うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

ちょうクールだった、テキスト庵

2011年07月17日 23時06分08秒 | Weblog
私はテキスト庵という場所が好きだった。あのフォントが好きだった。「すこしふるい新しいテキスト」なんていう言葉のセンスが好きだった。広告がないのが好きだった。手動で報告するというアナログな感じも好きだった。そこに集まってくるテキストが好きだった。

テキスト庵というリンク集は運営者の作品だった。ああいう いかした作品は、他の誰にも作れない。

誰が書いていたのかは忘れたけれども、作家になりたいのなら編集の仕事はするな、発送係になれという言葉があった。編集のような本作りに関わる仕事をしてしまうと、もうそれでそこそこ満足してしまい、書かなくなってしまうというような意味だったと思う。

そういう意味ではテキスト庵は危険な場所だった。更新報告するとダイレクトに反応があるので、“しょせんWEB日記”と言いながら校正もそこそこにテキトーで無責任な文章を垂れ流していた。ものを書くという点ではそれで十分満足してしまう。私は時々、同じ労力を紙媒体の文章に注いでいたら…と後悔し、いっそのことテキスト庵がなければ、と考えてみたこともあった。なければ、というのは自分から離れるか、テキスト庵がなくなるかのどちらかだ。そして実際に離れていた時期もあった。私の登録番号は1245で、5000人以上の登録者がいるテキスト庵では輝かしき千番台だが、常連とは言い難いし、10位以内にランキングされたことはない(と思う、たぶん)。

それでも書き続けているのは、それがよそでは書けない文章だからに他ならない。私がネット上にハンドルネームで書くのは、実生活の私が話しそうもないこと、でも誰かに聞いてもらわないと苦しいことで、それは最初に日記を書き始めたころからそうだった。

ネット上で読むテキストも、紙媒体では読めないものを選ぶ。たとえば私は雑誌というものをもうほとんど買わなくなったけど、それはどこかのメーカーとのタイアップ記事や、タイアップでないけれどなんか気を遣ってるようなライターの文章にお金を出すのが馬鹿馬鹿しくなったからだ。現代作家の小説やエッセイもあまり読まない。こちらの方がよっぽど面白いという書き手がネット上には数人いるし、この手の文章はデビューできないだろう、でもそこがいい、というタイプの文章も読める。

もちろん厖大なハズレの中にまともな文章が潜んでいるわけだけれど、テキスト庵という場所はなかなか優秀なフィルターで、他のリンク集よりもハズレが圧倒的に少なかったのだ。

だけども、すれっからしのプロではなく、書かずにはおれないという書き手のうぶなテキストは危険と隣り合わせだ。既に一つのコミュニティになっていたテキスト庵では、不快なテキストに対して住民が拒絶反応を示すようになっていた。そんなとき、運営者は招かれざるブログの書き手に対しても「安心して書き続けてください」とコメントした。私はそのコメントに感銘を受けた。くさい言葉で言えば美意識のようなものを感じた。かつてなんだかよくわからない文法のハンドルネームの人が現れて大暴れしていたことがあったが、そのときも運営者は登録削除したりする強権発動はしなかったのだ。

ちょうクールでいかしたテキスト庵には、登録削除とかどうとかいう俗世間の匂いは似合わない。そんな不細工なことをするくらいなら、あっさり解散してしまった方が似合っている。


テキスト庵が解散してから1週間以上過ぎた。こんなに喪失感があるとは思わなかった。自分でもびっくりするくらいだ。まるで大切な人を亡くしたみたいだ。でもリンク集は人間とは違う。死んだのではなく、今は重態だけど息を吹き返すのかもしれない。私たちはまた、懐かしいアドレスに運営者の「オープン!」という言葉を見つけるかもしれないのだ。

再掲

2011年07月14日 01時17分16秒 | Weblog
サウイフ日記書キニワタシハナリタイ

2009年02月18日 00時31分00秒 | この日記について

嵐ニモマケズ
炎上ニモマケズ

コメント ニモ トラックバック ニモマケヌ
丈夫ナ ブログ ヲモチ

アフィリエイト ハナク
決シテ煽ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ メールチェック ト
テキスト庵 ト少シノ 2ちゃん ヲ見

アラユルサイトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

都会ノ下町ノ賃貸マンションノ
小サナフローリングノ書斎ニヰテ

東ニ非常勤ノコマアレバ
行ッテ講義シテヤリ

西ニツカレタ作家アレバ
行ッテソノ原稿ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ友人アレバ
行ッテジブンモ鬱ニナリ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ
オモシロイカラ日記ニ書キ

最近6時間ノアクセス ニハ一応ノリ
週間アクセス庵ランキング デハ50位クライ

ミンナニ イタイ人 ト呼バレ
有名サイトニモナラズ
無視モサレズ
サウイフ日記書キニ
ワタシハナリタイ

更新報告したかった…

2011年07月07日 22時24分23秒 | Weblog
テキスト庵、なくなってしまうのは困る。いつも見ているところはテキスト庵経由だったから、お気に入りに入れたりしていなかったのだ。困るといっても一個人の厚意で存続していた遊び場だから、やめると言われればそれまでなのだけど。

最近更新報告していた人は皆同じ気持ちだったと思う。コメントしろって言われたって、ことの経緯が一部分しかわからないし、私なんぞ法律にも疎いので何もコメントできない。

でもゆっくり言葉を選んで一つだけ更新報告か井戸端で書きたかったことがあった。

以下、少ない情報からものをいいます。私が把握しているのは、配偶者としての【な】さんはあぼかどばななさんがいけないことをするのに加担してしまった。配偶者でなくてもその場にいた者は止めたほうがいい状況だった。しかもそれはテキスト庵に関わることで、テキスト庵の運営者としては見過ごせない状況だった。こういうことですが。

更新報告して書きたかったのは、込み入ってややこしいけど、テキスト庵の運営者としての【な】さんと、あぼかどばななさんの配偶者としての【な】さんは、区別して考えるべきだということだ。みんな、運営者としての【な】さんと配偶者としての【な】さんをごちゃ混ぜにして論じている。だからややこしくなるのだ。個人攻撃みたいなのも出てきたりして。

テキスト庵という場自体が孕む問題なのか、たまたま配偶者でもあった(こういうい方はすごく変だけど他に表現がわからん)運営者がやっちまった問題なのかという話なのだと思う。少ない情報から書くのだけど、テキスト庵の構造的な問題ではないように見受けられる。個人間のトラブルなのではないのか、と。繰り返し書くけど今わかってる範囲でのことですが。

どっちにしろ突然なくなるのだけは困るなあ。更新報告していた人はなくさないでという意思表明をしていたと思う。

いつまでもなくなりませんように

2011年07月07日 00時15分00秒 | Weblog
その商店街にはたしか私の大好きなデザートを出してくれる喫茶店があったはずと探したら、まだあった。

細い階段を降りていく最中に、もうなんだか様子が違っているのを感じたのだけど、お店はすっかり改装されていた。私がよく行ったころは降りたところに大きな仏像がドンと置いてあり、それが異様な雰囲気をかもし出していたのだが、見当たらなかった。座り心地の悪い別珍張りのソファと時々がたつくテーブルも新しい家具に取り替えられていた。葉巻を吸うおじいさんがよくいたのだけど、いなかったのはもしかしたら亡くなったのかもしれない。

デザートはなんだか小さくなったみたいだけど、まあこんな味だったかな、と自分を納得させられる範囲でしか変わっていなかった(思い出の中の食べ物は美化されるしね)。よかった。

このお店が居心地いいというと当時は変なヤツ呼ばわりされたのだ。確かにあのころの雰囲気から察するに、お店の経営者はちょっと普通と違った人だったと思う。今は代替わりしたのかもしれない。私は知らなかったのだけど、ここのデザートは雑誌に取り上げられたりして有名になったらしい。こ洒落てしまったのはそういうわけか。


そしてこの喫茶店から歩いていける距離に、私の大好きなお菓子を売っている店ができた。

ここのお菓子はずいぶん前に頂き物で貰ってからいっぺんにファンになった。私にしては珍しく通信販売で何度か買った。同じジャンルのお菓子でここよりおいしいのを食べたことはないのだもの。今もその商店街から店舗まで遠回りして歩いて時々買うのだけど、相変わらずおいしい。

あまりにおいしいのでよく進物やお土産にもした。そのうち、ここの経営者もちょっと難儀な人だという噂を聞いた。その難儀さの方向と過激さを知ってからは、進物などには使わないようになった。そういうことを気にする人もいるというのはわかっているから。私自身は気にならないから、いまだにおいしいおいしいといって食べているけど。


そう、私はそういうのは気にならないのだ。おいしいデザートとお菓子を作ろうという人がいて、私はそのデザートとお菓子をおいしいなあと思う。それがすべてだ、今のところ。もしかしたら経営者と会うことがあって友情を育むかもしれんし、いけ好かないヤツと思うかもしれんけど、どっちにしろデザートとお菓子を作っている人の人間性はどうでもいいのだ、私との接点のデザートとお菓子がおいしければ。


あのデザートを出す喫茶店も、お菓子を売る店舗も、いつまでもなくなりませんように。

よそで書いてください

2011年07月03日 02時05分09秒 | Weblog
ものを書くことが好きな人はみんな多かれ少なかれ自己顕示欲が強い人だと思う。

文章を書く仕事仲間に困った人がいる。書いたものにすぐ「その人」が顔を出すのである。お金をもらって書く限り文章も商品なのだから、依頼主の注文通りに作らなければならない。なのにその人はことあるごとに自分のこだわりを全面に出すのだ。

誰も“お前の”文章など読みたくないんだよ、こういうことはよそで書いてくれ、スタッフみんながそう思っていると思う。編集さんが傍目にも馬鹿馬鹿しいほど気を遣って訂正のお願いをする。その人はどういう根拠があってかしらないけど、ものすごくプライドが高いみたいで書き直しに抵抗する。抵抗するどころかキレたこともあるもんね、私目撃しちゃったもんね。

きっとセンセイと呼ばれて文章を書いている自分に舞い上がってるんだろうけど、なにか根本的に間違ってるんだと思う。私たち、注文受けて商品作ってるんだよ、ただの名もない職人だよ。書きたいことがあればブログでも何でもよそで書こうよ。

書いて稼いで生きていくには、心のスイッチをオフにして職人に徹して、依頼主に信頼されて実績を重ねながら、少しずつ少しずつ、自分の書きたいものに近づいていくしかないと思う。

でもそもそもこの資本主義の世の中では文章さえ商品だから、自分の書きたいことを書きたいように書けるなんて最初から考えない方がいいような気もする。本当に書きたいことは大切に守って、ひっそりと、そういう世界はよく知らないけど同人誌とか自費出版みたいな形で、よそで書けばいいんじゃないのかな。報酬をもらうのなら売れるものを提供せねばならんのだから。

連載ものの漫画など見ていると、最初は純粋に面白いけど、ヒットして単行本の巻を重ねるとだんだん「あーこの辺で色っぽい女の子出してよ」とか「今流行のこういうキャラを加えてくれない?」とか言われたんだな、なんて考え出して辛くなる……。