昭和五十四年(1979年)五月のフラワーフェスティバルの頃になってもカープはぱっとしなかった。選手達の間には昭和五十三年の記憶が残っていて、
「なあにそのうち豪打が爆発するよ」
こんな雰囲気が漂っていた。
古葉監督の顔は暗い。私は長年古葉さんを見ているので、
「辞める気だな」
と直感した。
そして知り合いの女性を総動員して、
「いいか市民球場にいったら選手は無視していい、とにかく古葉さんに『古葉監督頑張って』と声をかけてくれ」
と頼んだのである。
カープを愛している女性達は必死で古葉監督を応援してくれた。
「選手への声援よりも古葉監督への声援が多かったのである」
これに刺激されたのか、カープはやがて勝つことができるようになった。
優勝への道を突き進んで行くのである。
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