伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

わらび座公演ジパング青春期ー慶長遣欧使節団出帆」を拝見ーちょっと涙が浮かんだ

2020年02月29日 | 文化
 私の常識でわらび座と言えば、「土に根ざした」と言えば聞こえは良いが、「泥臭さ」が漂う重い作品のイメージが強い。支配するものと、支配されるもの。二つに分かれた社会で、支配される側が持つ力と社会の関わりの視点から見た作品を世に問う。そんなイメージがあった。ようは、支配された者が支配を打ち破るという物語だ。端的に言えば、「重い」「暗い」世界が、民謡や伝統芸能などと結んで構成された作品。そんな印象を持っていた。

 しかし、20数年ぶりの舞台からは、「泥臭さ」や「土に根ざした」という重っ苦しい作風はほぼなくなっていたと思う。当時の作風が生きていたと言えば、作品の主要登場人物が支配する側の人間ではなく、支配される側の者、今作では農民となっている所だろうか。

 物語は、1611年、慶長16年に襲った大地震の2年後が舞台だ。津波の犠牲となった姉を探し求めるリウタが、伊達政宗の山の木1,000本の伐採の命を受け入れ、伐採木で作った西洋船の乗員となり、太平洋を渡るまでを描いた。

 物語は、津波で姉・さやを失ったリウタの悲しみ、理由も分からない山の木の伐採と重労働を課す伊達政宗への反発、伐採の意義を知ったリウタの心情の変化、山の木で完成した船への乗船する希望、そして、乗船した船で発生する嵐や仲間割れなど困難の克服を描く。東日本大震災で多くの命を失い、故郷を破壊された被災地での、喪失感から乗り越え、生きる力というか、既望というか、を取り戻すストーリーを、天下統一を果たした家康の時代、慶長三陸地震(1611年、)被災後の伊達藩で、伊達政宗が支倉常長の遣欧使節団派遣までのストーリーに置き換えて、被災者を励ます、そういう狙いを持った物語だと感じた。

 津波で姉を失ったリウタが、友を得、夢を得、喪失の悲しみを乗り越え、姉が眠る大海原に出て、前を向いて生きるよう呼びかける姉の魂との再会する。全編を通して、小さな感動が積み重ねられる。

 ストーリーの案内役は猫だ。ばあちゃん猫と子猫。印象としては劇団四季のキャットかな。ダンスといい、全体としては現代風。昔のわらび座とはぜんぜん違うと感じたのはこんなところに原因があったのだろう。振り付けの1人はラッキー池田さんだもの。変わるだろうな。昔のわらび座の片鱗を見るとすれば、斧で木を切り倒し、鳶口で運び出す労働のシーンだろうか。あそこの振り付けはやっぱりわらび座という感じを受けた。わらび座振り付けのソーラン節に通じるところがあった。

 テーマは重いのだが、全体としてポップな雰囲気が漂う舞台は、親しみやすく、感動的に拝見することができた。見て良かったな・・という感じだ。


 わらび座との出会いは、高校の時だった。高校3年生の修学旅行は北東北1周のバス旅行。岩手県宮古市の宮古高校を出発し、八戸市から奥入瀬渓流と十和田湖、弘前市、秋田県男鹿半島からわらび座、そして岩手県の石川啄木の記念館などを巡った旅だった。わらび座には宿泊施設があり一泊。ここで当時すでにオープンしていたわらび劇場で演目を鑑賞した。そんな記憶がある。

 次の出会いは横浜市。当時運輸省だったが港湾建設事務所に勤め、茨城県鹿嶋町から横浜市に転勤。労働組合活動青年部の活動の関係で、横浜講演を企画していたわらび座の実行委員会活動に加わった。3年間に2つの作品の実行委員会が作られた。一つの作品は、横浜氏緑区で、米軍のファントム戦闘機が墜落した事故を扱った作品。事故では幼子が死亡し、母親は重傷を負った。

 あの作品で歌われた歌の一部を覚えている。

お願い 教えてください
どこに行けば いいのか
家は焼け 帰れない
体も燃えてしまった
ファントムよりも 鳩をください
ファントムよりも 僕らの空には
ファントムよりも 鳩をください
ファントムよりも 鳩を

たぶんこんな歌詞だったと思う。

 もう一つが沖縄を扱った作品だったと思うけれど、こちらはあまり良く覚えていない。


 いわき市に転勤してきて退職。その後にやはり実行委員会に加わった。
 おそらく「佐渡にたつ波」という作品だったと思う。佐渡金山での過酷な労働を扱った作品だ。
 その6年後だったか、もう一つが「東北の鬼」と言ったと思う。三閉伊一揆を扱った作品だ。吉田タキノさんの「またきた万六」という作品があるが、三閉伊一揆の指導者の1人に焦点を当てた児童書だ。この作品を知っているからか、余計に思い入れのある作品だった。

 その後、わらび座と言えば、高校等の買い切り公演で、本市にやってきたことは知っていたが、縁がつながることがなかった。


 2年前だろうか。平賀源内を扱った作品を持って、わらび座が一般向けの公演をすると先乗りのオルグが訪ねてきた。今回もそうだが、その時も市議階の2月定例会の会期中で、しかも一般質問の直前だったため、拝見する余裕がなく、舞台に足を運ぶことはできなかった。

 今回の作品はほぼ30年ぶりの観劇ということになるかも知れない。30年もたてば作風も変わるだろう。それでも、土に根ざして活動してきた劇団という、それ「らしさ」を残しているところはうれしく思う。
 素晴らしい作品を見させていただいた。またの機会に期待したい。


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