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うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

ドッテテドッテテ

2009年12月11日 21時09分51秒 | Weblog
あーなんか明日に向けていろいろ興奮するー 本読めないー


「電信棒」っていう方言久しぶりに聞いた。
子供の頃は確かに「でんしんぼ」って言ってた(@大阪市)。なまって「れんしんぼ」って感じに発音。背が高くてぼーっとした感じの人のことも「でんしんぼ」って、からかって呼んでた。

若い人は知らないと言うので牧村史陽の『大阪ことば事典』と日本国語大辞典の第2版をを確認したらやっぱり載っていた。私自身は小学校で宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」を習ってから「でんしんばしら」と言うようになったのを思い出した。

ドッテテドッテテ、ドッテテド、
でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐいなし
ドッテテドッテテ、ドッテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし。

というわけで、ドッテテドッテテが耳について離れないー。

印象

2009年12月11日 15時08分34秒 | Weblog
月曜日締め切りの仕事が3つ。

・定期試験の問題作る、終了。
・来年度授業の書類とシラバスを書いて送る、今やってるとこ。
・ここでは公にできない書き物の仕事、日本文藝家協会のせいで滞ってる…。

土曜日に終電まで飲むために頑張ろう~。

オフ会のレポートなど読んでいると、書いている物から受ける印象と本人はさほど違わないということだった。じゃあ私はどんな風だろうとここのことを知っている人に尋ねてみると、“気難しいメンヘルばばあ”と思われているのではないか、ということだった。なるほど。

土曜日の午後は研究会に行く。研究会といってもサロンのようなもので、場所も怪しい喫茶店、個性的なとんがった人々がやってくる。実際はそうでもないのだけれど外から見ていると閉鎖的な感じのする集まりで、私が入っていけたのもサロンの主(故人)が紙媒体で知った私のことを話していたからだった。

そこの人たちにも“もっと気難しい人だと思っていた”と言われる。私の書く物は公私ともにそんなに気難しい印象なのか? でも研究会の方では気難しい印象のまま繊細でミステリアスな女性を演じてみたかったな。無理か。

ライトアップとかイルミネーションとか

2009年12月02日 09時26分23秒 | Weblog
ルミナリエは鎮魂の意味があると思うので、機会があれば行ってもいいかなと思うけど(←なんでこんなに偉そうなんだ?)、電飾とかわざわざ見に行く人の気持ちがわからない。「綺麗~」って思うかもしれないけどきっと1分で飽きる。北海道行ったときもバスの中で「牛!牛!」って大興奮してたのに、30分後には居眠りしてた。沖縄行ったときも「海!海!」(一語文ばっかり)って大興奮してたのに、30分後にはホテルに戻って昼寝してた。興味の持続時間30分。うーん、単に眠いのか、私。

そういえば桜の通り抜けは眠くなると思ってたけど意外と楽しめた。いろんな品種の桜があって興味が尽きなかった。ルミナリエも通り抜けみたいに歩いているうちにいろんな品種があるんだろうか。素朴な「ヤマルミナリエ」とか華麗な「天の川ルミナリエ」とか奇天烈な「大輪田泊ルミナリエ」とか。

私はひねくれ者だから、もし今若者だったら「ディズニーランドのエレクトリカルパレード見に行こうよ」って誘われても「俗物め」と思うだろう。同じ光る物だったら光るキノコ見に行きたい。「ぼくとツキヨタケ見に行こうよ」、この方がずっとロマンチックだと思う。ほら、今「森ガール」とかいう女の子が街にたくさんいるじゃないですか、森にいるようなファッションの女の子を「森ガール」というそうだ。彼女たち、「森に光るキノコを探しに行こう」っていうデートのお誘いにはぐっと来るのではないだろうか。そんな話をしていたら、いや、あれはファッションだけでね、ライトアップとかイルミネーションとかじゃないとダメですよ、なんて言われた。うぅぅ。そうやの? 私がナンパした男だったらブチ切れるよ、「貴様、それでも森ガールかっ!」って。

【追記】
検索してみたら森ガールみたいな格好ではとても無理っぽい。
八丈島にはツアーもあるそうだ。でもツキヨタケの中毒事故はしょっちゅう聞く。もっと簡単に見られないのかな?
和歌山の光るキノコ
八丈島の光るキノコ
夜の森 光るキノコの森探検

試練

2009年11月27日 09時18分02秒 | Weblog

1000個捨てたら一人暮らしをするのだ、と意気込んでいるのだけれど、一人暮らしをしたことのない私は今から緊張している。家に一人しかいないのってどういう感じだろう? 同居人はもうずっと私が存在しないかの如く口を利かないので、一人暮らしになってもあまり変わらないんじゃないかと思っていた。それが先日…。

ご飯を食べながらふと顔を上げたら、台所に蝶々が飛んでいる!

実はワタクシ、虫が大の苦手だったのだ。思わず背後のソファに同居人がいるのも忘れ、「ひぇぇぇぇぇ」と奇声を発してしまった。長年私を無視し続けている同居人は、さすがというか敵ながらあっぱれというか全く動じない。ここまで来て同居人に可愛く「蝶々、なんとかして」と頼むわけにもいかない。これはきっと神が私に与えたもうた試練なのだ、「一人で生きていくなら台所に虫が現れても自分でなんとかするのじゃ」って言ってるのだ。でもなんで蝶々?

神様、無理です…。私は自分に息子がいることを思い出した(こんな母でごめんという思いから息子の存在は極力日記には書かなかったが今回は重要登場人物)。這うように息子の部屋に行き、後ろ手にドアを閉めた。

「なに?」
「…息子よ驚くな。台所に、蝶々が飛んでいる。」
「台所? 頭ん中の間違いとちゃうの?」

いや台所なのだ、きっと野菜の箱の中に潜んでいたんだろう。なんとかして…と母が頼むのに、僕も虫苦手やねん、特に蝶々は、と言う。いかつい大男が。なんで蝶々が怖いのさ、攻撃してくるわけじゃなし。ん? でもそもそも恐怖ってなんなんだろう。全ての恐怖っていうのは死の恐怖と結びついてるんじゃないのかな? 「死」ねぇ…。蝶々に殺されることないのになんで怖いんやろ? でも古代人は蝶々を冥界からの使いとして忌み嫌ったというよ。もしかして僕、感覚が古代人? そういえば蝶々って不規則に飛ぶのが怖いよね。そうそう、蜂はなんかこう、ひたむきな感じがして、好感 持てるよね。蜂は飛んできても ふっ と、避けられるし。そうそう、ふっ と。でも蝶々はねえ。蝶々にぶつかられると嫌やねえ。うわぁ、想像してしもたー!

ここで30分無駄に消化。

意を決して台所に戻り、結局、鍋敷きに止まったところをトングで鍋敷きごと挟んで外に出ていただきました。トング持っててよかった。トングは捨てないでおこう。

この連休

2009年11月24日 17時39分19秒 | Weblog
土曜日も仕事、いやんなるーと途中で抜け出して美術館へ。意外におもしろい展示でじっくり時間をかけて見てしまい、焦る。

睡眠不足のまま日曜日も仕事。済んでから接待される。断ったら悪いと思ってアルコールをガンガン飲む。

月曜日。ここのところずっと3~5時間くらいしか寝ていなかったからか、目が覚めると12時半! 間に合わないかもと泣きながら採点の仕事をする。

またまた睡眠不足のまま本日は講義。「カレシとイルミネーション見に行くんですぅ」なんて言う楽しそうな若者に「商業主義に毒されるな、電飾が見たければこれでも見ておきなさい。」と天井の電球を指さして、嫌われる。


という連休+本日です。
ツイッターだったら「美術館なう」とか書くのかな。

もの書く病(やまい)

2009年11月21日 01時33分12秒 | Weblog
小さな頃から絵を描くのが好きだった。病気がちでしょっちゅう通っていた小児科には小さな患者の「作品」を飾るコーナーがあって、病院に行くのは嫌だけど、そこに絵を貼ってもらえるのがうれしかった。

小学校2年生の時書いた詩を褒められてからは、文章を書くのも好きになった。高学年になると自分で絵本を作った。近所で青焼きコピーを借りて製本し、友達に読んでもらった。

伝えたいことが心の中でパンクしそうで、自己表現せずにはいられなかった。音楽もやってみたけれど、人前に出て自分をありのままぶつけるほど大胆にはなれなかった。作る過程で少し冷静になれる、間接的で顔を出さない絵や文章が自分に合っている気がした。高校の美術部で出会った友人の絵を見て、自分には絵の才能はないと諦めた。それからは文章を書くことだけが自分に残された自己表現の手段になった。

今まで書き散らしてきた残骸は、見るのも恐ろしい。でもずっと書かずにはいられないできた。ややこしい精神状態だった思春期に、稚拙な文章を書き続けていた。大人になってからの退屈な毎日に、「読んでますよ」と言われて始めて自分が生きている意味があると思った。体調を崩したときも、ぼんやりした頭で日記を書き続けた。

私の文章を買ってくれるところもある。でも、商品以外の文章を書くとき、売ったら1万円になるのに…などとは思わない。

頼まれてもいないのに書く。賞に応募するつもりもないのに書く。サイトにアップもしないのに、誰に見せるあてもないのに書く。しかも身を削るようにして。

これはもう、病気なのである。苦しくも魅力的な病(やまい)、もの書く病。

「死」から逆算して考える

2009年11月09日 12時14分00秒 | Weblog
ずっと別姓・別居結婚だった友人が、ここに来てお相手と一緒に暮らすことにしたと言っていた。もう一人、ずっと別居で離婚同然の友人が、恋愛したい! できれば再婚したい! と言っていた。

二人に共通するのは、「残りの人生後悔したくないから」という一言だった。

私が家を出たいのもそれに尽きる。「死」はいつも人ごとだった。なんだか永遠に生きるような気がしていた。それがここのところ、元気に活動できる最後の年齢から逆算して、ものごとを考えるようになった。


動機は一緒でも次に出る行動は逆だけど。友人が言う。
「そういえばアナタは、夜寝るときは男の人が側にいてくれないと嫌、って言ってたよね?」
「うん。でも朝起きてとなりに誰かいると嫌という…」

一人で眠るのは怖くないかなあ、ちゃんと眠れるのかなあ、と下宿を始める大学生みたいな心配をしている。緊張のあまり夜中や朝方に目が覚めて、「これ、一人暮らし大丈夫だろうか」と寝床で思う。一人でどこかに泊まるのは平気なのに。

でもたぶん、克服できるだろう。その日が来たら新しい上等のパジャマを買おう。

カウンセラーはいらない

2009年10月31日 14時14分36秒 | Weblog
友達に愚痴をこぼすのが嫌いだ。

女性同士の場合、おしゃべりが愚痴のこぼし合いになることが多い。登場人物である職場や家庭の人を一人ずつ具体的に紹介して、一から延々と話す人もいる。そういうの、私は着いていけないのだ。聞くのも苦手だし、自分も話すのが苦手だ。

ストレスを発散できないでしょ、愚痴ってもいいよと言われても、私にとっては愚痴をこぼす自分というのがストレスになる。詳しく話して反芻してスッキリするというのが信じられない。豪快に飲んで「○○のアホ~」と管を巻いてスッキリすることはあるが。

それでもつい愚痴ってしまった友人とは、しばらく距離を置いてしまったりする。なんだか恥ずかしくて。

だったらカウンセラーとかに話を聞いてもらえば? とよく言われる。あなたみたいなタイプの人のためにカウンセラーっているのでは、とも言われる。そんなに話すべきストレスがたまっているように見えるのか、私。

でもカウンセラーに話をするのも嫌いだ。

というか、カウンセラーって必要なのか、と疑問に思う(少なくとも文学研究の方がずっと必要ではないか)。カウンセラーの仕事というものをよくわかっていないのかもしれないし、素晴らしいカウンセラーに会ったことがないからかもしれないけど。そういう仕事に就きたいと話す学生に「うーむ」と唸ってしまう日々を送っているからかもしれないけど。

助けを求めるしかない状態になっていたら、医者に脳内をちょちょっといじる薬を出してもらうだけでいい。医者にもあれこれ話したくない。

誰かに相談して、アドバイスを受けたり情報を得たりできればそれに越したことはないと思うけど、事細かに物語りして「大変でしたね」とか言われたくない。

カウンセラーはいらないから。どうしても愚痴を言いたかったら公園で猫にでも愚痴るからほっといてください。

住んでみたい町、京橋

2009年10月30日 12時37分18秒 | Weblog
仕事が午後からの日の午前中、京橋を歩いてみて、本気で「がもよん」(蒲生4丁目)あたりの住民になりたくなってきた。今のところ京橋が一人暮らしの町の第1候補。

ここ、立地的には関西の研究者には最高の環境ではないだろうか。
  • 京大まで京阪電車1本で行きやすい。
  • 環状線で大阪がすぐなので阪大へも行きやすい。
  • 学研都市線も通っている。
  • 大阪府立中央図書館まで地下鉄1回乗り換えで6駅(近鉄に乗らずに歩く場合)。
  • 中之島図書館まで京阪電車ですぐ。
  • 大阪市立中央図書館まで地下鉄長堀鶴見緑地線の乗り換え無しで8駅。

そして私のような貧乏人にとっても、
  • 金券ショップがやたらある(非常勤であちこち行く身には交通費の節約になるのだ)。
  • スーパー玉出がある(大阪人しかわからないネタですが)。
  • 商店街(ちょっと柄が悪いけど)が健在。
  • 安い飲み屋が多い。

という魅力的な町なのだ。
まあ家を出る日まで2年以上あるのでゆっくり検討するけれど。京橋以外に今のところ考えているのは、天王寺(家賃を6万円以内に抑えたいので西成や生野寄りの安いところ)・我孫子・駒川・大正・野田・千林。これからは住むという視点で歩いてみよう。