旅と酒とバッグに文庫本

人生3分の2が過ぎた。気持ちだけは若い...

ルイスの遺骨と鱒淵ダムへ

2010年01月26日 | 

午前中で仕事が片付き、風が強いが晴天の中鱒淵ダムへ。
背中のディバッグには愛用のニコンD60と先日亡くなったルイス君の遺骨。
それにしてもしんどい。
鱒淵の坂が一気に登れない。
途中1回休憩を入れて、登りきる。
前はすんなりと登っていたのに、昨年1年間の怠慢な生活のせいか
すっかり体力が落ちている。
まず脚が駄目だ。
呼吸も苦しいのだが、その前に脚にくる。
筋肉が悲鳴をあげそうになる。
やはり週に3回は乗らないと駄目だ。
あまり無理をせず、休憩をいれて登る。
徐々に慣らすしかあるまい。

ダム湖畔の周回道路はいつ来ても快適だ。
陽だまりのなかを優雅に漕ぐ。

愛犬のセレスとよく来た道だ。
私より先に行き、姿が見えなくなるカーブまで行くと
立ち止まって私の姿を確認し、距離が詰まるとまた先に行く。
そんな風にしてよくこの道を歩いた。

いつもの道を降りて水際へ行く。
3年ほど前に私はここにセレスの遺骨を撒いた。
今日はルイスの遺骨を撒く。
久しぶりに母と子の対面となる。
水量が減り、湖面はかなり下方にある。
湖面への斜面は流木でいっぱいだ。

 


セレスの遺骨は遥か彼方へ投げ入れたが
ルイスの骨は水際にそっと置いた。
湖底の土泥にキラキラと白い骨が光る。
生前、何回か彼を預かったことがあって、その時も母親と一緒に
仲良く庭で遊んでいたものだが、これからはず~っと一緒である。


Good-by、ルイス!


やっぱり苦しいんだな

2010年01月25日 | Weblog





よく晴れた日曜日、とりたててすることもなかったので
北九州女子駅伝の応援に出掛けた。

ルイ・ガノにはちょくちょく乗っていたのだが、久しぶりにSurlyを持ち出した。
今年に入ってからやっと3度目のライディングである。
やはり運動不足で、正月に食いすぎて飲みすぎて太った身体には
自転車はちと堪える。
カブにすればよかったな~なんて思いながら
それでもしばらく漕ぐと、身体が慣れてきて、幾分楽になった。
やはりカブだと歩道を走るわけにはいかないし
おまけにポリさんも多勢交通整理をしているので
どこでも走れる自転車にして正解だった。

選手が黒崎で折り返して、小倉に戻ってくる時間の当たりをつけ
現地で待つこと5,6分。
先頭を走ってきたのはオリンピックマラソンの選手に選ばれている天満屋の中村友梨加だった。
よく焼けた浅黒い身体で、女子にしては大柄な、少し猫背の独特の走りで
私の目の前を走り去っていった。
期待していた三井住友海上は、高校生に遅れて3位である。
なんてこった!
このまま高校生に敗れるようなことになれば大失態である。

天気が良くて風も強かったので選手によってはかなり汗をかき
目の前を通り過ぎる時には、喘ぐような息遣いが聞こえる。

「やっぱり苦しいんだ!」

こんなに若くて、しかも訓練を積んでいても
長距離を全速力で走り続けるのは、やはり苦しいのだ。

私はなんだか恥ずかしくなった。
ちょっと鈍った身体のせいにして、すぐにカブに頼ろうとした自分が…
自戒します、これからも自転車をメインに乗り続けるようにと。

車は便利だし、カブも便利だし、それでいて楽だし…
でも大きな荷物を運ぶ時や短時間に長距離を走らねばならない時以外は

やはり自転車に乗ろう。

私も喘ぎながら、口で息をして喉を痛めても自力で進もう。
それが人間の原点でもあるような気がする。
たぶん走れなくなった時が、この世とお別れする時なんだな。
そのくらいの覚悟はもって生きようと思った。

眩しいほどに輝きながら走ってゆく選手みんなに応援の拍手をした。


「淺川マキ」さんのこと

2010年01月19日 | 音楽

昨日の新聞報道によると、歌手の「淺川マキ」さんが亡くなったらしい。
名古屋でのライブの最終日に姿を見せないので
スタッフがホテルの部屋を訪ねたところ、倒れていたマキさんを発見したらしい。
死因は心不全ということだった。

またひとつ巨星が落ちた。

もう40年くらい前のことだ。
まだ北九州市が誕生して間もないころ、戸畑区の市民会館の一室で
彼女のライブコンサートがあった。
彼女はまだ30前の元気な頃だ。
舞台も無いフロアーのみの狭い部屋で
周りを黒いカーテンで仕切って、暗い照明の中で
彼女はあの独特の声で歌い始めたのだった。
暗い陰湿な女を想像していたら、彼女はとんでもなくカラッとしてよく笑った。
それ以来私は彼女のファンになり、初期のレコードはほとんど買った。
なかでも紀伊国屋ホールでのライブ盤が私の一番のお気に入りだった。

「夕暮れの風が頬を撫でる
いつもの店に行くのさ
仲のいい友達も少しは出来て
そう捨てたもんじゃない~」

この「少年」というタイトルの唄が好きで
ギターを弾きながら何度も歌った。

彼女の歌を生で聴いたのは、前にも先にもこの時だけだった。
新宿のビルの屋上に住み、年に何度かライブをやりながら
決してマスコミに登場することもなく、それでも超一流のアーチストたちと競演し
素晴らしい唄を作り、そして歌ってきた彼女に敬意を表したい。
彼女のレコードをそろそろオークションにかけて始末しようと思っていたのだが
それもできなくなってしまったな~。
またプレーヤーを買って聴くことにしよう。

マキさん、安らかにお眠り下さい。
ずーっと長いあいだ私を癒してくれてありがとうございました。


悲喜こもごもの新年

2010年01月19日 | Weblog

昨年末、バタバタと相次いで両親を亡くし、悲しみの新年を迎えることとなったが
早いもので先日の日曜日に両親の満中陰の法要を行い
私たちは喪が開け、彼らの魂は新たな御霊となって旅立っていった。
この1,2ヶ月の間、私にお悔やみの言葉を届けてくださった皆様に
心より感謝の意を表します。

さてそんな折、また新たな悲しみが一つ。
今は亡き愛犬セレスの子どもで、取引先の幼稚園で飼われていた
「ルイス」が、癌のため13歳を待たずに命を落とした。
わが子のように可愛がってくれていた園長の奥様は泣き濡れて
食事も喉を通らない状態で悲嘆にくれ
肉親を亡くした以上の悲しみのご様子で、皆の涙を誘った。
葬儀には幼稚園の職員や子どもたち、卒園児らから多くの花束が届き
花の中に埋もれるようにして「ルイス」はその生涯を終えた。

そして吉報が一つ。
昨年末に「山国町」を訪れた折、スケートリンクで滑る子どもたちと歓談し
彼らの写真を撮ったことは、「初冬の山国」に書いたとおりだが
その写真を彼らの小学校の校長先生宛に送り
写真を配ってくださるようにお願いしていたのだが
今頃になって、その返事が届いた。
子どもたち全員のお礼の寄せ書きと、校長先生の挨拶が入っていた。
それによると、学期末にインフルエンザが流行り
全員の寄せ書きが揃ったのは新しい学期が始まってからだったので
お礼が遅くなったという詫び状と2学期の終業式で
私と彼らの出会いを校長先生は全校生徒の前で話したということ。
笑顔で話しかけることで、人との出会いが生まれるというお話で
いま学校では、知らない人と気安く話さないようにと注意することが多いのに
校長先生のお話は微笑ましい限りで、また「山国」を訪れてみたいと思いつつ手紙を大事に仕舞った。

みんな自信を持って生きて行ってください。
貴方たちの住む「山国」は立派な町だと思います。
話のわかる大人がいるし、立派な施設もある。
また会いましょう。