伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

今日から市井の人なのだけれど空を飛ぶジェット機の音が気にかかる

2020年10月01日 | 平和・戦争
 昨日、市長から感謝状を受け取り会食に臨んだのは8名。退職議員となっているが、そのうち選挙に臨んで落選したのは私だけ。後の7名は立候補をしていない。そもそも退職の意味が違うのだ。

 私の場合は、立候補しても票数が不足して次点にとどまり落選。おそらく遠野町以外での知名度不足が最大の原因。支持してくださった方々や自分の意志とは関係がなく、議員とならなかったという点が、他の7人とは全く違う。

 執行部が準備してくれた昼食を食べ始め、市長も、また退職議員も全く言葉がなく黙々と食べ始めた中で、市長の「せっかくの機会ですから何も話さないというのも」という促しがあっても、若干沈黙が続き、やむなく私が「この中で立候補したのは私だけだったので、そうはいっても何を話せば良いのか」と言わざるを得なかったのは、実はここのところが大きい。これからも市長及び執行部と論戦をする意思がありながら、それを断念せざるを得ないことに、歯がゆさを感じているので、何を話すかはとても難しいのだ。

 その後、ほぼ年齢の順に思い出や感想が語られはじめた。私の番になった時には、共産党議員事務局と議員と、都合27年間市政に関わり、市長や執行部と「楽しく」(緊張感をもってということだったのだが、議論をする上でのこの緊張感をつい「楽しく」と表現してしまった)議論できたことに感謝を述べながら、これからも機会があればしっかり議論をしたいと伝えた。そのうえで、当面は自宅周辺の草刈りと自宅の片づけをしたいとして、今日を迎えた。

 自宅周辺の草刈りはほぼ1か月半ぶりになるだろうか。市議選に入る前の夕方、目に付く範囲だけは小1時間かけて草刈りをしていたが、あれはイネ科・・いやススキの仲間になるのだろうか・・がたくさん生えてきて、草生した感じを醸し出している。草刈り機を準備して、借り始めた。午前中2時間で、自宅の前と畑の周辺。午後には自宅裏の草刈りをした。

 午前中の草刈りをほぼ終えた時、空に轟音が響いた。よく聞く音。そう自衛隊の戦闘機・・おそらくF4EJ「ファントム」だろうと、空を見上げると、西側の空を、南南西から北北東に向かって飛ぶ機影が見えた。カメラで追うがとらえられず、音も消えた。

 それからしばらくしてまた轟音が響く。といっても今度は少し遠い。今度は東の空を逆のコースをたどる機影が見えた。最初の写真がそれだ。

 先ほどの期待が茨城県の百里基地から、宮城県の松島基地方面に向かったものとするのなら、今度は逆に松島基地から百里基地に向かうコースだ。写った機影はごくごく小さいが、尾翼が下に下がる形が確認できるので、ほぼほぼ間違いなくF4EJだろう。航空自衛隊が導入したのは1966年(昭和41年)らしい。米軍に導入されたのが1960年(昭和35年)12月のようなので、年齢的には私と同じ。つまり軍用に導入されてから60年がたとうという機体なのだ。


航空自衛隊ホームページより


 
航空自衛隊ホームページより


 もっとも飛行している機体はもっと新しいのだろうけれど、それにしても機械・装置としてはだいぶ古いものと言えそうだ。この轟音の主がF4EJだと気づいたのは数年前なのだが、その驚きがいまだに続いている。

 ときどき本市の上空に轟音を残して飛行するが、どうしてなのだろう。誰かが、別の自衛隊機がスクランブルで出動した時に、そのバックアップとして出動基地に向かう場合があると話していたが、そういうことなのかもしれない。

 例えば北方で、ロシア軍機などが近づいた時にスクランブルで出動した自衛隊機の穴埋めにドミノ倒しのように南方の基地から自衛隊機が出動するということと考えれば納得できる。今日も、何かがあったのかもしれない。

 自衛隊機と言えば、昨日の夕方もプロベラ機が飛んだ。東北東から西南西の方向に上空を横切った。



 4機のエンジンを持つプロペラ機で、雲の下をゆっくりと飛ぶ。つまり高度が低い航空機は、民間機ではなく、軍用機と考えて良いと思う。

 実際に、お尻がピーンと伸びたこの形態を見ると、海上自衛隊のP3C哨戒機と思われる。


海上自衛隊ホームページより


 こうしてみると、日本の空の上は平和そのものに見えるが、軍用機はひっきりなしに飛んでいると考えていいのかもしれない。気が付かない、報道されない事態の中で、いったいどんな問題がおこっているのだろうか。


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