旅と酒とバッグに文庫本

人生3分の2が過ぎた。気持ちだけは若い...

朝倉の様子

2018年04月19日 | 


朝倉の筑後川温泉に行った。

実に一年ぶりのことである。
昨年の大雨による被害で、僕の自宅からは
崖崩れなどで道路が不通になっていたからである。
今でも所々片側通行になったままである。
英彦山から小石原に向かう道がまだ工事中なのだ。

だいぶ早くから道路が通行出来るようになった事実は分かっていたのだが、災害後緊急の場合を除いて朝倉に行くことは憚られた。
報道によりかなり復興が進んで来たようなので
一年ぶりの朝倉行となったのである。

僕がよく行く筑後川温泉は大雨後に電話連絡により無事であったことは確認していたのだが、
流石に災害後の悲惨な状況の中で温泉に浸かりに行くことは出来なかった。
少しでもお金を使う事が朝倉の復興に繋がるとの意見もあるが、僕には出来なかった。

実はあの大雨の最中、僕はこの温泉に車で向かっていたのである。
昨年のあの日、家人が東京に行ってて、一人だった僕はこの筑後川温泉に出掛けたのである。

朝から雨が降っていたが、途中から雨が酷くなり
流石に崖の多い山道を走るのは危険かなと思い
中途から引き返したのである。
もしあの日、もう少し早く出掛けていたら僕は間違いなく土砂流に飲み込まれていたのだ。
その日の夜にニュースで惨状を知り血の気が引いたのを覚えている。

昨日の朝倉は春にしては暑いくらいの晴天。
まだ手付かずの場所もあるが、細い道をダンプカーが行き交い、あちこちで工事が進んでいる。
緑多き春の小川が流れる豊かな田園地帯の風景は一変していた。
河原や畑は一面の土。
川幅の拡張工事なのか護岸工事の最中。
あちこちに真っ黒な土嚢が積まれ、山の至る所にブルーシート。
この時期には花が咲き乱れていた果樹園も土砂に埋もれ、殆どの木が枯れていた。

娘の友人が教師をしていた松末小学校は土砂は綺麗に片付けられていたが、すでに閉校となっており、最後の卒業生と教職員の集合写真が春の陽光に晒されていた。
あの日彼女から娘にラインで連絡が入り、娘から僕に連絡があり、見る見る間に校庭が池となり周りの道路が川となり、土砂が流れ込み生徒と教職員は3階に避難したものの、怯える子供達をどうしたらいいのか相談されたのだった
「皆んなで歌でも唄えば」と言うと、言下に娘から「何を能天気なことを」と叱られたが、ロウソクやスマホの灯りしかない暗闇の教室の中で怯える子供達の事を思うと、そう言うしか無かった。
雨は二日降り続いたのだ。

朝倉の松末地区の写真を沢山撮ったが、許可を得た撮影ではなく個人のプライバシーの問題もあるので今回は無難な河原の写真のみ掲載する。

国東 夷谷温泉

2018年04月17日 | 


雨の中、ふらりと出掛けた。

午前中はこの4月に開館した真新しい図書館に行き、新聞を読み、DVDの棚を見ると、カズオ・イシグロの「日の名残り」があったので借り出し
お昼にはチャンポンを作って家人と食べ、彼女がクリーニング屋に出掛けたのでその帰りを待ち、
そうこうしているうちに3時になったが、なんだか出掛けたい虫がウズウズしてきたので、読みかけの佐藤正午の「永遠の2分の1」を閉じ、冒頭のように雨の中、ふらりと出掛けた。

時間も時間だったが、近場の温泉にはあまり気に入ったところが無いので、どうせなら未だ行ったことのない所へと思い、以前耳に挟んだことのある国東の「夷谷温泉」に決めた。
決めたと言ってもクルマにガソリンを入れながら
そう思っただけである。

ただ問題は100キロ近い距離があるので、帰りの事も思うと少しだけ気が咎めた。
問題は雨で最近は雨の夜の運転が苦手である。
歳のせいか暗いと良く見えない。

まあ、もし酷い雨になるなら何処かに泊まれば良いかと気軽に思うことにした。
財布にはVISAとゆうちょカードが何時も入っている。
日本は全国津々浦々まで郵便局があるので大変便利。
財布には何時も一万円未満の現金。

自宅近くのGSでガソリンを入れ、いざ駆け出したのが午後3時過ぎ。
国道10号を延々と宇佐まで走り、県道に逸れ国東へ。
結局細い暗い霧の出た山道に入り、現地「夷谷温泉」には5時40分に到着。

こんな山中に本当にあるんかいな?と思いながら走ると忽然と集落が現れ、温泉の建屋が見える。
まだそんなに古びた感もない建屋は山中にしては立派である。

受付横の券売機で300円のチケットを買い、浴場へ。それにしても安い。
大分県ならではの安さである。

少し熱めの濁り湯だ。
硫黄臭は無いが、如何にも効能がありそうな湯である。舐めてみると少し塩味がある。
内風呂には浴槽が三つ。
普通の浴槽と泡風呂とサウナ用の水風呂。
流し場も清潔。
ただコレだけだと少し物足りない。

僕はサウナはミスト以外はあまり好まない質なので、露天風呂へ。
扉を開け少し廊下のようになった通路を歩くと
コレもあまり広く無いが、空気感がなんとも言えない露天風呂である。
他の人が「今日はちょっと熱いな〜」などと言ってるので、日によって少し温度が変わるのかしらん?と思う。

シトシトと降る雨に打たれながら首から下は熱めの湯の中というのもなかなかで小1時間堪能する。

出がけに受付前に美味しそうな御萩が並んでいたので家人への土産にと2パック購入。

結局7時前に帰途へ着く。
慣れない雨の夜道、然も山中なのでなるべく前のクルマに付いて走ろうと思うも、他にクルマが居ない。大きな県道に出るまでそろそろ走り、
あとは前のクルマに付いて小倉へと。

自宅には9時過ぎに到着。
家人に言わせれば「馬鹿」と罵られるような
「馬鹿」はやっぱり面白い。
こういうのは1人に限る。
これからもふらっと出掛けてみよう。

ちなみに夕食は「ほか弁」で買った「のり弁」を
クルマを公園に停め貪る。
いい歳のおっさんがである。笑

旅が終わって

2013年09月01日 | 

今回の旅では、あまり人と話す機会が無かったように思う。
クルマで移動し、ホテルや旅館に泊まれば、必然的にそうなってしまうのか?
やはり旅のスピードは考えなくちゃならないのか?

石川文洋さんのように、徒歩の旅というものもやってみたい。
しかしボクは、歩くという行為は、人間にとって一番自然な行為ではあるが
1日の体験としては、非常に少ないものになる気がする。
せいぜいが1日に30キロ程度である。
田舎道では、ほとんど人に出会わないこともあるだろう。
それにボクは、歩くという行為は、思考が内向的になる傾向がある。
つまり自分のことやその他のことを考えるにはちょうどよいのだが
ついそっちのほうに偏ってしまうのだ。
そうなると周囲のことに目が行かなくなってしまう。
たっぷりと時間があれば別だが、少ない時間の旅には徒歩は不向きだと思う。

となると、やはり自転車かカブである。
ただ、年齢的にも自転車はちょっときついかなとも思う。
しかし夏の旅は、カブも結構厳しい。
自動二輪のようにスピードが出せれば良いのだが
30~40キロあたりで走行するのは意外に暑いのだ。
しかもヘルメット着用ときている。
とくに頭に汗を掻き易いボクには地獄である。
ただ、旅のスピード的には、やはり自転車か原付あたりが
ちょうど良いように思える。
いつでも道路端に停まれるというのが最大の利点なのだ。
クルマはなかなか停められないし、スピードも速すぎる。

また、宿泊についてもホテルや旅館だと、ほとんど人との出会いは無い。
特にホテルやビジネスホテルはなおさらである。
旅館だと宿の関係者くらいしか話す人は居ない。
特に安宿の場合は人手も少ないので、等閑になる。
しかし部屋付きの女中さんが居て、食事の相手なんかしてくれる処は
べらぼうに高いので、御免こうむる。
となると民宿と言う手もあるのだが、これが結構な人気で
良い宿は常に満室であり、しかも1人では泊まり辛いのだ。
もともと部屋数が少ないので、多人数のほうが優先される。
となるとキャンプ場でテント泊になるが
実はボクも、是が一番だと思っているのだが
最近のような大雨や異常な暑さでは、いかんともし難い。

ボクにとっては、とても旅がやり辛い環境になってきた。
旅の季節を変えるしかないかとも思うが、仕事の都合で
夏以外は、なかなか長い休みが取り辛いのが現状である。

この問題は、なんとかしないといけないであろう。

さて今回の旅、印象的には「特攻平和会館」と「水俣病資料館」
そして枕崎の「かつお公社」で研修生として働いていた
中国人女性の突き刺さるような視線、
この三つが心にぐさりと突き刺さっている。
次回の旅で再訪問することも考えている。
とくに水俣は、数日滞在してもっと多くの人と話してみたいし
高齢で健康的にも優れない石牟礼道子さんにも今のうちにお会いしてみたいし
語り部の話も聞いてみたい。
そして何より、美しい八代海というか不知火の海をゆっくり眺めてみたい
そんな欲望に駆られる。

さて今から図書館に行って、予約していた
石牟礼さんの「苦海浄土」を借りてきます。
ちょっときつい読書になりそうな予感がいたします。


日田の「想夫恋 本店」の焼きそば

2013年08月31日 | 



朝目覚めると薄っすらと曇っているが、天気は良さそう。
今日は家に帰りさえすれば良いので、急ぐことは無い。
先に朝食を済ませ、「あまちゃん」を観てから朝風呂に行く。

さすがに朝食も本日はバイキングと呼べるもので
パン食、和食とも充実していて、生野菜のサラダもある。
今までは和食オンリーの朝食だったので、しっかり生野菜を食べる。
1000円増しでこの朝飯が食えるのなら、この方がいいかなと思う。
食べる分を取り、テーブルについて食べ始めたのだが
食べてみて、初めて入れ歯を部屋に忘れてきたことに気づく。
ボクの歯は、上の歯はきれいなのだが
下の歯はガタガタで、何年か前から部分的に入れ歯にしている。
まだ歯はたくさん残っているので、噛めないことはないので
食事をテーブルに置いたまま部屋まで歯を取りに帰るのも憚られて
そのままいただくことにした。
1人旅だとこういった場合は実に困る。

それにしてもここのホテルは家族連れが多い。
夏休みなので、祖父母から孫まで一家揃ってという感じである。
1人旅はボクの他に、もう1人くらいしか見当たらず
なんとなく落ち着かないので、早々に切り上げて、大浴場へと向かう。

昨夜の「どんどこ湯」も良かったが、ホテルの大浴場も実に良かった。
朝の入浴客はまばらで、手足を延ばしてゆっくりできる。
泉質は「どんどこ湯」と同じ塩化物泉。
内風呂も露天も清潔で感じが良い。
チェックアウトは10時なので、ゆっくりと浸かる。

部屋に戻り、出で立ちの準備をする。
冷凍庫を開けると、すっかり氷が出来上がっていたのでクーラーバッグに入れ
水や果物、ビールなどの残りも詰める。
ロビーに美味しそうな牛乳やヨーグルトが売ってあったので
プレーンと呑むヨーグルトを購入し、これもクーラーに詰める。

天気は良くなり、青空が覗く。
とりあえず、九重の瀬ノ本高原で土産物を買うため、そちらに向かう。
途中で、「大観峰」の案内板。
大観峰なんてもう10年以上も行ってない。
時間はたっぷり有るし、薄雲は掛かっているが、天気も良いので行ってみる。
駐車場にクルマを停め外に出る。暑い。
みんなビューポイントまでの上り坂を汗を拭きながら登っている。
景色は最悪、霞んでほとんど何も見えない。
途中で、戻る人もいたが、せっかくなので上まで登る。



展望所には大勢の小学生。
夏休み中なので自然教室なんかじゃないと思うけど、
どう見ても先生らしき人が付いている。
暑いのでみんな背中と髪が濡れている。



駐車場に戻ると、バイク置き場にカブを発見。
しかも結構なツワモノ。
南は沖縄から北は北海道までの様々なステッカーがボックスに張ってある。
話がしてみたかったので、ソフトクリームを食べながらしばらく待ってみたが
なかなか持ち主が帰ってこないので、諦めて出発する。

瀬ノ本高原のレストハウス三愛でお土産を買う。
ボクはいつも、ここに置いてあるゴマ煎餅と天草の海老煎餅が好きで
今回は、海老のほうにする。
それにしてもお土産も高くなった。1箱1000円の時代である。

さて、これからは何処にも寄るところはないが
杖立温泉の川向にある農産物の販売店に寄ってみることにする。
ここには岡本の豆腐が売られており、果物も安くて美味しいので
必ず近くまで来たときは寄っている。
本日も岡本の揚げと葡萄を購入。

この時点で昼時だったので、近くの大山の道の駅に寄って食事にしようと思ったが
ここは野菜主体のバイキングになっており、1300円くらいかかるし
朝しっかりと食事を摂ったので、あまり量は入らない感じだった故
パスして、日田に有る焼きそばの有名店「想夫恋」の本店に行ってみる。
ここの焼きそばは、一度別の店で食べたことがあったが、言われるほど美味くは無かった。
しかも値段は840円である。大盛りになると1100円くらいする。
ラーメンなどのチェーン店でもそうだが、本店と支店では美味さが違ったりする。
使っている素材は同じなのに、味が違うのはやはり作り方の差なのか
やはり本店の方が美味い。

「想夫恋」本店はすぐにわかった。
昼の1時をとっくに過ぎているのに、客は多い。
1人だとカウンター席くらいしか座れそうに無い。
カウンター席は目の前で調理をしているので暑い。
反面、しっかりと調理場面が見られる。
まるで「焼きそば道」である。
調理人は一心不乱にそばを焼いている。
話しかけても無言である。
ウェイトレスのお姉さんたちもピリピリムード。
なので店全体がせわしない。落ち着かない。
出来上がってきた焼きそばを食す。
美味い。確かに美味い。
脂が麺の一本一本にからみ、ソースの濃さも抜群で
カリッと仕上がっていて、言うことはない。
やはり支店のそばと本店のそばは別物といっていいくらいだった。

それにしてもこの雰囲気はいただけない。
どうにもこうにも落ち着かない。
客が話しかけたときくらいは返事を返してほしいものだ。
無駄なお喋りをせよ、と言っているのではない。
ボクは単に「夏は大変ですね」と言ったに過ぎない。
「ええ」の一言で良いではないか。
麺もソースも焼き加減も、もやしも豚肉も美味いのに
このピリピリ雰囲気と840円と言う価格は納得できない。
ラーメンや焼きそばは、せめてワンコインで食いたいものである。
高ければ美味いのは当然であろう。

日田を出た後は、最早どこにも寄る気がせず
小石原、英彦山、添田、大任、香春を通って我が家まで
休むことなく走った。
自宅には夕方4時くらいに到着した。
これで今年の夏の旅は終わった。全行程、965キロの走行距離であった。


地獄温泉「すずめの湯」から火の山温泉「どんどこ湯」へ

2013年08月30日 | 



日奈久温泉街をでてから、一路阿蘇へ。
何ゆえに阿蘇かと言えば、地獄温泉に尽きる。
以前から、ここの「すずめの湯」に浸かりたい願望は有ったのだが
なかなかその機会に恵まれず、今回は是が非でも、と思っていた。

途中、北九州までの帰りの距離を考えて、心配なく走れるように
ガソリンを補充する。
これで、今回の旅は、燃料の心配をすることなく、のんびりと走ることが出来る。

しかし、熊本市内から57号線に出るまでがかなり混んでおり
この分では、地獄温泉に到着するのは、5時半を過ぎるかもしれなかった。
57号線に出ると、見慣れた風景が展開し、あまり渋滞も無く快適に走る。
57号線から南阿蘇方面への右折交差点が」かなり混んで
いつものことだが、この交差点だけはどうにかならないものかと思う。

地獄温泉への道のりは長かった。
山道へ左折してからが大変。
これでもかというばかりに延々と細い道を登る。
後ろから大きな4輪駆動車が来ていたが
こういった道では、ボクのビストロ君のほうが小回りが利いて早い。

かなり登ったころ、やっとのことでまず「垂玉温泉」が見える。
山奥なのにずいぶんと立派な建屋の旅館。山口旅館である。
なんだか嫌な予感。
阿蘇は、一大観光地となってからは、昔のような鄙びた宿は少なく
やたら料理や風呂に凝った、近代的で洒落た感じの宿が急速に増えていて
また、そういった宿は大変な人気で、関東方面からの客も多い。
そして例外なく宿賃が高い。
リニューアルブームなのである。
垂玉温泉からわずかに登ると、地獄温泉の建屋が見える。
やはり思った通りに到着は5時半だった。

早速、帳場にて今晩の部屋があるかどうか聞いてみる。
部屋はあるが、一人泊だと朝食付きで6450円だという。
まあそんなものかと、申し込もうと思ったが
夕食のことを尋ねると2食付だと一番安くて9000円ほどだという。
1泊2食付で9000円なら、まあいいかとも思ったが
念のため、食堂で簡単な夕食は無いか聞いてみると
すべて囲炉裏焼きコースで、安いのが2500円くらいから様々だという。
炉辺焼きというか囲炉裏焼きのほかには無いかと尋ねるも
是しかないというので、しばし思案の上、部屋は後でも確保できそうだし
とにかく「すずめの湯」に入ることにする。
ボクはバーベキューのように焼いた料理と言うものはあまり好みではない。
地獄蒸しのような蒸し料理の方がずっと美味いと思う。
それにしてもこんなに暑いのに囲炉裏焼きのみとは…。
夏の真っ盛りだぜ今は。

「すずめの湯」は一言で言えば素晴らしかった。
何が素晴らしいかといえば、その泉質である。
硫黄泉が風呂の底からボコボコと沸いている。
浴槽が何槽かに分かれており、それぞれ湯温が違う。
泥湯のように濁っていて、水面下はなにも見えない。
ここは混浴であり、女性のために時間を区切って女性専用時間も設けられている。
露天風呂には若すぎるレディーが二人、父親と一緒に入っていたが
その母親の姿は無かった。
それでも5,6年生くらいの女の子は恥ずかしそうに前をタオルで隠していた。
決して邪気が無い年齢ではないはずだが、彼女の勇気に拍手を送ろう。
別府の明礬温泉の泥湯なんかは、たまに外国人の若い女性が入ってくるが
実に開けっぴろげで、大らかなんだけど、日本の女性はいくら世の中が進んでも
なかなか、そこまでは踏み切れないね。
好奇の目ばかり気にしてる感じがする。
温泉なんてそんなものじゃないのに、まあそういったことを期待して
混浴温泉に来る輩もいるので、仕方の無いことではあるけれど。
あとで入ってきた夫婦連れの奥様も50はとうに過ぎているであろうと見えるが
グレーの長いワンピースを纏ったまま浸かっておられた。

ただ残念なことが少し。
ここは湯は大変素晴らしいのだが、更衣室が汚い。
野趣あふれるといえば、上手い事言うなあ、とも思えるが
床がビチャビチャで、敷いてあるタオルの足拭きも大変不衛生。
管理が行き届いているとは決して言いがたい。
となると浴槽の清掃は?ということにもなる。
濁り湯の場合、汚れがわかりずらいので、清掃が手抜きになりやすいのだ。
明礬温泉も泥湯に結構なゴミが混じっていることも多い。

ボクはここで暗くなる前には湯からあがって、宿決めをしようと思っていたのだが
隣に浸かっていた同年輩の男性とすっかり意気投合して話し込んでしまった。
お腹も減ったし、宿を決めていないので、ちょっと不安でもあったが
まあ、いざとなればここからなら夜中に自宅に帰ることも可能であるし
ということで、暗くなるまで話し込んだ。
熊本市内から来ていた方で、聞けば同じ歳。
サラリーマンだったが、何年か前に大病を患って退職し
わずかな年金を貰いながらの暮らしだということ。
ここの湯が身体に大変良いので、市内から通っているらしかった。
彼も旅好きで、若い頃の北海道旅行の話などで盛り上がり
ユースホステルの写真入会員証など昔話に花が咲いた。
ボクらの貧乏旅行の原点のような体験を彼も持っていた。
これからの人生の過ごし方や希望、夫婦の関係のことなど
飾らずに話し合える人も珍しい。
周りに浸かっている人たちにも話が筒抜けなので
少々気恥ずかしくもあったが、恥の掻き捨てである。
またこの素朴な温泉の魅力のなせる業というか、魔力でもある。
すっかり星空が見える頃になって、ボクは空腹と宿決めのため
このへんで辞退することを彼に告げ、名残惜しく湯をあとにした。
彼の名前も住所も聞かなかったが、聞いてもメモするものがなくては
すぐに忘れてしまうので、意味を成さなかったし
この出会いは、一期一会でよろしいと思った。
彼もこんなに長湯したのは初めてだと言っていた。

地獄温泉の画像が無いので、リンクしておく。
勝手だが、清風荘のホームページより画像も拝借しておく。

http://jigoku-onsen.co.jp/





さて風呂からあがると、もうすっかりこの清風荘に泊まる気は失せてしまった。
いい出会いがあったので、このまま自宅に帰ってもいいかなと思いながら
真っ暗な山道をそろそろと下って行き
とりあえずコンビニでささやかな夕食を購入する。
コンビニ食は久しぶりである。
最近は添加物や化学調味料を敬遠して
コンビニでは食品を購入しないように心がけている。
ざる蕎麦、サンドイッチ、おにぎりといった妙な取り合わせだが
腹が膨れれば良いというだけの食品であり、
なるべく変なものが混じってないものを選んだ。

さて家に帰るにしても、今からでは到着は夜中になるだろうし
明るい時ならまだしも、暗く不慣れな道は走り辛いので
途中で宿があれば訪ねてみようと思いながらそろそろと走ったのだが
後ろから煽られるので、あまりスピードを落とすのも憚られた。
通いなれた夜道は皆さん結構飛ばすのである。
こんなときカブ太郎なら、と思いを馳せた。
端っこをトボトボ走っても迷惑がかからないのだけどね。

57号線沿いを赤水あたりまで走ると、木立に囲まれて解かりにくいが
朝食付き6000円の看板を発見。
しばらく走ってからUターンし、ホテルに入ってみる。
「アーデンホテル阿蘇」。
カウンターで尋ねると、今からでは夕食は間に合わないので
朝食のみとなり、6450円だという。部屋もあるらしい。
看板には6000円と出ていたではないかと食い下がるのも億劫で
和室にしてくれと頼み、車を駐車場に停め直し、すべての荷物を担いで部屋に入る。
いつもより1000円高いと部屋も立派である。



三和土があり、部屋は広くきれいで、暗いので良く見えないが
窓の外には立派な庭園があり、そして何よりも冷凍庫付きの冷蔵庫もある。
トイレも風呂も付いている。
外の渡り廊下を100メートルくらい行くとホテル付属の施設「どんどこ湯」という
大きなお風呂施設があるというので、しかし営業時間は10時までだというので
とりあえずコンビニおにぎりを一つ頬張って、湯へ行く。すでに9時が近い。
その前に、ざる蕎麦やビールその他果物などを冷蔵庫に叩き込み
ほとんど溶けた氷の入っていたビニール袋を冷凍庫に入れる。

なんだか「すずめの湯」の成分を洗い流すのがもったいなかったが
「どんどこ湯」も泉質がいい感じである。
露天は暗くてよく見えないが、とにかく広い。
しかもすべて源泉かけ流しで、硫化塩泉のにごり湯である。
内風呂も広く、洗い場もきれいで、サウナもある。
時間が遅いせいか、人も疎らで浸かりたい放題である。
ボクはつくづくこういった温泉が近くにあるところに住みたいと思う。
家のローンは終わったので、売り払って小さな家を買えばよいのだが
難敵が一人居る。こいつが問題の原点なのだ。

時間目一杯「どんどこ湯」を楽しんで部屋に戻る。
ホテルの大浴場も立派らしいので明朝入るつもりである。
今夜はもう湯疲れしたみたいである。
空調のよく効いた部屋で冷蔵庫から取り出した
よく冷えたビールを飲み、遅い夕食を食べ
食後の果物など食いながら、明日はもう自宅に戻らなければならないことを思うと
なんだか、ちょっと気が滅入ってしまう。
こんな暮らしが永遠に続けばいいのに。


日奈久温泉から阿蘇へ

2013年08月28日 | 



水俣病資料館を出てから、せっかく館内で引いた汗がまた吹き出る。
今日は実に天気が良いというか、暑すぎる。
こんなことなら、曇りや雨の方が良かった。

知覧の「特攻平和会館」の時のように
館内で長居をしたせいで、お昼時を過ぎようとしていたので
実にお腹が減ってきた。
3号線をしばらく北上しながら、食べ物屋を探す。
しばらくして「どさん子ラーメン」の看板。
しかし、1時を過ぎているにも関わらず、駐車場が一杯なので
そのまま通り過ぎる。
だが、知覧での「隼ラーメン」のことがあり、しばらくしてUターンする。
本当にかなり前のことだが、「どさん子ラーメン」はよく食べていたし
味噌も醤油も、塩も美味かったので、こんどこそ美味いラーメンをと
思わずUターンした次第である。
店の前まで引き返したものの、やはり駐車場は一杯で
仕方なく空きが出るまで待つことにする。

なんとかクルマを停め、店内に入る。
客も一杯で美味そうな臭いに釣られ、醤油ラーメンの大盛りを注文する。
クーラーの効きが良くないのか、店内は暑い。
カウンター席しか空いてなかったのでカウンターに座ったのだが
目の前で麺を茹でる湯気が上がるせいで、ムンムンしている。
ここに入ったことを少し後悔する。
出来上がったラーメンを見て絶句。
大盛りではなく普通にしておけばよかった。
全部食えるかなと思いつつ一口頂く。
再び絶句。「うっ、不味い」
なんともはや、出汁が効いてないのか醤油の味しかしない醤油ラーメンである。
「どさん子はこんなに不味かったっけ?」
以前はとても美味しかったように思ったのだが
ボクの舌が肥えたのか、本当は不味かったのか、この店が不味いのか
そんなことは解からないが、はてどうしたものか。
無理やり麺だけをすする。
スープはほとんど飲まずに、なんとか食べきる。
なんかしら、ついてないなぁ~、ラーメンに関しては。
もう止めた。しばらくラーメンは食うまいと思う。

日奈久温泉を通り過ぎる。
しかしここもまたUターンして、温泉街に入ってみる。
なぜか阿蘇に近づきたくない気分。
多分、阿蘇まで行ってしまうと、いつもの日帰りコースになってしまう感じ。
阿蘇は、いつものドライブコースなのだ。











日奈久の温泉街は、ずいぶんと鄙びている。
土産物屋が何軒か並んでいるが、竹細工の古い店が何軒かと
竹輪やさつま揚げを売っている店がほとんど。
旅館も廃業した建屋が何軒か目に付く。
行き当たりに「ばんぺい湯」という、新しい温泉施設が出来ていた。
クルマを駐車場に停め、カメラ片手に街を歩く。





「ばんぺい湯」に浸かろうかと思ったが、まだ昼の2時過ぎなのと
あまりにも暑いので、やめておくことにした。
温泉は阿蘇の地獄温泉に行くつもりであった。
しばらく温泉街を歩くと、随分と古い建物が目に付いた。
しかも立派で、威風堂々といった感じの古屋である。
「金波楼」と書いてある。
とても感じのよい玄関で奥には黒光りのする階段が見える。
中に入り「ごめんください」と言ってみるが誰も出てこないので
失敬ながらあちこち写真を撮り始めた。
しばらくすると若く美人の女性が出てきて「いらっしゃいませ」と仰るので
「すみません、あまりにも立派な建物なので勝手に写真を撮らせていただきました。
こちらは、ご料亭でしょうか、それともお宿でしょうか?」
「旅館なんですよ。お泊りになられますか?」
「ちなみにお宿代はいかほどでしょう?」
「1泊2食付で13800円からございます」
「今日はお部屋は予約無しで大丈夫なんですか?」
「はい、大丈夫です」
構えの割にはそう高くないので、ここに泊まろうかと思ったが
「でも、ボク一人なんですが、一人だともう少し高くなるんでしょう?」
「そうですね、お一人様ですと16000円くらいになりますでしょうか」
「ん~、そうなるとちと贅沢だなあ~。貧乏旅行ですからね」
「結構お一人の方もいらっしゃいますよ」
「でも今夜は阿蘇まで行って泊まるつもりですから、次回にカミさんでも連れて
二人で来ましょう」というと、即座にパンフレットを持って来てくれた。
嫌な顔ひとつ見せず、感じのよい応対で、本当に次回はカミさんを連れて来ようと思った。
勝手に室内を写真に撮ったことを詫びながらも、もう少し写真を撮らせて貰って外に出た。
外の暑さが身に染みる。
古い建屋の中はかなり涼しかったのがわかる。

その他にも面白そうなというか、泊まってみたい旅館がいくつかあった。
日奈久という地名を頭に叩き込んで、阿蘇へと向かうことにした。
たぶん阿蘇の地獄温泉には夕方5時過ぎに到着できるであろう。


水俣病資料館

2013年08月26日 | 


(資料館より不知火海、遠くに天草、手前には漁具)


この旅の中で、最も暑い一日になってきた。
総合公園の一角にある「水俣病資料館」の駐車場から建屋まで
ずっと上り坂になっており、車で入り口までは入れないので
クルマを置いて、歩かねばならない。
空からは強烈な日差しが降り注ぎ、入り口に辿り着いた時には汗だく。

汗が引かないまま建屋に入る。
館内は冷房が効いているが、温度の設定が高めなのか
汗はとめどなく流れる。
受付で観覧希望の用紙に記入し、写真撮影の有無を聞かれるが
必要と有らば、その時に申請すればよいだろうと思い
早速、館内の見学に移る。
水俣市立の資料館なので、観覧料は無料である。

水俣病については一応の知識は有るが、最初から丁寧に読み歩く。
市立の資料館なので、誰かを一方的に非難したりとかは無く
水俣病の症状が散見されるようになってからの経緯や
チッソの歴史や役割、そして水俣病が顕著になってからの
患者たちの救済や闘争、医師やその他の人々の証言などが
コーナー的に羅列されている。
中には、「チッソが作るものは、皆さんの生活にこんなに役立っています」
といったコーナーまであって、思わず苦笑い。
さすがにチッソあっての水俣である。





館内の最奥部に水俣病患者と共に闘争に加わった石牟礼道子さんや
水俣に住み着いてドキュメンタリー映画を作った土本典昭氏のコーナーがあり
ボクはここで、1時間以上佇んで、釘付けになった。
すべて読んだ。
そして忘れないように、許可も得ず写真を撮った。
個人のプライバシーに関することもないので良かろうと思った。
彼らの人間的な奥の深さというか、優しさに打たれた。
二人とも水俣と関わりあいながら、患者と共に闘争し
そして自己変革をしていったのである。



捨てる神あれば、拾う神あり。
チッソや国は水俣病の患者に対して無情なのだが
人間とは面白いもので、必ずやチッソの会社内にも、
彼らの行為に理解を示す者が現れてくるのである。
水俣病闘争は人間の尊厳をかけた戦いなのだから。

今はまだボクは、水俣に対して、何も書けない。
知らないことが多すぎる。
また水俣に来ようと思う。
不知火(しらぬい)という美しい響きの地名も好きだ。

ちょっと立ち寄るつもりが、真剣に観てしまって
外に出たときは昼の1時を廻っていた。
入ったのが11時前だったから、2時間以上居たことになる。
受付でカンパのつもりで、川本輝夫さんの「水俣病の不条理に挑んだ男」と
「杉本家の水俣病50年」という小冊子を購入した。
「杉本家の…」には、「知らないのは罪 知ったかぶりはもっと罪 嘘を言うのは
もっともっと罪」という副題が付いている。
どちらも水俣病で苦しんだはずなのに、素敵な笑顔と
澄んだ目の清廉な顔をしている。
心に何かが突き刺さったような気がした。


清々しい阿久根漁港

2013年08月24日 | 



旅に出てから、朝は決まって6時に目が覚める。
自宅なら、7時過ぎまで眠っているのに、どうしたことか。
布団の上で、テレビのスイッチを入れ、朝のニュースを聞きながら
しばらく読書する。
そういえば、「ぼんたん湯」が朝は5時半から開いているというのを思い出し
本を読むのを止め、温泉に行く。
風呂はどうやら常連さんばかりのようで、泊り客らしき者は見かけない。

「何時に来られたんですか?」とお爺さんに聞くと
「わしゃ、毎朝6時にここに来る」ということ。
こんな温泉が身近にあるなんて実に羨ましい。
ボクももう少し歳を取ったら、いやそれまで生きていられたら
こんな環境が有る街で暮らすことにしよう。
家はボロ家で構わない。

いい気分で宿の食堂に入る。
他の客は、工事関係の人が多いのか、もうすでに食事済みたいで
ボクのほかには誰も居らず、テレビを見ながら一人もそもそと食べる。
時折工事服をきたお兄さんらが、ロビーから入ってきて
コーヒーを継ぎ足しては出て行く。
8時になったので、NHKに切り替えてもらい、「あまちゃん」を観る。
冷房も良く効いていて、入浴後の火照った身体にちょうどいい。
つい、ごはんをお替りしてしまった。

食事後、部屋に戻り出発の準備をして帳場に下りて行き勘定を済ませる。
カードでの支払いは受け付けてないようなので、現金で支払う。
1泊朝食付き、5150円也。
中途半端な値段なので、伝票を見てみると
宿泊代が税込みで5000円、入湯税が150円と書かれてあった。



久しぶりに晴天でというか旅に出て初めて青空の朝である。
急ぐ旅でもないので、車で阿久根の街を廻ってみる。
まずは漁港に行く。



初老のご夫婦が港で釣り糸を垂らしていた。
見ていると、面白いように豆アジが掛かる。
ご主人はすでに汗びっしょりで、シャツの肩口から背中にかけて
濃い汗ジミが滲んでいる。
それもそのはず、あまりに釣れ過ぎるので休む暇がない。
奥様は魚を針から外すのが苦手のようで、すべてご主人がやってあげている。
これじゃ汗を掻くのも納得であるが、実に微笑ましい。
「釣れすぎて困っちゃいますね。でもこれくらいのアジは南蛮漬けにすると最高でしょう」
するとご主人が実にいい笑顔を返してくる。
「全部ボクがやってあげないといけないので大変です」
奥様は思わず照れ笑い。
その横で90は過ぎているであろうお婆ちゃんが、電動の車椅子カートでやって来て
いそいそと釣りの準備を始めている。
こんな年老いたお婆ちゃんも釣りをするんだなと感心しながら見ていると
大きなしわがれ声で「しもうた。餌忘れてきた。こりゃ釣りにならんな、なあ兄さん」
とボクに話しかけて来る。
「そうですね、餌がなきゃ釣れませんね」と思わず当たり前のことを呟いてしまう。
「よか、嫁に電話してクルマで持ってきてもらわにゃ」と
ポケットから携帯を取り出して話し始めた。
携帯持ってるのかよ婆ちゃん、思わず驚いてしまったが
良く考えれば、いつどんな不測の事故に遭うかもしれないお年寄りに
携帯電話を持たせておくのは、常識かもしれなかった。
それにしても魚影が濃い。
北九州あたりと比べると実に魚が多いし、それに比して釣り人が少ない。
実に良い環境である。
夫婦連れのバケツは見る見るうちに豆アジで埋まっていった。

カンカン照りになってきた。
額に汗が滲む。
今度は漁協の有る港に行ってみる。







船が漁から帰ってきて荷揚げが始まっている。
大量のイワシだ。
船から大きな網でクレーンを使って100キロ単位で揚がってくる。
トロ箱を覗くと、実にきれいな魚体がキラキラ光る。
異邦人のボクがまったく目に入らないほどの忙しさで
みんな真剣に働いている。
こういう場にあまり長居をするのは失礼というものだ。
どのあたりまで漁に出るのだろうと思案しながらふと空を見ると
トンビが魚を狙って集まって狂い飛びしている。
その周りをカラスが包囲して、なんとも豊穣な生気である。



港を後にして、街に戻る。
国道3号線を挟んで、阿久根は南北に長い町である。
海辺から発展していったのであろう、鹿児島本線の鉄道を挟んだ東側には家が少ない。
最近は内陸部に宅地が開けているのかもしれないが、ボクはそこまでは行かなかった。
魚の美味そうな店も何軒か見つけた。
北の方には新しい大きな市立病院もあって、幾分かは暮らしやすくなったのかもしれない。
それでも阿久根は小さな町で、みんな仲良く暮らせて行ければなあ、と思うが
人の思いは様々で、どんな小さな集落でさえも争いごとは絶えないのであろう。
前市長の竹原氏と現市長の西平氏の確執が今後どうなって行くのか
ボクはちょっと注目しておきたい。
人柄は圧倒的に西平氏の方が良さそうなんだけど
政治はそれだけじゃないからね。

時間があればもう一泊くらいしたかったが、本日の宿泊予定地である
阿蘇に向かって、車を北上させることにする。
道路はほとんど海沿いに走っており、景観が良い。
海は東シナ海から不知火海へと変わって行く。

水俣の道の駅でトイレ休憩。
しかしここでボクは思わぬ足止めを食う。
道案内の表示に「市立水俣病資料館」とあるのを目にする。
せっかくなので、ちょっと寄ってみることにする。


「知覧特効平和会館」そして阿久根へ その2

2013年08月22日 | 



(続きより)
会館を出てから、三角兵舎や観音像、周囲に置かれている飛行機などを見学。
昼時もとっくに過ぎ、はや2時過ぎ。
ずい分お腹が空いていることに気づき、周囲を見渡すと
隼ラーメンというラーメン屋さんが敷地に隣接してあった。
一昨日からずっとラーメンに縁遠かったので、入ってみることにする。

この時間帯で客が数人入っていたので、まあ不味くはなかろうと
ラーメンを注文するが、値段は高く700円。
みそラーメンは750円。

「スープはとんこつですか?」と尋ねるもあまり聞き取れない声でゴニョゴニョ。
「みそラーメンとどちらがお薦めですか?」
「お客さんの好みです。」そりゃそうだ。
もう店を出ようかと思ったが、他には土産物屋さんの食事処くらいしか見なかったので、
仕方なくラーメンを注文。

たぶん地元だったら二度と行かないだろうな。
麺もスープもいまいち。
煮豚も脂身が多いバラ肉なんだが、やたらごつくて食べにくそう。
しかし実際に食ってみると、あまり馴染みの無い味だったが、不味くはなかった。
それにしても鹿児島のラーメンはみんなこんな値段なのだろうか?
700円の割には量も普通だし、特別変わったところもなかった。
旅のラーメン第1号は失敗だった。
それにしても「隼ラーメン」なんて名前をよく付けたものだ。
もちろん特攻機の隼から取ったのだろうが、ちょっとねと思う。

食事が終わると時間も3時近かったので、知覧に有る「ホテル末広温泉」という宿に行ってみる。
朝食付きで4200円、温泉有、ということで少々魅かれたが
外観にあまりに風情が無いのと、本日知覧に泊まっても他に見るものがないので、ちょっと考える。
すぐ近くに武家屋敷の街並みがあるが、ボク的にはあまり興味が無い。
となれば、これから目的地を決めて移動することになるが
ボクの頭には指宿、霧島、阿久根という地名が浮かんだ。
真っ先に45年前に九州をヒッチハイクで廻った時に泊まった指宿が浮かんだが
キャンプ地も無ければ、ホテルも観光地ゆえ高い。
しばし沈思黙考。

まあ今回の旅は、あまり時間的な余裕が無い。
なにせ二日後には自宅に帰り着かないと外せない仕事があるので困る。
本日鹿児島の南端に泊まると、あとの二日の日程がきつい。
5日間で走行距離1000キロと踏んでいたので、今回はカブ太郎でなく
ビストロ君を選んだのだが、それでもきつい。
現在の指宿に寄ってみたい誘惑に駆られながらも
霧島か阿久根に泊まるべくとりあえず鹿児島市内に向かうことにする。

ボクは霧島には一度も行ったことがない。
霧島は温泉地でも有る。
まだ見ぬ温泉に憧れが強い。
さてどないしたものか?

霧島に行くにしても阿久根にしても時間的には宵の口到着になる。
せめて宿は決めておかねばなるまい。
霧島ならどこかのキャンプ場に潜り込めるであろう。
しかしまだ天気が心配でも有る。
鹿児島市内はカンカン照りで、今回の旅で初めて青空を仰いだのだが
この時点ではボクはまだ迷っていた。
しかし霧島に行けば温泉旅行になりそうな気がして、しかも観光地でもあるし
鄙びた町の方が自分に似合ってるような気がして結句、阿久根を選ぶ。

もちろんこれには理由がある。
ひとつには阿久根という町が数年前に繰り広げられた
住民を二分する竹原市長と役人の争いがあった町であるということ。
現在は竹原氏は選挙で敗れて、新たな市長が就任している町なのだが
その後の確執がないのかどうか確かめたかったし
ボクはこの竹原という市長に何か惹かれるものがあった。
彼の人間的な要素には疑問もあったが、言っていることは
しごくまともなことで、日本の縮図のような問題性を内在していた。
まさしく政治家対官僚の問題なのであった。

もう一つには、阿久根まで行って泊まると後の日程が随分楽になるし
また、古い街なので、寂れた旅館もあって安い。
おまけに源泉かけ流しの温泉まで有って、しかも泉質が強塩泉ときている。
途中で「栄屋旅館」という宿に携帯で連絡を入れる。
空き部屋有り、しかも朝食付き5150円、温泉入り放題、これで決定。
今晩はBS放送の「吉田類の居酒屋訪問」よろしく居酒屋で美味い魚でも食うことにする。
宿には現在地を伝えると、そこからだと6時過ぎるでしょうねとのこと。
まあいい。あとは阿久根までドライブすることでのんびり気分。
旅は不思議なもので、その日の泊まり処が決まると
それがキャンプ場であれ、公園であれ、そして旅館であれ、
なんとなくゆったりした気分になる。

途中、交通検問に合う。

「なんだよ、まったくこんな時に」
「済みません、ちょっと免許証を拝見させてください」
「いいけど早くしてよ、阿久根まで行かなきゃならんからね」
「北九州からですか?ずいぶん遠くまで来られましたね。
済みません、ちょっと車の中を拝見させていただきます」
「ちょっと待ってよ、なんの権利があってそんなことするんだよ」
「金品が強奪される事件が起きまして、犯人の乗った車が赤い軽自動車という
情報しかないものですから、ご協力お願いします。」

まさしくボクのビストロ君は赤い軽自動車である。
ドアを開けるや否や、バッグの中や後部座席を調べ、はてはトランクまで開けろという。

「ふざけんなよ、誰がそこまでやれって言った」
「旅行中だって言ってるだろう、いいかげんにしろよ」

融通の利きそうに無い糞真面目な若い男女の警官である。
一瞬車から降りて、遣り合おうかと思ったが、ふとトランクのコンテナに
アウトドア用のサバイバルナイフを積んでいたのを思い出し
こいつを発見され難癖をつけられたりしたら、厄介なことになるかもと思い
「早くしてよ急いでるんだから」とトランクを開ける。
ざっと調べただけで、ナイフは発見されなかったので良かったが
携帯電話の番号まで聞かれ開放される。
刃渡りが20センチくらいあるナイフだったので、やばいやばい。
ボクはいつもこのナイフを料理用と護身用に積んでいるのだ。
日焼けした人相の悪い髭面のおっさんでは、疑われても仕方ないか。

途中、阿久根の道の駅でトイレ休憩をし町に行く。
ここの道の駅は、海辺に建っており、絶景である。



「栄屋旅館」には6時半ごろ到着。
早速部屋に案内される。
今晩は、12畳の和室で一人寝である。
やっぱりビジネスホテルよりも落ち着く。
圧迫感が無いのがよろしい。
ただ冷蔵庫が無いのはいかんともしがたい。
ボクは酒を呑んだ後、喉が渇くので冷たい水が欲しくなるのだ。





旅館の人に魚の美味い店を聞いて出掛ける。
その名も「いらっしゃいませ」。
店の戸を開けると、カウンターに4,5人。
小さな座敷にテーブル席が二つといったこじんまりしたお店。
親父さんとお手伝いの女性が一人、客は誰も居らず暇そうにテレビを観ていた。
水槽にはアジ、ウマズラ、ハタといった魚が泳いでいる。
とりあえず生ビールを注文し、カワハギとアジの刺身を作ってもらう。
刺身は新鮮で美味い。
しかしこれらはいつも自分で料理して食っているのと大差ない。
「華アジ」という阿久根の新鮮なアジがあると聞いていたので
尋ねてみると、こんなに暑くなっては採れないらしい。
瀬付きのアジのことらしいが、秋の涼しくなってからが旬だというので諦める。
阿久根は新鮮なキビナゴが有名でもあるので、キビナゴの天麩羅を注文。
ついでにビールから焼酎に変える。
突き出しで出たなんたらいう貝も美味い。独特の粘りが有る。

親父さんはボクと同じ歳。
10年ほど前に連れ合いに逝かれて、それ以来一人暮らしらしい。
時々嫁に行った娘が孫を連れて遊びに来るということ。
カウンターの女性は、奥様にしては歳が若いなと踏んでいたが
やはりパートの女性だとあいなった。

ここで、親父に前市長の竹原氏について尋ねてみる。
「彼はむちゃくちゃだったね。やろうとしていることは悪くないが
ワンマンすぎて話しにならんかった。」
「今はどうしているの?」
「阿久根に居りますよ。少し精神を病んでいるらしいけどね。
市長時代は勝手に公務を抜け出したり、市長室でAV観てたりで
滅茶苦茶だったみたい。とにかく人望がない」
「へぇ~、そうなの?ボクは彼をかっていたんだけどね。確かにやり方はちょっとと
思ったりもしたが、あそこまでやらないと変えられなかったんじゃないの?」
「いやぁ~、あれじゃ誰もついて行かん」
「じゃ、今の市長になってから何か変わった?行政のサービスが良くなった?
町の財政はどうなったの?」と矢継ぎ早に聞いてみた。
「相変わらずですよ。誰が市長になったって、急に町が変わるわけでも
良くなるわけでもないし、でもあまり町に揉め事ばかり起こるのは御免ですね」
街の飲み屋さんからすれば、公務員は上客なので、あまり彼らのことを
批判するのは憚られるのであろう。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
話題を切り替え、楽しく飲ませてもらう。

潮時なので、宿に帰ってから食べる焼きそばを作ってもらい、それを手土産に帰った。
結局、ボクが居る間に他の客は誰も来なかった。
平日であることを差し引いても、やはり景気はあまり良くないのだろう。
生ビール、焼酎1合、カワハギ、アジの刺身、キビナゴの天麩羅、突き出し
それに焼きそばで、しめて4000円ちょっと。
地方の居酒屋にしては決して安くはなかったが、いい時間が過ごせた。
阿久根を再訪した折には、また行ってみよう。
キビナゴの天麩羅は文句なしに美味かった。
今度は魚の美味い時期に訪ねてみたい。

宿に帰ると早速、温泉に行く。
宿に隣接する「ぼんたん湯」には、館内から廊下で通じており
気軽に浴衣にタオルで通える。
地元の人も結構来ており、盛況である。
入湯料は300円ちょっとなので、地元に人気があるらしい。
泉質は含塩化土類強食塩泉ということで、すべてかけ流し。
かなり塩辛い。いい湯である。
ただ温度が少し高めなので、夏の暑い時期はちょっと苦労する。
それでもサウナや電気風呂、露天風呂もあって、退屈しない。
泉質が良いのが一番のお気に入り。

ここでも街のじい様たちと話してみる。
「竹原さんは阿久根に居るみたいだけど、どうなっとるん?」
「ああ、おらっしゃるよ。あん人にはまた頑張ってももらわな。
あん時は、役所に行ったら、係りのもんが飛んで来よったけどなあ。
今は知らん顔してやる気がないばい。」
「へぇ~、そんなに変わった?でも竹原さんは精神病院に通ってるって聞いたけど」
「そぎゃんことはなか。彼はまた選挙にでるつもりばい。妹さんも議員やっとるし
もし竹原さんが出んでも、妹さんが出るじゃろ」
「でも町が割れて、ギスギスしない?」
「しかたんなかよ。こぎゃん田舎で財政も悪かに
公務員だけはええ給料貰って、ええ暮らししとるんじゃから」
「たいした仕事も無か町で、貰い過ぎたい。公務員だけは地方も中央も無か。
給料は一緒たい。ほんでん、こん町でほかん仕事で働いても給料は安か~」

なるほど、聞いてみるものである。
竹原氏が市長時代に公務員の組合を目の仇にし
給料を大幅に減額して財政を立て直そうとしたのは
強ち間違いではなかったのかもしれない。
しかし人は今ある待遇よりも良くなる時は手放しで喜ぶが
下がるときは、なかなかに抵抗して納得しないものである。
誰しも今の生活のレベルは落としたくはない。
これは浅ましいといえば浅ましいが、人間の自然な感情かもしれない。

阿久根は未だにこういった問題を内包しつつ、ひっそりと人々が
暮らしをたてている町である。
経済的に発展を続ける町は、確かに華々しく、一見、便利で住みやすそうだが
ボクには、こういった少し寂れて衰退期に足を踏み込んでいるような町のほうが
落ち着いて、足を地に着けた生き方ができるように思えてならない。

阿久根はこじんまりした海のきれいな町である。
この町に九州新幹線が停車駅を作らなかったのは、幸いだったかもしれない。
町も産まれ、成長し、盛期を迎え、そして衰退し、いつの日にか消滅するのである。
それで良いではないか。
阿久根に反して、45年前に泊めてもらった薄汚れたドライブインのあった川内は
あの頃の田舎町が一変して、川内原発のおかげで、大きな町に変わっていた。

新幹線が出来、高速道路やバイパスが出来、そして、かつて栄えた旧国道とともに
寂れて行く幾多の衰退した町が存在している。
九州の国道3号線沿いの町には、ボクの興味を惹くそんな魅力的な町が多い。
こういった町を訪ね歩くのは、観光地で多くの人に紛れて過ごす時間よりも
ずっと楽しいものなのだ。

少し湯あたり気味になった身体を冷やし、広い和室で
焼きそばを食べながら、ビールを飲み、西村賢太氏の「瘡瘢旅行」をひたすら読む。
今年の旅はあと二日で終わる。


「知覧特攻平和会館」そして阿久根へ その1

2013年08月12日 | 



8月6日、今日も朝は6時に目が覚める。
旅に出てからというもの、夜は大体12時前に寝てしまうので
いつもより朝の目覚めが早い。

ここのホテルはBS放送が映るので、7時半からの「あまちゃん」を観て食事に行く。
ここも和食で、昨日と似たような按配。
申し訳程度にパン食もあったが、不味そうだったので和食にした。
食事後に野菜ジュースとコーヒーを飲む。

天気は曇り。
いや、少し小雨が降ってたかな?
9時にはホテルを出る。

本日の予定は決まっていないが、知覧の「特攻平和会館」にだけは
行くつもりである。
その前に、「おさかなセンター」に寄り、お土産と
我が家で使う本枯節を購入する。
店のおばちゃんはボクの顔を覚えてくれていた。
鰹節は最高のものを購入。送料が掛からないので2本買った。
すぐ横にある食堂で「かつお丼」を食べたかったのだが
朝ごはんを食ったばかりなので、やめておいた。
四国に行った時も「びやびや」の鰹が食えなかったのだが
今回も悔いを残しそう。





どんよりとした曇り空の下、近くの「火の神公園」に行ってみる。
ここのキャンプ場はロケーションが良い。
眼前に海が拡がる。
サイトは芝で、寝心地は良さそう。
もう少し気温が低く、天気が良くて、蒸し暑くなければボクはここに泊まる予定だった。
水場もトイレもあるし、街まで近いので買出しも楽だし
「なぎさの湯」までも10分ほど走れば着く。
坂を越えたところには、市営のプールもある。
ここなら2,3日は楽勝だ。
キャンプ場は誰も居なくて閑散としていた。
多分週末にはバーベキュー目的のファミリーキャンパーが押し寄せてくるのだろう。
こんなに暑い季節にキャンプしたり、しかも炭をおこして料理するなんてのは
気違い染みた行為に思えるのだが…。
ボクも旅に出る季節を変えようかなと思う。

枕崎の街に戻り、「かつお公社に行ってみる。
ここはボクがネットで本枯節を注文しているところである。
製造工程が見られるので、しばらくガラス越しに見学していたが
若い男女が忙しそうに働いている。
しかし、どうも顔つきが気になる。
みんな無表情で、忙しそうではあるが活気が無い。
よく見ると顔つきが日本人ではないような感じがする。
公社の人に尋ねてみたら、案の定、中国からの研修生だと言う。
昨日の「なぎさの湯」での話を思い出した。
「日本人の若い子は誰もこんな仕事をしないんですよ」
「もはや研修生が居ないと、鰹節は作れない状態ですね」
見ればすぐに解かる。
研修生とは名ばかりの低賃金労働者である。
本当に研修生ならば、彼らの顔つきはもっと違って見えるであろう。
複雑な気持ちになった。
少なくとも、この公社から注文するのは止そうと思った。
角ばった顔つきの中国人らしき若い女性がボクをねめつけた。
ボクも彼女の顔をねめつけたが、少なくとも友好な関係は築けそうになかった。
四国の深浦もそうだったのだろうか?
町中が煙に包まれて、家内工業的な雰囲気だったが
実際に工場を見学してないので解からなかった。
「かつお公社」は枕崎では大手である。
これからは個人商店の本枯節を買おうと思った。
個人商店さえもが研修生頼みならば、最早日本人の味の基本である
鰹節は絶滅の危機に瀕していると思わなくてはならない。


一路知覧を目指して走る。
丘陵地には一面の茶畑。
霜よけのためか大きな扇風機が何台も立っている。
どうやらすべてオートメーションらしく、茶摘は機械でやっている。
すべて知覧茶かと思えば、枕崎茶と書いてあるので
どうやら枕崎は独自のブランドで茶の生産を行っているらしい。
まあそう大きな違いはあるまい。

小1時間ほどで知覧の「特攻平和会館」に到着。
カミさんは以前、郵便局の簡易保険旅行かなんかでここを訪れていて
「母さん、とか母上様とかの書き出しの遺書ばかりで泣けるよ」と言っていたので
大戦末期に若者たちが必死の覚悟で何をどう感じていたのか
肌身で感じたくて、ボクはここに来るのを楽しみにしていた。
入場料500円を払い、中に入る。
知覧がシラス大地で水捌けがよく、開発がしやすく、しかも沖縄に近いということで
ここに急遽、飛行場を建設し、南方の最前線基地として
そしてまた、飛行訓練のために建設されたという経緯を読む。

メインのブースには、大空に散った1000余名の顔写真や遺書
決意の寄せ書き、実物大の飛行機などが展示されている。
ボクはここでたっぷり3時間以上掛けて遺書などを丹念に読みながら見学した。
しかし、カミさんが言ったような感情は起きなかった。
泣くどころか、怒りが沸いて治まらない。
まだ年端も逝かない男児たちが、残された数時間と言う時間の中で
家族に対して、また天皇や同輩に対して切々と遺書を認めているのだが
ボクには、その言葉の稚拙さというか、ありきたりの言葉が
どうにもピンと来ない。
もちろん遺書といえども、検閲はあるだろうし
また、女々しい気持ちや期待に反することを綴っては
両親や皆に済まないという自己規制もあるかもしれないが
まるで小学生が卒業アルバムに書く文集のように
皆が一様に同じような言葉で同じことを書き綴っており
個々のリアリティのある言葉に触れることを期待していたボクには
何かしら、白けてしまったというのが正直な感想である。
国家のために戦った英霊に対して、なんという不謹慎なことをと
お叱りを受ける覚悟で、ボクはそう思った。
きっとこれは遺書ではないのではないか?
もしこれが本当に遺書ならば、やはり戦争と言うものの惨さ
それしか頭に浮かんでは来ない。
誰もこの大戦を非難することはできない。
国家のために死のうという若者でさえ、好き勝手なことが言えない。
皆が一様に、天皇のため、国家のため、両親のためという思いに縛られて
いや自分をそう縛って死んでいったのである。
しかもこの作戦が多大なる効果を発揮するものならいざ知らず
ほとんどの飛行機が途中で撃破され
なんとか敵艦に届いても、的を外して海中の藻屑となってしまうことが多いのは
上層部はすでに掴んでいる事実だったはずだ。
それでも1945年4月、5月と多くの特攻隊を編成し
沖縄へ飛ばし続けたこの惨い事実はいかんともしがたい。
これではまるで犬死ではないか。

3時間以上もの間、ボクは食い入るように資料を読み続けた。
字が読みにくかったり、カタカナ漢字混じりだったりで
たいへん時間が掛かったが、それでも必死にリアリティのある言葉を探し続けた。
しかし、漢字でいえば「惨」という漢字であろうか
そんな字が心に重く溜まってしまって、心底疲れた。
一人だけ、許婚に対して、最後の最後に
「君に会いたい。会ってもう一度話がしたい」という切なる想いを綴った方が居られた。
ボクはその言葉に救われた思いで、記念館を出た。

(続く)


枕崎市へ

2013年08月10日 | 



朝、6時に目を覚ます。
窓の外は、昨日と同じで、今にも降りだしそうな空模様。
朝食は7時からなので、先に一風呂浴びるかと思ったが
なんとなく面倒で、ベッドに寝転がりながらテレビを観る。
昨日の天気予報では、今日から高気圧が張り出し暑くなるとのことだったが
今朝の天気予報では、熊本、鹿児島地方は降ったり止んだりのお天気だということ。
なんてこった。

7時になったので食堂に行き、朝食を食べる。
バイキング形式ではなく、和食オンリーでコーヒーとジュースだけはある。
ご飯、味噌汁、焼きサバ、納豆、漬物、ちくわの煮物、海苔。
不思議に美味しくて、サバも臭みが無く、ごはんをお替りしてしまった。

昨日は玉名まで170キロ弱。
今日は枕崎まで一気に走る予定である。
今回はお天気の心配もあったが、5日間でかなりの距離を走ることになるので
カブ太郎ではちょっときついかなという思惑もあった。
走れない距離では無いが、ただ走るだけの旅になってしまう。
カブ太郎で1日200キロは限界に近い。

8時半にホテルを出る。
出た途端に大粒の雨。
荷物を抱えて車まで走り、出発。



朝の通勤ラッシュとかち合い、3号線に出るまでが大変。
雨は相変わらずの驟雨で、時折前が見えなくなる。
3号線の低い部分は冠水するのではないかと思えるくらいに水が溜まっている。
少し怖くなって、一時避難しようかと思ったが
他の車と一緒に、なんとか走る。
それでもあまりに雨がひどくて、竜北の道の駅に避難する。
自衛隊の演習に出ていた連中も雨を避けて、トイレ休憩タイム。
大型の自衛隊車が10数台。
迷彩服の若者たちが一斉にトイレへ。



雨が小降りになるまで店内を散策。
ここの駅は果物が多い。
今年初めてのイチジクもお目見え。
梨とボクの好きなブラック・ビッドの葡萄、そしてイチジク、ブルーベリーまで購入。
1400円余りを使ってしまった。
レジで、1000円以上の買い物をされた方にと、ジャガイモ1袋を頂く。
思わず辞退しようと思ったが、万一の時にはこいつを茹でて食おうと思い、有り難く頂く。

雨が小降りになったところで、再び出発。
水俣、出水、阿久根あたりは道路も濡れてなくて薄曇。
そろそろ昼時になったので念願のラーメンを食べようと店を探すが
なかなかここぞというような店が見つからない。
出水から阿久根に向かう折口あたりで、「親父の蕎麦屋」という
ちょっと変わった田舎風建屋の蕎麦屋を発見。
蕎麦はいつも食べているので今回の旅行では敬遠するつもりであったが
なんとなく美味そうなので、ついフラフラと入ってしまう。
店内に入った途端に後悔。
名前からして、頑固な親父の存在を確信していたのだが
カウンターに居るのは、ちょっと見は高校生、じっと見れば25,6歳位のおねーさん。
化粧気が無く、そばかすがチラホラ、ちょっと雰囲気のあるおねーさん。
赤いTシャツにジーンズ、お下げ髪をゴムで括り、どう見ても
後姿は高校生。
「なんにいたしましょうか?」
掻き揚げ天蕎麦には、なんたらいう阿久根沖で採れる海老が入っているみたいで
美味そうだったが、厨房から出てきたおばちゃんの顔を見て
どう贔屓目にみても料理に気合が入っているようには見えなかったので
「じゃ、ざるを1枚ください」
このざる蕎麦が美味ければ、掻き揚げの天麩羅を追加注文しようと思ったのだが
出てきた蕎麦は、やはり二八よりもつなぎが多めの蕎麦。
汁はまあまあ。
一応本山葵とネギ、鶉の卵、てんかすまで付いている。

ボクは黙ってもくもくと食べ、御代を払って店外へ出た。
600円なり。
掻き揚げ天は注文しなかった。
国道沿いの田舎の店の典型であった。

クーラーの中の氷はすでに水状態なので
コンビニに寄って氷を補充しようと思ったが、馬鹿高い。
すぐに溶けそうなやつが300円くらい。
やはりコンビニは高い。
途中の釣具店に寄り、氷を購入。
こちらは大きな角氷が110円。
氷は釣具屋が一番いい。

川内を過ぎ、串木野あたりから270号線に入る。
雨はほとんど降ってないが、それでも時折局地的に驟雨。
ガソリンが少々心配になってくる。
すでに北九州を出て400キロ近く走っている。
ここまで無給油である。






吹上浜に着く。
ここは40年以上も前の高校生の頃、九州をヒッチハイクで一周した時に寄った。
松林と茫漠と広がる砂浜、そして眼前の東シナ海にちょっとセンチになった記憶がある。
九州を廻ってみて、なぜかしらここが一番気に入ったのを覚えている。
現在は広大な海浜公園になっており、天然芝のサッカー場やキャンプ場などが整備され
40年前の面影は全くと言っていいほど無い。
この蒸し暑いなかで高校生くらいの連中がサッカーに講じていた。
元気なもんだ。
せめて浜まで歩いてみようと思ったのだが
あまりの暑さに断念。
ダメだな~。

いよいよ本日の目的地、枕崎も近い。
しかし、枕崎に近づくにしたがって、またもや雨。
どないなっとんねん。
俺は雨男か?

枕崎に4時過ぎに到着。
途中で電話で予約したホテル「シティーホテル福住」の場所を確認し
ガソリンを補充する。
小倉から440キロ走って、22.5リッター。
リッター20キロ弱。
ビストロ君はえらい。



近くに「お魚センター」があり、5時までやっているというので寄ってみる。
レストランはすでに閉店していたが、土産屋が開いていたので物色。
お目当ての本枯節がぎょうさん有る。
「かつおみそ」も試食したら美味かったので明日買おう。
おばちゃんに明日の朝買いに来ることを告げ、ホテルに行く。

ホテルは枕崎駅から車で2.3分のところに有り、メイン通りに面した瀟洒なホテル。
1泊朝食付きで5000円。
ビザカードが使えたので、カードで支払う。
部屋は狭いが、昨日の立願寺ホテルよりもずっときれいで
冷蔵庫も風呂もトイレも付いているので快適。
ただ冷蔵庫は冷やすだけで、冷凍庫は無いので氷を固めることはできない。
この冷凍庫があると随分助かるのだけどね。
ホテルは4階建て。
1階が駐車場とエントランス。
2階には部屋と受付ロビーおよび食事室。
3.4階は部屋のみといった具合。
フロントのおねーさんに美味い店を聞き、歩いて1分のところに「喜久家」という小さな食堂が有り
そこに時化込んで食事を摂る。
「かつおのメニューはありますか?」
「かつおでしたら、刺身、たたきもありますけど」
「いや、腹が減っているので、なにか丼物かなんかを」
「それでしたら船人飯なんかはいかがですか?漁師料理みたいなものですが
かつをの出汁をかけて食べるお茶漬けみたいな丼です」
「じゃ、それを」
船人飯は美味かった。
鰹の刺身と鰹節と青菜がてんこ盛りの丼に濃い鰹出汁をかけて食った。
本当は刺身やたたきを食べて焼酎が飲みたいのだが
このあとホテルのおねーさんに聞いた「なぎさの湯」に行かねばならないので
車の運転があり飲めない。残念。船人飯は800円なり。

まだ外は雨が小さく降っている。
ホテルで温泉道具を手にして、「なぎさの湯」に行く。
部屋には小さな風呂があるが、温泉でもないし
こんな風呂に入る手は無い。

車で3,4分。
「なぎさの湯」はすぐに判った。
高台にあり、枕崎の街が一望できる。
入湯料390円。
シャンプーや石鹸の備え付けは無いので、各自持ち込んだほうが宜しい。
ここの湯は弱塩泉含鉄分といった感じでよい湯である。
特に露天風呂が最高で、街と山並み、海、夕陽が一望できる。
内風呂には立派な洗い場と電気風呂なんかも有る。
この電気風呂は強烈で、マッサージ効果よりも痛みの方が強い。

露天風呂で土地の人に話しかけ、枕崎の街のことや
風呂から見える風景の説明を受ける。
昨日は花火大会があり、ここの風呂は大勢の人が鈴なりだったそうな。
それこそ立錐の余地も無いほどの混み様だったらしい。
半分残念でもあり、半分は今日でなくて良かったと思う。
その男性に聞いた話によると、すでに鰹節の生産は中国人の手に委ねられており
近くの町から、朝は自転車に乗った一団が枕崎目指して走ってくるそうな。
まるでニュースで観る中国や東南アジアの通勤風景みたいだと言う。

せっかくいい話をしていたところに、首に動物の牙のネックレスを掛けた
ヒッピー風の兄ちゃんが割り込んでくる。
たぶんバイクでの旅行者に間違いあるまい。
佐賀から昨日の花火大会にやってきて、テント泊していたらしい。
軽い兄ちゃんで、話がかみ合わないので無視していたが
地元のおっちゃんが出てしまうと、ボクに話しかけて来る。
ちょうど夕陽が山の向こうに沈んだ後のトワイライトタイムの一番いい時だったのに
小うるさい奴である。
枕崎に着いても雨ばかりだったのに、このときばかりは晴れて
きれいな夕焼けが見られたので、明日の晴天を確信したものだ。

適当に流していたが、妙なところに気が付く奴で
細かいところで人の話に突っ込みを入れてくる。
「うるせえ」と怒鳴ってやろうかと思ったが
知らん顔して黙り込んでいたら、むこうも黙ってしまったので
頃合を見て風呂から出た。
この兄ちゃんを除けば、実にいい温泉である。
ダイナミックであり、叙情的でも有る露天風呂からの風景は実に良い。
ただ近くに養豚場でもあるのか、時折風の向きによって
流れてくる動物の糞尿の匂いが鼻に付く。
養豚の盛んな県であるので、この点は我慢しなければなるまい。



ホテルに帰り、風呂上りのビールを飲みながら
本日はテレビでニュースを観て眠りに着く。
天気予報がまたまた変わって、鹿児島地方は明日もすっきりしないと言っている。
あんなにきれいな夕焼けだったのに…。


玉名温泉立願寺温泉ホテル

2013年08月09日 | 



8月4日朝、9時過ぎに家を出る。
空は今にも降りだしそうな曇り空。
我が家のある北九州市小倉南区から田川方面、嘉麻市、八丁峠を超え
朝倉、久留米方面へと向かう予定である。

嘉麻市に入るころから雨が降り始める。
本日は、熊本の玉名温泉泊まりであるから、あまり急ぐ必要も無い。

たまたまネットで見つけたのが玉名温泉、立願寺温泉ホテル。
朝食付きで一泊3900円と言う料金設定に惹かれ
楽天のポイントが3300点ほど溜まっていたので
楽天とラベルを通して予約すると残金は600円で、非常に安上がりであり
おまけに温泉旅館という名の通り、立派な大浴場温泉もあり、かけ流しでもあったので
迷うことなく予約していたのである。
まあ、価格の設定からも判るように、部屋やホテルには過大な期待など端から無かったが
温泉だけが目的だったので、それ以上のものは求める権利も無いようなものである。



嘉麻市から八丁峠に差し掛かったものの、山中はひどい霧というか雲海で
おまけにエアコンが効いた車内と外との温度差により
窓が曇ったような状態になり、非常に外が見難い。
30メートル先は視界が利かないような按配である。
山道は狭く、暗く、ヘッドライトは霧に反射してかえって見づらい。
通行車両はほとんどなく、それだけが幸いで
対向車があれば危なくてしょうが無い。

なんとか秋月を抜け、朝倉に出たあたりで雨は小降りになり
久留米方面に向かう。
しかし今度は時折驟雨。
前も見えないほどなので、40キロ以下くらいのスピードで走る。

最近、ラーメンをまったく口にしてないので
久留米ラーメンを昼食にしようと思って探したが
たまたま見つけても昼時で、満車。
他に何軒か見つかったが、いずれも同じ状態で
まあ、熊本にも熊本ラーメンがあるので、ラーメンはそこで食べることにして
土用の丑の日にうなぎを食べていないので、一路柳川を目指すことにする。
柳川に着く頃は1時を過ぎるので、客も少なくちょうど良いかもしれないと
せいろ蒸の臭いに思わず涎が出そうになる。

少し曇ったかと思えばゲリラ豪雨。
(ゲリラという名をこんなふうに使って欲しくないので、以下驟雨とする)
本当に局地的で、すごい雨粒かと思えば、また曇り。
そんなことの繰り返し。

さて柳川には1時半前に到着したが
お目当ての若松屋はそんな時間にも関わらず満車、満員。
交通整理の店のお兄さんに、路駐しても良いかと尋ねたが
今日は警察が見回っているので止したほうが良いとのこと。
仕方なく他の店に向かう。
情報化時代とはよく言ったもので、評判だけが一人歩きしている感じがする。
鰻なぞ、こと柳川で食べる分に関しては、そう変わらないと思うのだが。
柳川屋という店に入る。
駐車場に車を停めた途端、大粒の雨。
なんとか降りることが出来るまで待ってから店内に入る。
客はちらほら。
なるほど、客が少ないわけが判った。
値段が高いのだ。
ここは蒲焼、白焼きはあるにはあるが、せいろ蒸メイン。
若松屋では、上せいろ蒸が2300円くらいだったと思うが
ここは、松、竹、梅で松が3500円、竹で2700円なのだ。
最初のお昼から3500円はちと痛いので、竹にする。
料理が運ばれてきたが、本当にこれが竹か?と思うくらい小さい。
もしかして梅と間違えてんじゃないのかと思ったが
まあ勘定の段になれば判ることと、腹が減っていたので一気に食らう。



味はうなぎである。美味い。
若松屋とたいした違いは無い。
「おいくらですか?」と勘定すれば「2700円になります」と仰ったので、やはり竹であった。
こんなに高くなっては、おいそれと鰻は食べられないものになってしまった気がした。

柳川は今年の春にカミさんと来ているので、雨も降ってることだし
観光はパスして、玉名に向かうことにする。

しばらくするとまた驟雨。
前が見えないほどなので、スーパーマルキョウ船津店に入り今夜のビールやツマミを仕入れる。
雨が止まないので、駐車場の車の中でしばらく読書。

ナビは大変便利である。
何年か前に友人のH氏から買った中古であるが、情報が古い点を除けば
ほぼ完璧に案内してくれる。
カブ太郎だと地図と睨めっこしながら、度々道を探さないといけないが
ナビゲーターの指示通りに走れるので、余分な神経を使わなくて済む。
特にこんな雨模様の日には大変助かる。
しかしその分、道はまったく覚えないことになるから
次に来ても、またナビに頼らざるを得ない。
旅の面白みも半減するかもしれない。

玉名温泉には4時過ぎに到着。
ナビの指示通りにホテルはすぐに見つかった。
丘の上に建つ瀟洒なホテルと言いたいところだが
遠めに見ればそうなのだが、年月を経て、あちこちガタが来ている。
寅さんのロケ地にでもなったことがあるのか
玄関脇に下手糞な看板が見えた。
手前に「司ロイヤルホテル」や「つかさの湯」という立派で豪華な建物があるので
なおさら悲壮感が漂うホテルである。

玄関入り口に雨漏りの後始末。
大きなゴミバケツが置いてある。
フロントで手続きして聞いてみると、すごい雨が降ったみたいで
風呂場の更衣室もかなり汚れたが掃除をしたので何とか使えるという
申し訳なさそうなフロントマンの顔を眺めながら、いやはや。



部屋はお世辞にも手が行き届いたとは言い難い代物。
清潔にはしているが、ドアの塗料は剥げ、洗面所というか洗面台はとってつけたような感じ。
カーテンを開けると、窓外には配管だらけ。
もちろん冷蔵庫も無し。
こいつが一番困るのだ。
一応スーパーで氷を仕入れてはきたが、クーラーの中ですでに溶け掛かっている。

少しベッドで休んでから、夕食を摂りに町に出掛ける。
田舎の街道沿いの町には、どこにもありきたりなチェーン店ばかり目に付く。
ネットで調べていた蕎麦屋さんに出掛けてみるも、やっているのかどうかもわからない感じの店。
食べログなんてものは、まったく当てにならない。
ホテルなんかの紹介も、写真がやけに綺麗で、これならと思っても
実際に行ってみると、イメージとかけ離れたものが多い。

結局、弁当でも買って帰るかと、ヒライとかいう弁当のチェーン店に行ってみるが
店内の饐えたような臭いに辟易して、何も買わずに出る。
弁当も味の濃いそうなものばかりで、なんとも。
長崎チャンポンかうどんのウェストなんて店しかないので
どちらにするか迷った挙句、うどん定食にした。
ウェストのうどんは、もう何年も入ったことがないのだが
夕方の5時からは居酒屋メニューになっていて、酒や一品料理なんかも出すようになっていた。
うどん定食は、可も無く不可も無し。
食事と言うよりも餌といった感じ。
それでも結構客が入っているのにはびっくり。
てんぷらの嫌な油の臭いが鼻について、いつまでも消えなかった。

早く宿に帰って風呂に入り、ビールを飲むことで気分をよくしようと
早速、ホテルの大浴場に行く。
なるほど、更衣室には大量の塗れたタオルが敷き詰められていたが
まあ風呂に入るには差し支えない。
風呂には誰も居らず独り占め。
かけ流しの温泉で湯はぬるいが、泉質はまあまあ。
トロンサウナの部屋があり、こちらは少々熱めの湯。
それにしても打たせ湯らしき蛇口からは湯は出ず
トロンサウナのブクブクも所々しか出てない。
なんだか使用不能になったような配管があちこちに。
もう少し手を入れれば、立派な温泉なんだがなあ、と一人愚痴る。

喉が渇いたのですぐに風呂を出て、部屋でビールをプシュウ!
美味い。
西村賢太の「膿汁の流れ」の途中から読み始める。
旅行が終わった頃には図書館に返さなくてはならない。

2缶ほど空けたところで気分が良くなり、再度風呂へ。
今度は子供を含め数人の客。
湯は先ほどよりもさらに温くなった感じ。
ボイラーが故障しているのか、オーバーフローしていた湯船の湯量も
心なしか減ったような感じ。

翌朝、フロントで聞いてみると、裏山から大量の泥水が流れ込んできたらしい。
それほどの雨であったということだ。
「まことに申し訳ございません。ご迷惑をおかけしました」とのことなので
なにか不都合なことがあったのだろう。
致し方のないことなので、「お気になさらずに」と返しておいた。

朝食はご飯、味噌汁、焼き魚、生卵の切って張ったような定番メニュー。
それでも美味しかった。
ボクには朝は和食の方がいいのかなと思う。
量もこれ位でちょうど良い。
質素な朝食だが至って快適。
バイキングで迷わなくて済む。


たどり着いたらいつも雨降り

2013年08月08日 | 

4日の日曜日から旅に出た。
いや、今回は「たび」ではなく、単なる旅行である。
週末天気がぐずついて、日曜日から晴れるという予報であったが
日曜日の朝、どうにも降りそうな感じ。
しばし沈思黙考。
今回はいつものカブ太郎は止めて、愛車のビストロ君で出掛けることにした。
一応キャンプ道具も積み込む。

肌に纏わりつくような嫌な湿気で、今にも降りそうと思ったら
案の定、走り始めるとすぐにポツポツと降ってくる。
でもまあ、明日からは大気の状態が安定し、九州地方は晴れの天気というので
やはりカブ太郎にすれば良かったかな、と思いながら走った。

今回の旅行の目的は、いつも使っている本枯節の生産地、枕崎を訪ねることと
知覧の特攻隊平和記念館、数年前に市政問題で話題になった阿久根市
それにまあ、温泉に浸かることであった。

日程としては、玉名温泉で一泊、そして枕崎、阿久根、阿蘇と廻って帰ってくる予定である。
宿のテレビで天気予報を確かめる度に、「明日からは猛暑となるでしょう」
という予報が繰り返されたが、玉名に着いたら雨。
枕崎も雨。
阿久根も軽く雨。
阿蘇はやっと曇り。

お日様は時々顔を出すくらいで、ほとんどが曇り空。
最終日、岐路に着いた途端に、猛暑。

いや~、カブ太郎で来ていたら大変なことになっていた。

結局、すべてホテル泊。
あまりの蒸し暑さと、局所的な豪雨。
もはや8月にキャンプ旅をするのは困難かもしれない。
かなりおかしな気候になってしまった。


カブでツーリング始動

2013年05月12日 | 

ブログの更新が昨年末から滞ったままで、なんともはや…。

世の中にあまりにも大きな出来事があったり、理不尽なことばかりがまかり通ったりすると、
個人でチマチマとブログを書いたりする行為そのものがなんだか、どういった意味合いがあるのか
訳がわからなくなり、非常に虚しい自慰行為のように思われて
しばらく遠ざかってしまった。

書くという行為よりも、むしろ読むという行為に
表現するということよりも、理解するということに
静に静に没頭してこの何ヶ月という月日が過ぎ去ったように思う。

カミさんと買い物に出掛けたり、近くの温泉に出掛けたり
はたまた、美術展に行ったりはしていたのだが
それは悪魔でも外との繋がりを持つというよりも、たまの気晴らしといった感じで
自分としては、単調な日常に身を沈め、ただ単に無為に過ごしてきたというか
毎日を平凡に過ごすということに、重きを置いて過ごしてきた。
「生きる」とか「暮らす」ということは、そういうことであると思ったし
朝起きて、飯を食い、仕事をし、庭の草花やメダカの観察に時間を掛け
プールで泳ぎ、本を読み、ネットで映画を観、料理をし
夕餉には少しの酒を飲み、1日を無事に過ごせたことに感謝しながら
眠りに着く。
その単調さが気に入っていた。

だからこのブログは、昨年末から放置していたのだ。

今週から、仕事の方が俄然忙しくなる。
しばらくは仕事ずくめだ。

それ故といってはなんだが、すばらしい五月晴れの今日
ひさしぶりにカブのエンジンを掛けた。
チョークを一杯に引き、思いっきりキックすること数回
久々にカブはその頼りないエンジン音を響かせた。
しばらくアイドリングし、タイヤの空気圧、チェーンの張り具合など確認し
行くあてもないまま、走り始めた。

結句、1日で200キロも走ってしまった。

田川、川崎、嘉麻、小石原、東峰村、日田、山国、耶馬溪、中津、そして自宅まで
帰り着いたのは、夕方の6時過ぎであった。

私にとっては、本当に久方ぶりの外との接触である。
ゆっくり走った。

大型バイクに乗った連中は、猛スピードで飛ばして行く。
多分、飛ばすことが楽しいのだろう。

だが、私にとっては、カブのスピードがちょうど良い。
外のいろんなものとの接触が可能だから、こちらのほうがいいのだ。
気にかかるものを見ればすぐに停まれるし、寄り道もし放題。
アクセルの微妙な開け閉めや、ブレーキングのタイミングなど
ギリギリの神経を使って飛ばすのも、確かに面白いと思うが
還暦過ぎの神経には、ちときつい。
オヤジとカブは相関関係にある。
いい友達なのだ。

今日立ち寄った所は、3箇所ほど。
意外と自宅近くにあって知らなかったとても透明度の高い、美しい池。
嘉麻市に昨年出来たらしい「つつじ庵」という山奥の端正な蕎麦屋(店内に沢山の生花)。
そして山国の「なかま温泉」。
これらはまた後日紹介することにする。

久方ぶりに身体が疲れました。
いい疲れです。
そして神経は研ぎ澄まされました。


久しぶりのキャンプ

2012年08月08日 | 















今年は、例年のように長い休みが取れず、飛び石のように仕事が入っているので
1週間以上のツーリングキャンプに行けず仕舞いで終わりそうな夏の予感。

それでも先週、顔なじみの子供達が玖珠町の竜門の滝でロッジに泊まるというので
カブにテントを積み、追いかけた。
ちょうど我が家から100キロの距離。
昼前から出掛け、4時頃には現地に到着。
ロッジの前にテントを張り、子供たちと遊ぶ。
風があり大変涼しく、テントを張る作業をやっても汗を掻かない。
というよりも、風邪が強くて、張りづらい。
子供たちとカレーを食べたり、お菓子を食べたり、花火をしたりと
あっという間に夜が更けて行く。



川の流れと滝の音がやかましく、なかなか寝付けない。
カジカの声がとても心地よいのだが、時折強く吹く風と雨音にナーバスになり
熟睡できないまま朝を迎える。

昨日から道中の販売所で買った完熟トマトばかり食っている。
ロッジに冷蔵庫があるので、勝手に使い、とても冷たくて美味しいトマトが食える。
昨夕に近くの酒屋で買ったビールや酎ハイなども叩き込んで、快適である。
そういえば、近くの温泉に行くと、インド人にも出会った。
中々の泉質で、掛け流しなのでとても気持ちが良かった。
外国人は決まって温泉に長く浸かることが出来ない。
すぐに出ようとした彼を引き止めて、しばらく話をする。
彼は42歳のインド人で、甘木のカレーショップで働いているという。
自給800円。
1ヶ月に約18万稼ぎ、そのうち15万をインドにいる妻や子に仕送りしているという。

「あなた、3万でどうやって暮らしているの?」
「1万が携帯代で、タバコが3000円、一番安い しんせい で240円もするから、あまり吸えない」
「家賃は?」
「部屋はオーナーがただで貸してくれる。でも残りのお金で食ってゆくの大変。携帯はインドにかけるので仕方ないし」
「でもインドで月に15万あれば楽々だろう。もう少し仕送りを減らせばいいじゃない」
「インドも最近物価が高くなった。野菜なんて10円で買えてたのが、30円だよ。それに子供の教育費が大変」
「お前さん、若いのに苦労してるなー」

北九州に有るカレーショップの情報を知りたがるので、古くから有るタージマハールのことを話してやると
知っているという。
自分で店を持ちたいようだが、大変だぞと話してやると
とにかく今のままもう少し頑張ってみると言いながら彼は風呂を出て行った。

竜門の滝を後にし、国東へとカブを走らせる。
初めて走る院内から宇佐に抜ける387号線は実に快適。
車の通行量も少なく、久住のような高原の道で空気も良く最高である。

実は国東のどこかでもう1日キャンプをするつもりだったのだが、今朝テントを畳む時に
ポールのテンションロープが切れた。
3年目だからしょうがないと諦め、ポールは折れてないから何とかなるが
次の日に仕事の野暮用があり、その次の日には撮影もあるので
今回は、4年前に訪れた長崎鼻に行き、管理人の山下さんに会ってから姫島に渡り拍子水温泉に浸かり
夜遅くまでにうちに帰ることにした。

長崎鼻は前回同様、途中の道が素晴らしい。
海が見える丘を抜けるとキャンプ場があるのだが、こんな場所に住みたいといつも思う。
キャンプ場は少し寂れていた。
山下さんが居た売店も閉まっていた。
駐車場の管理人に聞くと、彼はもう辞めたという。
売店も土日しか客が来ないので、いつもは閉まっているらしい。
朝、トマトを食ってから、何も食べてないのでここの売店で何か口にしようと思っていたのに残念である。
聞けば彼は近くの物産館で働いているというので、そこに行って見る。
なんたらウェスタンという名前だったと思うが、そこで少し早い昼食を摂り
山下さんを探してみると、目の前に彼が居た。
4年も前のことだから初め彼は怪訝な顔をしていたが、すぐに思い出してくれ
コーヒーを飲みながらしばらく話す。
歳も70歳を超え、体力も落ちたと言う。
このあたりも年寄りばかりで活気が無くなったとも言う。
相変わらず4年前と同じような気ままな旅を楽しんでる僕を羨ましいと言う。
しかし、僕も体力が落ちた。
今回、カブで来てみてわかったのだが、よくもまあこんなアップダウンの激しい道を
荷物を満載した自転車なんかで来たもんだと、我ながら感心したという話をする。
山下さんも4年前に自転車で現れた僕に驚嘆したと言う。
実際カブで走ってみると、2速ギアで精一杯アクセルを廻しても時速20キロしか出ない坂道だった。
しばらくそんな話をして、再会を誓って物産館を出る。

文明の力は偉大である。
なんのかのといってもカブのおかげで汗もあまり掻かずに国美の姫島フェリー乗り場に簡単に到着する。
自転車だと大変だった道のりである。
姫島での目的は拍子水温泉に入ることである。
そのために僕はカブも積み込んだ。
温泉は港からかなり離れているので、カブがないと話にならない。



何処の温泉が好きかと聞かれれば、僕は即座に夏ならば姫島の拍子水温泉と答える。
風呂自体はなんの他愛も無い普通の風呂だが、ここの冷泉は最高なのだ。
もちろん源泉の掛け流し。
暖かい方はボイラーで沸かし少し水を混ぜているのだが鉄分の多い炭酸泉で
タオルは黄色でないとすぐに色がついてしまうくらい赤い。
だからここでは受付で黄色のタオルを貸してくれる。
温まった身体を冷泉に移すとひんやりして実に気持ちが良い。
しかも窓を開ければ目の前に海が広がる。
二つの浴槽を行ったり来たりしていると時間の経つのも忘れるくらいである。







拍子水温泉はすっかりリニューアルされ実にきれいになっていた。
浴槽もシャワーも待合室もマッサージ機までもが新しくなり快適だ。
マッサージ機はただで使い放題。
しかしそんな施設よりもここの良さは島人たちの快さである。
陽気な婆さん達が和室やテーブルでゴロンゴロンしており
「にいちゃん、パン食わんか?」とか「おこわ食べんね」とか必ず声を掛けてくれる。
みなさん元気がよろしい。齢80~90歳といったところだろうか。
ちょっと独特の話し方で、早口でもあるので聞き取りにくいのだが、みなさん優しい。
僕は、「にいちゃん」と書いたが、それは前回のことで、今回は「おいさん」と呼ばれた。
やはり歳を取ったのかな?最近口ひげまで生やしているせいかな?
往復で1700円払ってフェリーに乗ってまで来る価値のある温泉である。
赤錆の臭いの強い炭酸泉をたっぷり飲んで、夕方のフェリーで国東に渡った。

夕方の強い西日を浴びながら北九州まで走った。
昨日から300キロ走っていた。