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うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

長いスパンだなあ

2010年12月23日 13時34分14秒 | Weblog
冬休み前。講義は一応済んだので、忙しさはだいぶマシになった。原稿を書く仕事と雑用はそのままだけど、平日は3時間くらいしか寝られないなんていうことはなくなった。

この怒濤の毎日を送っていて、やっぱり同居人とはやり直せないなあと認識を新たにした。仕事を減らして専業主婦の趣味のように好きなことをすれば楽なのかもしれないけど、そして割り切ってそうすればいいのよと人にはよく言われるけれど、私にはそうはできないと再確認するばかりだった。

大変大変と言いながらも、私は仕事が好きなのだ。もちろん、理想の仕事とは程遠かったり魂を売り渡してるんじゃないのかというような仕事もあるけれど、少しずつやりたいことに近づいているように思う。

同居人が私の仕事について理解がないのは最初から承知のことだけど、今では同居人の存在自体が私の仕事の邪魔だ。極貧でもきっと一人の方が仕事に集中できる。

日記を見返してみると、2年前の冬に同居人に気を遣うのをやめようと思い、会話がなくなっている。そして去年の秋に初めて同居人に言い返している。それから増えた仕事の分を、必死で今後の生活のためと引っ越し費用に貯めている(いくらくらいあればいいのかよくわからないけど)。

…長いスパンだなあ! 若ければ、やってられっかー、と出て行ったかもしれないけど。どのみち今まで我慢したのだから、来年度の子供の受験が終わるまでは雌伏のときだ。

もう家でいつ怒鳴られるかと思いながら過ごしたくない。
もう洗濯物を一緒に洗いたくない。
もう無言で食べられるご飯を作りたくない。

私はもう、ビクビクしたりささくれた心で家事をしたりしたくないのだ。
ひとりぽっちでいいからふつうに暮らしたい!

淡々と記録

2010年11月07日 23時55分43秒 | Weblog
忙しかった。平日はずっと3~5時間くらいしか眠れなかった。今週からほんの少しマシになる。

というわけで洗濯物。ソファの上に山積みになっていたのだ。ぱんつの枚数の少なさを江草さんに指摘されたくらいの私ですから、自分のものは干しては着るという具合。けれども家人のはたまる一方。ちょっとひどい光景っていうのはわかってるけど…。

同居人、キレました。バタンバタンと物音がするから覗くと、洗濯物を床に叩きつけていた。


肝が据わったというか、こういうことがあってもあまりビクビクドキドキしなくなった。代わりに淡々と記録しておくことにした。

同居人も仕事が大変でイライラするのはわかる(息子によると円高の影響じゃないかとのこと。FXにも手を出しているようだし、あり得る)。けど私に寝ないで家事も完璧にこなせると思われても困る。もし私が彼だったら、キレるより畳むけど。畳まなくてもそこから引っ張り出して着るけどなあ。

蝉の声しか聞こえなかった

2010年08月06日 17時55分49秒 | Weblog
高校なんか辞めてやると大騒ぎした私を、きみは学校に期待せずに自分で勉強したらいいじゃないかと言ってなだめてくれた。なんとか一学期を乗り切ったとき、きみは友人を集めて英語の勉強会を作った。学校のつまらない教科書ではなく、洋書を読もうと言うのだった。

あのあとわたしが過激な行動をとらないでふつうに高校生活を送ったのは、きみのおかげだ。今でも外国語に苦手意識を持っていないのも、あの頃きみの家に通ったおかげだ。出かける前に扇風機に当たりながら小花模様のスカートにアイロンを当てたこと、きみの友達が尊敬のまなざしできみを見ていたこと、おばさんがガラスのコップに麦茶を入れて運んできたこと、英語を音読するのがなぜだか急に恥ずかしかったこと――、そんなことがとぎれとぎれに、思いがけなく鮮やかに、記憶の彼方からよみがえる。最近読んでいるという精神医学の本を抱えて出てきたきみの、自信に満ちた、でもとてもおだやかな表情も。

夏休みだった。約束の日の朝には麦わら帽子をかぶって玄関の扉を開けた。きみの家に続く道は日差しがまぶしくて、一面銀世界のように真っ白に見えた。蝉の声しか聞こえなかった。

なにが悪かったんだろう

2010年07月31日 13時00分09秒 | Weblog
結婚生活の辛さはここに書くだけで、よっぽど親しい人にしか、そしてそんな機会があった人にしか話していない。だからたいていの人には私は優雅な奥さんと思われている。そういう毎日のなかで、おつれあいと仲良さそうな人の話を聞いたりお家に遊びに行ったりする。私はどうも妬みの感情というのがほとんどなくて、最近それはいいことというより仕事上のガッツがない理由に繋がるマイナス面なのではと思うのだけど、仲良し夫婦を見ていると、少女時代の気持ちのまま「ステキやわ…」とうっとりするのだ。

それでも具体的に出ていくことを考えている最近では、いったいあの奥さんと私はなにが違ったのだろう、としばし考えたりする。そして考えれば考えるほど、自分に何の落ち度もないというか、こんなできすぎた奥さんはこの世にいないのではないか、私ってまるで天使じゃない? と真顔で思うのだ。

生活費が足りないと言ったことはたった一度だけしかない。月3万円のころだった。その後は一度も文句を言わずやりくりしてきた。そして何に使ったかはずっと家計簿に記録している。相手がカルチェの時計を持ってようと、カシミアのスーツを着てようと、バーバリのコートを着てようと、銀のカフスボタンのコレクションをしてようと、黙っている。そう言えば靴も私にはわからんけど高そうだ。

年収とか資産がどうなってるのかは、今まで3回教えてと訊いて、ごまかされたり怒鳴られたりしたのでもう諦めた。そして自分は自分で稼いだ報酬で安いスーツを1着手に入れて一年中着ている。

家族で外食は年に一度行ったらいい方で、この2年ほど行っていない。出前を取ったことはない。お総菜を買ってきたこともなかったが、父が入院したときどうにも時間がなくてイカリスーパーのと大丸のとを各1回食卓に上げた。カレーはカレー粉からルーを作る。餃子も皮は買うけど手作りだ。誕生日や記念日にはケーキを焼く。仕事でくたびれてても食事だけは手を抜かないようにしている。

そんな夕食を世帯主はグルメ番組を見ながら無言で食べる。


結婚が失敗するのは、どちらかが一方的に悪いからではないと思う。きっと私にも悪いところがあるのだ。でもなにが悪かったのかどうしてもわからない。

真顔でこんなこと書く厚顔さがダメなのか?
それとも、生活費が少ないと文句を言ったり、自分の洋服やバッグを買って散財したり、アンタだけいい服着て、と泣きわめいたりする方が、女として可愛かったりするんだろうか?
冷凍食品やお総菜の方が口に合っているのだろうか?

…ああ誰か教えてほしい、と思うのはきっと今日が餃子を包む予定だから。

久々に買い物

2010年07月09日 22時52分53秒 | Weblog
最初にお断りしておきますが、えーと、下着の買い物です。

洗濯機の中に洗濯物は入れたけれど洗濯できずに仕事に行った週末、帰宅すると世帯主が洗濯を干していた。ただし私の分を除く。すぐ干さないと嫌な臭いがするんだよなあと思いながら干した。

次の日の朝、乾いたブラジャーをよーく見ると、黒いポツポツが一面に出ている。これは…おそらく黴…。さすが梅雨…。感心している場合ではないのだけど、本以外の持ち物がものすごく少ない私、ブラジャーなんて3枚しか持ってない。黴びて着けられないなんて想定外だよ! どうしようもなくて、黴びたのを着けていった。ものすごく、気持ちが悪かった。病気になりそう。

というわけでブラジャー買った。買い物が嫌いな私だけど、今回は通販で届くのを待ってられない。売り場の一番手前にあるのを2枚取るとすぐレジに向かおうとしたのだが、暇そうな店員に試着を勧められた。そういえば、実家にいたころは馴染みの下着屋さんで試着して買っていたっけ。遠い昔を思い出して店員さんと話しながらいろいろ試着してみると、最初手に取ったのとは全然シルエットが違って見えるいい感じのがあったので、それを購入した。

20年ぶりくらい(!)にゆっくり見て回ったランジェリーコーナーはなんだかいろいろと進化していて、洒落てるけど着け心地もいいものが結構ある。全然知らなかったけど神田うのがデザインしているのがあって、ものすごく好みで1枚買ってしまった。この人はTVで見るとあんまり好きになれそうにないタイプなんだけど、この人の写真でパッケージされたストッキングは洒落ていて以前から愛用していたのだ。下着のセンスもツボにはまった。久しぶりに、買い物もいいなあと思った。

部屋がぐちゃぐちゃ

2010年07月07日 02時40分01秒 | Weblog
1000個捨てるプロジェクトを始めてから講義のプリント類もかなり整理したはずなのに、気付いたら部屋の何カ所かにファイルや袋に入ったプリントが積み上がっている。5分あればキャビネットにその日使ったファイルを入れて部屋を美しく保つことができるのに…。

つらつら考えるに、疲れ果てて帰宅して慌てて夕食を作っているうちに“美しい部屋?なにそれ”という気分になり、家事を終え、最後の力を振り絞るように次の日の講義の準備を終えると、鞄の中からずるずるとファイル等引きずり出してだらしなく入れ替えるのがやっとなのだ。

よく言われるように、部屋が乱雑だと仕事の効率も悪くなる。なかなか見つからない資料をまた印刷したり、「至急!! ○日締め切り」と赤いマジックインキで袋に書き殴った仕事が発掘されたりする。こういうことに終止符を打つためにも物を減らしていたのではなかったか。

忙しすぎるのはわかっているけれど、クビにならない限りこの忙しさは続くのだから、ここらで対策を練って仕切り直し! 考えていたことをメモ。

疲れていても夕方寝るのはやめる。うたた寝どころでないくらい寝てしまって夜中に仕事する羽目になるから(今日みたいに!)。疲れ切って寝てしまいそうな日は、帰宅してすぐ夕食を作らねばならない時間まで大学に残って仕事をする。

授業のプリントは大学で整理する。帰宅したときに次の日の分とファイルを鞄に入れ替えるだけの状態にしておく。

土日に常備菜や冷凍保存できるおかずを作っておく。食生活が乱れると体調も崩しやすいしね。

曜日に合わせて家事の計画を立てる。たとえば時間的に洗濯のできる日とできない日がある。「できない日」ではなく「しない日」にした方が精神衛生上よろしい。できる日にできることを回していくことにして、家事を効率化しよう。

奨学金返済…とにかく稼げ!

2010年07月04日 16時56分25秒 | Weblog
修士課程の時の奨学金を完済した。あとは博士課程の時のものだけで、こちらは残元金1,836,000円。別にお金に色が付いているわけでもなく、私にとっては返済すべき奨学金を例年通り返済し続けているだけなのだが、ちょっとスッキリした。

こうして返還していると、たしかに大変なのだが、返済し始めたころに想像していたほどではない。一言で言えば、何とかなるのだなあという心境だ。

しかしそれは今だから言えることだ。500万円以上の奨学金を返還しなければならなくなったとき、私はその重みにつぶされそうになった。これは返せる額ではない、借りたものを返せないなんて人としてどうなのだ、返せないなら死んでお詫びするしかない、とまで本気で思っていた。

当時私の自由になるお金は非常勤1コマ分1ヶ月3万円だった。結婚していたから住むところと食べるものはあったけれど、結婚以来生活費が黒字になったことはなかったし、世帯主にも、実家にも頼れなかった。助けてくれるという有り難い友人は何人かいた。その一人は自分の家計の状況まで事細かに私に話して安心させた上で申し出てくれた。しかし、どうしても好意に甘えることはできなかった。

自力で何とかしたい。とにかく、お金を作らねば。まず服や靴やバッグなど、売れるものは片っ端から売った。金目のものなど持っていないからリサイクルショップで高くて数千円になる程度だ。けれど、売った。残ったのは自腹を切って買ったお気に入りのものと、気に入らなくても使っているから手放せないものだけになった。すると、身軽で、非常にすがすがしい気分になった。

次に、働いた。非常勤の持ちゴマが増えないから、その合間にふつうのアルバイトをすることにした。主婦向きのパートに面接で落ちて凹んだりしたあと、単純作業のバイトに応募して高校生と一緒に肉体労働をした。そのあと事務のバイトをしていたころ、窮状を見かねた周囲からぼちぼちknowledge workerだと名乗れるような仕事を回してもらえるようになった。仕事をしているうちに、だんだんつながりができて、新しい仕事を持ちかけられるようになった。

もちろん、お金の苦労なんてしない方がいい。経済的な問題が人間を成長させるかどうかについて私は興味がないし、少なくとも研究者は、もしそうできるのならアルバイトをするより研究に時間を使うべきだ(私もそうしたかっし、そうしたい)。

でも、もしこれを読んでいる人が、かつての私のように奨学金の返済問題で心を押し潰されているのだったら、まず何でもいいからとにかく動いてみて、小銭でいいからとにかく稼いでみたらどうかな、と提案したいのだ。

私は今は何とか一人暮らしをしてできないことはないくらい稼げる。そして気付いたことは、経済的な面で人を安心させるのは、財産の額ではなく「自分は稼げるのだ」という自信なのではないかということだ。先日、自分と同じ科目を持っていた非常勤の講師が一人減っているのに気付いてヒヤリとしたが、以前ほどショックを受けなかった。いつどうなるかわからない雇用形態で働いているけれど、もしものときはコンビニででもマクドナルドででも働くつもりだ。変なプライドさえ捨てれば、そして何を措いても丈夫な体さえあれば、不況と言われるここ日本でもまだお金は稼げる。まず、稼ごう。

私をいざなってくれたあの手

2010年06月27日 00時35分26秒 | Weblog
いよいよ家を出る夢を見た。

予想通りキレた世帯主を後にして、トランクをゴロゴロと引いて玄関に向かう。世帯主の怒鳴り声を聞きながら、一瞬、新しい環境でやっていけるだろうか、という不安が頭をよぎる。ここには慣れ親しんだ生活があるのだ。何年も何年も積み上げてきた暮らしがあるのだ。それを私は本当になかったことにしたいのか。

いつの間にかトランクは消えていて、私はもう少し我慢してもいいのではないかと思う。出ていったらどうなるかわからない、それこそ野垂れ死にするかもしれない。それよりも、つらくても別に殺されるわけでもないのだ、今まで通りの暮らしを続ければいいではないか。家があって食べるものもあって「妻」という名前のある、ぬるい暮らし…。

私は自分の右手にはもう何もないのに気付いた。さっきまでトランクの引き手を力強く握りしめていたのに。たかぶった気持ちは急速にしぼんでいった。

ほとんど出ていくのを諦めかけたとき、誰かが右手をそっと握った。私は魔法にかかったかのように立ち上がり、その人にいざなわれて玄関に向かった。そして夢のなかで気付いたのだ。今まで私は自分の環境を変えるのが怖かったのだということに。つらくても、それは慣れ親しんだ環境だった。世帯主から離れたら苦しみから開放されるのがわかっているのに、変化が怖かったのだ。

出ていく私に世帯主はそいつは誰だ、そいつと住むのかと叫んだので、私はハッとして自分の手を握っている人の顔を見た。でもそれが誰かはわからなかった。その瞬間に夢から覚めたから。


朝早く、目覚まし時計の鳴る時間までまだ余裕があった。私は夢の続きが見たくてもう一度眠ったけれど、玄関まで連れていってくれた人はもう夢に出てこず、柔らかな手の感触だけがやけにリアルに残った。

誰かわからないけど、勇気をくれてありがとう。ここを出ていかないと前に進めないのはもうわかっているのだ。諦めそうになったら私を引っ張ってくれたあの手の感触を思い出そう。

睡眠薬を手に入れる

2010年04月11日 12時51分09秒 | Weblog
睡眠薬を飲まなくなって久しい。昔鬱病の治療をしていたとき、精神科で金のハルシオン銀のハルシオンを余るほどもらっていたのだが、模範的な患者だった私はそれがなくなるころには不眠で悩むことはなくなった。眠れない夜はあったが、参ってしまうほどではなかった。

それでも眠れないときは編み物をした。単純作業がいいのだろう。延々とメリヤス編みをしていると、直前まで読書していた頭がほぐされて眠くなってくる。引っ越したので新しい医者に睡眠薬の処方を頼みにくいということもあった。というわけでせっせとボランティアのセーターや帽子を編んでいたのだ。

しかし最近はどんなにメリヤス編みを続けても眠くならなかった。しかも編み物が楽しくなくなってきた。疲れているのに眠れない。布団に入っても気付いたら歯を食いしばっている。

何だか負けた気がするけど、通い始めた病院で睡眠薬を出してもらうしかないと思った。精神科以外で睡眠薬を頼むのはハードルが高い。なんて言おう。前夜、眠れないまま予行演習をする。まずは努めて明るく。「センセイ、眠れないんです、睡眠薬?(語尾を上げるアクセントでとぼけるように)とか?(いかにも初めて処方してもらうように)いただけますか」。うん、うん、こんな感じ。それから…
「もちろん、大量摂取とかしませんし」
「酒と一緒に飲んだりもしません」
「たくさん貯めてアメ村で売ったりしませんよぉ」
…ああダメだダメだ、なんか語るに落ちた気がする。いやほんまにそんなことせえへんのに。そんなことしそうな怪しいヤツと思われて出してもらわれへんかったらどうしよう。…眠れない布団の中で思わずゴロゴロした。

翌日、睡眠薬は「あんまり頼らんように」と言われただけであっさり処方された。レンドルミン14錠。これで眠れると思ったらそれだけでホッとする。でもまあ私、ハルシオンの方が好きなんだけどな。