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うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

占い

2010年01月25日 00時49分08秒 | Weblog
生まれて初めて占い師に占いをしてもらった。今まで全然興味がなかったのだ。というか、今もないけど、断るのもなあという状況で、まだ家に帰りたくなかったし、占ってもらった。

ずっと占いは無知蒙昧な人間のすることだと思っていたが、そのうち占いというのは一種の統計学のようなものではないかと考えるようになった。今の私は、占いは当たるのか? という問に、占い方によっては、当たることもあるのだろう、と答えるだろう。

というわけで、占い師さんはこんなことを言いました。以下覚え書き。
  • 仕事は、今まで頑張った割に実を結ぶことがなかったが、やっと実を結ぶ方向に進んでいる。
  • 最近どんどん仕事が充実していっているはず。
  • 最終的には昔からしたいと思っていた仕事ができるようになる。


うん、すばらしいですね。えべっさんのおみくじも大吉だったし。

  • ただしそのためには試練を乗り越えなければならない。
  • その試練は3年後。あなたは一人で暮らしているでしょう。
  • 結婚しているのだったら(私はこのとき指輪をしていなかった)4年後には法的にも一人になっているでしょう。
  • そういう方向に進まない場合、非常に苦痛に満ちた人生になります。


初体験の占いは、非常に具体的だった。「3年後」とか「4年後」とか言われて、思わず「そ、そんな具体的な数字を言うんですか?」って言ってしまった。占い師は「そう出てますから」と答えた。

ひょっとしてこのおばちゃん私のトモダチだったかしら? と思った。いやトモダチにもあんまり話してないし、ここを読んでる人かしらなどとあり得ないことを思った。口が上手いだけかもねと自分に言い聞かせながらもちょっと吃驚した。

感性に水をやる

2010年01月23日 23時46分20秒 | Weblog
昨年なにかにつけ10代の自分を思い出す機会があったのは、単なる懐古趣味ではなかったと思う。いわば人生の仕切直し、軌道修正。

というわけで10代の頃そうしていたように、頻繁に美術館に行くようになった。今日は朝方まで(ネット上の画面に入力していくので家族がいない時間を選んでこうなってしまった)シラバスを作っていたので、朝昼兼用の軽い食事を済ませると絵を見に行くことにした。無理にでもこういう習慣を作って、心を綺麗なもので満たしていかないと感受性がひからびてしまうと思うのだ。

そして、油絵のパレットも日本画の面相筆もみんな捨ててしまったのだけど、また絵を描こうかななんて無謀なことを考えている自分がいる。


見に行った展覧会は、半分以上が「“高校展”かい!金返せ!」と思うようなのだった。私の感性がおかしいのか? でもね、これはいい、と思うのはみんな「作家蔵」になっていなかったから間違ってないと思う。

わりとどうでもいい

2010年01月22日 09時07分01秒 | Weblog
DQNという言葉を初めて知ったとき、自分の中学高校時代にそういう言葉があったらなあと思った。DQNを表す言葉がなかったから、DQN一人一人に対していちいち体当たりして怒ったり傷ついたりしていたのだ。DQNだとわかってひとくくりにして放置できていたら。DQNという言葉を知って私は大人になった気がする。今の私は苛つく相手に心の中で「このDQNめ!」とか「DQNやから、しかたないか」とか「DQNのくせに」と思うだけで一応スッキリできる。

最近知っていい感じなのが「わりとどうでもいい」。雑用がてんこ盛りなのに、ものすごく腹が立つことがあって久しぶりに胃が痛いのだけど、「わりとどうでもいい」とつぶやくとちょっと冷静になる。考えてみればいろんなことが結構「わりとどうでもいい」のだ。「わりとどうでもいい」でこの時期を乗り切ることにしよう。

地震と本棚

2010年01月17日 23時28分23秒 | Weblog
阪神淡路大震災の日、震源地からかなり離れた我が家で本棚が倒れることは幸いにしてなかったが、転倒防止の金具が吹っ飛んでいた。拾い上げながら、もしこれがなかったら倒れていたかもしれないと思った。

本棚が倒れてきて怪我をした友人は数人いた。そのうちの一人は狭い下宿で本棚に囲まれて住んでいた。本と合板家具の粉々になった破片の下で生き埋めになっていた。抜け出したとき、トラックが下宿に突っ込んだのだと思ったそうだ。

本が火事で燃えてしまうかもという心配はあるが、消火活動で本が水浸しになってしまうということは考えなかった、という話もよく聞いた。本は濡れてしまってはどうしようもないのか。盲点だった。

貧乏書生にとっては、地震に対する備えのうち、本棚をどうするかというのが大きな問題だ。本棚を置かず、こたつかちゃぶ台のある和室があれば、食事と原稿書きををそこで済ませ、押入から布団を出してそこで眠ることができる。そのためには一人暮らしでも本棚を置く部屋と合わせて2部屋は欲しい。

あのころ関西に地震が来るとは誰も考えていなかった。本棚の下敷きになった人がどれだけいるのだろうか。

黙祷。

どこが女子やねん

2010年01月15日 12時44分40秒 | Weblog
大学で20歳前後の女子に囲まれていると、本当に若いなあと思う。サラサラの髪、張りのある肌、崩れていないボディライン。こういうのが本当の「女子」なのだ。

最近の「女子」っていう言葉の使い方には着いていけない。私の友達も「女子」って言うんだよ…。やめてくれぇ。恋愛したいとか言うのも信じられない。私たち「初老」ですから! 枯れ方を学ぼうよ…。

でも「女子力」とかを付けようと頑張るくらいでないと、あっというまに世間に迷惑な汚いばばあになるかもしれない年齢なのでそれくらいでいいのかも。私なんか今このまんま外に出るとテロかもな。今日は人に会わず原稿書いてるので(言い訳)、髪はボサボサだし日焼け止めクリームしか塗ってないし。ヒートテックにセーター、迷彩柄のパンツだぜ!

100万枚でも貼ってあげるよ

2010年01月14日 23時58分30秒 | Weblog
Tくんの奥さんと息子が偶然自分の近くにいるのに気付いたとき、私は迷わず会おうと思った。新しい友達は「私なら遠くから息子さんだけ見るけど」と言った。古い友達は「あたしの方がTくんのことをよく知ってるんやからねっ、ていう態度を取ったらあかんよ」と言った。Tくん一家を知っている人は、「是非会ってください」と言った。

何で会いたいと思ったのか自分でもわからない。きっとTくんに天国から遠隔操作されているのだ。

私の手紙を読んだ奥さんは返事をくれ、電話もかけてきてくれた。拍子抜けするほど明るい声に私はしどろもどろになった。

奥さんに会うのはちょっと怖かった。Tくんを独り占めしたかった昔のように苦しくなるかもしれないと思ったのだ。でもそういうことはなかった。Tくんがこの人に巡り会ってよかったと思った。この人がTくんを支え続けてくれて本当によかったと思った。

心のどこかでわかってるんだ、私が本当に懐かしんでいるのは自分自身の10代の日々だっていうことを。Tくんはその象徴なのだ。もし自分で人生を選べたとしても、私は“奥さん”ではなく“10代の日々にTくんと一緒に過ごした女の子”を選ぶだろう。

奥さんは何だかTくんに似ていると思った。目にチカラのあるところが。

Tくんの家に行ったときに隣のお婆さんがやってきたの、と奥さんは言った。手にサロンパス持って。届かないから貼ってくれって。ああこういうのいいなと思った、と言った。

うん、Tくんと私の育ったあの町は、そういうところだった。10代、20代の日々には鬱陶しくてたまらなくて出てしまったのだけど、きっとお婆さんになったら戻ってしまうのだろう。あの大阪の町に。

奥さんもあの町に住めばいいのになあ、と思う。サロンパス貼りっこして。私、貼ってあげるよ。100万枚でも貼ってあげるよ。

無駄にお節料理

2010年01月03日 14時37分47秒 | Weblog
お節の準備は丹波の黒豆を炊くことから始まる。ごまめ、栗きんとん、伊達巻き、煮染めを作る。煮染めは牛蒡・蒟蒻・椎茸・蓮根・人参・小芋・絹さや。いつものお総菜と同じだけど、人参を梅型に抜くのと蒟蒻を捻り蒟蒻にするのと一つずつ微妙に味付けを変えて炊くところが特別。生麩もさっと炊く。

お雑煮は慈姑・小芋・人参・大根・豆腐に餅の白味噌仕立て。

今年はボーナス時の生活費がなかったのでお節の「仕分け」をした。数の子を作るのと尾頭付きの海老に串を刺して塩焼きにするのは廃止。雑煮用に祝い大根を買うのを止めてふつうの大根を半月切りに。

黒豆はいろいろな人にお裾分けして好評だ。今年は帰国しない留学生の方にもお裾分けした。

お節に限らず私の料理は友人に受けがいい。しょっちゅう人を呼んでその辺にある材料でぱっぱっと何か作って酒でも飲んで楽しく過ごしたい。そんな家庭を夢見ていたけど、そうはならなかった。今も世帯主(最近「同居人」という言葉に愛を感じるようになったので今年からは世帯主と呼ぶ)の友人が数人来ているけど、類は友を呼ぶのか、まともに挨拶もしない。部屋に籠もってみんなでスーパーで買ってきたまずいお総菜とスナック菓子を食べている。

お前ら40過ぎて厨房かよ!

ああ早く一人暮らししたい。友達呼んで甘すぎない自慢の栗きんとんとか食べてほしい。友達の恋人や子供やなんか知らん初めて会う人とかもいたりして、みんな一緒に楽しくおしゃべりして、おいしい酒を飲みたい。

平成21年、皇紀2669年、西暦2009年

2009年12月31日 15時01分53秒 | Weblog
一年を振り返って…

【仕事】

肝心の研究で論文を書けなかった。というより、論文を書かずに専念するつもりの仕事があったのだが、それが完成しなかった。orz正月休みの間に少しでも進めようと思う。

もう今さら研究職にありつけないだろうと数年前から一般向きの仕事をするようになったのだが、それが一気に増えた1年だった。好評で、やっていて楽しかったが、自分の勉強になったかどうかというと微妙。予想以上に時間とエネルギーが必要だった。

仕事をしたことのある会社が潰れた。私は原稿の買い取りだけだったので被害はないが、印税をもらっていた友人は「もう印税出ないよ~」というお手紙1枚が送られてきて初めて事態を知り、慌てたそうだ。一寸先は闇…。

諦めずに公募に出し続けろと言われて、そうやなあと思ってたのに、結局出さなかった。年末に別の人との雑談で公募はもう出してないと言ったら「採用不採用はあなたでなく向こうが決めるんや」と叱られた。うーん。


【健康】

日帰りの手術をした。手術自体はたいしたことのないもので、一人で行き、帰りは歩けなかったので病院からタクシーに乗った。私の加入している全労済は日帰りだと保険が下りないと言われた。手術よりこちらがダメージ大きかった。

ここ数年原因不明の蕁麻疹に悩まされていたが、今年は酷かった。首や顔にまで出たので行く先々で心配され、医者をはしごしたがやはり原因はわからなかった。子供のころからの胃の痛みとはほとんど無縁になったので、その代わりだろうか。考えてみれば人間の身体はチューブみたいなものだから、皮膚も消化器も繋がっているといえる。夏にノースリーブも着なかったし化粧もあまりできず、出かける気も失せた。来年は治まりますように。

胃の調子がいいからか人生最大に太っている。でもこれくらいでいいかと思ってダイエットなどしていない。

ブームのランニング、週1回だけだけど1年以上走っている。ずっと続けられそうなのでウエアを買おうか検討中。秋ごろ、若い男の子に自転車で追いかけられたことがあった。暗い道を走っているので若いお姉ちゃんと間違えたのだと思う。蛍光塗料で背中に「中年」と大きく書いたTシャツなど売っていないだろうか。


【ひとびと】

再会の一年だった。

幼なじみで若くして亡くなったTくんの息子と奥さんに偶然出会い、Tくんの奥さんとの付き合いが始まった。これは私の人生で最も印象深い出会いの一つだと思う。Tくんを知らない友人には変わってるねと言われたけど、奥さんと私が思わず仲良しになってしまうような、そんな人だったんよTくんは。

高校の時とても影響を受けた文学ヤクザの大学生Jさんと、思わぬところで再会した。私はすぐ気付いたが、Jさんは私と気付かずやりとりしていたのがおかしかった。落ち着いてお幸せそうでよかった。

そんなわけで封印していたイタイ10代を思い出すことが多い1年だった。人生の棚卸しという感じだった。


【うつくしいもの】

展覧会など、秋以降の思い出せる分だけ。

  • 国立国際美術館常設展

  • 宮井ふろしき・袱紗ギャラリー

  • 8月30日 大坂の祭り 於大阪歴史博物館

  • 9月6日 シルクロード文字を辿って 於京都国立博物館

  • 9月?日 ルーヴル美術館展 於京都市美術館

  • 10月8日 だまし絵 於兵庫県立美術館

  • 10月23日 入江正信コレクション 於大阪市立東洋陶磁美術館

  • 10月25日 道教の美術 於大阪市立美術館

  • 11月3日 竹中大工道具館常設展

  • 11月21日 うまいもんと大坂画壇 ~浪花くいだおれの系譜~於芦屋市立美術博物館

  • 11月?日 「エロール・ル・カイン ~めくるめく絵本原画の世界~」展

  • 11月?日 儚きもの と 第41回 日展京都展 於京都市美術館

  • 12月?日 野呂介石 於和歌山県立博物館

  • 年末

    2009年12月31日 14時17分50秒 | Weblog
    お節作ってるところ。慈姑を買うの忘れた~。

    雪見さんの「イタイことが書けない日記なんて日記じゃない!(んじゃないでしょうか。)」という言葉に感動した。でも淡々と日常を記録しているのも大人な感じでいいなあ。

    日記の方向性に悩む年末。



    オフレポ

    2009年12月13日 23時49分20秒 | Weblog
    テキスト庵のオフ会には絶対行けないと思ってた。ここにはごく親しい人にもなかなか言わないようなことを書いているから、読まれてたら恥ずかしくて死にそうだ。でもこれは行かねばという理由がいくつかあって思いきって行った。

    行くからにはと、どんな人が来られるのかテキスト庵のリンクを辿って予習した。そしてまず、りなこさんのページを見て不安がむくむくと沸き上がってきた。

    「愛し・愛される人生」を極めるのが女道だよなあ。

    うわわわわ。りなこさんはみなさんご存じの通り、仕事をばりばりこなすだけでなく、良き妻良き母という太陽のような方である。こういう仕事も充実していて前向きに人生を歩んでおられる方と、配偶者との仲は崩壊し、息子にはご飯を用意しているだけの外猫状態、残りの人生したいように生きたいから家出しようと画策しているmidlifecrisisのどよーんとした私が卓を囲んでしまうのである。その気まずさはおそらく勝間和代と香山リカが居合わせたようなレベルである。香山リカほど頭が回らないから私はりなこさんにきっと説教される、女の幸せは愛し愛されることだと。それにユニクロ着てたら怒られるかもしれない…。

    ここで私は誤路美さんも来ることを思い出した。誤路美さんはあまり更新されないが、その気持ちいいほどの毒舌に更新されると私はつい何度も読み返してしまう。誤路美さんと一緒ならりなこさんの攻撃をかわせるかもしれない、私はそう作戦を立てて現地に赴いた。

    しかししかし、誤路美さんはその文章と違って穏やかな可愛らしい方で、私が到着した時はりなこさんと一緒に談笑しておられた。それどころか、どうすれば結婚できるかとりなこさんに相談されているのだ。恐るべし女の幸せ。いきなり作戦失敗で私は内心大混乱、極度の緊張に達していた。

    というわけで酔いが回ってからりなこさんに何度も何度も「女の幸せはっ!て説教しないでください」とからんでしまったのだった。りなこさんごめんなさい。

    以下アイウエオ順にそのほかの方たちについて。書かないでと言う方はお知らせ下さい、消しますので。


    あぼかどばななさんはふるえるような繊細さを持った方だった。

    江草さんは仮面ライダースナックのカードは多ければ多いほどうれしい男の子のように、アクセスしてくれる人が多いとうれしいという人で、理屈っぽい文章とのアンバランスさで誤解されているだけのようだった。

    Jackさんは何事にも動じず渋く飲んでおられた。大人の雰囲気。私も次回はあんな風に飲もう。

    CHARADEさんには反応が面白かったのでいろいろヒミツをしゃべってしまったような気がする。タクシーに乗せてくれてありがとうございました。

    2次会でとしこさんとお話したいと思っていたのに、席に着いてからの記憶がまだら…。せっかく遠くから来られていたのに私のアホ(T_T)

    【な】さんは育ちの良さがにじみ出ている方だった。

    名倉さんには「ひるあんどん、ぴしっ!」と何度も爪ではじかれた。

    nadireさんはモデルさんみたいに美しい方だった。


    ところで私は複数の人に「太ってると思ってた」と言われた。なんでだろう?

    朝起きたら廊下にこんな吹き溜まりができていた…何で飲み過ぎるんやろ。反省。