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映像ホールで、9年間(1963~1971)、山下清の作品展で山下清と行動を共にした松岡一衛さんが山下清の素顔やエピソードを話してくれ、当時の写真、山下清からもらった絵も見せてくれました。
山下清と松岡一衛さんの出会いは松岡さんの出身地静岡県清水市は文化イベントが少なくて静岡市に行かないといけなかったそうです。清水市の人が誰でも行けるイベントをしようと思い、山下清の作品を借りるために八幡学園に行って頼んだら、承諾してもらいました。また、山下清本人も連れて行って良いとも言われたそうです。これをきっかけに全国の小さい市を中心に巡回することになりました。
エピソードをいくつか紹介します。
「なぜ、放浪の思い出を貼絵にしたか?」、貼絵は入園してから始めていましたが、放浪の思い出の貼絵は八幡学園に戻ってから記憶だけで作成してます。貼絵を作成したのは、2代目の延長が「どこに行った?」と質問したそうです。そこで山下清は、貼絵を作成し始めました。また、八幡学園では生徒全員に役割があり、農作業、ニワトリの世話等です。山下清には役割がなく、貼絵を作成することが役割になったそうです。
山下清の怖いものは、幽霊、お化け、兵隊でした。自分が兵隊になったら、一等兵か二等兵で最前線に出されて、弾に当たって死んでしまうと考えてました。死に対して恐れていました。
徴兵検査は、字が読めないふりをして無事不合格になったそうです。実際は放浪記を漢字を使って書いてます。
最初の放浪は、リュックでなく木のみかん箱に荒縄を巻いて背負っていました。2回目から園長先生の勧めでリュックにしました。中には、茶碗、箸、着替え、5~6個の石ころです。石ころは野良犬が来た時に追い払うために使うそうです。
「放浪中、どうやって食べていたか?」、基本は民家を訪ねて、「むすび下さい」とお願いしてました。手に入れるまで何軒も回りました。おむすびを手に入れたら、別の家を訪ねて「こうこ下さい」と別のものを手に入れていました。
また、バイトみたいなこともしました。賄いがついているので、食べることに困ることはないです。
自分をモデルにした舞台を見た時、主人公の清がお供えのまんじゅうに手を出したのを見て、「僕は、あんなことはしてない」と言いました。芝居が終わって、帰り道でもずっと「あんなことしてない」と話し続けていたそうです。
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