伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

正しく伝えているのかな・・

2017年10月22日 | 遠野町・地域
 あらら、またこんなこと書いちゃってるよ。という印象でした。

 10月4日朝の朝刊折り込みを見て思いました。私に対する攻撃的な文章を書いてきた「いわき経済報」だからしょうがないし、これを活字にしたのは、おそらく9月10日付けの私のブログ「とりあえず解説しておきます」を読んで、ここに書かれた反論に対する意趣返しなんだろうと想像しています。

 折り込まれたのは10月1日付の「いわき経済報」。全4ページで、その4ページには、遠野興産株式会社が計画していた木質バイオマス燃料を利用したペレット工場にかかわる文章がありました。


 まずは全文をご覧いただきたい。記事には社長名や考える会の会長名が入っていましたが、民間の方の名前を書きたてるのも申し訳ないので、ここは割愛させていただきました。なお同様の趣旨で後ろから2段落目は、名字の表記で〇〇会長とされていましたが、考える会会長と表記を変更させていただきました。後の文章は元文のままです。



遠野町・左翼が過剰反応「住民に不安あおる」
人畜無害のチップ燃料・遠野興産バイオマス森林活性化に利用
地域活性化なのにまたもさわぐ


 福島県いわき市遠野町に木質ペレットを利用してバイオマス発電施設で地域活性化を図るため、遠野興産は、木質ペレットの生産と自家用発電のために新工場を建設する。しかし、環境に影響するとして共産党の伊藤浩之同市会議員(=同町在住)が「木質ペレット工場新設『遠野町住民に不安の声』遠野興産」という見出しのチラシを住民に配布した。チラシには、放射性物質の飛散、騒音、振動などの被害はないのかと心配を指摘している。いわき経済報が行政に取材したところ「環境に影響はない。数値も国の公害防止条例をクリアしているので問題はない」と指摘、放射線や騒音、振動などの環境に心配がないことが分かった。1度あることは2度あるというが、また一部住民が騒ぎ出した。遠野興産グループにも嫌がらせを始めたという。

 遠野町環境を考える会はウッドペレット工場反対と銘打って回覧版を住民に回した。50デシベルの木がざわめく音では静穏な環境が心配されるという。日中はあらゆる騒音が耳に伝わる。ここでは「遠野町住民は街を歩くことができない」と指摘するまともな住民の声。

 同社は、新工場を資材置き場として使用することに決め、別な場所に工場を立地する計画も進めてきた。そこもダメだと一部住民が騒いだ。常識では考えられない騒動は地域の雇用に役立たない。

 考える会会長は「伊藤議員に事務的なアドバイスを受けて反対している」と語る。

 同社は自家用の発電として供給するため経済産業省などから新工場の立地許認可を受けている。(眞島勝三)



 一目見て受ける印象は、遠野町の左翼とされている「私」が、遠野興産のペレット工場に関して住民に不安をあおり続けているということです。

 しかし、そこに記載されている内容は、時間の流れを無視しています。前後に起こった出来事をごちゃまぜにしたものであって、事実を伝えているとはとてもいいがたいので、事実経過についてお伝えしたいと思います。

 あらためて記事の流れにそって、記事の要点を箇条書きにしてみると、

(1) 遠野町の遠野興産が木質ペレット工場を建設しようとしていた。
(2) 共産党の伊藤浩之市会議員が放射性物質の飛散、騒音の危惧などを掲載したチラシを配布した。
(3) 行政はこの工場に問題がないと言っている。
(4) 再び一部の住民が反対している。
(5) 遠野町の環境を考える会(会長は遠野地区区長)が建設反対の回覧をした。
(6) 木がざわめく程度の騒音に何で目くじらを立てているのか。
(7) 上遠野地区で断念して資材置き場としながら、別の場所に計画をすすめてきたが、そこでも一部住民が反対しており、常識では考えられない騒ぎは地域の雇用に役立たない。
(8) 上遠野区長が「伊藤議員に事務的なアドバイスを受けて反対している」としている。
(9) 同社は自家用発電として供給するための許可を経済産業省から受けている。


 この流れに沿ってポイントごとに見ていくと、まず(1)の部分ではこう書いています。

 「遠野興産は、木質ペレットの生産と自家用発電のために新工場を建設する。」

 この表記は疑問です、これが中止された木質バイオマスボイラーを活用するペレット工場のことならば、正しくはこうなるはずです。

 「遠野興産は、木質ペレットを製造するために新工場を建設する。チップ等の乾燥のために使用する木質バイオマスボイラーでは自家用発電も行う」

 つまり、遠野興産の事業計画は、あくまでも木質ペレットを製造することが目的で、「自家用発電」は熱の有効利用のための二次的産物にすぎないということです。事業者の説明の趣旨はそのようなものでした。

 経済報の報道のように、木質ペレットの生産と自家用発電を並列的に扱うと、事業目的が二つあるかのように読まれてしまい、会社の説明とは違ってくる。これでは事業者に迷惑がかかるのではないでしょうか。

 次に(2)の部分はこう書いています。

 「環境に影響するとして共産党の伊藤浩之市議会議員(=同町在住)が「木質ペレット工場新設『遠野町住民に不安の声』遠野興産」というチラシを住民に配布した。チラシには、放射性物質の飛散、騒音、振動などの被害はないのかと心配を指摘している。」

 確かにそのようなチラシを配布しました。今年6月11日付けの「日本共産党伊藤浩之の活動日誌・№196」です。

 ここで書いた記事の見出しをそのまま引けばこうです。
「木質ペレット工場新設・遠野興産(株)、遠野町住民に不安の声・6月19日に環境影響など住民に説明」

 読んでいただければわかるように、「6月19日に環境影響など住民に説明」という部分が落とされています。落とした理由は、私が一方的に不安をあおっているような印象に仕立て上げるためなのか・・。

 この記事は、5月21日に同社が開いた説明会で、バイオマス発電の燃料であるバーク(木の皮)からの放射性物質の再飛散への不安、ペレット製造過程での騒音・振動あるいは煤塵・粉塵への不安、周辺交通への不安などが住民から質疑されたことを紹介したものです。この場では、住民のペーパーによる質問があり、これに対する事業者の回答を受けて、住民から相談をされていた私も質疑したという経過があります。これらの質疑の結果、この時の説明会では、環境問題に対する資料等も不十分だったので、これを用意した上で再度説明会を開くことを会社側が了承し、住民側が用意した6月19日という日程で説明会が開かれることを告知する。そういう記事になっています。

 住民が数多く説明会に参加して、直接会社の説明を聞く機会は、住民が反対するにしろ、説明に納得するにしろ、貴重です。その説明会の告知で、多くの住民の参加を呼びかけるのはある意味当然です。

 また、ここで出された工場建設にかかわる懸念は、あくまで住民のみなさんから出された声を紹介したものです。住民がもともと持っている不安の声を紹介する文章を書くと、なぜ「住民不安をあおる」ことになるのでしょうか。事業者には、この不安を共有しながら、不安の解消を図ることこそ求められていたのです。

 一方、私の文章の中では、「会社は、ペレット製造では、放射性物質も、騒音も、振動なども、なんの心配もないとあらためて説明。されました。また同社が説明会を開催した際に住民から出された子どもの交通事故の不安等への対応策も併せて説明されました」(ママ=説明の後の「。」は誤植でした)と、住民の不安に対して会社側も一定の考えを持っていることを知らせています。

 紙幅から十分に記載できていないにしろ、住民の不安の声も、会社側の説明も、両方記載しています。そこは、配慮して書いた部分でもあります。

 経済報は先の文章に続いてこう書いています。(3)にあたる部分です。
「いわき経済報が行政に取材したところ『環境に影響はない。数値も国の公害防止条例をクリアしているので問題はない』と指摘、放射線や騒音、振動などの環境に心配がないことが分かった。」

 だからどうしたのかな。住民が不安を持っている中で、この不安に応える説明を加えて、住民の理解を得ることは事業者が行うべき事です。実際、6月19日の説明会で事業者は、こうした立場から説明を行ったものと考えます。

 加えて、現在の環境に関する様々な基準値等は、公害に反対する住民運動の発展の中で、緩い基準が改善され引き上げられてきたという経過をたどっている。このように私は理解しています。現在の行政の基準値の是非を問うてこそ、その値が是か非かの科学的検証が加えられ、安全と安心の拡大に寄与する側面があるということを理解すべきではないか、と思います。“お上が良いと言っているから黙って従え”などというのは、時代錯誤です。

 (9)の部分で「同社は自家用の発電として供給するため経済産業省などから新工場の立地許認可を受けている。」と書いていますが、同様の趣旨で、認可(正しくは届け出だけで良かったはず。許認可ではありません)を受けているから住民はだまっていろというのは、はなはだ不見識と言えるのではないかな。

 (4)の部分は悪質だと思います。こう書いています。
「1度あることは2度あるというが、また一部住民が騒ぎ出した。遠野興産グループにも嫌がらせを始めたという。」

 まず、経済報がここまで書き進めた文章では、この文章の意味を読み解くことは難しいと思います。なぜなら「2度ある」という部分を読み解くことが難しいからです。

 10月までの遠野興産のペレット工場をめぐる問題は、2つのステージに分けることができます。5月21日に事業者が実施した説明会から7月3日の上遠野地区でのペレット工場断念までが第1ステージ。断念以降が第2ステージです。

 経済報の文章の冒頭から読んでいただくと分かると思いますが、「1度あること~」という文章が出てくるまでの文章は、上遠野地区でペレット工場反対運動が起こっていることを示すもので、これがまだ完結していない表記になっています。つまり第1ステージが現在進行形となっているのです。

 この第1ステージが完結したことを表現して初めて「1度目」が完結し、「2度目」、すなわち第2ステージがあることが分かります。1度目が現在進行形の文章の中で、「2度目」を論じられたことで、読者は、「2度ある」と表現されていることに戸惑うのではないでしょうか。

 事業者は、7月3日に「考える会」に当初予定していた上遠野地区でのペレット工場設置を「住民の反対を押し切ってまでできない」と断念することを伝えていました。この断念で、上遠野地区の反対運動は事実上完結しているので、第1ステージすなわち「1度目」は終了しました。

 経済報の筆者には、上遠野地区で断念されたという事実が頭の中にインプットされていたのでしょう。だから記事上で第1ステージが完結した記載がなくても、「2度ある」と話を飛躍させることに違和感はなかったのだと思われます。しかし、文章を読んでいる読者は飛躍できるはずもないので、この部分は「何のことか?」ととまどいが残らざるを得ないと考えられるのです。

 まあ、これは、私も良く落ちいる分かったつもりで書き飛ばす一つの事例です。しかし、この文章がこの位置に入っていることが、実は大きな問題です。

 (4)の部分は第2ステージにおける出来事です。ところが(4)の前の部分も、(4)の後の部分も、第1ステージの事を書いています。こうすることによって、(4)の部分は、第2ステージの出来事にもかかわらず、第1ステージの出来事と認識されるように誤誘導する文章になっているのです。

 誤誘導された結果、「一部住民が騒ぎ」「嫌がらせも始めた」ことは考える会が私のアドバイスでやっていることだと読者の意識を誘導し、私が分からず屋のトラブルメーカーだと思わせるように意図された表現になっていると考えられるのです。

 ちなみに事業者は7月3日の断念の段階で、すでに稼働している遠野興産の岩石工場にペレット製造ラインを新設すること、熱源としては木質バイオマスボイラーはやめ、重油ボイラーに切り替えることを説明していたようです。

 この岩石工場の新ラインにかかわっては、上遠野地区の工場に反対した「遠野町の環境を考える会」は反対運動をしていませんし、私も何らかの相談を受けて、反対運動にかかわっているという事実もありません。ですから、(7)で「同社は、新工場を資材置き場として使用することに決め、別な場所に工場を立地する計画も進めてきた。そこもダメだと一部住民が騒いだ。常識では考えられない騒動は地域の雇用に役立たない。」と書いていますが、そのことと、「考える会」及び私は関わりがないことなのです。

「一部住民が騒いだ」という部分や「いやがらせ」という部分がありますが、私は情報を持っておりません。ですから、この真偽のほどは分からないことを書き添えておきます。

 このことを踏まえれば、もし、作為的ではなくこの文章を書いているとしたらひどい「悪文」ということになるでしょう。作為的に書いているとしたら「悪質」ということになるでしょう。加えて、住民のみなさんの声をこれほど足蹴にする姿勢にも驚きを覚えます。

 なお、(7)の部分は、先に論じた第1ステージと第2ステージが存在したことを知らせる内容になっています。

 しかし、これは冒頭に説明しておく必要があるでしょう。1段落目が長いので、もしかしてここは新聞記事でいうリードにあたる文章かもしれません。仮にそうであったとしても、この1段落目の中で、記事の概要が分かるようにしなければならないのだろうと思います。

 実際、共同通信社発行の「記者ハンドブック」(第13版)はこう書いています。
リードとは「ニュースの概要を記述したもの」であり、「読者がリードだけを読んでも理解できるように工夫する必要がある」。この指摘から考えれば、読者を惑わす表現となっているこの文章は、あまりほめられたものではないということになるのでしょう。

 次に(6)ではこう書いています。

 「50デシベルの木がざわめく音では静穏な環境が心配されるという。日中はあらゆる騒音が耳に伝わる。ここでは『遠野町住民は街を歩くことができない』と指摘するまともな住民の声。」

 この文章で何を言わんとしているかを、ざっと読んだ段階で理解することは難しいでしょう。

 まず50デシベルとは、会社が説明した操業時の騒音の上限値です。この文章からこのことを読み取ることはできません。この50デシベルという値は、環境基準値以下のレベルとなっています。

 住民の心配は、チップを砕く工程など、かなりの騒音を出す施設が現に作られることから、事業者が説明するように騒音が50デシベルでおさまるのかにありました。近所の住民は、工場ができれば、長い期間、その音源とともに生活していかなければならないのですから、心配はなおさらのことです。この住民の不安・心配を考えもせずに、50デシベルの音の大きさの程度だけを取り上げて、その不安や心配を持つ住民を「まともな住民」でないと批判するのは的外れだと考えます。

 (8)ではこう書いています。
「考える会会長は『伊藤議員に事務的なアドバイスを受けて反対している』と語る。」

 「事務的」かどうかは別にして相談にのっていたのは確かです。もともと、5月21日に事業者が開いた説明会を知らせる回覧をきっかけに、不安を覚えた住民から相談があり、話し合いを重ねる中で上遠野地区住民の参加が広がり会の結成に至ったもので、その会合等のつど住民のみなさんの相談にのっていたことに間違いありません。

 民間の事業ではあるけれど、この事業に対して不安があり、物を言いたい。その住民の思いを実現するために力を尽くすことは、議員として当然の活動だと思います。

 そしてそのことは、「いわき経済報」を発行する人物が私に電話取材をした際(もっとも、私はこの電話を一般の住民からの質問と考え、取材だとは思っていなかったのですけれど)に、取材者の言葉にもありました。

 取材者は、「ペレット工場には問題がないのに、何で反対しているの」という趣旨の質問をしました。私は、「住民のみなさんから相談されたのでアドバイスをしている」と答えたことに、「区長さんと同じだな。それは議員としては当たり前の活動だ」という主旨で取材者は発言をしたのです。

 議員の活動として当然だと取材者本人も良く分かっている。それなのに、なぜ「遠野町・左翼が過剰反応『住民に不安あおる』」という見出しになり、その趣旨での文章が書き連ねられているのか。この発想の飛躍は、どうやったらできるのか。私には理解できません。

 以上、いわき経済報の文章についてみてきました。記載内容は、必ずしも正しく事情を伝えていないと言えます。

 このいわき経済報は、5年前になりますか、遠野地区での作業員宿舎に関して、取材がないままに私が関連あるかのように書いたことがありました。このことを私が指摘した際に、謝罪もなく言い訳にもならない言い訳で済まそうとしたために、「取材もなく書く人をジャーナリストとして認めない」と断言した時から、こと私に対しては攻撃的な文章ばかりを掲載するようになりました。

 昨年のいわき市議会の議長・副議長選挙の顛末、そして今回の遠野興産の木質バイオマスを利用したペレット工場にかかわる問題も、私に対する攻撃的な文章を書き連ねていました。これについては、これまでもたびたびブログで解説等をしてきました。以下にリンクを貼っておきますので、関心のある方はお読みください。

とりあえず解説しておきます(2017年9月10日)

 簡単に書こうと思ったのですが、7,000字を超える、長文となってしまいました。ここまで読まれたみなさん。お付き合いいただきありがとうございました。


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