卵巣癌になったでござる (私の場合)

卵巣ガンになってから娘に背中を押され始めた日記(漿液性線癌3c)治療、暮らしなど思いつくままに。50代 三人の子の母

『 晴れたらいいね 』を聴いて~

2012-06-19 12:15:00 | 忘備録
ひとりになったら 仕事中はFMをかけながらしてるんだけど ドリカムの『 晴れたらいいね 』が流れてきた

なんだか懐かしいと言うか、あの当時の自分が溢れてきて仕方なかった 

それは NHKの朝ドラ「 ひらり 」を毎朝みていた頃。。その主題歌

ホント この朝ドラは自分史、その頃の自分を思い出させてくれて、ワープしてくれる きっと 普通のドラマと違って週一じゃなく毎日で約半年続くから その時代の自分の歴史なんだと思う

一番古くは 「 おはなはん 」からの記憶がある、 お~はなはん、お~はなはん、お~はなはなはなお~はなはんって覚えてるんだけど。。。当たりかな~
て事は 小学校あがる前のはず

あとは 函館の北の家族とか 藍より青くとか。。。

その後 学校とか会社とかで見なくなったんだけど、結婚して仕事を辞め、また見始めた朝ドラ

その第一段は 山口智子の「 純ちゃんの応援歌 」
その次は 稲垣ごろちゃんが中学生位で出てた 「 青春家族 」
すんご~く覚えてる、その後も何年か仕事に出るまで見てた 


それで。。。 晴れたらいいねの「 ひらり 」の頃は まだ子供達が幼稚園の前でみんなうちにいた頃だと思う。。

まだ くま君はバブちゃんで 小さいリンガーともっと小さいうま君が 仲良くコロコロ遊んでいた時代

目離しもできず 自然と目が覚めるまで眠る事が夢だった時代

でも 3人が私の腕の中にいて 色んな問題も抱っこしてあげたら解決できていた時代。。。

日々成長して 言葉も覚えたてで 毎日発見があり 色々笑わせてくれた時代

母親冥利につきる 私のあの頃。。。

そんな時代に 「晴れたらいいね」を聴いていると 瞬間移動してセンチメンタルジャーニーしてしまった

ひらりで お母さん役の伊藤ゆかりが 子供が巣立ち 新たな自分の人生始めるために ずっと取っておいた子供のお弁当箱をすてるシーンがあるんだけど その頃は それがそうゆう事なのかと思って見てたけど 今ならわかる、絶対に泣く

私も捨てられないものがある、それは子供ちゃわん。。
そのお茶碗で生まれてはじめて 食べたご飯

私の子供だった あかし。。。

私は 捨てられないな。。。

うま君も もう少しで出ていくんだろな
その方が私もいいと思う。。。思うんだけど 

家族で暮らせるのは 案外と短い

自分も親にそうゆう思いさせてきたんだし。。。


そ~んなこと 思っている今日この頃でした。。。。晴れたらいいな  台風きてるのかな。。








~ うどの酢味噌和え

2012-05-05 11:32:51 | 忘備録
十勝晴夫妻と長沼に行った時、マオイの丘でうど発見 お~って感じで買ってきました

うどの酢味噌和えを作って母に持って行こうとひらめいた 、母の大好物だから

子供のころ この季節は桜じゃなくて うどの酢味噌和え、うどの酢味噌和えと言うと思い出すんだな~

それは 子供の頃のこの季節 祖母は山でうどを採ってきて酢味噌和えを作っていました、学校から帰ると祖母が「 お母さん寝てるから静かにして、お母さんのとこ行くんじゃないよ 」って、慣れてたけど やだったな。。。
母はいつもこのうどの季節具合が悪くなり 寝たり起きたり。。。
母は身体の弱い人でした
当時はわからなかったけど 多分早めの更年期と自立神経失調症と確か私の下に流産した子がいたはず。。。そんなこんなで調子悪かったのかな~て大人になって想像してるけど。。。

でも父が亡くなってから 寝込む事もなくなり何故か元気になりました

父が亡くなる前に 母に母の病気持っていってやるからと言っていたそうです。。



それで 毎年祖母は母のために うどの酢味噌和えを作ってたべさせていたんだと思う。。。懐かしいな、おばあちゃんが元気だった頃。。。

それだけなんだけど、この季節いつも思い出すんだな~うどの香りとほろ苦い味となんとな~く淋しかった小学生のころの事

                       



訂正 ごめんなさい 和子さんの まちこさん

2012-04-13 16:19:10 | 忘備録
もう、本当に私ったら バカバカバカ

いつからだろう~ 完ぺきにすり替えてる、大好きな人だったのに。。。

今日 社長と同じ人の話してるのに 私は和子さんといい、社長はまちこさんと言う。。。

あややややや。。。 何故か和子さんと思い込んで タイトルまでにしてしまった。。。

天国で 「 違うってば~ 」て笑ってたんだろうな 。。。

でも まちこさんなら きっと笑って許してくれるはず。。。

ごめんなさい 和子さんの まちこさん  


和子さん~

2012-04-02 13:02:03 | 忘備録
どうしよっかなって思ったけど 自分の心の整理のために。。。


日曜日 おでかけしたので 前から行こうと決めていたパン屋さんに寄りました

入院中お友達になった和子さんのおうちです、とても評判のお店で 私が「 今度退院したらいきますから~ 」て言ったら「 自宅がすぐだから 来たらお店の人に呼んでもらって、すぐ行くからね 」と

和子さんと 私の会社の社長が小学校の同級生で 田舎の話から発覚して「 世間て狭いね~ 」て盛り上がり 入院中色々お話しました、和子さんは 再発入院だったので髪の毛があり、ショートがお似合いで、小顔でサバサバして日ハムファンで、日ハムが負けると 「 体調悪くなる 」と怒っていました

お見舞に来た私の母を見つけると いつも声をかけてくれるチョイ会話のできる優しい女性で 「 お母さんいていいねっ、私もお母さんほしいわ 」と言っていました
口内炎で舌がまっかかになっていても 母の持ってきた漬物をおすそわけすると 「 漬物は大好きだから食べる~ 」「 漬物のおかげで ご飯だけ食べれたよ~ 」て言ってくれました

シャワーに入る時 横のホワイトボードに自分の名前書かなきゃならないんだけど 和子さんの名前があったので 横にパンの絵をいたずら書きしておいたら 「 わかったよ~クロワッサンでしょ、ありがと 」と何故かお礼言われました

それで やっと日曜日に和子さんのパン屋さんに行って何個かパンを買ってレジに行って 「 ここの奥さんの和子さん 」て言ったら 従業員の方が 「 2月に亡くなりました 」と言われました。。。あんまりびっくりしすぎて すぐにお店出て車の中で泣きました、詳しい事何も聞けなかった

最後に病院で会ったのが12月、7クールのブログにも書いたけど 転院していったから覚悟はしてたけど まさかこんなに早く逝っちゃなんて。。。
病気の怖さ、現実知らされました

人と話してたりしたら忘れてるんだけど、テレビ見て笑ってるんだけど、お腹もすくし、食欲もあるんだけど なんだか昨日から和子さんの事ばかり考えて、仕方ないやって思っても また考えて思いだしてぼーっとしては涙でちゃって。。

だから これに書いて和子さんの事は忘れます、私はまだ生きますから 和子さんの事忘れないけど忘れます   合掌



忘備録 ~ 私の昭和その4

2012-03-22 14:25:34 | 忘備録
就活中のうま君に刺激され 私の就活話でござる、古いよ~



それは30年前。。。短大生だった私は 仕事は学校推薦で決めようと思い、とりえあず保険会社狙い。。勤務条件が良かったから、ただそれだけ
ともかく何でもよかった、ただちゃんと働きたかったし それなりの若き覚悟もありました

何社か受けたけど、1次の試験は受かるのに 次の面接と健康診断で不合格、最初の頃はそれでも 次つぎ~って感じで立ち上がれたし、お昼にグランドホテルでランチって所もあり やったーて感じで就活もそんなに苦じゃなかった

でも不合格続くとだんだん不安になるし、学校で一応推薦してもらってるから なんだか申し訳ない気分で就職担当の事務の人に報告してました、だから次の学年のために 聞かれた事とか報告書みたいなの書くんだけど それは手抜きなく細かく書いてました

そんなこんなで ある日学校から 「 小樽の○○海上火災で欠員でて募集してるからどうですか 」とすごくいい話

で会社に行ったら30人位きてて 中学の時塾で一緒の人もいました

筆記試験、作文( 確か 家だか家族だったか )と面接でした

面接で私の番になり 面接官が「 君、テスト80点で一番だよ 」最初の説明の時 テストはコンピューター会社に出すから1週間かかりますったのに なんだもうでてるのかっとだまされた気分、でもそのテストは以前も他の保険会社で受けた事があり ならあの時も80点とったのに落ちたのか~とか 面接中思ってました 「 作文は内容はどうでもいくて 字をみたかったんだ、君は固い字かくね~ 」とか。。。 なら 50音かかせりゃいいのにとか思ってました、 面接は何度も受けてるから結構余裕~

そうしたら はじの人が 「 作文の時 みんなすぐ書き始めたのに、あなただけ いつまでも頭あげてましたが 何をしていたのですか 」と質問 
私は 「 はい、起承転結考えてました 」と答えました

そして そんなとこ見るのか~社会人はっと妙に感心しました

その後 私は内定もらい 再度会社に行って挨拶して細かい説明を支店長さんから聞いていました、何だか級とかあって勉強してほしいと言われ もう入社前にとるぞとやるき満々でした

やっと就職活動がおわる~、やった~て気分でいました

その後 健康診断を受け、1週間後に支店長さんが 突然うちに来ました

「 今回はご縁がなく。。。。」 あのおきまりの言葉

本当にあの時は天国から地獄て感じでした

理由は 「 健康診断で血沈だかの数値が低いので何か異常があるから 先に治した方がいいです 」

結局 何だかどこも悪くなく。。。。やっぱりご縁がなかったんだろうな


それから その日はベッドでおいおい泣いて 翌日からもう学校推薦ばかり頼れないと思い 新聞の求人もまめにチェックして、じたばたして 結局 新聞の求人で就職できました

ちなみに その会社の新人社員研修は 変わっていて本社東京であったんだけど 永平寺で1泊座禅とか目的地知らされない登山とか
あり学生気分抜けない私達には格好のネタとなり みんな仲良くなっていったな~、すごく楽しく不思議で貴重な時間でした

本社は青山にあり東横線で通ったんだけど 東横線て言うといまでも胸キュンキュン



て事で 私も就活では苦労しました、だから大変なのはわかるんだー、昔とはエントリーとかシステム違うけど 変わらないものも絶対あると思うんだ

現在のうま君、これからのくま君 なんどでもー、なんどでもーだよ、ガンバレー、やっぱり最後は自分、人生の実力つけようz


蛇足ですが その東京の新人研修の前日 恵比寿のハッチョウロと言う居酒屋集合で 当然ひとりで行けるはずもなく兄(当時大学生)に連れてってもらいましたが 行く前に天ぷら食べたいと言われ、天ぷらアイスまでしっかり食べられ お勘定は妹の私でした。。と言う懐かしい思い出でした