府合同の地下資源・水質・海鳥・植生調査
・1969(昭和44)年、1970(昭和45)年 総理府第1次、第2次学術調査団の海底地質調査
・1970(昭和45)年 九州大学・長崎大学合同調査隊の地質・生物相・海鳥・水産昆虫類調査

さらに、那覇在住の大見謝恒寿は、1961(昭和36)年当時から沖縄・宮古・八重山周辺海域の石油・天然ガス調査を行ってきたが、1969(昭和44)年2月、尖閣諸島周辺海域での鉱業権5219権を出願し、12月、尖閣諸島と大陸棚における石油鉱床説明書を提出した。

日本政府もこうした動きに対応して、調査活動を行ってきている。

そして、国連極東経済委員会(ECAFE)が、この海域での調査を実施し、1968(昭和43)年に報告書を提出した。その中で、周辺海域に地下資源の存在の可能性が指摘された。

これ以来、中国・台湾が突如として領有権主張を行うことになるわけである。
ちょうど沖縄が日本に正式に返還されることになるタイミングであった。


(転載おわり)


1969年秋に、国連調査団が海洋調査を実施し、尖閣諸島周辺の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性が高いという
報告書を提出した。

同年11月22日、当時の佐藤栄作首相とニクソン会談で、沖縄復帰が合意されたのち、中華民国(台湾)が米国に対して、これらの島々を日本に復帰させるのを保留するように求めたことから、尖閣諸島をめぐる領有権争いが突如として始まった。


<台湾の主張>

沖縄復帰の時に、台湾は米国に対し、次のような4項目の申し入れを行った。
1971年3月15日 駐米台湾大使 周書楷が米国国務省に赴き、手渡した文書の要旨は、以下のとおり。

(1)15世紀の明の時代から琉球に冊封使を送っているが、その使節団の旅行記に、特に釣魚台、黄尾嶼(久場島)、赤尾嶼(大正島)の三島のことが詳しく記されている。その記述によれば、これらの島々は台湾と琉球の境界線と考えられてきた。


台湾の境界線に位置する島々だということと、実効支配や統治とは何ら関係がない。
尖閣諸島が台湾の一部であった証拠にはなり得ない。

(2)釣魚台列嶼(尖閣列島)の地質学的構造は台湾のものと似ていて、地理的にも台湾と隣接している。だが、沖縄からは200マイル以上も離れている。


地質や距離は、主権とは何ら関係がない。
アメリカから遠く離れたグアムは、地質もまったく異なるが、れっきとしたアメリカ領土である。

(3)釣魚台列嶼は、長年にわたって台湾漁民の漁場だった。彼らはこれらの島を、嵐を避けるためや船や漁具を修理するために使ってきた。


台湾漁民が勝手に尖閣海域に不法侵入し、勝手に尖閣海域を漁場としていただけである。
台湾漁民に対し、琉球政府はこれを不法行為として警告し、取り締まっている。
嵐を避けるためや漁具の修理のためと称して、尖閣諸島に上陸した漁民に対し、68年に米琉球政府が警告したあとは、台湾漁民は琉球政府に正式な入域申請を提出して船の修理のために渡島している。


(4)日本政府は釣魚台列嶼を1894年以前(つまり、日清戦争以前)には沖縄県に編入していなかった。この編入は、日清戦争のあと、中国による台湾と澎湖島の割譲の結果(in the consequence of China's cession of Taiwan and Prescadores to Japan)起こっている。

第二次世界大戦の終結以来、北緯29度以南の島々は、サンフランシスコ講和条約第3条にしたがって米国の軍事的占領下に入り、その中に釣魚台列嶼も含まれていた。中華民国政府は、この地域の安全保障への配慮から、これまで米国の軍事的占領に異議を唱えなかった。

だが、これは釣魚台列嶼が琉球の一部であることを、中華民国が黙認したと解釈されるべきではない。さらに、国際法の原則によれば、一時的軍事占領は最終的主権の決定に影響を与えるものではない。

これら歴史、地質、地理、使用実態、国際法上の理由により、釣魚台列嶼は台湾と関係が深く、台湾に付属する、あるいは帰属するものとして扱われるべきである。台湾も澎湖島も隣接する島々も第二次世界大戦後、中華民国に返還されたが、釣魚台列嶼が例外となっている。

1972年に米国による琉球諸島の占領が終結するにあたり、米国政府は中華明国の釣魚台列嶼に対する主権を尊重し、これらの島々を中華民国のために留保すべきである。


日清戦争を終結させた下関条約には、尖閣諸島に関しては一切触れられていない。
下関条約で日本が割譲された島については、確かにポツダム宣言に基づき、日本は台湾に返還しなければならないが、そうではない。

尖閣諸島は、日本が下関条約で清国から割譲されたのではなく、以前から日本が実効支配していた「無主の地」である尖閣諸島を、たまたま日清戦争と同じ時期に日本の領土に編入したものである。

台湾は、1951年にサンフランシスコ講和条約が締結されてから、沖縄返還の1971年まで、尖閣諸島の領有権に関して異議を唱えてこなかったことを、この申入書で認めている。
「中華民国政府は、この地域の安全保障への配慮から、これまで米国の軍事的占領に異議を唱えなかった。」という部分が、それである。

豊富な海底資源が埋蔵されていることを知ったので、沖縄の日本返還をチャンスとみて、日米両国に交渉する決心をしたというところだろうか。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿