ひろし日記

~転がり続ける僕の生き様~

追憶~HONDA CB1000SF

2014年01月28日 | 追憶編
 
 半年間のプータロー生活に一旦ピリオドを打ち、仕事に出ています。仕事しているおかげで何にも出来ない・・・。スーパーカブの部品を買う為と歯を食いしばりがんばっております。サービス業を選んでしまって、猛烈にヒマな時間があったりします。ヒマは忙しいより疲れます。

 さて、購入した順番にアップしてますので今回は「CB1000SF」。スペースファンタジーではありません、スーパーフォアです。中学時代にCB1100Rに一目惚れし、以来ず~っとCBに憧れ続けました(一時期「GS650G」に心を許しましたけど)。所属していたクラブで「限定解除」をする者が2人・3人と増えていく中で、いつかは限定解除と思うようになりましたが、自動車学校で取れる時代ではなかったので一発試験だけ。欲しいから取得出来ると云うものではありませんでした。限定解除したって言うと「すげ~っ」と鼻が高かったですね。

 そんな1992年春、モーターサイクルショーに突然現れたのがコイツです。発売は未定だがバイク屋では発売になると言っている。22才中免ライダーの僕は、絶対買うからと手付け金を払いました。しかし、前述の通り免許がありません。一念発起、限定解除を目指します。そして半年掛かりの7回目で合格、当時としては早いほうだったと思ってます。平日のみの試験だったので月に一度だけ休みをとり、車検が切れたGBを手放しDTで2時間掛けて秋田県免許センターに通ったもんです。

 CBの発売日は1992年11月23日、前日の22日にバイク屋に入庫されました。連絡はもらったものの仕事で遅くなった僕は、閉店後のバイク屋へ行きました。粉雪の舞う夜、暗い店内に台座に上がって一点だけスポットライトを浴びてCBはありました。お店の粋な計らいでした。初めてのツーリングは12月5日だったことを今でも覚えています。嬉しくて寒くなかった。買った事をお袋に話せず家に持って行けなくて、バイク屋で着替えて出発したのも想い出です。

 
 「初代PROJECT BIG-1」このクソ重いバイクを、よく台座に上げたと思います。あまりに早い予約だったので、秋田県第一号車との話しでした。車体番号000092番。93だったかな?93は馬力か。

 その後バンス管を装着したらヒドイ音で、仲間から「CB伝統の品格を失った」と言われました。164㎝の僕には大きすぎて片足のつま先しか届きませんでしたが、不思議と立ちゴケはしませんでした。バイクのバランスが良かったのかも知れません。

 
 バンス&ハインズのフルエギゾースト。カッコは良かったんだけど。

 
 うん、カッコイイ。

 デカイ・重い・燃費悪い・お世辞にも速くない・でも乗りやすい・・・1992年12月~2009年7月までの約17年間所有。走る回数も減り、大好きだったけど綺麗なまま手放しました(2009年08月02日 Weblog さよならBig-1 参照)。

 長い間の相棒だったので想い出は多数。その話しはいずれまた。

 追伸 ツイッター @164hatakeyama でつぶやいてますので、こちらのフォローもよろしくお願いします。

追憶~YAMAHA DT125R

2014年01月21日 | 追憶編
 懐かしの愛車をたどり、自分の年齢を思い知るコーナーです。第3弾は唯一の非ホンダ車、DT125Rです。最近ブログが長いので手短に。

 コレを買ってしまった理由は2つ、①速いバイクが欲しくなった。最初は速い小排気量のセカンドバイクが欲しくて考えてました。NSR50→NSR80→RZ125みたいな。これで2st125cc決まり+②林道を走りたくなった。高校の競歩大会で走った林道をバイクでも走ってみたくなってオフ車=2st・125cc・オフ車となった分けです。1991年~1995年所有。

 当時新車で買える適合車種がホンダにはなくお店に相談したところ、DT125がモデルチェンジするとの情報をキャッチ。当時のDTは200と125は同一デザインで、200の方は少し前に小顔のDT200WRにスイッチしたばかり。とにかくそれが格好良くて<同じデザインの125・・・>に心トキメキ先行予約。まもなく月刊オートバイ誌でスクープ!の写真を見たとき、僕は落ち込みました。「なんで顔デカイの?」しかしDTに乗らなかったら、多分いまバイクには乗ってないです。良くも悪くも僕を泥沼に引き込んだバイクでした。僕の通っていたショップはモトクロスコースの運営もしていて、コースを走ることを勧められました。これが何とも面白い。林道とコースの走行で味をしめた僕は、その流れに乗ってエンデューロレースにまで出てしまうのでした。

 初めてのレースはどしゃ降り、しかもDTはタイヤ含め全くのノーマルで散々でした。長い坂は上れないわ、ジャンプした瞬間左グリップは抜けるわ・・・でも面白くて勉強になりました。それからDTは林道やコースを安心して走れるように少しずつ様変わりをしていきました。

 転んでも壊れないようにと、ショートレバーにバークバスター(ナックルガード)、ウインカーは短いステーで内側に追い込み、リヤフェンダーは汎用XRタイプでテールランプもXRタイプ。リアフェンダーにナンバー直付け(当時の定番)で、今で云うところのフェンダーレス。とにかく度重なる転倒でもどこも壊れなかった。ついでに人も壊れなかった(^▽^ケケケ。コース走るときだけモトクロスタイヤに交換してたから、しょっちゅうタイヤ交換してました。徹夜明けでそのままエンデューロに出たりしてました。

 回転数を落とさなければ結構速かった(あくまでも記憶です)友人のGSX-R1100やZZ-R1100ともツーリング行ったモンです。ウイリーもジャンプもオフでの体重移動もDTで覚えた。ある4ヶ月間はDTとDioだけになって、毎週の出動でした。 

 
 DTはいつも泥だらけだった。

 セルのおかげで何度も助けられた。林道では曲がりきれず沼に落ちそうになった。僕のだけかなぁスロットルが結構重かった。最初のエンデューロが終わってからスチーム洗車したらステッカー類が全部飛んでって、何のバイクかわからなくなった・・・。5年乗って下取りが2万円だった。

 軽量化と吸排気系をいじって、もう一度乗ってみたいマシン。

 やっぱり長くなりました<(_ _)>

追憶~HONDA Dio

2014年01月20日 | 追憶編
 追憶編パート2はスクーターのDio。1988年式の初期モデル、もちろん2サイクル。笑いと涙の追憶編は現行所有車除き、パート9まで行くと思います。車も入れるともっと続く訳ですが、途中でパート何だかわからなくなると思います。

 さて、ホントは前回のGBの前にイブスマイル(古っ)に乗ってたのですが、写真がない。高校卒業と同時に車の免許を取得して二輪免許を取得するまでの間、愛車は友達から1万2千円で譲ってもらったそれでした。33Kgの車体に4.0PSのパワーはなかなかのもので乗り回したモンです。ただ乗ってる人間が80Kgのスペックでした。(高校の時は無免許で解体屋から貰ったDAX直して乗ってました)

 その後交差点フルバンク中に転倒、修理費3万円をかけ修復したものの更なるポテンシャルを求めDioを購入しました。とにかく速くてビックリ、他社含めもっと速いスクーターはあったものの僕にとってはとにかく速かった。DJ-1RRも速かったが、そこまで行かないにしても速かった。6.8PS位だったと思うんですが資料が見つかりませんでした。赤/白のカラーだったから、白のストライプテープで当時のHRCマシン風にしてみたりもしました。

 贅沢にもセカンドバイク。日常の足として2年位乗ったでしょうか、ふとツーリングに行きたくなりました。男は旅人であるからして当然です。さてどこに行こうかと考えたあげく竜飛岬に行くことにしました。GBで何回か行ってたので心配はありません。

 ただ万が一の場合一人では不安なので、会社の同僚を巻き込みました。同僚はCBR250Rで「とにかく後ろ走って見守ってくれ」と。当時住んでた大館からだと往復でおよそ300Km。30Km/h規制なんてもちろん無視、とにかく全開60Km/hで走る。下りだと80Km/h位出てたらしいけど、こっちはメーター振り切ってる位しかわからない。

 ガソリン喰うだろうと、ウオッシャー液が入っていた容器に予備のガソリンを入れて背負って行きました。消防法もへったくれもない時代(もちろんあったけど、スタンドですぐ使うからと言うとポリタンクにも入れてくれた)。途中でそれを給油したら足下にあった給油口に上手く注げず、半分は垂れ流しでした(T^T)。当時の高性能スクーターだから長時間の全開走行でも何のトラブルも無かったのですが、悲劇は突然やってきました。

 復路、およそ250Km走行した弘前でリアタイヤに異変。停まって確認するとパンクしている様子、更によく見るとチューブが口金のところから破れてました。近くにバイク屋さんは無く、目の前にあったスタンドでもバイクのチューブの在庫なんてない。「明日取りに来ますから」とスタンドにDioを預かってもらい、CBRに2ケツして残り50Km/hの道のりを帰りました・・・

 翌日引き取りに行ったものの、Dioの排気音を聞いたのはそれが最後でした。23年前の馬鹿な想い出、今でもカストロールTTSの甘い匂いを覚えています。

 

追憶~HONDA GB400TT

2014年01月19日 | 追憶編
 ちょこちょことカブには乗ってますが春まだ遠からじ、本格的なツーリングが出来るのはまだ先です。ある方のツイートで昔の写真を引っ張り出してみました。シリーズで過去の愛車たちを思い返してみたいと思います。

 高校卒業した1988の夏に中型免許を手に入れ、初めてのバイクが「HONDA GB400TT」1988年~1991年所有。GB250クラブマンはメジャーでしたが、400CCのTT(ツーリストトロフィー)はマイナー車でした。ちなみにGBとはグレートブリテンの略だと思っているのですが、英国車風だからだと未だに信じています。TTって泣いてる顔文字じゃないよ・・・

 ことの発端は高校生の時に見た映画「彼のオートバイ、彼女の島」で竹内力演じる主人公が乗っていたのがKAWASAKI 650RS(W3)だったのですが、その排気音に心を奪われてしまい「こんな音を出すバイクに乗りたい」と思いました。しかし当時限定解除など夢の夢、乗れる訳がありません。そんな時街で出会ったYAMAHA SR400(車検非対応管)の重低音を聞き、「これでもイイ」と。

 免許取ると同時にバイク屋さんへ走ったのですが、もともとCB750Fが好きだったHONDA党。400ccの単気筒ということでGBになってしまった訳です。納車されエンジンに火を入れた時の排気音「・・・」。GBはとても静かでジェントルなバイクでした。

 純正のメーターバイザーをつけ、500TTのシングルシートに換え(硬派だ)、浅間製作所製のキャブトンタイプマフラー(ワンオフで爆発音した)装着し、ご近所さんに暴走族と陰口を叩かれながらもカフェレーサーを気取った小僧でした。

 中免のままだったらずっと乗ってたのかも知れない、今乗ったらどんな風に感じるのだろう。25年経った今でもワンオフのマフラーだけが残っていたりするのでした。

肥後の守

2014年01月03日 | キャンプ道具
 
 ヒマです。会社勤めしていようが求職中だろうが、正月はやっぱりヒマなのです。岩手山でも拝めたら写真撮りに行くんですが・・・
 
 さて、急にキャンプしたくなって道具をあさったり作ったりしてましたが、農作業手伝い時に愛用の「肥後の守」をキャンプでも使い易くするために持ち手を細工してみました。「肥後の守」ってしっかり握ろうとすると、手が痛くなりますよね。

 
 材料はダイソーの木です。

 
 少しだけ長めに切ります。

 
 カシメの所を逃げたり、

 
 ヒモの穴を空けます。

 
 後はセメダインスーパーXでくっ付けます。

 
 こんな感じ。
 
 
 余分な所を削って、

 
 紙ヤスリで面取りして、出来上がり。

 
 ほんとに握りやすくなりましたよ。お試しあれ。(この後、ニスで仕上げました)
 
 
 

CUB90 タイヤチェーン

2014年01月01日 | スーパーカブ90
 2014年になりました。今年も元気に馬鹿でいようと思います。
 昨年末に良い知らせがあり、日付が変わると同時に八幡様へお礼を兼ねて初詣に行ってきました。今年もきっと良い年になることでしょう。

 さて、元旦初乗りに向けて昨日はカブのタイヤにチェーン装着にチャレンジしたのですが・・・

 
 サイズ違いで2種類見つけましたが、同じ長さながら巾の広い方は完全にオーバーサイズ。狭い方は微妙に届かない。そもそも錆びて固着していて、曲がるべきところも曲がらない(少なくともこの家に来てからの13年間、おじいさんが使用したのは見ていない)

 
 どうしようもなくて、ダイソーで買ってたナイロンロープを巻き付けたりして。

 予想以上に走ってくれて取り敢えず満足だったものの、やはりチェーンが気になり再度トライ。広い方はあきらめて狭い方で四苦八苦していると、おじいさんが「空気抜いてタイヤつぶしてはめればいい」と。
 そんな気はしてたけど、もっと早く言って欲しかった(T^T)

 
 で、何とかリアはチェーン。フロントがロープで落ち着きましたぁ。

 終わってからお義父さんが「どっかにスパイクタイヤもあるはずだ」と。
 これまた早く言って欲しかった(T^T)。
 半日掛かりでチェーン装着しましたから今更タイヤ捜して交換する気力もなく、今シーズンはこれで行くことに。で、肝心の元旦初乗りですが、

 
 外はこんな雪模様、ほんとに行くか?って感じです。