伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

久々に演劇を観た

2020年01月30日 | 文化
 南総里見八犬伝。そうNHKで人形劇で放送したあの八犬伝。8つの珠と8人の剣士、伏姫に玉梓が怨霊・・なんかが出ていたあの八犬伝だ。

 この作品の原作者が曲亭馬琴ということになるのだろうが、これは雅号・ペンネームで、本名は滝沢・・たしか舞台では、滝沢徳といっていたように思うが、ここでは滝沢馬琴としよう。

 この馬琴の家族は妻のお百と息子の宗伯、それぞれ高畑淳子さんと風間杜夫さんが声だけで出演する。お百は気難しい性格らしく、末には今でいう統合失調症を患ったようだ。そして息子は、発達障がいなのだろう、コミュニケーションが苦手で嫉妬深く、おまけに出不精で仕事も上手にこなせず、病弱でもある。その宗伯に嫁いだのがお路。全編は、馬琴役の加藤健一さんとお路役の加藤忍さんの2人芝居で進んでいく。

 馬琴は厳格で、馬琴家には会話もろくにない。そこに嫁いだお路は家族仲良く笑いが絶えない家庭と過ごしており、嫁いでから数カ月、まだ滝沢家になじんでいなかった。病気で臥せている宗伯には、看護につこうとしてもなじられるばかりで、行き詰まりを感じていた。

 家族で唯一お路と言葉を交わす馬琴は、家族のあり方や嫁の務めを説くが、馬琴自身は、その家族のありように行き詰まりを感じており、唯一の慰めでありやすらぎは夜中に登ってこっそり過ごす屋根の上の時間だった。

 やがて、お路が馬琴のやすらぎの時間に割り込んでくるようになる。お路には子どもができ、馬琴は息子・宗伯に夢見ていた武家に返り咲きお家再興を息子に託そうとお路を説得する。お路はこれを受け入れるが、馬琴はだんだん視力を失っていった。

 宗伯は亡くなり、息子は鉄砲隊に取り立てられお家再興は果たした。妻のお百は病床から馬琴とお路の仲を疑い、なじる。その時、馬琴は視力をほぼ失い、最後のくだりにかかってい八犬伝の執筆を断念しようとしていた。お路は、自分が口述筆記をすると馬琴を励まし、創作は続けられる。漢字の偏も旁も知らないお路に、漢字を教えながら書き上げられた八犬伝。この時、馬琴は75歳、お路は36歳だったという。口述筆記で字を覚え、文章を書く力も手にしていたお路に馬琴は雅号を「琴童」と送る。滝沢琴童、この時、お路は馬琴と本当の家族となった。

 だいたい、こんなストーリーなのだが、解説によると、この物語はお路が宗伯に嫁いだ時から八犬伝の脱稿までの15年間を描いているという。その中で描かれるのは、厳格な生活者で、名作を世に出した有名な戯作者でありながらお家や家族に翻弄される男・馬琴の悩みの日々であり、そんな家族に嫁いだお路の悩みの日々である。そして嫉妬深い宗伯から心が離れながらも、家族の中で唯一心を通わせる馬琴に尽くす生きがいを見出そうとしたお路の、おそらく「恋」だったのだろう。

 厳格であろうとしながら漏らす馬琴の本音や弱音に垣間見える人の姿に、また、おきゃんな性格を内に押し込めようとしながらも時折噴き出してしまうお路の姿に笑いを誘われる。息子の嫁と何とふしだらな関係に・・という声も聞こえそうだが、家族や社会の中で唯一互いの本音を知り合う二人であり、心でも行動でも互いを支え合った二人の関係は美しいものであったのではないだろうか。

 馬琴は脱稿から5年後に亡くなり、翌年お路の長男が亡くなる。お路は52歳で亡くなり、2年後明治維新を迎えたという。

 馬琴、そして恋心を寄せるお路の姿は史実なのかどうかは知らないが、いずれにせよ支え合って一つの仕事をやり遂げた2人の姿に、そして、その二人を見事に、そして時折ユニークに演じきったお二方に拍手を送りたい。

※フロントページの写真は加藤健一事務所のホームページ(http://katoken.la.coocan.jp/)です。


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