「みんなの年金」公的年金と企業年金の総合年金カウンセリング!                 

このブログ内検索や記事一覧、カテゴリ-等でお楽しみください! すると、あなたの人生が変わります。

厚生年金基金事務長奮闘記-16

2010年08月24日 | 厚生年金基金


7.事務所に情報は転がってない!

厚生省は平成9年12月25日付けで、省令交付により年金局長名で或る通知(年発第5970号)を都道府県知事に送付しました。次いで、都道府県の年金指導課長名で各基金の
理事長宛にその文書の写しが郵送され回覧されました。

基金事務所にそのペーパーが届きましたのは平成10年1月14日、基金制度発足の昭和41年10月から数えて実に<31年4ケ月!>。

このペーパーは、俗に「5・3・3・2規制」と言われる厚生年金基金の資産運用に関する規制(元本保証50%以上、株式30%以下、外貨建て資産30%以下、不動産20%以下)撤廃の通知です。

31年とは、あまりにも<戦艦大和>過ぎます。長期に及ぶ基金関係者の規制緩和・規制撤廃の要望が聞こえなかった、聞く耳を持たなかったということだけではないでしょうが、
この間、厚生大臣は20人位は交代しているでしょうし、年金局長、年金課長、年金審議官もおのおの20人くらいは変わってしまったでありましょう。

 資産運用の規制緩和・規制撤廃という問題については、官の担当者において「似たような状況において蓄積された経験」(R.ジアモ)というのが成立しない仕組み(配置替え)になっているようです。

 それは、民間においても同様ですが、総合職制度の最大の欠陥です。次ぎから次ぎへと担当官の交代が整然と行われ、個人のレベルでのノウハウの蓄積は一顧だにされない、ましてや「似たような状況において蓄積された経験」などという価値は評価されないどころか切り捨てられるだけです。学習効果という知恵は累積されることもなく、机上論のみの環境至上主義がまかりとおり「回す」ことだけに専念しているのが総合職制度です。

 例えば、「MOF担」の護送船団方式。新保恵志氏も『デリバティブ』のあとがきで呆れています。「不思議なことは、デリバティブの若手の専門家でも、オン・ザ・ジョブ・トレーニングの名のもと、人事異動によってデリバティブとはまったく関係のない部署に回されるというのです。しかも配置されてまだ2~3年しか経っていないというのに、であります。」

要するに、本邦金融市場には官にも民間にも金融の専門家がいなくて、総合職の組織的・
制度的・構造的人材が屯しているだけです。このため、過去に再々外資系金融機関にうまい汁を吸われてきたし、今後もビッグバンを迎えて虎視眈々としている勢力は後を絶ちません
ので何が起るかわからない状態にあります。

厚生年金基金は通常官製情報により業務運営をすることになっています。それは単に厚生
省の「規制」のみではなく、行政サイドの「指導」とか「報告」、「努力目標」、「統一形式」、「望ましい」、「整合性維持」等々の手法により、フレームワークを限定することで行政秩序を保っています。

 通常、厚生省より「貴管下の厚生年金基金に対する指導について、遺憾のないよう配慮されたい。」という文書により各都道府県に業務運営通知があり、国政の執行機関としての各都道府県は、それを現場の各厚生年金基金理事長に取扱いを指示します。粛々と行われる国政・行政のこの一方向的情報は、末端の厚生年金基金では通知内容にそった処理を実行するだけです。

 整合性のある実務が確実に実施されることが重要であって、疑義さえはばかれるような一点集中主義で行われます。仮に、疑義が発生した場合には、「お尋ね」の文書上申、団体からの要望書提出、審議会での討議等の長い道程を経ないとなりません。

基金事務所にはこのような情報は整理・ファイル・保存に困るほど溢れています。常務理
事の大型デスクの上には、通知の山、解説書の山、認可申請・届出書・報告書の山がうず高く築かれていて、わずかに残された稜線の隙間から片目だけ覗かして訪問者に挨拶するようなことになっています。一般的に、言われたことを言われた通りに行なわなければならないのが基金事務所ということになっています。

 コストとかリスク等は問いません。それを確実に達成していれば、行政サイドからクレームの付くことはないままです。そういうことで、20~30年も大過なく運営していれば表彰ものであります。




熟知していると思っている自らの業務について考えてみよう。それにはまず動き
回ることだ。出向く場所、出会う人、それらが自分とどのような関係にあるか、以
上のすべてがビジネス上の考え方やアイデァに集約されていくのだ。

R.B.タッカー『価値革命への挑戦』
-価値イノベーターのマーケティング戦略




ところで、厚生年金基金のそもそもの誕生の由来は、民間活力の活用、「民活」でありました。制度発足に際して基金制度の普及、退職一時金の年金化、日本の経済・社会制度の改
革を民間活力の活用により達成しようと計ったのでした。

 それを達成するためには、上記のような「言われたことを言われた通りに行なう」だけの官製情報だけでは自ずと限界があることは知れています。順法精神旺盛な子羊の群れの行う「右向け右」、横並び意識では、「基金制度の普及、退職一時金の年金化、日本の経済・社会制度の改革」等至難の業であります。

 その意味では、基金事務所には情報がまったくない隔離された陸の孤島になっているのが現実です。総論話しだけではなく、基金事務所の日々の業務遂行の面でも、同様です。つまり、基金事務所に情報は転がっていません!

筆者が昭和50年に基金事務所に配属になったとき、基金事務所に情報がないことに愕然としたものです。官製情報は溢れているが、業務ノウハウとか業務改善とか、顧客ニーズ、付加価値、マーケティング等の情報ソースがないのです。わずかに、総幹事会社の信託銀行・生命保険会社から提供される戦略的に操作されましたグレィな情報があるばかりでした。

 筆者は、配属後しばらくしてピュアな情報を求めて、自分が「移動アンテナ」になり基金行脚を始めました。よその基金さんの事務所を訪ねて手取り足取りの指導を頂いたり、業務改善の方向・ヒントを頂いたりするために、動き回りました。その結果、母体企業の文化しか承知していない者がよその基金さんで他社の多様な企業文化に触れて、考え方のフレームワークが何度か大きくゆさぶりをかけられたことも再々でした。

幸い基金の事務局の世界では、よその基金さんが行った手法・構成・組立て方・展開等々の業務ノウハウはお互いにオープンにやり取りが行われています。その点、民間企業の場合の競争相手の同業他社に対する情報の秘匿ということはありません。

 ビクターのVHS戦略のようなことが日常茶飯として行われています。よその基金さんと接触している最中に得たヒントを、基金の事務局の世界では「頂き」と言うが、自基金が頂くばかりで、よその基金さんにヒントを提供しなければ、何時の間にか誰にも相手にされなくなるのはどこの世界とも同様です。このような「頂き」をもらったとき、自基金の実情にマッチさせ全体の動向をマネージして、「起案」が始まります。

一方で、ストレートに「頂き」をもらうばかりではなく、何日もしてから、事務所で実務をこなしている最中に、或いはまた通勤電車の人込みの中で、或いはまた就寝中の暗闇の中で、ふと、AとB、あるいはAとC、時には全然無関係なAとXとZ等の間に突然関係が成立し、そこにユニットというか、きっちりと結び付いた塊、ビジョンの先駆けのようなものが誕生することがあります。



これまでの企業は長期金利を<与えられたもの>として受け入れる傾向が強かった。
しかし、スワップ・マーケットの出現によって、企業は長期金利を<資金調達者と
資金運用者の合意によって形成されるもの>に変えることができるようになったと
いってよいであろう。

つまり、スワップは日本の金融制度に長らく根付いてきた長短金融分離の制度を
突き崩したのである。

新保恵志『デリバティブ』




米国の「アメリカン・カフェ・ショップ」の一大チェーン店を展開しましたR.ジアモという経営者が「似たような状況において蓄積された経験」というものがあると言い、筆者が
前著で「積習の薫重効果」というものが起りうると述べたことが発生するようです。

とは言え、数多くのヒントは単なる思い付きに終わることもあるし、革命的なビジョンに発展するものもあります。しかし、その大多数は試行錯誤の繰返しのひとつではあります。

 筆者は普段メモ用の手帳は手離したことはなく、事務所には「ひらめきカード」を用意して置き、何かがひらめいた折りには即刻記入してボードにとめておきます。何度もそれに目を触れているうちに、内容はふくらみ、現実感覚による叩きも何度か行われ、「起案」になっていきます。

次ぎに、そのような「起案」を取りまとめました「業務改善等起案進行表」の実例を幾つか素材呈示してみましょう。






厚生年金連合会では、基金関係者向けの体系的なオフィシャルな研修を提供しており、一般に基金事務所に配属・採用された者はこの研修を段階的に受講していくことになっています。というのも、他に民間機関で基金の業務を体系的に学習する機会はないのと、着任後の日々の業務処理においてともかく全てが目新しく分からないことだらけなので、この研修を受けないことには基金業務の全てが始まらない環境があるということでしょう。

あえて言えば、基金事務所の前任者の業務ノウハウが総合職制度下の日本経済では蓄積されていません、更に言えば総合職制度には業務ノウハウを前任者が持ち逃げするようなインセンティブが働く属人的業務分掌構造が組み込まれているということでしょう。

積み上げられたノウハウが体系化されてないところで、新任の者は、着任早々即、業務処理を求められるのですから辛い一時期を過ごすことになります。こういう心理状態のときに、この連合会の研修は新任の者にとって大変な拠り所になっています。

 毎年、毎年、この研修会は申込者が殺到し、申込みが遅れれば締め切られてしまうほど、大変盛況です。この「盛況」は何を意味しているかと言えば、基金の世界では配置転換が、人の出入りが多いですということ、総合職制度が健在なことを示しているのでしょう。

 このことは基金全体の観点からすると、経験の蓄積が損なわれるというマイナス面と、多くの人に基金理解が進むというメリットは確かにあります。しかしどうでしょうか、基金業務の経験の蓄積がされないまま総合職の交替ばかりが頻繁に行われていては基金全体のレベルの向上が懸念されると業務改善のレベルで考えるか、いや、まったく新しい血が新しい人材がどんどん提供されるとイノベーションのレベルで考えるべきなのか、おそらくこの時点ではこの2つがない混ぜになった状態を考えるべきなのでしょう。



従来からの同じ原理を再応用して(導線を細くするとか接続の数を減らして)問
題の解決を図るよりも、他の分野から経験を引き出して活用する。その結果、もっ
ぱら従来の経験ばかりを集約している分野とは別の分野から、限界を突破する限界
破りたちが立ち現われることが多い。

R.N.フォスター『イノベーション』




とはいえ、厚生年金基金連合会の研修会は、オフィシャルな点で自ずと限界があるのはやむを得ないことではありましょう。目的が現行法令下の基礎的な仕組みを説明・解説する受動的な研修会であるのですから。連合会の体系的な研修会を段階的に受けていくうちに、そ
のような疑問、フラストレイションが高まっていくのを受講者は感じ出すことになります。

ところで、日本の経済界一般に経済の初期段階に属する規模のメリット追及型の構造があり、経済発展史の上から見ると原始的経済環境に留まったままであり、その中で個々の総合職の社員は「回す」ことだけに専念すればよい悪しき環境が出来上がってしまっています。

 それは、基金の事務所でも同様で総合職の職員は「回す」ことに専念しようとします。ところが、現実に業務を行ってみると、そう簡単に回らない現実にぶつかって「基金は難しい!」と宣ぅ。難しいのではなく、基金のことを知らないだけなのです。
 
 つまり、総合職では限界があるということ、着任したら一気に全面的な理解を求められているのです。その気のない切磋琢磨を避ける人、基金を人生の終着駅と考えるような人は基金の世界では無用の人と言うことでしょう。

切磋琢磨の試行錯誤を繰り返す活動の中で、基金の世界では各、地区協議会でのオフィシャルな活動があります。連合会を中心にしました各研究会、都道府県レベルの連絡会、その中の部会、更に任意参加の委員会(財政問題委員会とか運用問題委員会等)等々、幾つかあります。しかし、こういうオフィシャルな活動での情報には、自ずと限界が仕組まれていて組織防衛に専念するものが必ず内在するものです。官僚支配を自ら実行してしまう民間人が
おれば、限界突破者を排斥するチェッカーが生まれてしまうもののようです。人が群れをなして行う行動には中国2000年の歴史が良い事例です。

そういうオフィシャルな活動とは別に、基金の世界には「単独・連合厚生年金基金連絡協議会」(俗称:たん・れん)という民間有志団体(参加基金数500?)があり、7委員会を構成し様々な研究活動を行っています。

 筆者も、一時、給付、福祉、運用の3委員会に参加して情報収集に努めていた時もありました。また、ここ10年ほどの傾向として、基金の資産運用問題がクローズアップされてから、證券系総合研究所が投資顧問会社と組んで、基金攻略の一環として年金セミナーを活発に行っています。似たような傾向として、進出してきた外資系金融機関も盛んに年金セミナーを行っています。その数、およそ20社程度になりましょうか。

資産運用問題といえば、基金連合会が毎年、交互に米国と欧州に金融事情視察団を組んで、20から30基金が参加して調査をしたのも10年ほどは続きましたでしょうか。さらに、最近では民間調査機関等が主催している研究会(例えば、㈱日本公社債研究所の「現代投資理論研究会」、㈱企業年金研究所の「基金経営問題研究会」等)なども数多く行われるようになってきました。

メディアの情報提供は、年金問題の社会的関心の高まりにつれて盛んに行われるようになり、TV(最近、筆者が発見し、目覚めと共に見る出勤前の12Cの朝6時「マーケット・ライブ」)、ビデオ(特にソロス氏もの)、雑誌(特に、「證券アナリスト・ジャーナル」、「ファンド・マネジメント」「日経広告手帖」の日経金融新聞特集等)、単行本(筆者は平成の時代に入ってから金融関係読書を500冊ほど読ませて頂き、各著者から多大な教えを頂いている)、新聞(特に、日経金融新聞の「複眼・独眼」の子情さんと払去さんのコメントは何時も刺激的ですし、それに日経の編集委員末村篤氏の優雅な爆弾記事)等から貴重な情報を多数得ています。

それにもまして、多方面(基金関係者、総研・證券の年金担当者、外資系金融機関のファンド・マネージャーの人々、調査機関・コンサルタント会社の調査員、厚生省官僚、基金連合会の担当者、新聞社の記者・フリーのルポライター、総幹事会社の代々の営業社員・数理人、業務委託指定法人の数理人、投信会社・商品ファンド関係の人、ヘッジファンド経営者、転職の名人(別名、酒席研究員)とか、各社の若手ファンド・マネージャー、大企業の財務責任者、経済学の大学教授、コンピューター会社の営業担当等々、そして最後に必ずつけ加えたい年金受給者)の人たちとの交流から頂戴する膨大・貴重な情報、これが現在の筆者の最大の個人的な財産になっています。

最近では、筆者が移動アンテナで基金行脚をして動き回っていたころとは様変わりして、
お陰様で基金事務所に居て「固定アンテナ」でも情報は転がり込むようになってきましたし、わざわざ持参してくれる方もあります。最近、更に情報収集能力を高めるためにホームページ開設やインターネットでの収集について準備を始めたところです。Eメールによる基金の情報収集も頻繁になってきました。

思うに、基金事務所の情報収集の方法は、業務改善の頃の「移動アンテナ」方式から多方面へのブレイクスルーを経て今やイノベーションの時代に入ったということ、積み上げ方式のボトム・アップからトップ・ダウンによる経営が始まるということか。それには、計数で啓蒙するのではなく、多種・多量な情報を「似たような経験の蓄積」を成就させるために、素早く執拗に繰返し材料提供することが必要でしょう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿