2020年2月5日(水)
1泊で東京出張にやってきました
暖かいですね~
17時に丸の内のビルのお客様を訪問します
大雪を警戒して早い便に変更してやってきました
2時間くらい時間があります
まずは東京駅丸の内口駅舎をじっくり見学
東京駅丸の内口駅舎
とても建物のワイドがあって写真に納まりません
動画を撮りました
ご覧ください
1889年(明治22年)に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と
私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され
1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された
施工は大林組が担当。日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年(明治41年)から建設工事が本格化し
1914年(大正3年)12月20日に開業した。中央停車場は皇居の正面に設定され、東京駅と名付けられた。
ドイツから招へいされて日本の鉄道建設を指導していた技術者フランツ・バルツァーにより駅の位置や規模
構内の配置が決められた。駅舎は繁華街のある東側(現在の八重洲側)ではなく
陸軍の練兵場跡地だった西側(現在の丸の内側)と決まった。
皇居の正面と対峙することになり、国家の象徴的な位置付けであった。
プラットフォームはレンガ積の高架式4面8線で、新橋駅まで複々線の高架橋が計画された。
東側には貨物ヤードが置かれることになった(後に車両基地に変更)。
バルツァーは日本風の駅舎を提案していたが日本側に反対意見が多く実現しなかった。
駅舎は辰野金吾と葛西萬司が設計し、埼玉県深谷市から鉄道輸送されたレンガと鉄筋造り
3階建て総建坪9,545m2・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。
南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口
丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。
中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。
中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各1つ別の出入り口があるが
これは荷物の搬入搬出口として設けられた。
開業年の1914年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり
青島の戦いを指揮した陸軍司令官神尾光臣中将が凱旋し
皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。
アムステルダム中央駅が当駅舎を設計する際のモデルになったという説があるが
1988年以降に藤森照信らをはじめとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から
否定的な意見も出ている。
辰野は英国留学の経験がありロンドンのターミナル駅を参考にした可能性もある。
以上、ウィキペディアより
辰野金吾は、日本銀行小樽支店も設計した
明治から大正時代の日本を代表する建築家です
皇居まで足を延ばしました
皇居から眺めた丸の内ビル群
二重橋
考えてみると
天皇が年下となりました(笑)
年下の天皇ってびっくりぽんや~
笑
スカイバスがおりました
バスのオープンカーです
17時
お客様を訪問しプレゼン
成果が出ることを祈ります
飯田橋(いいだばし)のビジネスホテルに移動してチェックイン
19時から
神楽坂(かぐらざか)の小料理屋で
お世話になっている顧客の担当者を誘って夕食
盛り上がります~
神楽坂、裏小路に入ると昔の情緒が残ってました
三味線の響きが懐かしい
ビネスホテルのベットに潜り込み
おやすみ~
つづく