うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

へんてこウォークマン

2011年08月05日 17時59分19秒 | Weblog
子供のころから遠足となるとバスの最前列でゲロ袋を握りしめていた私であるが、今でも電車の中で本を読んでいると酔うときがある。それで数年前からは酔いそうな予感がするときは音楽を聴くことにして、ウォークマンを愛用している。たまに語学のCDを取り込んだのを聞く他は洋楽ばかり聴いているのだけど、電車の中の時間の使い方としてはいい感じ。

で、そのウォークマンなのだが、少し前から調子が悪い。具体的には、IggyPopのLustForLifeを聞いているとき調子が悪い。なんでかわからないけど、successになると最初の数フレーズでCANNOTPLAYという表示が出ていきなり止まり、次の曲に移るのだ。この症状はsuccessのときだけである。なんかヤダな。なんでsuccessのときだけなのか。私にはsuccessは無縁といいたいのか。朝からゲンが悪いのでLustForLifeを聴くのはやめにした。

それで今はRevolverを聞いているのだけど、この間からすべての曲がsuccessみたいに最初の数フレーズしか演奏されなくなったのだ。taxmanもEleanorRigbyもI'm only sleepingもさわりの部分だけである。それでもってyellow submarineもand your bird can singも未消化のまま過ぎてゆき、いきなりハイテンションでgot to get you into my lifeになだれ込み、何がなんやらと思っているうちにtomorrow never knowsがぐにゃぐにゃと流れて終わるのである。

さわりしか聞けないという理由がわからない。一度初期化して入れなおすしかないのかなあ。はああ。

ちょうクールだった、テキスト庵

2011年07月17日 23時06分08秒 | Weblog
私はテキスト庵という場所が好きだった。あのフォントが好きだった。「すこしふるい新しいテキスト」なんていう言葉のセンスが好きだった。広告がないのが好きだった。手動で報告するというアナログな感じも好きだった。そこに集まってくるテキストが好きだった。

テキスト庵というリンク集は運営者の作品だった。ああいう いかした作品は、他の誰にも作れない。

誰が書いていたのかは忘れたけれども、作家になりたいのなら編集の仕事はするな、発送係になれという言葉があった。編集のような本作りに関わる仕事をしてしまうと、もうそれでそこそこ満足してしまい、書かなくなってしまうというような意味だったと思う。

そういう意味ではテキスト庵は危険な場所だった。更新報告するとダイレクトに反応があるので、“しょせんWEB日記”と言いながら校正もそこそこにテキトーで無責任な文章を垂れ流していた。ものを書くという点ではそれで十分満足してしまう。私は時々、同じ労力を紙媒体の文章に注いでいたら…と後悔し、いっそのことテキスト庵がなければ、と考えてみたこともあった。なければ、というのは自分から離れるか、テキスト庵がなくなるかのどちらかだ。そして実際に離れていた時期もあった。私の登録番号は1245で、5000人以上の登録者がいるテキスト庵では輝かしき千番台だが、常連とは言い難いし、10位以内にランキングされたことはない(と思う、たぶん)。

それでも書き続けているのは、それがよそでは書けない文章だからに他ならない。私がネット上にハンドルネームで書くのは、実生活の私が話しそうもないこと、でも誰かに聞いてもらわないと苦しいことで、それは最初に日記を書き始めたころからそうだった。

ネット上で読むテキストも、紙媒体では読めないものを選ぶ。たとえば私は雑誌というものをもうほとんど買わなくなったけど、それはどこかのメーカーとのタイアップ記事や、タイアップでないけれどなんか気を遣ってるようなライターの文章にお金を出すのが馬鹿馬鹿しくなったからだ。現代作家の小説やエッセイもあまり読まない。こちらの方がよっぽど面白いという書き手がネット上には数人いるし、この手の文章はデビューできないだろう、でもそこがいい、というタイプの文章も読める。

もちろん厖大なハズレの中にまともな文章が潜んでいるわけだけれど、テキスト庵という場所はなかなか優秀なフィルターで、他のリンク集よりもハズレが圧倒的に少なかったのだ。

だけども、すれっからしのプロではなく、書かずにはおれないという書き手のうぶなテキストは危険と隣り合わせだ。既に一つのコミュニティになっていたテキスト庵では、不快なテキストに対して住民が拒絶反応を示すようになっていた。そんなとき、運営者は招かれざるブログの書き手に対しても「安心して書き続けてください」とコメントした。私はそのコメントに感銘を受けた。くさい言葉で言えば美意識のようなものを感じた。かつてなんだかよくわからない文法のハンドルネームの人が現れて大暴れしていたことがあったが、そのときも運営者は登録削除したりする強権発動はしなかったのだ。

ちょうクールでいかしたテキスト庵には、登録削除とかどうとかいう俗世間の匂いは似合わない。そんな不細工なことをするくらいなら、あっさり解散してしまった方が似合っている。


テキスト庵が解散してから1週間以上過ぎた。こんなに喪失感があるとは思わなかった。自分でもびっくりするくらいだ。まるで大切な人を亡くしたみたいだ。でもリンク集は人間とは違う。死んだのではなく、今は重態だけど息を吹き返すのかもしれない。私たちはまた、懐かしいアドレスに運営者の「オープン!」という言葉を見つけるかもしれないのだ。

再掲

2011年07月14日 01時17分16秒 | Weblog
サウイフ日記書キニワタシハナリタイ

2009年02月18日 00時31分00秒 | この日記について

嵐ニモマケズ
炎上ニモマケズ

コメント ニモ トラックバック ニモマケヌ
丈夫ナ ブログ ヲモチ

アフィリエイト ハナク
決シテ煽ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ メールチェック ト
テキスト庵 ト少シノ 2ちゃん ヲ見

アラユルサイトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

都会ノ下町ノ賃貸マンションノ
小サナフローリングノ書斎ニヰテ

東ニ非常勤ノコマアレバ
行ッテ講義シテヤリ

西ニツカレタ作家アレバ
行ッテソノ原稿ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ友人アレバ
行ッテジブンモ鬱ニナリ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ
オモシロイカラ日記ニ書キ

最近6時間ノアクセス ニハ一応ノリ
週間アクセス庵ランキング デハ50位クライ

ミンナニ イタイ人 ト呼バレ
有名サイトニモナラズ
無視モサレズ
サウイフ日記書キニ
ワタシハナリタイ

更新報告したかった…

2011年07月07日 22時24分23秒 | Weblog
テキスト庵、なくなってしまうのは困る。いつも見ているところはテキスト庵経由だったから、お気に入りに入れたりしていなかったのだ。困るといっても一個人の厚意で存続していた遊び場だから、やめると言われればそれまでなのだけど。

最近更新報告していた人は皆同じ気持ちだったと思う。コメントしろって言われたって、ことの経緯が一部分しかわからないし、私なんぞ法律にも疎いので何もコメントできない。

でもゆっくり言葉を選んで一つだけ更新報告か井戸端で書きたかったことがあった。

以下、少ない情報からものをいいます。私が把握しているのは、配偶者としての【な】さんはあぼかどばななさんがいけないことをするのに加担してしまった。配偶者でなくてもその場にいた者は止めたほうがいい状況だった。しかもそれはテキスト庵に関わることで、テキスト庵の運営者としては見過ごせない状況だった。こういうことですが。

更新報告して書きたかったのは、込み入ってややこしいけど、テキスト庵の運営者としての【な】さんと、あぼかどばななさんの配偶者としての【な】さんは、区別して考えるべきだということだ。みんな、運営者としての【な】さんと配偶者としての【な】さんをごちゃ混ぜにして論じている。だからややこしくなるのだ。個人攻撃みたいなのも出てきたりして。

テキスト庵という場自体が孕む問題なのか、たまたま配偶者でもあった(こういうい方はすごく変だけど他に表現がわからん)運営者がやっちまった問題なのかという話なのだと思う。少ない情報から書くのだけど、テキスト庵の構造的な問題ではないように見受けられる。個人間のトラブルなのではないのか、と。繰り返し書くけど今わかってる範囲でのことですが。

どっちにしろ突然なくなるのだけは困るなあ。更新報告していた人はなくさないでという意思表明をしていたと思う。

いつまでもなくなりませんように

2011年07月07日 00時15分00秒 | Weblog
その商店街にはたしか私の大好きなデザートを出してくれる喫茶店があったはずと探したら、まだあった。

細い階段を降りていく最中に、もうなんだか様子が違っているのを感じたのだけど、お店はすっかり改装されていた。私がよく行ったころは降りたところに大きな仏像がドンと置いてあり、それが異様な雰囲気をかもし出していたのだが、見当たらなかった。座り心地の悪い別珍張りのソファと時々がたつくテーブルも新しい家具に取り替えられていた。葉巻を吸うおじいさんがよくいたのだけど、いなかったのはもしかしたら亡くなったのかもしれない。

デザートはなんだか小さくなったみたいだけど、まあこんな味だったかな、と自分を納得させられる範囲でしか変わっていなかった(思い出の中の食べ物は美化されるしね)。よかった。

このお店が居心地いいというと当時は変なヤツ呼ばわりされたのだ。確かにあのころの雰囲気から察するに、お店の経営者はちょっと普通と違った人だったと思う。今は代替わりしたのかもしれない。私は知らなかったのだけど、ここのデザートは雑誌に取り上げられたりして有名になったらしい。こ洒落てしまったのはそういうわけか。


そしてこの喫茶店から歩いていける距離に、私の大好きなお菓子を売っている店ができた。

ここのお菓子はずいぶん前に頂き物で貰ってからいっぺんにファンになった。私にしては珍しく通信販売で何度か買った。同じジャンルのお菓子でここよりおいしいのを食べたことはないのだもの。今もその商店街から店舗まで遠回りして歩いて時々買うのだけど、相変わらずおいしい。

あまりにおいしいのでよく進物やお土産にもした。そのうち、ここの経営者もちょっと難儀な人だという噂を聞いた。その難儀さの方向と過激さを知ってからは、進物などには使わないようになった。そういうことを気にする人もいるというのはわかっているから。私自身は気にならないから、いまだにおいしいおいしいといって食べているけど。


そう、私はそういうのは気にならないのだ。おいしいデザートとお菓子を作ろうという人がいて、私はそのデザートとお菓子をおいしいなあと思う。それがすべてだ、今のところ。もしかしたら経営者と会うことがあって友情を育むかもしれんし、いけ好かないヤツと思うかもしれんけど、どっちにしろデザートとお菓子を作っている人の人間性はどうでもいいのだ、私との接点のデザートとお菓子がおいしければ。


あのデザートを出す喫茶店も、お菓子を売る店舗も、いつまでもなくなりませんように。

よそで書いてください

2011年07月03日 02時05分09秒 | Weblog
ものを書くことが好きな人はみんな多かれ少なかれ自己顕示欲が強い人だと思う。

文章を書く仕事仲間に困った人がいる。書いたものにすぐ「その人」が顔を出すのである。お金をもらって書く限り文章も商品なのだから、依頼主の注文通りに作らなければならない。なのにその人はことあるごとに自分のこだわりを全面に出すのだ。

誰も“お前の”文章など読みたくないんだよ、こういうことはよそで書いてくれ、スタッフみんながそう思っていると思う。編集さんが傍目にも馬鹿馬鹿しいほど気を遣って訂正のお願いをする。その人はどういう根拠があってかしらないけど、ものすごくプライドが高いみたいで書き直しに抵抗する。抵抗するどころかキレたこともあるもんね、私目撃しちゃったもんね。

きっとセンセイと呼ばれて文章を書いている自分に舞い上がってるんだろうけど、なにか根本的に間違ってるんだと思う。私たち、注文受けて商品作ってるんだよ、ただの名もない職人だよ。書きたいことがあればブログでも何でもよそで書こうよ。

書いて稼いで生きていくには、心のスイッチをオフにして職人に徹して、依頼主に信頼されて実績を重ねながら、少しずつ少しずつ、自分の書きたいものに近づいていくしかないと思う。

でもそもそもこの資本主義の世の中では文章さえ商品だから、自分の書きたいことを書きたいように書けるなんて最初から考えない方がいいような気もする。本当に書きたいことは大切に守って、ひっそりと、そういう世界はよく知らないけど同人誌とか自費出版みたいな形で、よそで書けばいいんじゃないのかな。報酬をもらうのなら売れるものを提供せねばならんのだから。

連載ものの漫画など見ていると、最初は純粋に面白いけど、ヒットして単行本の巻を重ねるとだんだん「あーこの辺で色っぽい女の子出してよ」とか「今流行のこういうキャラを加えてくれない?」とか言われたんだな、なんて考え出して辛くなる……。

依存

2011年06月20日 01時14分19秒 | Weblog
みんないろんなものに依存して生きている。アルコールとかパチンコとか、そういう問題のありそうなものでなくても、趣味とかこだわりとかいろいろな言葉で言い換えて。何にも依存しないでいられる人生というのもそうそうないと思う。たとえば私はこうやって文章を書くことに依存している。ここを書くのを禁じられたら禁断症状が出そうだ。

私が文章を書くのはまだ意味があると思う。文章を書くことで考えを整理して感情を昇華して、少しずつでも前を向いていける。文章は私の自己実現の手段の一つだし、仕事でも書くから、文章を書くという習慣が私に経済的にもささやかな潤いを与えているといえる。

でも何も生み出さない依存もある。生み出さないどころかマイナスになる依存もある。たとえば、なんだかんだ言いながら私は実家の家族に依存していた。辛い、しんどいと言いながら問題のある家で健気にやっている自分というものに酔っていた。帰宅したとたん蕁麻疹が出たり、目眩が起きたり、身体は関わるのを全力で拒否していたのに、困った人たちを構うのに必要以上にどっぷり浸かっていった。

理解し合える接点がないから消耗するだけだと、10代のころにもう分かっていたのに。

現実世界の私はとても明るくて強いのだ。実家ではしっかり者でタフな自信家だと思われている。そしてあの人たちは、私になら何を言っても動じないから平気と思っているのだ。

家族のつながりを拒否するわけでもないし、お高く止まっているわけでもない。同類でないあの人たち、心を開いてもとうてい理解しあえないあの人たちの前で、私は自分の弱い面を見せたくないのだ。死ぬ直前まで弱っていることを隠すハムスターとかウサギみたいに、いや死ぬときでさえも。

依存ということで言えば、実家のあの人たちは家族というものに依存している。そしてその依存は、10代の私にとって、何も生み出さなかったりむしろマイナスになったりするものに見えた。そして今でも相変わらずそのままの関係をずるずると続けている。

いつでも明るく前向きに生きていかなければならないなんて思っていないし、依存しながらつながることでダメダメになっていく関係というのも有りだと思う。当人たちが納得しているなら何も言うことはない。でもそれに、私が巻き込まれなければいけない理由なんか、まったくないのだ。

これからは、娘としてきょうだいとして淡々と付き合って、どっぷりと填り込まないようにしよう。いつもそう意識していよう。

ダメになっていく依存に参加したくない。負の感情に巻き込まれたくない。

何度も何度も読んだ

2011年06月13日 02時23分23秒 | Weblog
最近テキスト庵にいてよかった、この文章を読めてよかった、と思ったもの。
ネットの海の中に消えてしまわないように貼り付けておく。

かづらきさんの「ひとことぬし」から。

「女はただ心から、ともかくもなるべきものなり」2011/06/01 (Wed)

■後白河院に寵愛された建春門院は、朝夕折に触れて女房達に次のようなことを言い聞かせていたという。これ、わたしの座右の銘。
「女はただ心から、ともかくもなるべきものなり。親の思ひ掟て、人のもてなすにもよらじ。我が心をつつしみて、身を思ひくたさねば、おのづから身に過ぐる幸ひもあるものぞ」
(女性は、心がけ次第でどうにでもなるものです。親の配慮や周囲の世話によるのではありません。自分の心を律して、どうせ私なんかと自分を卑下しないでいれば、自然と身に過ぎた幸運にも巡り逢うものですよ)
なんという格好良さ!惚れるね。


チキウさんの「東京キャパシタ」から。

2011-06-12 わたしの作者

もし、自分自身を変えたいのなら、理想とするネットワークにみずからを潜り込ませてください。あなたの自己は行き交う交信を通して、勝手に肉づけがなされ、足りない部分は補われ、不要な部分は削られる。少なくともあやふやな自己を探すよりも、簡単で確実です。人が環境の生き物であるという理由も、地位が人をつくるという理由も、この塑像論で説明ができそうです。しかし、僕は心理学の専門家ではありませんし、ただ思いつきで書いているので、あまり信用はしないでください。それに人の心理はもっともっと多様で複雑なのだと思います。これは人を人との関係性のみに着目した考えです。けれども、ひとつだけはっきりしているのは、自己とは私たちが思っているほどには確固たるものではないという事実です。たぶん、粘土よりもずっと。

同類と、そうでない人と

2011年06月12日 02時26分52秒 | Weblog
10代のころ、この人は自分と同類かどうか、ということをよく考えた。好きな本や音楽の趣味が一緒とか、考え方が似ているとか、そういう風なことが判定基準のような気もしたけど、正確にはそうでもなかった。理解してもらえるという安心感が持てるとでもいうか、波長が合うとでもいうか。よくわからないけど、同類かどうかは、会った瞬間に直観でわかった。そしてそれは外れることがほとんどないのだ。

自分の周りにはできるだけ同類の人がいてほしかった。中学校までは同類と思えるのは幼馴染みの男の子一人しかいなかった。高校に進学すると一気に増えて、同級生や先輩の中に同類を数人発見した。大学にも同類の同級生が何人かいた。そして大学院には同類がわりといた。その後自分の研究分野を中心に交友関係が広がっていくと、老若男女を問わず同類がたくさんいるのだった。私の属するいくつかのグループは、同類でないと判定される人の方が少ないくらいになった。

同類の人たちと一緒にいるのは楽しい。刺激的で、でも安心できて、充実している。その人の人生と私の人生に接点があってよかった、と神様みたいなものに感謝したいくらいである。できるだけ同類の人と過ごしたい。自分の仕事や生活、大げさに言えば人生のベースキャンプを同類の人たちとのつながりにしたい。

私が悲しいのは、自分の親やきょうだいが同類でないことだ。10代のころはそれを受け入れて強く生きていたのだけど、どういうわけか20代になると弱気になってきた。私はよく自分の葬式に現れた親やきょうだいが、まったく誤解した私の人間像を語るのを想像して悲しくなった。理解してもらいたくてたくさんの時間と労力を使った。

このあいだ、まったく突然、10代の自分が同類ということについて考えていたときの感覚がまざまざと蘇った。同類でない親やきょうだいの中で、特に反発するでもなく、理解されたいと悩むでもなく、ただ毅然として暮らしていたあの頃の感覚が。そう、まさにその頃にタイムスリップしたように再現された。

あの頃みたいに強くなろう、と思う。すっかり大人になった今、同類の人たちは自分の周りにいっぱいいるのだ。できるだけ同類でない人たちの間で心を磨り減らすようなことはしたくない。親やきょうだいが私を理解してくれないのはとっくの昔にわかっていたのに、なんで今さら執着するのだ。空しい努力も本当は好きでやっていて、自分自身に酔っていたのかも知れないな。

特に反発するでもなく、理解されたいと悩むでもなく、ただ毅然として。うん、同類でない人には、ただ毅然として対処しよう。

嫉妬心とファミリー教

2011年06月08日 01時37分08秒 | Weblog
ぼーっと生きてきた私が初めて人に嫉妬したのは小学校6年生の時だった。嫉妬という言葉は知っていたけれど、それまでは自分と他人を比べるということもなく、そういう感情を体験したことがなかったのである。ちょっとしたやきもちを焼くことはあっても、どうしようもないあの苦しい気持ちを味わったことはなかったのだ。

この感情は私の精神の平和をひどく乱した。私は自分の中からそんなどす黒い感情が沸き起こってくるのにとまどい、自分自身が許せなかった。そのころから私は自分の心の世界はうつくしいもので満たしておきたいと思っていたので(テレビを見ないのもそのためだ。テレビは人間の嫉妬心を煽る装置だと思う)、嫉妬の気持ちは向上心などのプラスの方向に昇華できるよう心がけた。どうしても持て余すときは、できるだけそのことを考えないようにした。

好奇心の強い私の性格は、嫉妬心をあまり持たないのに役立っていると思う。美人に会えば美人でいることってどんななんだろうという興味が嫉妬心に勝る。お金持ちの家に招かれると自分の家にも取り入れられそうなところを教わろうとする(たとえば、テーブルの上に何も置かないルールとか)。

でも世の中には嫉妬という感情の虜になる人たちがいて、お金持ちの奥さんが家事のtipsを語るのを、自慢しているのだとだけ受け取って気分を害するのだ。それだけではなくその奥さんに攻撃的になったりする。自分も仕事をがんばってお金を稼ごうと思うのでもなく、相手の悪いところを探して陰口を言うのである。

嫉妬心というのは恐ろしい。嫉妬の対象を攻撃するだけでは収まらず、相手に自分を嫉妬させなければ気が済まないのだ。でも自分 が 嫉妬するような相手が、自分 の 何を嫉妬するというのだろう? 社会的地位、収入、家の広さ、住所の高級度、学歴、交友関係、バッグのブランド、自動車…何もかも負けていたとしたら。

数字で表せないもの、明確な基準がないものなら、相手よりこれは優れていると思いこめる。たとえば夫婦間の愛情、家族の絆。嫉妬心という強烈な感情がベースになっているので、この落とし所に救いを見つけた人はまるで新興宗教にはまったかのように愛とか絆とか言い出す。こういう人、ものすごく多いと思う。ワタクシはこれをファミリー教信者と呼んでおります(テレビはファミリー教に洗脳する設備だと思う)。ファミリー教信者の考え方はたとえばこうだ。

”私は通販のしょぼい洋服を着てオンボロ軽自動車に乗って子供はサエない学校に行ってるけど、夫とは愛し愛されて家族も強い絆で結びついているの。
あの人はお金持ちかもしれないけど旦那さんは留守がちで寂しそうだわ。夫婦仲は冷めきっているんじゃないかしら。お子さんもいい大学に行ってるけど勉強しか知らないガリ勉君よね。うちの子の方が人間味があっていいわ。ああ、私の方がずっと幸福だわ!”

勝手に幸せになってくれたらいいんですけど、私が辟易するのは布教活動です。ファミリー教の信者は夫婦仲が悪そうだったり子供が普通っぽくなかったりする人間を見つけると、嬉々として布教活動をするんです。奴らは私のことを何も知らないくせに、旦那さんと仲良くしろとかいろいろ説教するのです。

ほっとけや!!


まとめ
1.ひるあんどんは小六までぼーっと過ごしてきた。
2.貧乏人のテーブルにはモノがごちゃごちゃ載っている。
3.テレビを見ているとファミリー教に洗脳される。