よしーの世界

好きな神社仏閣巡り、音楽、本、アートイベント情報を中心にアップします。

早春の鎌倉散歩part4 ~佐助稲荷神社~

2024-03-21 06:26:17 | 日記

銭洗弁天の奥に進んでいくと佐助稲荷神社があります。

住宅街の中を歩いて行くので少し分かりにくいかも。

京都の伏見稲荷よりは小ぶりですが、朱色の鳥居がずーっと続いています。

拝殿前です。人が殆どいないように感じるかもしれませんが、参拝方は結構見かけました。

ここにはお狐様が沢山奉納されています。

狐の石像は古い物も多く欠けて分かりにくいものもありました。一体一体違う表情で愉しめます。

以前来た時には無かった、上に上がる通路が出来ていました、工事中ですが上がることが出来ます。

こちらは最近出来た祭壇です。ここにもお狐像がドンドン並べられていくのでしょう。

中からこちらを見ています。

これだけの数の狐像を見ることが出来るところも少ないと思います。鎌倉の隠れ里と言われているそうですが、静かで落ち着い

ていて和みます。

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早春の鎌倉散歩part3 ~銭洗弁財天宇賀福社~

2024-03-20 07:19:51 | 日記

鎌倉・葛原岡ハイキングコースを途中でそれて銭洗弁天へ向かいます。

葛原岡神社からは急な下り坂です。雨が降った時とか大変そう。

銭洗弁天前の鳥居です、ここで記念撮影をする人多数、洞窟のような暗い通路を入っていきます。

巨大な石造りの手水舎はコロナ禍でずっと使用禁止でした。

いくつもの木の鳥居を潜っていきます。

境内は賑わっていました、人気スポットですね。本殿に参拝するのに少し待ちましたが、時間はそれ程かかりません。

大きな岩の下が奥宮です。晴れているので外から見ると中は真っ暗。

ここで銭やお札を洗い清めれば、福銭となり、一家は栄え、子孫は長く安らかになるとのことです。

外国人観光客もかなり来ています。この場所は鎌倉でも奥の方にあるので本当に静かで落ち着きます。さらに奥まった佐助神社

に向かいます。

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早春の鎌倉散歩part2 ~葛原岡神社~

2024-03-19 06:55:37 | 日記

鎌倉の葛原岡ハイキングコースでは、葛原岡神社に参拝出来ます。

まだ時間も早いので人も少なく静かな境内です。本格的な春になると、この辺り凄い人になりますからね。

鳥居を潜りすぐ左手に「縁結び石」があります。以前来た時はここまで賑やかではなかったですが、現在はカラフルな様子で、

参拝した方たちの思いが表れていました。

手水舎の龍像です。奥さんが正面から見るとスゴク可愛いと言っていました。

境内のミツマタは満開です。

ミツマタがこんな風になるとは初めて知りました。

本殿で、しっかりお参りします。

本殿右手に龍の画があります。

鳥居の右隣に「魔去る石(マサルイシ)」があります。魔が去るように願いを込めて備え付けの盃(100円)を石に当てて幸せ

を勝ち取りましょうと書いてありました。家の奥さんは頑張って盃を石に当ててましたよ。

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早春の鎌倉散歩 ~葛原岡ハイキングコース~

2024-03-18 06:21:16 | 日記

土曜日は鎌倉にハイキングに行ってきました。このコースに以前来た時には大勢の人が歩いていましたが、この日は数人だけで、

とても歩きやすかったです。

北鎌倉駅を降りて鎌倉方面にしばらく歩き踏切の手前、浄智寺の私道を上がっていきます。この辺りは舗装されていてなだらか

です。

石段を上がり少し歩くと、いきなり木の根が露出した高低差の大きい山道になります。

この辺り足元に注意!

急な下り坂。山の中に日差しが差し込んでいて、気温も上がってきました。

細い道の左手は崖です、気を付けて下さい。

葛原岡神社まであと200mです。

道に木の根が沢山出ていて歩きにくい。

急な下りで段差がかなりあります。高さがバラバラなので用心しながら降りないと足を捻ってしまうかも、下りきると葛原岡神

社までは平坦な道になります。

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明治の東京   馬場孤蝶

2024-03-17 08:14:19 | 

解説を読むと本書は昭和十七年(1942年)に刊行されたという。おそらく昭和初期に執筆されたもの

で、孤蝶は江戸時代のオーソリティになるよりも、自分の生きてきた明治を書きたいと思い筆を取っ

ている。

 

当時の東京は交通網もそれ程発達していない(汽車、鉄道馬車、人力車等)ので、何しろよく歩く。

新宿から牛込町を抜け、千駄ヶ谷を通り渋谷に行ったり。用達の帰りに、神田から九段を上り市ヶ谷

見附へ出て帰る事もある。与謝野馨が千駄ヶ谷住いの時分は、孤蝶が牛込弁天町にいた与謝野邸を辞

する時には深夜になっていたので、車で送って貰いもしたが、夜中の1時頃に歩いて帰ったことも度々

であったという、如何にも寂しい路とあるが、当時の事だから真っ暗であったと思う。

 

少年時代から寄席に通い、義太夫、落語、講釈にも親しんでいたようで、三遊亭円遊、橘屋円太郎、

五明楼玉輔、三遊亭円生(当時の)、禽語楼小さん、立川談志(当時の)も観たという。また高名な

三遊亭円朝も一度だけ聞いている。そして寄席の寂れに嘆き、少ない客だけを握って放さぬようにす

るべきと語る。興行を十五日から十日、一週間に短くするしか方法はないと言うが、それでは廃れる

一方のように思える。

 

今の時代に昔を懐かしむ話をよく聞くが、時代が遡っても同じよう感じる人は当然いる。しかし、そ

の時代の事を知ることで、様々な考察が出来る。今だけ、自分だけでは通用しない。本書には明治の

日常生活、風俗が描かれていてとても興味深い。

 

   明治の東京   馬場孤蝶                現代教養文庫

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