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うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

必死こきません宣言

2011年04月22日 09時49分53秒 | 研究者の生活

B.Jomgkind [The Seine by Moonlight]

私は何でも必死で取り組んでしまうたちで、気付いたら寝食を忘れて打ち込んでいたり、無駄に情熱的だったりします。趣味も仕事もそうです。こういうタイプは突然ぶっ倒れたりしてかえって迷惑だったりするのですが、そして実際過去にそういうこともやらかしたのですが、生まれ変わった現在では体調管理もバッチシです。

なので私を雇うととてもお得感があると思います。私がどっかの会社の経営者だときっと私を雇うよ。私と一緒に仕事をしたことがある人はわかってくれると思うんだ。まあもう今更よっぽどのことがない限り大学で常勤で働くことはないのだろうけど、雇われたら給料以上の働きを文句も言わずに勝手にするとというタイプなのです。きっと私の外見が岩下志麻だったら面接も華麗にクリアして今頃常勤で働いていたと思うよというかなんで非常勤ってこんな安い報酬なんだよクソが。

せっかく会議とかなくて責任もあんまりない非常勤なのだから、出来るだけ気楽にいきたいです(そうはいかないのは学生が常勤との区別なしに頼ってくるからかと今ふと思ったけどしらん)。頭ではそう考えるけど気付いたら勝手にいろいろ余計なことを抱え込んでるので、これからは給料以上に働かないよう強く自分を戒めたいと思います。でないと自分の研究をする時間も精神的な余裕もなくなる。

アホくさいから必要以上に熱く頑張らないと毎年決心するのですが、気付いたらやっぱり頑張っている、というのを繰り返しています。今年こそ頑張らない。授業評価だってね、無駄に暑苦しく熱意があるよりゆるーくやってる方が受けるの。もう必死こいて仕事しないよホントに。今年度こそ。


……と言いながら今やってるのはなんか納得いかない仕事です。ここまでやるのかと思いながら、手を抜くのにどこで線引きすればいいのかわからないのです。今日はとりあえず出来るだけやらなくていいことはやらないように意識しながら仕事しよう。

知らない世界

2011年04月07日 00時32分56秒 | 研究者の生活
東京電力の記者会見のとき、まるでヤクザみたいなものの言い方だといって非難されている記者がいた。私はその会見をずっとネットで見ていたのだけど、批判されているのを知って驚いた。私の知っている限り、新聞記者はだいたい、

ちょうどああいう一見ヤクザかと思うようなタイプ
やんちゃで知りたがりの男の子がそのまま大人になったタイプ
インテリっぽくて礼儀正しいけどどこか不気味なタイプ

だからだ。そういう人でないと危ないところにでも飛び込んで取材できないと思う。相手が怒るようなことをわざと言って何かを引き出すということもあると思う。あの記者がそれで成功しているかどうかはわからないけど。

でも新聞記者を実際知らない人は、なんて下品な記者なのだと思うのだろう。これは、私の仕事でも同じことだ。

同業者でない友達は、大学で教えているというととても優雅なイメージを持つ。でも実際は、私たちが通っていた頃の「大学」はもう一部にしか存在しない。定員割れに脅える多くの大学では、ありえないような学生が「お客様」としてありえないような態度を取り、優雅に研究などしていられない、雑用に追い回される斜陽産業だ。常勤の人が精神的におかしくなってしまうような職場だ。

ほら、学科名も科目名も広告のポスターも昔とはまったく違うでしょ。そこからご推察くださいな。大学って今はこんなんなんやよ、と説明しているうちに、そういうもしかしたら潰してしまえといわれそうな大学でコマを貰って教えている自分がどんどん惨めになる。

でもいったん出講すると、ここに来ているすべての学生が、少しでもいい人生を送りますようにという気持ちになるんだけど。今年もまた、新学期が始まる。

院に行きたいおばちゃん

2011年02月23日 10時30分21秒 | 研究者の生活
少し前のヒマラヤスギさんの女性誌の価値観に違和感という記事に、
ページを繰るとそこには有名大学の大学院生の40代女性とその同級生である20代男性が、顔をひっつけるようにして階段に座り男性は膝の上にノートパソコン、女性はノートパソコンの画面に顔を寄せつつ不自然に男性にしなだれかかりながら、セリフ「ココわかんないから教えてくれる?」と言わされているものだった。なんだ、なんだ、このシチュエーションは。

というくだりがあって驚愕した。今は大学院ってこういうことになっているのか…

私が大学院にいたころは、「ココわかんない」なんて死んでも言えなかった。そんなセリフは研究室社会的に死を意味した。大学院は真剣勝負の場所だった。わかんないなんて言ってる場合か。でもこういう記事があるということは、大学院にこういうときめきを求めているおばちゃんが多いのだろうか? 素で可愛い若い女の子もいる大学院に、若い男を漁りにオバハンが来るってどうよ。

まだ院にいたころ、近所の主婦に「私も大学院に行って勉強したいな、どうやったら入れるの?」と聞かれて、「まず一次試験で外国語を二つ…」と答えたら、自分がやりたい分野に関係ないのになんでそんなのいるんだろうと聞き返された。私は、関係あってもなくても、院で勉強するには外国語二つくらいちゃっちゃと出来る能力がいるのだという意味だと思ってまったく疑問を持たなかったので、彼女の非難がましい口調にちょっとびっくりした。カルチャーセンターじゃないんだから。覚悟はないのか。

でも今では小論文と面接の社会人入試なんていうのもあるみたいだし、気軽に入れる場所なのだろう。そういうおばちゃんにとっては爺さんばっかりのカルチャーよりいいんだろう。

でも大学院で年下の男の子にちやほやされたい40代のおばちゃんについて勝手に想像するに、院に進学する人たちを暗いダサイと言いながらバブルを謳歌していた世代じゃないのか。宗旨替えですか。ようわからん。

だいたい研究者仲間の年齢なんて考えたことがない。性別も。デキル人かそうでないか、それしかない。研究室でもし男性に「可愛い」なんて言われたら、同等に扱われていないのかと思ってものすごくショックだったと思う。とても悲しいか、腹が立つかのどちらかだと思う。

専門外の授業

2011年02月12日 14時23分20秒 | 研究者の生活
自分の専門ドンピシャの講義を持てるのは、かなり幸せなことではないだろうか。大学の経営上の問題だろう、今時は専門の周辺、いや専門とまったく接点がなさそうな授業を持っておられる方もいる。

テーマが自分の専門の周辺、の授業の時は、やっぱり少し緊張する。学生は私がその分野の専門だと思って聴いているだろうし。

#自分の大学時代と比べると驚くのだが、私が教えている大学では、たいていの学生は一部を除いて講師が何を専門にしている研究者なのか知らないのだ。私の場合は無名だからというのもあるかもしれないけど。でも自分のころは先生のことをまったく知らないというのはありえなかったなあ。それがどんなマイナーな分野でも。

専門外の授業の時はもちろんきちんと勉強する。そして数日前に仕込んだことでも大きな顔をして自信たっぷりに話す。いかにも専門であるかのように。でないと学生を不安にさせると思う。ふだんは研究も研究以外もあらゆることに自信がない私だけど、いったん教壇に立ったら、私についていらっしゃい! 私に着いてくれば大丈夫っ! というノリに切り替わる。それはもう、自動的に。

高校時代、最初の授業で「これは僕の専門ではないんですけど受け持たないといけない事情になりまして」と言った先生がいた。難しい問題になったり生徒から質問が出たりするたびに、「専門でないので」と苦笑していた。みんなそんなものかと特に文句も言わなかったが、私一人先生に反発して、できないなら教師をお辞めになればよろしいのではなんて言ったりした。ああいう態度は許せないと思った。

あの頃の先生の年をたぶん超えている私は、苦笑しながらダラダラ授業をやっていた先生の気持ちは理解できないことはない。専門外を持たなければならない事情があることもわかるし、生活のために辞めるわけにはいかないのもわかる。でも、やっぱりああいうやり方はなかったと思う。生徒(学生)を不安にさせるような授業はプロとしてしてはいけない、とあの頃より強く思うのだ。

シラバスは誰のため

2011年01月28日 20時51分06秒 | 研究者の生活
モ、ン、カ、ショ、オ、サ、マ、ノ、イ、ウ、ト、オ、リ…っと。

「シラバスなんて学生は誰も見ていないのにね」なんていう声が講師控え室で耳に入って、採点の手が止まった。そうだよなあ、あほらしいなあと内心思ってたら、もう一人が「いや、あれはね、文科省のために書くんや」と言った。

そうだったのか。納得した。


こういう短いのをtwitterにするといいのかな。twitterなんか始めたら一日中夢中になってアホなことばかり垂れ流しそうでやらないけど。

twitterを巡るいろんな騒動は、つぶやきっていうからちょっとつぶやいてみたけど、実際にはつぶやき扱いしてもらってない、という風に見える。つぶやきというより囀りだよね。私が訳すなら「つぶやき」ではなくて「ぺちゃくちゃ」にしたなあ。

全入時代の大学生

2010年07月23日 16時22分13秒 | 研究者の生活
ゆとり教育とかいうけど、今の大学生も結構かしこいよ? とか言う人に限って、そこそこかしこい大学にお勤めなのだ。(ためいき)


メインの非常勤先(という言い方も変だけど、肩書き書くとき使う大学)は世間的にはそこそこかしこい大学らしい。実際、働き初めのころは結構かしこい子も“中には”いるなあと思った。大学がそこ出身の人を学会で見かけるが、とくに能力的に劣っているとも思えなかった。

でも次第にアホが増えていき、現在はほとんどがアホだ。最初のころ教えていた内容の3分の1教えるのがやっとだ。控え室でそんな話をしたら、数人の先生が同意してくれた。やっぱり、私だけじゃないんだ。大学のランキングに変化がないんなら、これは何かなあ、やっぱりアホ化してるってこと?

そしてメインではない非常勤先(複数)は、はっきり言ってかなりアレな大学だ。定員割れを留学生で補っていたり、いわゆる全入になっていたり。控え室でいつもブチ切れている先生が、「高校生と思って教えたらいいんですよ」となだめられていたが、そのうち「中学生と思って…」となだめられていた。そして先日お会いしたときには、その先生は仏のように穏やかなお顔で、「小学生だと思って教えています」とおっしゃった。

私はどういうわけか昔からヤクザ系の人(というかリアルヤクザにも)に可愛がられることが多いので、チンピラみたいな学生にタメ口で話されても平気だ。下ネタを振られてもより強烈なものでお返しする。また、日本にいたいだけで学習意欲のない留学生は、日本人相手と同じように叱っても聞かないけど、中国語で話しかけて先ず心を許させてから叱る。

というわけで他の青白きインテリの先生よりはたくましく学生の相手をしている。なんだかそういう学生に慕われたりしているのである。進路の相談を受けたり人生について語られたりするのである。かといって、こういう大学に常勤で就職するチャンスがあったとして、引き受けるかといわれるとためらってしまう。

…そんなことを考える夏休み前。

この身体は借りているのです

2010年07月08日 10時06分58秒 | 研究者の生活
昨日は講義が終わると控え室でプリントをファイルにきっちり整理して帰宅した。夕方に寝てしまうこともなかった。有言実行。

そして久々の7時間弱睡眠。7時間睡眠が自分にとっては一番いいのだ。7時間眠ることも目標にしよう。ええ年して今頃何言ってるんだろう。我ながら情けない。

この間洗濯ものを干しているときに、何の脈絡もなく啓示のように「身体を大切にしなければ」という感覚が上の方から降ってきた。突然この身体は借り物だという感覚にとらわれた。今までよく、まるで自分を痛めつけるように暮らしてるよねえと言われていて、その度に自分の身体を好きなように使って何が悪いと思っていたけど、そうか、この世にいるために借りているなら大切にしないと。


原稿を仕上げねばならないのに、もうだいぶできていたのに、気に入らず、一から新しく書いている。昨夜は書いていてお腹が痛くなってきた。このブログは頼まれもしないのに書いているのにね。たいした文でもないのに、お金をもらうとなるとやはりしんどさがある。でも書く仕事が好きだ。お昼までには仕上がるかな。

年輩の学生

2010年07月01日 12時56分16秒 | 研究者の生活
今日しなければならない仕事が届くはずなのにまだ来ない…こんなことだったら睡眠不足を解消すべく二度寝するんだった。ダラダラ過ごしてしまった私の午前中を返してくれー。


リタイアした年代の人たちを受け入れる大学が増えている。私が受け持っているいくつかのクラスにもそのような人がいる。そういう学生に対して今までこれといって困ったことはなかったが、今年はやりにくい学生が一人いる。

学力不足というわけでもない、むしろよくできるのだろう。しかし、どこかズレているのだ。それは、学問を通して「自分を表現したい」という思いが強すぎるからだと思う。現役時代は社会的な地位もあったらしく、表現したい「自分」に圧倒的な自信もお持ちのようで、それもズレている原因になっていると思う。

カルチャーセンターでもテキストを通して延々と自分を語る方がいる。それはまあ、いいのだ。カルチャーセンターは趣味の世界だから。楽しい読書感想文を書くのにとどまっても。

でも学問は違う。テキストを読み、課題に取り組むには自分を消さねばならない。学問は自己表現の場ではない。対象の選択や切り口、論の運びや発想にその人の個性が表れることはあっても、個性を表現することが目的なのではない。真実に到達することが目的なのだ。そこでは、何大学を出たとか、現役時代どんなに優れていたかとか、どんなに華麗な交友関係を持っているかとかは、全く関係ないのだ。

述べて作らず、ですよ。「自分」や「個性」なんて、その姿勢でもどうしても滲み出てしまった、くらいでちょうどいいのだ。

ずっと年上ということを気にせずガンガン言い返して論破したら…やっぱりダメかな。

学会の思い出

2010年05月24日 09時02分23秒 | 研究者の生活
学会の全国大会で久々に会う人たちと大いに盛り上がった。ホテルに泊まる遠方からのメンバーが時間を気にせず飲んでいたのにつられて終電を逃してしまい、タクシーを拾った。いい気分で「おっやすみなさ~い!」と手を振って乗り込む私を、みんな陽気に見送ってくれた。

バタンとドアが閉まってタクシーが走り出すと、車内は打って変わって静かだ。運転手さんが渋い顔をして私に話しかける。
「こんな時間まで男の人らとなにしてんの」
「え、が…学会ですケド…」
「学会? 学会ってこんな男女入り乱れて飲んだくれてんのんか?」
なんか知らんが説教口調になる運転手。
「酒飲むの? それに男女別に活動してるんちゃうの?」
「え? なんで別にしやなあかんの? むしろ全体的に男の方が多い気もするなあ…」
ワタクシ研究分野の男女比について何故か心を巡らせることに。運転手はしつこい。
「アンタ女ひとりでなんともないんか?」
「いつもこんなんですよ? それに今日は年に一度ぐらいしか会えへん人もいてるし…」
すると、運転手はいつもこんなんという言葉に衝撃を受けていた。
「そうなんか…学会って…こんなんやったんか…」

ここまで来て酔っぱらっていた私もさすがに気付いたのだ。運転手が別の学会と勘違いしていることに。でもなんだかもう眠いしだるいし誤解を解くのが面倒くさくなってきて、話すのをやめた。重ねて書きますが酔っぱらっていたし。タクシーのなかでムニャムニャ言いながら「なんみょ~」とかつぶやいていたかもしれませんが、それは酔っていたからで全く悪意はありません。

以上が今まで最も印象に残った学会の思い出。

家出用鞄

2010年03月02日 21時00分00秒 | 研究者の生活
昨日の世捨て人の庵

よくドラマでは、家人とケンカしてタンスの中身をボストンバッグに詰めて家出するシーンがあるが、どんだけ荷物少ないんだよと思う。浜田ブリトニーじゃあるまいし。ホームレスだってそんなに身軽じゃない。

とあった。

持ち物検査というカテゴリに持ち物について記録しているが、私は春夏だったら大きいトランク1つで家出できると思う。秋冬はセーターなどが嵩張るから無理だ。膝掛けも湯たんぽもいるし。

ここまで書いて気付いたけど、そういうのは置いていっていいのだ。置いて出て捨てられても全くかまわないのだ。家出して行き着いた先のユニクロで調達すればいいのだから。本当に大切な、捨てられたら喪失感で落ち込んでしまうような思い出の品だけ持って出るべきなのだ。家出する可能性のある人や、津波が来たら避難しなければならない人は、そういうものこそまとめてトランクにでも入れておくのがいいんだろう。

親しい研究者の女性と「もうダメなんですよ、家出たいと思ってます」と話していたら、「私も結婚直後は家出したことがある」「某女史も結婚後研究が出来ないとキレて家出したことがある」…と女性研究者の家出の話で盛り上がった。知らなかった。みんなそんなに家出してたのか。たいてい夫側が諦めるそうだ。私は大方の予想に反して初々しく一生懸命な新妻でありましたので、自分が至らないのだと思って涙を浮かべて家事も頑張っておりましたですよ。初期にブチ切れて飛び出しておけばよかったのか。そのくらいのことをしておかないと異業種の結婚相手に研究者の生活を理解させるなんて無理だったのかもしれない。

ともあれ、その女性研究者に「これから何かあったら家出しなさい」とアドバイスされた。そのためにすぐ出られるようにお金と家出用の鞄を用意しておくのがいいんだそうだ。私は上述のとおり、どうしても捨てられない大切な物、置いていって怒り狂った家人に触られたり捨てられたりしたらショックな物を家出用鞄に入れておこうと思う。今週もそんなことを考えながら片付けている。