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うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

弱すぎ

2010年04月09日 18時59分37秒 | Weblog
たしかに過労気味だったとは思う。けど弱すぎ。

父親が入院したときすべてを仕切って動いたのは私だった。母は最初からほとんど妻としての役割を放棄していた。きょうだいは破天荒な人生を送った父に今さら子としての役目を求められても困ると言い、関わることを避けた。

事情はどうであれ、死にかけた父は病院にいるのであり、スタッフは困っていた。感情でなく論理で動く人間は私しかいなかったのだ。家族に感謝されたいと思ったことはない。睡眠時間は減ったが仕事を犠牲にしたことはない。それほど大変なことをしたわけでもない。できるときにできる範囲のことをしておこうと思っただけだ。

それでも「お前だけいいかっこして」「年金やるからお父さん連れて帰れ」と母にブチ切れられた時はこたえた。言葉を呑み込んで黙って帰宅し、シャワーを浴びようとすると右半身に帯状に蕁麻疹が出ていた。

母の微妙な感情に鈍感な私は配慮が足りなかったのだろうか? 知らず知らず恩着せがましかったのだろうか?

担当医のスケジュールと私の出講しない日が合わなくなった昨年度から、父と少し距離を置くことにした。スープの冷めない距離に住んで毎日顔を合わせる弟夫婦や専業主婦の妹もいるのだし。きょうだいが父と向き合う機会も私は奪っていたかもしれない。

そうして3ヶ月ぶりに実家に行ったら、ゴミ溜のような部屋に閉じこもったまま3ヶ月風呂に入っていない父がいた…。


まあ、ありそうな話だろう。介護している人と比べたら、それが何か? という感じ。

でも新しい仕事3件の書類を作らなければならなかったし…、そのうち1件はやたら打ち合わせに出向かなければならなかったし…、研究会で発表を担当して調べもので頭がいっぱいだったし…、売文の締め切りが近づいていたし…、ずっと口利かない世帯主が頑張って作った角煮をゴミ箱に捨ててたし…、花粉やら黄砂やら飛んでるしっ!

数日後の朝、ドラマか映画のように倒れてしまったのだった。いろいろ検査を受けながら、医者曰く「強いストレスを受けた」そうですよ奥さん。ゴミの中で腐臭を放つ父親ってやっぱ強いストレスかなあ。医者に気遣うように話しかけられるのが嫌だ。看護師に支えられるようにして検査受けてる自分が嫌だ。ストレスで倒れるなんてヤワな自分が嫌だ。

でも、まだもうちょっと通院しなければならないけど、何事もなかったかのように来週から講義ができそうだ。万一のため頓服ももらっておいたが、仕事の時は要らないだろう(これを飲むのはGW、実家に乗り込んで父の療養生活のためにいろいろと手配してこよう!)。

話を聞けよー

2010年03月02日 00時02分19秒 | Weblog
“断るはずないでしょこんな仕事を”と無断でワタクシの個人情報を教えるってどうなん?

その個人情報思いっきり載せた資料作るってどうなん?

“俺達みたいな錚々たるメンバーで気後れしてるんだね、でも心配いらないよ気さくなヤツらだから”って…。いや気後れしてないから。

ていうか、断ってるんですけど。最初から何度も! 人の話を聞け~

淡々とした日記

2010年02月22日 12時00分10秒 | Weblog
淡々と書かれた日記(ブログ)に憧れる。食べたものとか、読んだ本とか、見た映画とか。

自分の場合は、そもそも実生活の中でなかなか人に言わないようなこと、でも一人抱えているのはしんどいと思うことを書くことから始めたので、「淡々と」という形容とは程遠い。だからこそ、憧れる。

余分なものを、物理的にだけでなく精神的にも削ぎ落として淡々とした日記にしたい。
うん、淡々と捨て続ける日記にしたいなあ。

というわけで、今日は家で仕事しながら淡々と捨てるものを探します。

もうすぐ父の診察日

2010年02月17日 18時23分09秒 | Weblog
実家に行ってみると父はほとんど寝たきりになっていた。長年父のために苦労してきた母はここぞとばかり父に復讐しているらしく、ほとんどネグレクトと言っていい状態に見えた。仕方なく何かするときも「早く死ねばいいのに」などとつぶやきながらやっている。私の前でああだから、実際はもっと酷いのだろう。父のいる居間はいろいろなものが片付けられず散乱していて、父はまるでゴミの中に埋もれているみたいだ。父の愚痴を聞きながら片付ける。

一段落付いてお茶を飲んでいると今度は母の愚痴を聞かされる。子供のころから私は、旧家に嫁いで苦労した母のサンドバックだった。母は昔から、自分は腹に物をためない人間なのだ、と自慢そうに言っていた。そして、お前は自分の子やけど可愛くない、他の子は可愛いのになんでやろうと繰り返し聞かされた。宿題をしていると必ずTVを見るのに誘われた。断ると、お姉ちゃんは嫌な子やねえときょうだいに繰り返し言いながら、親子で楽しそうにうるさいTVを見ていた。今、私はきょうだいとの中がしっくり行かずほとんど没交渉だ。TVも大嫌いだ。

けれど、子供の私は一生懸命だった。しっかり者の姉でいようと頑張った。大人になってもそれは同じだった。父の世話を嫌がる母に代わって仕事帰りに病院に通った。病状の説明を聞き書類を処理し下着を洗濯し入れ歯を洗いに通った。なのに、母はブチ切れるのである。病院で私を悪者にしてお前だけええ子になって! と。

母と一緒に葬儀に参列したことがある。火葬場の敷地内で、ひっそりと行われた葬儀。抱えるものの重さに耐えかねてマンションから飛び降りた人の葬儀だった。母は亡くなった人の母親の悪口を言った。死ぬような弱い心の持ち主に育ったのは、あの母親のせいや、と。

お前が言うな。

次回の診察は講義がないから父の病院に付き添えるのだ。医者もスタッフも治療に投げやりな母に困り抜いているのが手に取るようにわかるのだ。何より、私と一緒だと父が安心するのがわかっているのだ。病院に行くかどうか。実家から帰ってきて悩んでいたら吹き出物が大量に出てきた。

蠅叩きになりたくない

2010年02月16日 17時20分27秒 | Weblog
なんか最近やたら更新してるな。

いえね、原稿書くのや書類を作るのやで忙しい筈なんだけど、講義がなくて同業者とちょっとしたおしゃべりする機会が減ると、ここに書きたくなるのだ。寂しがりやさんだったのね、私。

でも別に気の利いたことやすんげー個性的!と思うようなことは書けない。時々思いついてもそういうことはもう誰かネットの世界でふつうに書いていたりする。それに、勝間女史とか国母くんとかについて、ふと何か書きたいと思ったりもするけど、次の瞬間には

カツマーも国母もわりとどーでもよくね?

(注:VIPPERの息子の言葉遣いがうつってます)と思う。
そうやなあ、どうでもいい。ああもうホンマに国母とかどうでもいい。なんでみんなそんなに必死なん? と思うからTVも付けない。

ワタクシは、“蠅叩き”になりたくないのだ。

仕事の服装

2010年02月15日 09時57分03秒 | Weblog
国母くんの記事でちょっと思ったこと。


初めて非常勤で短大に教えに行ったとき、私はまだ院生だった。ともすれば学生と間違えられそうだ。仕事ではいつもスーツを着ることにした。

それからいつも仕事はスーツ*1だ。私は童顔で柔らかい雰囲気らしい(内面とは正反対だ)ので、頼りなく思われないように硬い格好をして仕事をする。ああ、人間が服というものを着る動物でよかった! 女が化粧をするのがふつうでよかった! 素のままだったらどんなに損をしていることか。

「学生に間違われて“困る”んですよ~」と言いながら学生のような格好をしている同業者を見ると、イヤ困ってないだろ、むしろ喜んでるだろ、困ってるならわざわざ学生みたいな格好をして講義をする必要ないだろうが、と思う。

というわけで私はスーツ。洋服もたくさん持ちたくないので3シーズンいけるのを1着だけだった。なのに、なのに来年度からは7月いっぱいなんやかんやで仕事がある。真夏に着るスーツがないんだよう!

*1 ジャケットと揃いのスカート・パンツ。中身はシャツかカットソー。でもホントは着物で講義したい。

勘弁

2010年02月14日 09時10分18秒 | Weblog
仕事で年輩の方に「勘弁して」と思うこと。

1つ、打ち合わせが必要以上に多い。
最初はよくわからないので出向くのだが、ふつうはメールや電話のやりとりで済ませる程度のことだ。しかも、打ち合わせで軽くだけど飲んだりする。仕事ですけど? 往復の交通費はこちら持ちで、しかも自分の飲み代は自分で払うから、実質的な報酬がどんどん減っていく…。
決めた、やっぱり次回から断ろう。

2つ、プライベートな頼み事が多い。
若い人だとそんなことはほとんどないのに、「ちょっとこれ教えてください」が多い。引き受けること前提みたいだ。しかも「まだですか」と言ってくる。こちらは純粋に親切心で、無料でやることなのに。

きっと私がご自分と同じように時間と頭の中に余裕があると考えておられるのだろう。

3つめ、仕事と関係ないどうでもいいことでメールしてくる。梅が咲きましたって20枚近くも添付ファイルで素人写真送ってくるなんて、悪夢以外の何物でもない。せめてネット上にUPして欲しい。速攻で削除した。

焦点を合わせて

2010年02月12日 12時10分14秒 | Weblog
息子がVIPPERのひるあんどんです。J( 'ー`)し

なんつうか、息子の部屋に入ると“気”が澱んでいるような感じがする。そういえば子供の物って片付けたことないけど、やっぱりふつうの母親並みに掃除機でもかけてやるべきか。でも床が見えないんだよなぁ。いつも今日こそは一言母親として言ってやろうと思うのだが、帰宅するとすっかり忘れて親子で楽しくしょうもない話を延々としている。

あれだけゴチャゴチャしてるってことは人生に焦点が合ってないわけで、勉強なんか当然やってないだろう。第一机にちゃんと座れる状態ではないし。

でもこれはそっくり自分に返ってくる言葉だ。片付けて、何に焦点を合わせた部屋にしたいのか。

まず考えなければならないのは、あと何年好きな仕事ができるのだろうということだ。永遠というわけではないのはわかっているけど、具体的な年数を冷静に考えるのが怖い。冷静に考えて、優先順位を決めて、もう間に合わないのは処分すれば、部屋もすっきり機能的になるし、仕事の能率も上がると思われるのだが。

そんなことを頭の片隅でうじうじ考えながら捨てる書類を選別していたら、友人からメールが。せっかくの常勤職を辞めたいという内容。なんともったいない。でも、「残りの人生、自分の研究して論文書きたい!」という言葉にドキッとする。

そうなのだ、私たちもう高校生じゃないのだ。人生の終盤戦に入っていて、時計は止まってくれないのだ。こんな年になって人生の焦点を定められなくてどうする?

静謐な住まい

2010年02月11日 16時16分51秒 | Weblog
写真は、ほどいた毛糸で編むものとしては最終形態(もう着るものは無理ってことです)の室内履き。


子供のころパルナスのケーキに付いて来たモスクワの絵葉書を毎日飽きずに眺めていた。私にとってモスクワは夢の、おとぎの国だった。父はお前はそんなにモスクワが好きなのか、ソ連は社会主義の国で、日本は資本主義の国のアメリカと仲良しなのだ、モスクワよりニューヨークの方がいいところだと言った。私は、社会主義とか資本主義とかまだなんにもわからない年齢だった。

そう、アメリカという国は輝いていたのだ。当時1ドルは360円くらいで、アメリカからの郵便に貼られたごくふつうの切手でも自慢の種になった。お土産の何色も出るボールペンに子供達はこんなの見たことないと歓声を上げた。

けれど、私はアメリカという国はあまり好きになれなかった。アメリカの町の写真より、モスクワの方がずっと美しいと思った。なんでだろうとずっと思っていた。

最近それは「広告」の有無ではないかと気付いた。アメリカに限らず、資本主義の国にこれでもかと溢れる広告。派手なネオンと原色の溢れる看板。物欲を際限なく刺激する下品なそれ。お前の持っている物はもう古くて時代遅れだ、こういうのがあれば便利、こういうのを持っていないなんてどうかしてる…

プロがあの手この手で欲しがらせるのだから、お金があればそりゃあ買ってしまうよなあ。捨ててもいいくらい劣化する前に次の物が入ってくる。そうでなければ経済が成り立たないから。そして狭い部屋は物で埋め尽くされる。

社会主義に憧れるのではないけれど、あの町の美しさには憧れる。貧乏で買いたくても買えない私の痩せ我慢かもしれないけど、せめて自分の住まいだけは、欲を削ぎ取った静謐さで満たしたいと思うのだ。

添い遂げるということ

2010年01月30日 12時05分37秒 | Weblog
わりと古い家に育ったので、私は基本的にものすごいアナクロな人間だ。特に男女関係に於いては。例えば男の人と一緒にどこかの家に行ったとき、必ず自分が後から入ってその人の靴を揃える。そういう仕草が、もうふつうのこととして刷り込まれているのだ。

誰かのお嫁さんではなく一人の人間として生きたいと思うようになった年頃から、意識してそういう自分を矯正してきたつもりだった。男の子とも対等にやっていきたい、媚びるような態度はイヤだ、と。それでも初めて学会の懇親会に行ったとき、女性の先輩から「ホステスじゃないんだから!」と注意された。

自分の周りのいわゆるknowledge workerの女友達は、若いころ(そしていまだに数人が!)よく「セックスしたからって自分の物だとは思わないでほしい。私は一人の自由な存在なんだから」などと言っていたものだ。私はそれをドキドキして聞きながら、「ひょえー、そんなよっぽどのことしたんなら間違いなく“俺のもの”だよ…」と思っていた。この辺りインテリ女性を目指してるのに詰めが甘い。ええ、アナクロで結構です。

というわけで家を出るんだと息巻いていても、ほんとうはこういうことを乗り越えて共に老後を迎えるのが正しいことなんじゃないかと思う自分がいる。占いで「法的にも一人になります」と言われたとき、「物理的に離れたいだけで別に離婚したくないのに…」と思った。年輩の友人には誰だってそういう時期があるのだと言われたりする。まあ詳しく話しているわけではないのでそう言うのかも。

世帯主は世帯主で私が鬱陶しいのだろうなとも思う。帰宅すると古本屋の匂いがする部屋から声明やガムラン(宗教関係はなぜかBGMにいいのだ、採点がはかどる)が流れていて、ボサボサ頭で血走った目の妻が仕事しているのだ。

でも。努力を放棄するわけではないけど、もうやっぱりたぶんダメなんだ。もうどうしようもなく修復不可能だ。添い遂げるということは、私にはもう難しすぎる。