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うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

優秀なヒト

2011年02月18日 09時16分40秒 | Weblog
常勤で就職できずに大量の非常勤のコマと雑文書きをこなしている親を見ているので、ワタクシの子供は素直に研究者になりたいと思えないそうだ。本当は自分の力を試したいのだけど、手堅く医学部にでも行こうかとずっと迷っている。金も力もない私は、「一度きりの人生、思ったように生きろ!」と力強く言い切れないのが辛い。

研究会の帰りに「お子さんの進路は?」と聞かれてそんなことを話していると、みなさんに慰められた。
「大丈夫! 優秀なヒトはどんなご時世でもどこかに就職できるから!」

それ私を慰めてないって。

バレンタインデーなんて

2011年02月14日 22時48分43秒 | Weblog
大人になるということは、みんなと同じであることを受け入れることだと思う。

「あんた、変わってるなあ」ともだちは私の顔をまじまじと見つめて言った。「変わってるって言われてもいいわ。変わってると思われた方が、自由でいられるもん」と言うと、ともだちは「そんなふうに思うなんて、あんた、ホンマに変わってるわ」と言った。

女の子たちはいつもグループで行動していた。校則すれすれの靴下のワンポイントのデザインはみんなお揃い。リップクリームが流行るとみんな同じものを買う。同じテレビ番組を見て、次の日にその話をしていた。

中学生の私には、それが耐え難かった。あの靴下は好きでないし、リップクリームも着けたくないし、つまらないテレビを見るより好きなレコードを聴くのだ、と思っていた。

そんな私も女の子たちと同じことをしてみたいと思う日があった。バレンタインデーだ。みんな本当に楽しそうだった。何日も前から誰にあげるかを話し合い、手作りにするか買うかをさんざん悩み、チョコづくりの予行演習をしたり何度も買い物の下見に行ったりしていた。

私がチョコをあげたかったTくんは、「バレンタインデーにチョコをプレゼントするというのは製菓会社が言いだしたことで本来何の関係もない」と言った。そんな彼はみんなに変人と呼ばれていた。実のところ私が女の子たちに変わってると言われるのを甘んじて受け入れていたのは彼の影響で、聴きたいレコードも彼が借してくれる洋楽だった。チョコをあげたりしたら絶対に軽蔑される、と思った。

私たちの住んでいた町には商店街を抜けたところに昔ながらの洋食屋があって、その隣りに昔ながらのお菓子屋があった。バレンタインデーにはそのお菓子屋も精一杯今風の飾り付けをしていた。そしてそこにはキーボードくらいの巨大なチョコレートが飾ってあった。単なる飾りではなく、それは売り物でもあった。私はその店の前を通るたび、「あのチョコに大きな赤いリボンを付けて学校に持っていって渡したら、Tくんはどんな顔をするだろうか」と想像した。やっぱり、難しい顔をして理屈をこねるのだろうか?

意外にもチョコは私に買えない値段ではなかった。けれどやっぱり、私は他の女の子たちと同じようにバレンタインデーのイベントに参加することはできなかった。誰にもチョコをあげないのかと訊ねられると、Tくんのまねをして「くだらない」と言ったりした。


高校の時、バレンタインデーになると女の子たちは先生にチョコをあげていて、人気のある先生は大量にもらっていた。その一方でまったくチョコとは縁のなさそうな、気難しいS先生がいた。S先生は授業中、よく自分の研究の話をしたり今論文を書いているのだと言ったりしていた。「S先生ってなあ、教授とそりが合わなくて大学院を追い出されたらしいぞ」と先輩は噂していた。

バレンタインデーが近づくと、S先生は授業中突然、「くだらないですね。本来チョコレートとは何の関係もないんですよ」と言った。それを聞いた私はその日の帰り、お菓子屋でできるだけ派手で可愛らしいチョコを買ってみた。バレンタインデー当日、授業が終わると私は大急ぎで図書館に行った。S先生は他の先生方との折り合いが悪くいつも図書館にいたのである。このいかにもバレンタインデーのチョコ、を受け取って先生がどんな顔をするのか見てみたかったのだ。

けれども先生は既に帰られた後だった。こんな日に長居する理由もなかったのかもしれない。司書さんは残念そうな顔をして、それからいたずらっぽく「ここに置いておきましょう」とピンクの派手なラッピングの包みを先生の机の上に置いた。それは、殺風景なS先生の机の上でたいそう場違いだった。

翌日、司書さんが図書室に行くともうチョコはなかったそうで、残念ながら先生の反応を知ることはできなかった。S先生は既に亡くなられたと聞いたが、あの時「バレンタインなんて」とか「くだらない」とか言ったかどうか、私は今でも知りたいと思うのだ。

お肌のお手入れ、あるいはお手入れ以前の問題

2011年02月09日 10時23分07秒 | Weblog
もう美容とか心底どうでもいいのでお肌のお手入れなんかもまともに取り組んだことはなく。

若かったころはそれでも何とかなっていたのだろう。でも中年になるとそれではいけなかったのだ。乾燥しがちな冬のお手入れ、なんていうものはまったく私の頭の中になかった。いつものようにお風呂上がりに最低限なんか塗って、出かける前に最低限なんか塗ってファンデとチークと眉と口紅、の毎日。なんか暖房きついなあ、喉が渇くなあ、肌も突っ張るよなあ、と思いつつ過ごしていると、もうとんでもなく肌荒れいたしました。突っ張るとかいうレベルの問題ではなく、痛い。フォントを大きくしてしまうほど、痛い痒い辛い~という状態になってしまった。

かなり恥ずかしく情けなかった。講義はほとんど終わっていたのでふだんよりは人前に立つことがなかったのは不幸中の幸いだったけど、みんなにびっくりされた。ふつう大人は人の顔のお肌の状態なんて口にしないと思うけど、「どどどどうしたんですかっ」なんて言われた。目の周りなど皮膚の薄いところは痒くって、無意識に擦っているうちに赤くなってたので、「DVに遭ってるんですか?!」と言われた。こんなことで心配かけるなんて仕事人失格だよなあ、とほほ。

皮膚科に行こうかと思ったけど(ちょっと恥ずかしい)、要は水分が足りないのだ。お風呂にはいると少し楽だし。大いに反省してまずお湯を沸かす。応急措置として、雑誌の美容記事でよく洗面器にお湯を張って蒸気を肌に当てたりしてるアレ、いいんではないか。薔薇の花びらでも浮かべたいところだがそんなんはない。しかしこれ、すぐ冷めるのだ。次にガスレンジの前に立ってやかんの蒸気を浴び続けたが、なんとも間抜けな姿だ。ちょっとガスの火が暑い。危険だと思う。ポットをパカッと開けて顔に当てたらいいのではと思ったが我が家にはポットがないんだなあ。

一瞬ポット買おうかと思ったけどスチーマーを買うことに。美容にこんなお金をかけるなんて生まれて初めて! いろいろ調べてみるとナショナルのスチーマーがいいらしい。即、買ってしまった。 

スチーマー ナノケアというもの。2万円位した…。マイナスイオンとかナノイーとかいう商品は絶対買いたくないと思っていたので非常に悔しい。今時、マイナスイオン(ナショナルのサイトによるとOH-らしい)が出てこないのってなかなか売ってないし、もれなくナノイーも出たりする。背に腹は代えられない。毎日スチーマー使ってワセリン塗ってたら、とりあえず昭和の小学生だったら時々いたと思う、粉吹き芋みたいな顔ではなくなった。お手入れは大事だ。これからはもうちょっと気を遣おう。


ナショナルによるナノイーの説明。突っ込みどころ満載。
ナノイーとは

女子力アップ!

2011年02月07日 00時54分08秒 | Weblog
まだ、女であるということについて考えているのであります。

自分が女であるということについてつらつら考えるのは初めてだ。思い返してみても、化粧とか着るものとかにも総じて無造作だった。お洒落にはまったこともあったが、なんていうか、美大のコみたいなちょっと方向性がふつうのお洒落とは違うんでない、と言われるようなお洒落だった(だって一瞬絵描きになりたかったんだよう)。

類は友を呼ぶのか、友人Mもまったくのすっぴんで、いつ会ってもどこで手に入れるのだろうという服装である。その無造作は私を遙かに凌駕している。どれだけ無造作かというと、一緒にプールに行ったときに、ぼわっと脇毛がそのままだったほど無造作なのだ。もはや野生児である。時々大阪で会うけれど、レストランに向かう途中、この人を連れて行って大丈夫だろうか、と不安になるくらいである。会うたびに今度はひとこと言ってやるぜ! と決意するのだが、夢中でおしゃべりしている間に忘れてしまう。それにMも私に負けず理屈をこねるのが好きである。きっとこのままでいい! と言い張るに違いない。

今あらためて決意した。今度会うときにはもうちょっと身ぎれいにするよう忠告しよう。付け加えると、Mは資産家のお嬢さんで大変な美人である。


人のことは言えない。どうしてこのところ女であることについて考えているのかというと、私自身、構わないにも程があるでしょうというくらい構っていなかったら、最近、大変なことになってしまったのである。

…続きは次回。睡眠不足はお肌の大敵だし!

ワタクシも女だった

2011年02月05日 23時31分31秒 | Weblog
ワタクシもちょっとだけ、女であることについて考えてみたのである。


そういえば「一日2合」と忠告してくれた友人は、「だいたいどんな飲み方してんの。おっさんとガンガン飲んでたらあかんよ!」と言った。言われて初めて男性と飲んでいたのに気付いた。「ひるあんどんちゃーん、ワーキングプア同士飲みに行こうよう」と誘われて「おうよ!」と答えたのだった。

その後別の仲間と飲みに行ったとき、ちょっとした悪巧みの相談をしていて、「わたし、裏切るかも」と言ったら、隣りに座っていたおっさんが嫌ーな顔をして、「そうだ、女は裏切るもんなあ」と言った。その時初めて、その6人がけのテーブルに女性が私一人なのに気付いた。

友人数名は、中年のおばさんの癖に厚かましくも「女子力」とか言って、お洒落しなければ、美容に力を入れなければと頑張っている。そして私にももうちょっとなんとかしろとこれまた忠告してくれる。そのような友人1名は、私が男の人と飲みに行ったことを知ると「んまあ!」と目を見開き、「そうよねえ、ボーイフレンドが必要よねえ」とロマンチックな瞳で遠くを見たのだった。…違うって。そんなんとは。

でも、自分が女であることをすっかり忘れて、おっさん臭い飲み屋に馴染んで、おっさん連中と自然体で飲んでいるというのは、あらためてどうかと思いました…。


なんていうか、私の生活にまったくときめきがないのはどういうわけだろう。考えてみればワタクシも女だったのだが、ちゃんと女をやってこなかった気がする。中学生のころ男友達のKに「ひるあんどんは全然女って気ぃ使わんで付き合えるなあ」と明るく真顔で言われたが、別にそれで傷つくとかいうこともなかった。そのまま今日まで来ている気がする。それで寂しくなくて楽しかったらいいんじゃないだろうか。後悔はしていない。

しかし今まで男の友人と恋愛感情のスパイスがまったくなく付き合って来たというのは、女としては問題ではないだろうか。よっぽど色気がないのか。あらためて考え込んでしまったのである。

息子と盛り上がっていたときにふと「息子はふつうの高校生男子と違って母と仲良しやなあ?」と訊ねると、息子はためらわずに「うん」と言って、「母はふつうの母親と違うし。ノリが男子中学生やから」と言った。男子中学生…。軽くショックを受けていると、息子は「厨房…いや、小学生かな? うんこーって言ってるだけで笑えるっていうか」と続けた。

さすが息子、鋭い…。思い返せばうんこーって言ってるだけで笑える男子を冷ややかな目で見る女子、という段階からもうドロップアウトしてたなあ。そもそも女になっていなかったのか。

ヽ( ・∀・)ノ● ウンコー

臭い

2011年01月29日 23時02分13秒 | Weblog
時々ものすごく香水の匂いがするおっさんがいるけれども、息ができないー、鼻が曲がるー、吐きそうー、と苦しみながらも、家族は何も言わないんだろうか、奥さんはだんなさんのこの匂いどうでもいいんだろうかと不思議だった。みなさん、すみません、どうでもいいんです。

そう、同居人はここ数年ものすごく臭い。臭くなり始めたころはまだ口を利いていたので、機嫌のいい時を見計らって奥さんであるところの私は夫に着けすぎだと言ってみた。「いくらなんでも!」と言いたかったが、押さえ気味に「着けすぎと違うかな?」と努めて可愛く(ひー)言ってみたのだ。

でもいつもそうなのだが、同居人は全く聞き入れてくれなかった。それから月日が経って加速度的に臭くなっている。最近では同居人がどの部屋に入ったかすぐわかるようになった。子供の言うところによるとマンションの入り口でもう残り香があって帰宅したことがわかるという(ほんまかいな?!)。私が寝室にしている和室に入られると臭くてしばらく襖を空けて換気しないと眠れない。

外でいろいろな人に迷惑をかけているだろうなと思うと心苦しい。でも今からまた着け過ぎって言ってみても全く聞かないだろう。いつものように私がいないかのように無視するか、ブチ切れて怒鳴るだろう。世間の皆さま、悪臭をまき散らしてすみません。このおっさんは奥さんの言うことを聞かないんですよ。

今年の恵方は南南東

2011年01月23日 11時50分53秒 | Weblog
年末に古い友人に会ったとき、一人暮らしをするのは大賛成だが「一日三合」と墨書して貼っておくように、と言われた。むろん、ご飯の量ではない。お酒である。その友人に、お節の黒豆あげるよと言ってたのに、飲んだくれてお節の仕込みの予定が一日ずれたのだ。ありそうなことだ、と言われた。その友人から先日来た手紙の末尾に、「一日二合」と記されていた。一合減ってるやん!

昨日は同居人が出張で留守、私は研究会に出かけたので、子供は自宅に友人を呼んで賑やかにやっているらしかった。研究会が終わって飲み会へ、ほとんど終電の時間、乗り継ぎ駅のスーパーが深夜営業をしているのに気付いた。ここでおやつを買って帰ろう。気の利いたお母さんやわ、と思った…。

やたら細長いお菓子やパンばかり買って帰ったのはどうしてだろう? 深夜男子高校生たちに「南南東を向いて食べるように!」と無理強いする中年女性。「お母さんはいつもこんな風なんですか」と言う声がちらと聞こえたがあとはよく憶えていない。南南東を向いて最後まで無言で、ということだけが強く記憶に残っている。先程受信ボックスを見たらその一人の母親から丁寧なメールが届いていた。頭痛い。

起きてる人たちがいる

2011年01月16日 00時34分51秒 | Weblog
仕事間に合うかなあと思う状況なのに午前中出かけた。私も参加者の数に入れられてたので何となく悪いと思ったのだ。すぐ帰るつもりが長居して夕方まで時間を潰してしまった。

あああ自己嫌悪!

朝方まで眠れないかも。プリントアウトする合間にネットを覗くと起きている人たちがいっぱいいる。なんだかうれしい。みんなきっと休日の夜更かしなんだろうけど。これからしばらく作業に戻って、次にプリントアウトするときもまた起きている人たちがいるんだろうな。なんだか心強い。何が心強いんだかわからないけど。仕事の続きしようー。

きっとお節料理を食べに来てね

2011年01月03日 15時18分59秒 | Weblog
去年の今日も同じことしてる…

去年と同じく現在世帯主は友人3人と部屋に籠もってトランプをしております。スーパーでジャンクなものをいろいろ買ってきている模様。一人がお土産のお菓子を持ってきたのを世帯主に渡されたので一言お礼を言いました。それだけです。

私はお節料理を毎年完全自作しているのだけど、世帯主はそれを友人に出さないでお総菜を買ってきます。なんでかわからん。もうどうでもいいし。それでも毎年作るのは、自分と息子とお裾分けのお豆さんを楽しみにしてくれている人たちのためです。


年末に中学時代からの友人と会った。数年前から、私のことを心配してくれている友人たち。真顔で「だんなさん、(精神の)病気?」と確かめられた。もしかしたら、そういうレベルかもしれない…。「もう頑張らなくていいよ。別居していいよ。別居したら体調の悪いのもみんな治るよ」と泣きそうな顔をされた。

私の実家はノーアポでどんどん人が来る家で、友人たちもよく私の部屋で勝手にくつろいでいた。一緒にご飯を食べたり、友人どうしが知り合いになったり、いつも賑やかで楽しかった。あまりにもノーアポ過ぎて嫌だと感じる時期もあったが、友人がふらっと寄れる家というのは私にとって当たり前のことだった。自分の持つ家庭もそのようであると思っていた。

でも結婚してすぐ、家にお祝いを持ってきてくれた先輩が帰るやいなや同居人はキレた。その時既に怒鳴られながら、この人も自分が頑張ればだんだん柔らかくなると我慢した。私の親族ともほとんど話をしなかったけど、みんな、だんだん馴染んでくれるよねと言っていた。

でも何年経っても変わらなかった。

年に一度やってくる世帯主の友人は中学生みたいに世帯主の部屋に籠もりっきりだ。冷蔵庫には手作りのお節が余っていて、私は着物姿で一人でブログにこうして愚痴を綴っている。

今年4月から子供は受験生で、大学生になると家を出るという。だからこの家族で迎えるお正月は今年と次の1回だけだ。次の次のお正月には私も今の暮らしから開放されて、一人暮らしをしていて、友人にお節を振る舞うのだ。ふらりと立ち寄った友人と友人が、一緒においしいお酒を酌み交わしたりするのだ。あと1年…。

きっと、きっとお節料理を食べに来てね!

クリスマスおめでとう

2010年12月25日 01時26分11秒 | Weblog
夕方から視野+眼底検査なのを忘れていた。

慌てて買い物を済ませ、スポンジケーキを焼く。あんまり慌てていたので取り出すときに崩してしまい、またまた小学生の家庭科の調理実習みたいなのになってしまった。今年こそ丁寧に作ろうと誓ったのに。病院は早足で15分ほどの距離。瞳孔を開く目薬がなかなか効かなくて思ったより時間がかかった。

検査終了、持参したサングラスをかけ、病院近くのマクドナルドまでそろそろと歩く。目がよく見えないまま帰宅するのは危険だ。文字通りうつろな目をして一人マクドナルドでしばらくぼーっとしていた。

こんな夜に一人でそんな風にいるなんて。

でも頬に当たる風が冷たい帰り道、しばらくはまだ瞳孔が開いているのか世界が輝いて見えた。ファミレスやユニクロの照明、マンションの灯り、信号機の赤と緑、ひっきりなしに通る自動車のライト…


クリスマスおめでとう。