卵巣癌になったでござる (私の場合)

卵巣ガンになってから娘に背中を押され始めた日記(漿液性線癌3c)治療、暮らしなど思いつくままに。50代 三人の子の母

ランチ ~ ハーブの森

2011-10-28 10:55:01 | おでかけ
ランチしてきたでござる


お友達のIちゃんが誘ってくれて 江別の「 ハーブの森 」と言うカフェに行ってきました

私の為に 菜食の体にいくて、おいしくて、アンティックな家具や雑貨にあふれた、癒される空間な所に連れて行ってくれて彼女気分で助手席に乗って行きました、甘えさせてもらいま~す  
照れちゃうけど思いやりに感謝してるでござりますのだ( ほら、照れて何か変てこになった )

お店のマダムはとてもバラ好きなようでその時期ならすごいんだろーなって感じ、でもまだ少し咲いていました
  綺麗だな。。好き好きこんな感じ

      


ランチとケーキセットを食べました、ケーキの写真忘れてしまった、そーゆ事慣れてないからいつも食べてから「 しまった 」と思うのです
ランチは地元の野菜とか使って、お味噌とか、マヨネーズとかすべて手作りなんですって、薄味で見た目もきれいでとてもおいしかったです、ここのマダムはおもてなし上手なんだと思いました、真似したいところが沢山ありました

      
                     これで¥500とは申し訳ないぐらい!

あと、雑貨も販売してたので買っちゃいました

                

2時間半位おしゃべりしたけど、あっという間でした(ほぼあたし
Iちゃんの事ずっと同級生だと思っていた私、年下でした。。いつも波動みたいなのが同じで凛として落ち着いてる人と思っていますが 人間いつも同じなわけないよね、以前 ある人から母親は男の子を自分の命を削って育てるんだよって教えてもらった事あるけど、太古の昔からきっとそうだったんだよね、お互いガンバロー、そしてたまに遊ぼうね
私が彼女役で また彼氏役よろしくー。。。(笑)

今日のカフェ見たら何だか刺激されて 家に帰って雑貨なんか あっち動かし、こっち動かししてROSEモードな一日でした      
       



大豆もの三昧~埼玉から

2011-10-26 11:50:14 | 日常
明美ちゃん(仮名)からお豆腐製品が届いたのでござる


明美ちゃんとは 私の兄のお嫁さん、私より2歳年上でもう2児のおばあちゃん(笑)
以前 これに大豆製品が卵巣癌にいいって書いたのを覚えててくれて工場から直送してくれました


             

中に湯葉も入っていたんだけど、私は湯葉って食べ方がわからない
ネットで調べたら ともかくさしみよし、煮てもよし、揚げてもよし、あんかけにしてもよし、和洋中どうとでもなるみたいですね、でも説明書にさしみがおすすめって書いてたから一つは生で、もう一つは揚げて見ることにしました

ちなみに 湯葉は1200年前に中国から入ってきたそうで 湯葉は豆乳だけど、豆乳とか牛乳とか沸かした時膜ができる現象をラムスデン現象て言うそうです、ためになるなー

せっかくだから ちょっとおしゃれに 「 秋の豆腐懐石もどき風 」にしてみました、て程手かけてないけど

              

       湯葉で大根の千切りとほたてをまいて わさび醤油で
       湯葉にスライスチーズ巻き込んでカツに
       お豆腐切っただけ、しょうがとネギで
       葉っぱは隣んちから。。。

湯葉はとっても濃厚なんですねー、お豆腐はそのままでも甘くて 黒蜜かけたらスィーツでも
うま君 お豆腐おかわり君で ひとりで1丁食べてました、うま君はあまりうちでご飯たべないから こんな風に体に良いものバクバク食べてるのを見ると すごーく安心しちゃいます    

明美ちゃん(仮名)ありがとー こんな風に食べたからー 

私の兄は本当に性格悪くて、わがままで 時々わけわからん行動とるから明美ちゃんは苦労したと思う
この世に明美ちゃんと合う男性は沢山いたと思う、でも兄と合うのはこの世で明美ちゃんだけ。。。
アンラッキ
でも兄はすごーく感謝してるしかなりホレてるぞてか明美ちゃん以外ダメでしょ。。。
アンラッキ
でも なかなか口に出せないんだなー、これは兄妹そろってそんなとこあるからわかるのです。。。
アンラッキ
随分とハゲて丸くなったみたいだけど( 一応フォロー )

でも昔の昔 明美ちゃん(仮名)結婚前に旅行でうち来てて、お風呂に入る時、途中何か落としていきました。。。おパンツでした
そんな女性です、フフフっ かわいい中にキラリと知性のひかる自慢の姉です















外来

2011-10-24 15:04:46 | 病気①(発病~抗がん剤治療まで)
病院に行ってきたでござる


本日の血液検査の結果

白血球 → 3500( 前回2800 )
好中球 → 1957( 前回1249 )
血小板 →   81( 前回164
 )

久々というか、6月以来の好中球の高値だ~  うれしいのだ 総理
なんでだー、焼き鳥効果かー、とか原始的な事考えちゃうから 学ばねば。。。

血小板はLOWだけどね,怪我だけ注意しようっと。

石狩図書館の癌系の読みたい本は読んじゃったので今度は血液系の本読んでます
少し、血液の事勉強しようと思ってます

私 石狩図書館大好きです、まずはきれい、おまけに新鮮な野菜とかも売ってるし、夏にはじめてそら豆買っちゃいました。
おいしい食べ方まで教えてもらいました、三浦綾子さん展もよかった。。。もう少しカフェが充実してたら言うことなし
ついでに言うなら、ここで素敵な出会いがあったら最高、 なーんてね


充実した一日

2011-10-23 08:46:04 | おでかけ
昨日はなかなかハードな一日だったでござる


息子達の高校の選手権準決勝を観に厚別へ

結果は延長までいったけど負けました  残念、残念

でも スタンドで部員達が応援していて そこにOB達も加わり一緒に声をからして応援している姿に泣きそうになった
高校生はいいなー、こんなに熱くなれるものがあってさ
厚別で応援できて本当に嬉しかった、ここまで来るのも大変、どれだけの選手達の涙があったか。。。

そして同じ時代に、同じ気持ちを味わった親のみなさんとまた一緒に応援できて楽しかったぁ、毎年ここで再会する事を約束して別れました、また来るぞ、一番先にぬけられないのだ

うま君が帰ってきて言ってました、「 本当に勝つって難しい、ひとつひとつしか進めないんだよなー 」と。

子供達が現役の頃は私もなかなか切り替えれなかった、だから毎年厚別の日は台所掃除してました、これが一番、集中してたら
何も考えなくてすむから。。。
もう部外者になって 外から見ると思います、やはり歴史なんだなーて、毎年毎年、一歩一歩、積み上げていかなければ。だから勝てなかったけど、悔しかったけど、息子達の時代も確かに歴史の礎になっているのです


そんでもって、厚別の後は リンガーちゃんの演奏会のため、ちえりあへ

途中 お腹がすいてマックで軽く食べてこったのに、やっちゃんチーズバーガー3個にエビバーガー1個オーダーしてる
はらたつわ~  どこが軽いんじゃ

今回はリンガーのチームではないけど すけっとみたいな感じ

ポップスとかも演奏するところなので楽しい、おじさんカラもいたし。。。なんだかなー

結婚真近のフルートの女性がソロで吹いていたけど、見かけも音も美しかった、この会場のどこかで夫となる男性が聞いているんだろうなー、感動してるだろーなーとか余計な事ばかり考えてしまう私。。。

そんなこんなで すわってばかりで腰が痛かったー

寝る前、お風呂上がりにやっちゃんにいつもより長めーにマッサージしてもらいました
こうゆう所本当に感謝しているんだ、逆だったら。。。私はできない

心のなかで感謝しているシャイなあたしです

楽しい一日でした






忘備録~私の昭和その3

2011-10-23 07:56:58 | 忘備録
父の話でござる


病院で眠れない夜、正確には眠れるんだけど、一度起きてしまい2時間位目が冴えてしまい暫く眠れない時、又うつらうつら寝てるから 寝てはいるんだけど、そんなぽっかりあいた時間 あえて昔の事思い出して時間潰してます


私の父は48歳で筋委縮性側索硬化症という筋肉がだんだんおとろえていく難病で亡くなりました
私が中2の3月3日でした

父は私が中1の時発病して、最初は当時流行っていたボーリングのしすぎで足が痛いのではないかと思っていたようです
はじめは左足をひいて歩くようになり、次に杖をつくようになり、そして足にギブスになり それでもなかなか立ち上げるのが難儀になり、一度 朝迎えにきてくれる後輩の人がおんぶして車に乗せてくれた事もありました、
丁度、父も仕事に脂が乗ってきた頃で確か助役として岩見沢に転勤になったころで 病状の悪化に伴い、札幌に戻り最後は小樽築港が職場となりました
話は飛びますが 父のお通夜の弔辞で職場のえらい方が 「 真綿で包むようにみんなで支えた。。。」みたいな事を話されてたのですが その後 布施明のシクラメンのかほりの「 真綿色したシクラメンほど。。」で真綿と言う言葉を聞くたびにあのおんぶのシーンを思い出すのです。。。変なこっちゃ

私と父は14年の付き合いでそのほとんどが子供時代だったので 私にとって父はただただ優しくて、何でもできて、休みの日にはいつも一緒にいる人でした、今は私と大体同じ年齢になってしまいましたが 父が家の外でどんな人だったのか、どうゆう考え方をする人だったのか、どうしたかったのか、考えてみるとよくわからないのです。。。

だから当然子供達もおじいちゃんを知らないのです

だから ちょっと思い出すまま書いてみます

○身長は170ちょい、スリムでかっこいい(と私は思っています)
○会社(国鉄マン)行く時 髪にチックをつけていた
○毎晩 晩酌する人
○タバコはエコー
○日曜日はよーくグリン麺を食べていた
○よく見てたTVは 兼高かおる世界の旅?プロレス、西部劇の映画
○ボーリング、スキー、水泳(暫く潜ると貝がたくさん海パンから出てきた)が得意
○写真、釣り、たけのことり、きのことりが趣味と実益。。。かな
○血液はAB型(母O型、兄B型、私A型 全員バラバラ)
○父の父も早く亡くなり裕福ではなかった
○戦争がもう少し長引けば行っていたかも、志願していて祖母がとめてたらしい


確か 36年前の9月20日(土)にちょっと風邪ぎみだったけど、お給料日なので(当時は手渡し)無理して出勤したようです、半ドンで帰宅してソファに横になっていました、私は友達とバトミントンする約束してたので出かけようとした時、父はちょっと笑って「 面倒見てくれないの 」と言いました、私は「 すぐ帰ってくるから 」と言ってでかけました
帰ってくると祖母が救急車呼んでバタバタしているところでした、それから半年入院して 元気でうちに帰る事はありませんでした
そのこと思い出すと私はチクッとします、うちにいてあげたらよかったなって、結果はかわらなかっただろうけど。。。

お通夜の時知らない男の人がお参りに来てくれて 母に昔、手だか足だか切断した時 父が火葬場にいって焼いて来てくれたと感謝してました、私の知らない父がいました

まだまだ私の知らない父がいるんだなーと思っています

これ書きながら自分でも不思議、なら母に聞いたらいいのに。。。

多分、私にとっての優しい父だけでいいって思ってもいるのかもしれません