伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

遠野和紙ボランティアで、ちり取り、打解をしてみた

2021年12月08日 | 遠野町・地域
 先週、本格的に始まったボランティア等によるコウゾの刈り取り作業だが、7日は下滝の畑で刈り取りをした。

 農道を挟んで、東西にある畑のうち、西側の畑は、コウゾの枝が太く、しっかりと育っている。このコウゾの刈り取り作業が中心だ。



 コウゾの株から伸びた枝の根元に、枝打ちばさみをあて、持ち手にグッと力を込める。こうして、次々枝を払っていく。



 ところが、よく育ったコウゾの枝の根元は、なかなかの難敵だ。腕の力だけで、はさみを閉じることができないのだ。つまり刈り取れない。
 四苦八苦しながら作業をしていると、体験者が教えてくれた。持ち手の一方を腰にあて、一方の持ち手を両手で持って、グッと腰に引きつけることで、効率よく枝を刈り取ることが可能だというのだ。

 実際、やってみた。持ち手は一定の長さがあるので、この姿勢を取ることは可能だ。しかも。はさみには両手の力かかるので、倍増した力ではさみを閉じることができる。ザクッ。太い枝を刈り取ることができた。

 しかし、この作業は、中腰まで腰を落とすことを要求する。それまでは、脚を伸ばしたまま腰をかがめて作業する感じだったのだが、これにスクワットが加わったわけだ。足腰の鍛錬をしているようだ。

 作業で、冬越しをしようとしていたクビキリギスをおこしてしまったようだ。



 どこからともなく草むらから現われ、どこかに消えていった。

 作業をしながら、地域おこし協力隊に文句の1つもいってやろうと思った。
 「コウゾの世話を丹念にしたため枝が太くて、刈り取り作業がきつかったぞ。昨日1日で体も腕も痛くてしょうがない」

 協力隊は、この日、遠野高校の生徒による卒業証書漉きの体験授業に出席するため、コウゾの刈り取り作業には参加していかった。今日のきつさをしっかりしらせてやらなければならない。

 そして、今日は雨の中、前日刈り取ったままで皮むきをしていないコウゾの枝の釜蒸しと皮むき作業をした。協力隊も参加していたので、実際、一人の協力隊員にいってみた。

 隊員は喜んだ。夏の暑い盛りに世話をした成果がしっかりあらわれたのだから当然のこと。間引きし、太い枝を育て、脇芽を小まめに取り除いた太い枝は、そこから採取される皮も、十分に厚い。かわのむたも少ないだろう。昨年作業して分かったのだが、同じ手間をかけながら、薄い皮からは、和紙の材料となる白皮はほんの少ししかとれない。太い枝を育てることは、大切なことなのだ。

 逆説的なほめ言葉は、十分、伝わったらしい。



 蒸し釜には、だいたい20束程入る。2日で3釜程度の作業とすると60束程あれば足りる。刈り取った枝は、早めに皮をむいたほうが良いという。作業で枝が余れば、ボランティア作業日を増やさなければならなくなる。このため、1作業で刈り取りすぎないよう調整しながら作業しているのだ。

 束ね作業が終わると、60数束になった。これ以上刈り取る必要はない。



 軽トラックに積み込んで、遠野和紙工房「学舎(まなびや)」に運んだ。

 学舎では、釜に水とコウゾの束を入れ、釜の上から大きな木桶を逆さに被せる。カマドに火を入れ、釜の湯を沸かす。



 湯気が立ち上り始め、やがて、釜の隙間から盛んに吹き出してくる。釜から漏れる甘い香りが強くなってきたら蒸し上がりだ。この間、最初の釜で2時30分程、釜が温まった状態の2番目の釜で2時間程は待機となる。

 蒸し上がったコウゾは釜から取り出し、皮むき作業をする。



 通常は戸外で行う。トップの写真は、室内での皮むきだ。枝から湯気が立ち上っている様子がよく分かる。枝は、結構熱く、熱い枝はとても良い香りを発しているのだ。
 むいた皮は若干の時間シート上に並べて水気を飛ばす。これには完全に皮を冷やすという意味もあるかもしれないが、未確認。その後、10本程度ずつ皮を束ねて竿に掛けて、作業終了だ。

 12日は雨が降っていたので、皮むきは室内で作業した。昨年からボランティアを始めて、初めてかな?

 2日間で、3釜の皮むきを終えた。若干コウゾの束が残ったので、1日置いて可能な者だけで追加のボランティア作業をすることになった。調子にのって枝を刈りすぎたせいだ。いわば自業自得。

 さて、今週2日間の作業は終えたが、協力隊員が、これまで体験してきた先の作業をしていた。ボランティア作業では、皮むきが一段落すると「しょしとり」作業に入るむいたコウゾの皮から、1層目の黒皮、2層目の薄緑色をした甘皮をはぎ取り白皮とする作業だ。ボランティア作業は、ここで終わっていた。

 この先は、いよいよ和紙のすき取りに直接かかわる作業となる。白皮は、乾燥させ保管しているが、これを釜でゆでてもどし、水にさらして汚れを取り除く「塵取り」をしてきれいにし、木槌などで叩いて繊維をほぐす「打解」を経て、ビーターという機械で線維化する。

 この部分の作業はしたことがなかったのだ。ちょうど隊員が作業していたので、居残って体験してみることにした。

 今日作業した分は、学校の和紙すき体験に使うものだそうだ。

 まずはちりとり。容器に水を張り、水にさらした後の白皮を少しずつ浮かべ、ゴミや皮の変色した部分を取り除いていく。白皮をきれいな白皮にするた)、皮の小さな異変を探し出す、根気のいる作業だ。おまけに、水に触れ続ける作業なので、真冬の冷たい水は体にこたえそうだ。 

 ちり取りが終わった皮は打解に回る。白皮は繊維の塊だが、このままだときれいな紙はすけない。繊維の束をばらばらにして一本一本の繊維にする必要がある。ビーターはそのための機械なのだか、その前処理をしっかりしていないと、きれいな紙をすけないという。



 具体的には、白皮は一定の厚さを持っている。これを槌で叩いていく。何度も何度もたたく、すると、皮はだんだん薄く伸び、最後には薄く白いレースのような状態になる。この状態になったら打解の終わり頃だ。しかし、叩き続けた白皮の塊をあらためて伸ばしてみると、時折、薄白の中に無粋な白い塊が見えることがある。

 そう、薄く薄く削った削り節を思い浮かべてほしい。薄く削った削り節は透けて見える。その中に厚ぼったく削った削り節が混じっている。そんな感じだ。その厚ぼったい削り節を、槌で叩いて叩いて薄くのばしていく。すると薄い削り節・・ならぬ、白いレースのような白皮が見えてくる。



 量にもよるが、結構な時間叩き続けなければならない。写真の量の場合は、小1時間も叩き続けたと思う。このせいで、聞き手の右腕が痛いこと、痛いこと。普段、ほぼ使わない筋肉を使うし、ほどすることがない継続的な運動を延々と続けた結果だ。

 しかし、和紙作りの大変さがよく分かる作業だった。

 こうした作業の積み重ねが、最終的には良質な和紙作りを呼び寄せると思ったら、途中で手をぬくこともできない。
 ほんのちょっぴのちり取りと打解の作業体験だったが、できうる限り作業に参加することが求められているようだ。

 ちり取りと2回の打解作業で、本日は終了。隊員は「後は紙漉きですね」と声をかけられた。そう、それでワンセットの和紙作りの体験になる。せっかくボランティアしているのだから、紙漉きにも挑戦してみたいと思う。

 ちなみに現在、遠野和紙ボランティアの活動拠点となっている学舎は、こんな環境にある。



 右側の茶色の建物が学舎。ここに和紙作りに必要な機能がそろっている。

 学舎には、遠野支所わきのY字路を入遠野方面に向かい、入遠野前田(入遠野公民館、入遠野小学校がある地区)を過ぎ、一つめの集落である有実地区を過ぎると見えてくる。写真は、前田地区から有実地区に向かう途上の風景だ。



 和紙作りは、本市、いわき市にとっても、貴重な伝統産業の継承になる。効率だけを考えれば、紙産業の製造する洋紙に及ばないが、長い時間保存できるというその機能や肌になじむ風合いを考えれば、和紙は洋紙に負けない。とても人に優しい工芸品だと思う。

 遠野和紙ボランティアは、いつでも参加者を歓迎している。地味な活動ではあるが、興味がある人は問い合わせて欲しい。


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2 コメント

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遠野和紙 (Unknown)
2021-12-10 16:32:12
いつもここの記事で勉強しています。

伊藤さんも、ボランティアで関わってから1年以上過ぎましたね。
取り組んだ作業をずっとこのブログに載せておられたので、このブログを読めば1年間の作業工程がわかります。

可能でしたら、1年間の作業を詳しくまとめて、一括で掲載していただけると、遠野和紙について一層理解が深まるかもと思いました。

外野からすみません。
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そうですね (伊藤浩之)
2021-12-10 17:37:20
ご提案ありがとうございます。
おっしゃる通りと思います。

今日(12月10日)も、臨時の活動日になり、コウゾ刈りと皮むき、加えて、ちり取りの作業をしてきましたが、その際、初体験したちり取り、打解をして作ったコウゾの繊維を使用し、中学校で紙漉き体験をしたと協力隊のメンバーから聞いてきました。

今年の3月に、全紙(大判の和紙)の紙漉き体験をして、数枚漉いていますが、ボランティアメンバーの一人の手元に、私の漉いた和紙もあるということを聴いて、うれしく感じました。

実は、私自身は、漉いて完成した和紙を見たことがないのですけれど・・。

協力隊も、近い時期に全紙を漉いてみるといっていたので、再び体験させてもらおうと思っています。

そうしたことも含めて、「遠野和紙の1年」をまとめてみるといいかもしれませんね。

今年のうちに、ボランティアの1周年規格としてまとめてみたいと思います。

書き出すと長い文章となり、読まれる方にはご苦労をかけていると思いますが、おつきあいいただきありがとうざいます。

重ねて御礼申し上げます。
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