21日付の新聞を開くと、南相馬市が集団的自衛権の行使を容認しないよう求める意見書を全会一致で採択したことが報道されていました。
毎日新聞は「自民系会派も賛成し、自民市議の一人は『市民目線で同調した。東日本大震災でお世話になった自衛隊員が海外で殺されたり、人を殺したりしてほしくない』と述べた」と報じています。また、「自民市議によると、被災地感情として、自衛隊員が戦闘行為に巻き込まれないでほしいとの思いが強いという」とも伝えています。
振り返ってみると震災後、いわき市にも自衛隊が救援活動で入り、津波被災地での捜索活動などを行いました。あの当時、自衛隊員の活動に感謝した市民も多かったと思います。いわき市民にも、南相馬市民と同じような思いが強いのではないだろうか。
しかし、いわき市では残念ながら採択できないでいます。
2月定例会では日本共産党いわき市議団から「集団的自衛権の解釈変更に関する安倍首相の発言の撤回などを求める意見書(案)」を提案したのですが、賛成は創世会(民主、社民、無所属)だけ、志帥会と政新会(以上は自民系)が反対したため廃案になりました。いわき市議会では、本会議に提案される意見書は全会一致を原則とし、1会派でも反対があると廃案にする運営をしているためです。公明党とつつじの会は態度保留(継続審査)でした。
同じ内容で提案するわけにもいかないため、今回は立憲主義の尊重を求める内容で意見書を作成し提案したのですが、これも志帥会と清政会(政新会が解散し1人会派を加え新たに結成)が反対したため廃案になりました。公明党とつつじの会はやはり態度保留でした。
南相馬市議会では自民市議でも「集団的自衛権行使」に反対。同じ党派の議員でもこの違いはなんだろう。せめてお互いで文言のすりあわせをはじめとした議論の申し入れでもあれば良いのだが・・。
日本共産党市議団が提案した意見書案文は次の通りです。
日本国憲法の原理である立憲主義の立場に立って安倍首相及び内閣が行動することを求める意見書(案〉
安倍晋三首相は、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐって、憲法解釈の「最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」とした発言に、国民的な波紋が広がっている。
そもそもこの憲法解釈の変更を首相の責任で行えるという考えは、現在の日本国憲法の大切な原理の一つである立憲主義を否定するものである。
この立憲主義は、古くは国王への権力の集中という事態に対抗から生まれてきた概念で、現代では日本国憲法をはじめ世界の多くの憲法の前提となっている。その内容は、政治権力の恣意的支配に対抗し、権力を制限しようとするもので、言い換えれば憲法は国民に与えられた政治権力を抑制し、縛り付けるための道具ということができる。
こうした日本国憲法の前提に立てば、憲法解釈の責任者は私だとする安倍首相の言明は、この憲法の原理を踏みにじるものであり許されるものではない。このため政権与党内部も含め多くの憲法学者やマスコミをはじめ、元内閣法制局長官などからも「立憲主義の否定」と批判する指摘がされている。さらに、立憲主義否定の発言のきっかけになった集団的自衛権行使への憲法解釈の変更についても、「やるならば解釈の変更ではなく、憲法改正を提起すべき」との批判の声が上がっている。
もともと集団的自衛権の行使は、国連憲章51条では「自国と密接な関係にある外国が武力攻撃を受けた場合、自国が直接攻撃されていなくても、同盟国を武力で守る権利」と認めているものの、日本の歴代政府は集団的自衛権の「権利は保有しているが、憲法上行使できない」とする考えを繰り返し言明してきたものである。
こうした戦後69年かけて議論を積み重ね到達してきた基本原則にもかかわらず、一内閣の独断で解釈変更をすることができるとすることにも、大きな問題があると言わざるをえない。
従って政府においては、日本国憲法の原理にのっとって集団的自衛権の行使の憲法解釈の変更は断念し、憲法擁護の立場を明確にすることを求めます。
以上、地方自治法第99条の規定に従って意見書を提出します。
毎日新聞は「自民系会派も賛成し、自民市議の一人は『市民目線で同調した。東日本大震災でお世話になった自衛隊員が海外で殺されたり、人を殺したりしてほしくない』と述べた」と報じています。また、「自民市議によると、被災地感情として、自衛隊員が戦闘行為に巻き込まれないでほしいとの思いが強いという」とも伝えています。
振り返ってみると震災後、いわき市にも自衛隊が救援活動で入り、津波被災地での捜索活動などを行いました。あの当時、自衛隊員の活動に感謝した市民も多かったと思います。いわき市民にも、南相馬市民と同じような思いが強いのではないだろうか。
しかし、いわき市では残念ながら採択できないでいます。
2月定例会では日本共産党いわき市議団から「集団的自衛権の解釈変更に関する安倍首相の発言の撤回などを求める意見書(案)」を提案したのですが、賛成は創世会(民主、社民、無所属)だけ、志帥会と政新会(以上は自民系)が反対したため廃案になりました。いわき市議会では、本会議に提案される意見書は全会一致を原則とし、1会派でも反対があると廃案にする運営をしているためです。公明党とつつじの会は態度保留(継続審査)でした。
同じ内容で提案するわけにもいかないため、今回は立憲主義の尊重を求める内容で意見書を作成し提案したのですが、これも志帥会と清政会(政新会が解散し1人会派を加え新たに結成)が反対したため廃案になりました。公明党とつつじの会はやはり態度保留でした。
南相馬市議会では自民市議でも「集団的自衛権行使」に反対。同じ党派の議員でもこの違いはなんだろう。せめてお互いで文言のすりあわせをはじめとした議論の申し入れでもあれば良いのだが・・。
日本共産党市議団が提案した意見書案文は次の通りです。
日本国憲法の原理である立憲主義の立場に立って安倍首相及び内閣が行動することを求める意見書(案〉
安倍晋三首相は、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐって、憲法解釈の「最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」とした発言に、国民的な波紋が広がっている。
そもそもこの憲法解釈の変更を首相の責任で行えるという考えは、現在の日本国憲法の大切な原理の一つである立憲主義を否定するものである。
この立憲主義は、古くは国王への権力の集中という事態に対抗から生まれてきた概念で、現代では日本国憲法をはじめ世界の多くの憲法の前提となっている。その内容は、政治権力の恣意的支配に対抗し、権力を制限しようとするもので、言い換えれば憲法は国民に与えられた政治権力を抑制し、縛り付けるための道具ということができる。
こうした日本国憲法の前提に立てば、憲法解釈の責任者は私だとする安倍首相の言明は、この憲法の原理を踏みにじるものであり許されるものではない。このため政権与党内部も含め多くの憲法学者やマスコミをはじめ、元内閣法制局長官などからも「立憲主義の否定」と批判する指摘がされている。さらに、立憲主義否定の発言のきっかけになった集団的自衛権行使への憲法解釈の変更についても、「やるならば解釈の変更ではなく、憲法改正を提起すべき」との批判の声が上がっている。
もともと集団的自衛権の行使は、国連憲章51条では「自国と密接な関係にある外国が武力攻撃を受けた場合、自国が直接攻撃されていなくても、同盟国を武力で守る権利」と認めているものの、日本の歴代政府は集団的自衛権の「権利は保有しているが、憲法上行使できない」とする考えを繰り返し言明してきたものである。
こうした戦後69年かけて議論を積み重ね到達してきた基本原則にもかかわらず、一内閣の独断で解釈変更をすることができるとすることにも、大きな問題があると言わざるをえない。
従って政府においては、日本国憲法の原理にのっとって集団的自衛権の行使の憲法解釈の変更は断念し、憲法擁護の立場を明確にすることを求めます。
以上、地方自治法第99条の規定に従って意見書を提出します。
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