朝倉の筑後川温泉に行った。
実に一年ぶりのことである。
昨年の大雨による被害で、僕の自宅からは
崖崩れなどで道路が不通になっていたからである。
今でも所々片側通行になったままである。
英彦山から小石原に向かう道がまだ工事中なのだ。
だいぶ早くから道路が通行出来るようになった事実は分かっていたのだが、災害後緊急の場合を除いて朝倉に行くことは憚られた。
報道によりかなり復興が進んで来たようなので
一年ぶりの朝倉行となったのである。
僕がよく行く筑後川温泉は大雨後に電話連絡により無事であったことは確認していたのだが、
流石に災害後の悲惨な状況の中で温泉に浸かりに行くことは出来なかった。
少しでもお金を使う事が朝倉の復興に繋がるとの意見もあるが、僕には出来なかった。
実はあの大雨の最中、僕はこの温泉に車で向かっていたのである。
昨年のあの日、家人が東京に行ってて、一人だった僕はこの筑後川温泉に出掛けたのである。
朝から雨が降っていたが、途中から雨が酷くなり
流石に崖の多い山道を走るのは危険かなと思い
中途から引き返したのである。
もしあの日、もう少し早く出掛けていたら僕は間違いなく土砂流に飲み込まれていたのだ。
その日の夜にニュースで惨状を知り血の気が引いたのを覚えている。
昨日の朝倉は春にしては暑いくらいの晴天。
まだ手付かずの場所もあるが、細い道をダンプカーが行き交い、あちこちで工事が進んでいる。
緑多き春の小川が流れる豊かな田園地帯の風景は一変していた。
河原や畑は一面の土。
川幅の拡張工事なのか護岸工事の最中。
あちこちに真っ黒な土嚢が積まれ、山の至る所にブルーシート。
この時期には花が咲き乱れていた果樹園も土砂に埋もれ、殆どの木が枯れていた。
娘の友人が教師をしていた松末小学校は土砂は綺麗に片付けられていたが、すでに閉校となっており、最後の卒業生と教職員の集合写真が春の陽光に晒されていた。
あの日彼女から娘にラインで連絡が入り、娘から僕に連絡があり、見る見る間に校庭が池となり周りの道路が川となり、土砂が流れ込み生徒と教職員は3階に避難したものの、怯える子供達をどうしたらいいのか相談されたのだった
「皆んなで歌でも唄えば」と言うと、言下に娘から「何を能天気なことを」と叱られたが、ロウソクやスマホの灯りしかない暗闇の教室の中で怯える子供達の事を思うと、そう言うしか無かった。
雨は二日降り続いたのだ。
朝倉の松末地区の写真を沢山撮ったが、許可を得た撮影ではなく個人のプライバシーの問題もあるので今回は無難な河原の写真のみ掲載する。