伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

遠野和紙の紙づくりを体験してもらった

2024年08月22日 | 遠野町・地域

 保存会の今月の活動は、一昨日と昨日に楮畑の草刈りや楮の芽かきなどに取り組んだ。もっとも私は、別の行動があって、たまたま通りかかって楮畑の草刈りをしている場面に遭遇して気がついた。蒸し暑い中だったが、膝上程度まで伸びた草を草刈り機を操って刈り取っていた。

座学と芽かき

 今日は前述の研修の受け入れ。教員2年目のみなさん9人(たぶん)がいわき市の遠野支所の2階会議室で座学でスタートした。

 私が和紙と遠野和紙や保存会の活動について話し、地域おこし協力隊員が、隊員の活動や隊員となった動機、今後の抱負などについて講話をした。持ち時間は30分という想定だったが、私の話はたぶん40分程。協力隊員の講話が若干短くなったので、総体としては時間通りになったとは思うのだが、タイムオーバーはごめんなさいという他ない。

 講話の後、楮畑に移動して1時間ほど作業。芽かきや間引きをした。

 これまでも、それなりに芽かきがされている畑だったのだが、終る頃には地面が明るくなった。横方向に伸びたかき取るべき枝がなくなった結果だ。研修生のみなさんは、はじめての体験だと思うのだが、地面まで光が通る明るい畑という結果を出してくださった。これで楮もどんどん光合成をして、伸ばすべき枝を太く、皮厚にしてくれるだろう。

塵取り、打解・・自らが準備する紙づくりの体験

 この後は、和紙工房「学舎」に移動して、和紙作りの具体的な作業を体験していただいた。

 白皮からの塵取り、塵取り後の白皮の打解(木槌で叩く作業)、なぎなたビーターによる白皮の繊維化と作業をすすめ、抄紙(紙漉き)と順調に研修は進んだ。

 用意した材料は、この日の研修の最後に漉いていただく和紙の材料に使う。ハガキ大なので、その他の用途も含めて乾燥白皮で3kg程度しか用意していなかった。塵取りも順調に進み、塵取り後の白皮を木槌で叩く打解も必要な量は昼頃までにたたき終え、なぎなたビーターの使用方法も見学してもらうことができた。

紙漉き、感想も自ら実施

 午後、なぎなたビーターからとりだした楮繊維を使って紙漉きに取りかかった。紙を漉くだけでなく、これまでなら保存会が請け負っていた乾燥作業も独自にしてもらった。

 紙漉きはハガキサイズで2枚。溜め漉きという方法で実施する。水に繊維とネリ(この日は化学ネリを使用)を混ぜ込んだ紙料をハガキ大の簀桁に汲んで少し揺すりを入れ、簀から水が滴り落ちるのを待つ。この作業を数回繰り返して厚みを作り紙とする。

 通常漉き上げた紙は、紙床(漉いた紙を積み重ねたもの)に板などで軽く圧をかけて1晩程自然脱水した後に圧搾機にかけ水分をしっかり絞り乾燥作業に入る。漉いた紙が変形などする不具合を生じさせないためだ。

 ただ、体験では漉いた紙を持ち帰ってもらうために、前記の作業を省略する。本来時間をかけて脱水する圧搾の段階を省略し、紙の水分を吸い取る装置を使って脱水し乾燥作業に入る。

 今日も同様の作業をしながら、脱水した紙を乾燥機に貼り付ける作業を体験してもらった。たった2回の体験にすぎないのだが、それぞれ上手に紙を乾燥機に貼り付けていた。

中国式流し漉きに出会い感激

 今回の研修の先生の中に、学生時代の授業で二三判の紙を流漉で漉いていたという方がいた。二三判の紙漉きの準備はしていなかったので、A3判の簀桁を使って漉いてみてもらった。すると私たちが実施している流漉とは様子が違った。

 私たちが練習している流漉は、初水、調子、捨て水の三段階で紙を漉いていく。まず、簀桁の手前で汲んだ紙料を奥に流し落として簀の上に薄い繊維の膜を作り(初水)、次に汲み上げた紙料を簀桁の上で前後などに揺する作業を数回繰り返し(調子)、最後に揺すった水を比較的強く流し落として水を切る(捨て水)という手順で紙にしていく。

 ところが先生が実施した漉き方は、水を汲み流し落として薄膜を作る(初水)は同じだが、2回目以降は、汲み上げた紙料を一定量流し落として少なくして、簀桁の上で紙料を流し回しながら紙の厚みを整え、簀桁から水が滴り落ちてなくなれば、新たに紙料を汲んで同じ作業を繰り返し、紙に厚みを作っていく方法だった。

 実は私が、紙に関する文献等を読む中で、当初、紙が誕生した中国では溜め漉きで漉かれ、この方法が日本に伝わった後に独自に工夫されて流漉きが生まれたと捉えていた。その後、中国で流漉きが生まれたという記述を読み、最初の捉え方が間違っていることに気がついた。一方で、流漉きは日本独特の方法だという記述もある。

 正解は何かを探し、やっと数日前、その答えらしき映像を目にしていた。中国の流漉きの映像があったのだ。方法は、先の先生が学生時代に習ったという紙漉きとほぼ同じ方法で、この方法が日本に伝来した後に工夫が施され、初水、調子、捨て水の3段階で紙を漉き上げる、現在に伝わる独自の流漉きの方法が完成したということらしい。

 先生が実施してくれた紙漉きは、おそらく、日本に最初に伝来した方法を基本的に踏襲した流漉きだったのだろう。それにしてもたくみに紙の厚みを作っていた。

 「中国の流漉きとはどんな方法」。

 ずーと抱き続けてきた疑問がどことなく解消する機会になった上、実際の中国式の流漉きを拝見できた。研修会は、自分にとっても収穫するものが多かったように思う。この時点では、誰のための研修会だったか忘れてしまっていたような気がする。

 こうして午後3時頃、全ての研修日程を終了した。しかし、ハガキの乾燥は終えていない。後日、何らかの方法で届けるしかないと思っていたが、きょうの感想を話していただいたり、終了後に研修生のみなさんとお話をしている間に、何とか紙が乾き、持ち帰ってもらうことができた。

 研修をしていただいた先生方は紙づくりを初めて体験するが、その工程の大変さを実感したとして、きょうの体験を生徒達の教育にも活かしたいとなどの感想を話してくださった。私は、機会があればぜひ生徒のみなさんへの教育課程に和紙作りの体験を取り入れていただきたいとお話をした。

 研修の先生方には、学舎周りの楮の芽かきなども実施していただいた。

 楮の畑では虫にも出会う。葉っぱの上に、アミガサハゴロモがいて、近づくと跳ねてどこかに見えなくなった。カミキリムシも見つけた。

 基本害虫だ。皮の食害や、枝の中に産み付けられた卵からかえった幼虫が、枝の中にフンをする。これがワインレッドなのだが、楮の皮も染色してしまう。捕まえたら、ごめんなさいの世界だ。

 楮の葉っぱの裏にセミの幼虫の抜け殻が多数しがみついていた。数枚の葉っぱに数個ずつ抜け殻がしがみついている。たぶん、全てがアブラゼミ。

 昨年まではアブラゼミの声をメインに、ミンミンゼミやツクツクホウシの声を聞いていた。早朝や夕刻は基本的にヒグラシなのだが。

 今年はアブラゼミの声をあまり聞かない。ミンミンゼミが目立つ。おそらく昨年までアブラゼミが隠していたのに、その声が減少しているために感じる状況だろう。

 今年の野菜は、暑さのせいでできがあまりよろしくないという声を聞く。セミの世界でも同様の事態が発生しているのだろうか。



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