旅と酒とバッグに文庫本

人生3分の2が過ぎた。気持ちだけは若い...

「闇の子供たち」という映画

2009年06月12日 | 映画

またまた、映画のことについてである。
卓上のDVDのなかに「闇の子供たち」があった。
何の予備知識も無く観た。
一言で言えば、「ものすごい映画」だった。

様々な人種や階層の人間が住む、この世界において
持てる者と持っていない者、収奪する者とされる者が
どれほどすざましい生き様を呈しているのかを嫌というほど
見せ付けられた。

舞台はタイ。
バンコックの売春宿で強制労働させられる少年少女。
エイズに罹り、ゴミ袋に包んで生きたまま捨てられる少女。
何とかその状況から抜け出そうと足掻く子供たち。
その子供たちを管理する者もまた、自らの過去に地獄のような体験を持つ。
そして生きたまま生体臓器移植に廻される子供たちと、その闇のルート。
白人や日本人の富裕層の醜い豚のような、みすぼらしい姿。
そのような子供たちを何とか救い出そうとする新聞記者やNGO。
方法論の違いから、お互いに離反しそうになるも
主人公の新聞記者は、自らの内に、どうしようもない矛盾を抱え自殺する。

この映画を観ていると、子供たちが「可愛そうだ」というような
ちっぽけなセンチメンタリズムは露ほども感じられない。
どうにかしたくても、どうにもできない、人間が生きていること自体が
罪悪であるかのような、重々しいものが胸のうちに溜まる。

しかし女は強いなあ~
なんのかんのと言いながらも、その決死の覚悟で
一人のエイズの女の子と、生きたまま心臓をとられそうになった少女を
闇の組織から救い出すのである。
男たちに漂う無力感…

この映画は、どうしようもない現実を突きつけてくるが
私は、このような現実が存在するのだと実感するだけでも
そして我々のようなある意味では恵まれた環境に暮らす人間の基盤は
こういった貧しい国々の人たちを収奪することによって成り立っているのだと
実感するだけでも、この映画を観る価値はあると思う。

まるでドキュメンタリーのような作り方の映画であるが
これは紛れも無く演技であり、フィクションなのだ。
しかしこの映画は、ドキュメンタリーよりももっと強烈に
真実を訴えかけてくる。
阪本順治という監督だが、すごい人がいたもんだと思う。
原作は「血と骨」の梁石日(ヤン・ソギル)、
そして最後に流れる桑田佳祐の歌もいい。
昨年度の作品であるが、大きな映画館ではほとんど上映されてない作品である。
昨年の作品は、「おくりびと」や「ぐるりのこと」など
映画賞で大変盛り上がったが、この作品の存在を知っていれば
そうそう簡単に賞を決めるのは早計なようにも思われる。
少なくともこの「闇の子供たち」には何らかの特別賞は
送られるべきである。


映画の時間

2009年06月10日 | 映画

最近は、テレビの番組などほとんど観なくなったし
(それはニュースもスポーツ番組も含めて)
夜はいつも本を読んでいるか、ギターの練習をするくらいなのだが
昨夜は、テーブルの上に数本のDVDが置いてあるのを見つけ
カミさんは水彩画教室で家を留守にしていたので
DVDを手にとってみると、数日前に「TSUTAYA]で借りた映画三本だったので
そのうちの一本、「クライマーズ・ハイ」というやつをプレーヤーにかけてみた。

映画を観始めたのは9時半ごろだったと思うが
映画が終了したのは日付が変わる頃だった。
一体、いつのころからこんなに日本映画は長くなったのだろう?
以前は、ほとんどが2時間以内、
1時間半くらいで終わる映画も少なくなかったように思う。
秀逸な短編というのも少なくなかった。

ところが最近は、テレビあがりの映画監督が多くなったせいか
ほとんどテレビの2時間ドラマ状態だ。
それも原作が小説や漫画といった類のものが多くなって
あれもこれもと原作どおりに作ろうとすると
2時間、2時間半、3時間などという映画もみられるようになった。

映画というものは、決められた時間(それは私の中では長くて2時間)
のなかで、凝縮した映像とセリフでもって、たとえ原作があっても
その原作を凌駕するような強烈な何かを感じさせるものだというのが
大まかな映画の定義だと、自分ではそう思っている。

最近の映画は、1度観てもさっぱり訳がわからないことも多い。
原作を読み、テレビドラマになっていれば、そのドラマを観、
それから映画を観なければ、意味がわからない場合が多い。

小説や漫画のなかでは、時間の流れが自由自在である。
豊富な量の内容を、惜しげもなく展開できる。
延々と続けることができるのだ。
しかも事細やかに。
しかし、映画でそのすべてを盛り込み、10時間の映画など作っても
おそらく、マゾヒスト以外、そんなものは観ないだろう。
あの暗い空間のなかで、尻の痛みに耐えながら
10時間も座っていることなど、苦痛以外の何物でもないからだ。

そういった意味で、「クライマーズ・ハイ」は失敗作だと思った。
何もかも盛り込みすぎである。
しかもセリフの録音が悪く、よく聴き取れないし
新聞社の業界用語が多く飛び交い
テンポだけがやたらに速いので、ついてゆくのが精一杯である。
私はこの原作を読んだことはないが、恐らく原作は
一人ひとりの心情の推移や関係などがもっと緻密に書かれてあるに違いない。
とてつもなく大きな事件を取材し記事にしてゆく過程を
登山家の「クライマーズ・ハイ」状態と照らしながら
映画は進んでゆくのだが、私が監督なら恐らくこの
登山シーンなどは省いてしまうだろう。

映画での最初の場面、主人公が仕事の同僚と登る山の下見に訪れたシーン、
全編を通して時々出てくる、その同僚の息子との登山シーン、
最後に訪れたニュージーランドに住む自分の息子を訪ねるシーン、
これらをすべて省いて、簡潔にしても、映画の力は削がれなかったと思う。

この作品の強烈なメッセージは、重大な事件を迎え
どのように取材し、記事にし、それを編成し、時間ギリギリまで
最高の紙面を作るべく、時には罵倒しあい、時には妬み、時には高揚し
駆引きし、大新聞社に対抗し、それでも毎日の紙面を作り上げてゆく、
地方新聞屋の世界、それがこの作品の真髄なのだ。

そこのところをきっちり押さえておけば、この作品は成功するはずだ。
私には、お互いに口汚く罵り合い、殴り合い、言いたい放題の意見を述べながらも
ギリギリのところでは、すっぱり忘れて意気投合する
そんな地方新聞屋の世界を垣間見て、思わず羨ましくなったものだ。

それにしてもブンヤは退職したらすぐにあの世行きとよく言われたもんだが
こんな生活が続くと、退職まで持つまいと思われるほど
荒ましいものだなあ…ちょっと憧れてしまった。


運動会

2009年06月08日 | Weblog

昨日の日曜は、朝6時に起き博多へと向かう。
娘が勤めるS小学校の運動会があるからで
彼女は今年、6年生を担任しており、創作ダンスを担当しているので
その出来栄えと、担任として子供たちにどう接しているかを見学するためである。

クラスの子供たちは生き生きしており、娘は担任として充分に機能しているようで
親としてひとまず安心した。
家ではあまり見せないような笑顔で子供たちと接しており
色んな教育現場に接することの多い私には
彼女が子供たちからどのように思われているかは、一目瞭然であった。
ダンスの出来栄えは、まずまずといったところかな?
もう少し見せ場があっても良かったように思えたが
コンセプトが難しくて、それを子供たちが理解できているかどうか
気になるところでもあった。
ダンスのことは私には良くわからないが、きっと教えるほうも難しいのだろう。
それでも観客の親たちが、見せ場で一斉に拍手したり歓声が沸き起こったりすると
なんだか、自分のことのように嬉しくなってくる。

朝は、何も食べずに出掛け、
途中でコンビニのサンドウィッチを食べただけだったので
少々腹が減り、運動会の途中ちょっと抜け出して
「牧のうどん」のあの柔らかい麺を食す。
ここの麺は少し硬めで注文しても柔らかい。
娘に言わせれば「くそまずい」。
カミさんと私は、結構気に入っているので、博多に出掛けたときは
この「牧のうどん」か途中で宗像の「英ちゃんうどん」を食べる。
「牧のうどん」は店舗によって当たりはずれがあるので厄介だが
ここは外れだった。

運動会の午前中最後のプログラムで6年生の創作ダンスがあり
それを見てから、S小学校をあとにする。

娘のマンションに寄り、カミさんが持ってきたTシャツなどを部屋に置き
それから大宰府方面へ車を走らせる。
カミさんには初めての「九州国立博物館」へ行くつもりだ。
途中で美味そうなケーキ屋などがあり、寄り道を強要されるが
時間も2時を過ぎており、無視して博物館へ。
何があっているのかは解からないが、入り口近くで車の列。
係官に「1時間待ちです」と言われ、迷わず引き返す。
ここは駐車場が狭いのだ。
しかも5時閉館だから、4時前に入っても1時間しか見れない。
せっかくこんなに立派な博物館を作ったのに、もったいない。
ここにも役人仕事が垣間見える。
企画展などがあって、客の多いときなどは臨時の駐車場を設置したり
閉館時間を延ばして欲しいものだが、「国立」の文字だけが重い。

大宰府を後にし、古賀方面へと向かい、久山の「トリアス」で
軽い昼食として回転寿司を食す。
そしてお目当てのアウトドアショップ「モンベル」と「ロゴス」で買い物。
ここに来ると欲しいものばかりなので目移りしてしょうがない。

途中で夕食の買い物をして、家には7時前に帰宅。
久しぶりに庭でバーベキュー。
コルトレーンのジャズを聴きながらジンライムとソーセージ。
トウモロコシが抜群に甘く美味い。
学生の頃はよくこのジンライムを飲んだが
それはジンをライムジュースと炭酸で割ったもので
その味に慣れてしまっているのだが、やはり生のライムを入れたものは美味い。
ジンにライムを入れて、氷を入れるだけで他には何も割らないのだが
このジンオンザロックライムが私は一番好きだ。
以前はジンといえば「ゴードン」だったが、サントリーのジンも
最近は大変美味くなった。
いい気分で酩酊してきたころ、「無職の不良中年」さんからメールが入る。
酒の匂いでも届いたのかな?


青海島キャンプ

2009年06月01日 | 

花村萬月の作品に「たびを」という小説がある。
主人公、谷尾虹児が違法改造してボアアップしたプレスカブに
野宿のギアを満載して、日本一周する物語である。

旅の行程で、虹児は様々な人に出会い
とても美しい、素敵な女性たちと恋に落ちる。

花村氏は小説の後書きでこう書いている。
「実際の旅はこんなに華々しいものではありません。僕も若い頃バイクに乗って
日本中を走り回りましたが、虹児君のようには女性にもてません。
少なくとも自分はもてた試しがありません。
これは小説なので、何人かの女性を登場させましたが
それを真に受けて、旅に出たが、ちっとも良いことがなかった、などと
文句を言われても、困ってしまいます。」と
まあ、正確な記述ではないが、こんなことを書いている。

たとえ旅の途中であろうと、何も無い単調な日常を、
ただ淡々と記述しても、そんなものは
誰も読まないし、また読んでも面白くない。
その旅を面白可笑しく、退屈させないように読ませるのが
プロの技というものであろう。

また、最後に彼はこうも書いている。
「この作品で、擬似日本一周を楽しんでいただければ幸いである。
そして、実際に旅立っていただければ、もっと嬉しい。
手段は何でも良いのですが、ひょいと日常からはずれてみることです。
そして、それにはなるべくお金をかけないほうが楽しく愉快な旅になるはずです。」

かなり分厚い本ですが、花村氏の作品にしては
どぎつい暴力場面も出てこないし、まあ目くるめく性的な場面はありますが
軽快で飽きない作品なので、皆さん読んでみてくださいまし。

さて先週の土曜日から、なんとか暇ができたので
急遽、「無職の不良中年」さんをお誘いし
青海島へとキャンプに出掛けた。
今回は、私はどうしてもカブで出掛けたかったので
前回と違って、現地集合という方法を採択し
仙崎の漁港で彼と落ち合うことにし、私はカブに荷物を満載し出掛けた。
もっと遠い場所だと、1泊なのでこうも行かないが
せいぜい100キロ程度の距離なので、まあカブでもなんとかなるだろうと
カミさんにおべんちゃらを言って、店番を頼み
あまり芳しくない天気の様子をを見ながら出掛けたのである。

小倉の日明港(ひあがり)から、フェリーに乗りカミさんの故郷「彦島」に渡る。

本来なら門司港まで行き、関門トンネル人道を渡って豊田湖方面へ
山中の道を走るほうが、距離的には近いのだが
トンネル人道は、原付はエンジンをかけることも儘ならず
上りのトンネル道を押して歩かねばならない。
トンネル車道のほうを走れれば良いのだが、法定速度30キロでは
単線のトンネル内を他の車と一緒に走ることは危険極まりない。
ならば人道の方をせめてエンジンをかけて押して歩くことくらい
許せば良いのに、これも禁止である。
普通でもバイクは重いのに、荷物を満載すればなおさらである。
そんな状況を、道路政策はもう何十年もほったらかしにしてきたのである。
しかも人道は、夜の9時だか10時だかに閉鎖されるので
歩きの人は、公共の交通機関を利用すればなんとか門司と下関を行き来できるが
原付を使用する人は、バイクを放って行かねばならない。
よくもまあ、皆さんこんな状況に誰も文句を言わなかったもんだと思うが
私は今まで原付で遠出することがなかったので、知らなかったのである。

ならば原付のスペックを上げて、せめて60キロくらいは走れるように
道交法を改正して、トンネルの車道を自由に走らせるか、さもなくば
1日中、人道を閉鎖することなく、そしてエンジンをかけてローギアで
押すことくらい許さなければ、これは、それこそ人権問題である。

五体満足な私は何とか押して歩くことはできるだろうが、それでも重労働だ。
しかし、お年寄りや、身体の丈夫でない方は、どうなるのだろう?
そんな方のほうが、足代わりに原付を利用することも多いのに、なんという行政だ。
この件は、ちょっと私なりに突っ込んでみようと思う。
いつまでもこんなことが許されると思うなよ国交省。

いかんいかん、花村氏の小説から人と出会うことの面白さについて
語ろうと思っていたのに、すぐに話が逸れてしまう。

話を本筋に戻そう。

日明港からのフェリーのなかで、ほんの15分程度での行程ではあるが
私と同年輩の男性と一緒になり、彼は、電動のパナソニック自転車に乗って
彦島に渡り、戸畑までサイクリングを楽しみながら帰るのだという。
総距離、5,60キロもあるだろうか?
膝を痛めたために、歩くのはしんどいらしく、自転車のそれも電動付なら
なんとか漕げたので、これで遠出するのが楽しみだという。
もちろん電動でなければもっと違った感動もあるとは思うが
楽しみは人それぞれである。
定年退職後、未だにアルバイト的な仕事はしていらっしゃるようだったが
実に爽快な顔をしておられて、船を降りると嬉しそうに
西山の海岸を目指しておられた。
私たちは、お互いに名を告げることも無く、手を振って別れた。
またどこかでお会いすることがあれば、それもまた他生の縁というものだろう。

この日は寒かった。
空は曇り、風は冷たく、途中で昼飯でも食って温まろうと思ったが
思ったよりも青海島は遠く、約束の時間を思うと
のんびりすることも出来ず、コンビニで買ったピーナッツを頬張りながら走り続けた。
空腹感はあまり感じない。
帰りもそうだったが、私は昼飯も食わずに走り続けることができる。
適度な緊張感が、空腹を感じさせないのだろうか?
14時頃、彼と仙崎の漁港で落ち合い、私はフィッシュバーガーと珈琲の昼食。
それから、青海島へと橋を渡り
門司に住む知り合いのH氏から教わったキャンプ地を目指したが
なんと我々は道に迷い、島の山中を縦走し
島を一周するはめになってしまった。

漁師に道を尋ねながら、元の橋を渡った辺りに引き返し
何とかキャンプできそうな場所にたどり着いたが
そこはいささかうらびれて荒れた海岸だったので
(実はH氏が言った海岸は、もう少し横のほうだったらしい)
躊躇しながらも、ここでやるかと思案していたところ
偶然にめぐり合った地元と山口からの二人組みに出会い
彼らに教わった少し離れた場所に移動して
そこを今夜の寝床と決め、我々は4人でテーブルを囲み
珈琲談義と相成った次第である。

そのうちの一人は、偶然にも私と同じ職業であり
しばしの写真談義。

風があり、気温も低く、二人と別れたあと我々は早々に火を起こし
鶏肉やソーセージを焼きながら、焼酎のお湯割を
貪るように飲んで、暖を取ったのである。
今回は、すぐ近くにホテルもあり、また時々地元の人も犬の散歩などに
来られるので、カーステレオでのコンサートは無し。
我々は近況を語り合い、飲み、そして食って早々に寝床に着いた。
前回と違って、食料の調達も堂に入った感じで、
二人でちょうど良いくらいの量を購入し、ほぼ食い尽くしてしまった。

この時の訪問者は、癌に侵されて余命いくばくも無いレトリーバー種の犬と
その飼い主。
彼はこの犬のために毎週博多から青海島まで帰省しているらしい。
そしてやせ細った3匹の野良猫。
我々の食料を狙って、充分に警戒しながら近寄ってきては
時折投げてやる鶏肉の骨を争って食う。
結構愛嬌のある顔をした奴も居て、見ているだけでも気がまぎれる。

テントの中で、湾に漁に出た漁船の焼玉エンジンの音を聞きながら
私はすっかり眠りこけてしまったようだった。

翌朝、このエンジン音に眠りを妨げられ、朝早く目を覚ました私は
海岸を散歩し、湯を沸かし、インスタントの珈琲を飲みながら
不良中年さんが起きるまで、しばし薄闇の中で読書。
ちょうど読んでいる本が、伊集院静の「岬へ」。
家でもそうだが、最近この時間帯が読書のためには
もってこいの時間となりつつある。

二人でカップヌードルとおにぎりの朝食を摂り
しばし歓談していると、朝早くに門司から噂のH氏が車に乗ってやってきた。
車好きのH氏と不良中年さんは、初対面にも関わらず、早速の車談義。
そしてもう一人、昨日の二人連れのうちの地元の一方が
ご自慢の珈琲をポットに入れて愛犬を連れてやってきたので
私はその珈琲を頂きながら、彼としばらく話し込む。
朝早くは曇っていたのだが、段々と天気が良くなり
フリースまで着ていた私は少々暑くなり、Tシャツになってテントをたたむ。
来るのも其々なら、帰るのも其々。
我々4人は、お昼近くに散会し、帰途に着いた。
ずっと一緒に旅するのも良いが、何だか金魚の糞みたいなので
私にはこの方が性に合っている。

帰りに私は、前から行ってみたかった黄波戸温泉センターに寄り
山の頂近くにある露天風呂から遠く海を望みながら、のんびり過ごす。
ここは安いし、タオルまで貸してくれるし、おまけにロッカーも無料だし
泉質も良いし、なんだか良いこと尽くめであるが
少々お湯がカルキ臭いのと、食事をすることができないのが難点だ。
ここに来るときは弁当を持ってくるにかぎる。

温泉センターを出て、しばらく日置町にむけて田舎道を走り
また昼飯も食わずに、191号線に出て、しばらく走る。
もうとっくに昼時も過ぎていたが、飯を食うのが億劫というか
本当にあまり空腹を感じないのだ。
このままずっと旅していれば、私はかなりの減量に成功するに違いない。
途中、オートキャンプ場の看板があったので寄って見たが
人は誰も居ないし、車もまったく停まっていない。
近くの造成地にはぺんぺん草が生え、うらびれて物悲しい。
青い空と爽やかな風だけが、清々しい。
日本人のキャンプに対する概念自体が非常に歪に感じられる。
たぶん、連休中や夏になると大勢の客でごった返すに違いないのだ。
いやはや何とも…

阿川の海浜公園でしばしの休憩。
ここは何十年も前に、子供を連れて海水浴に来たことがある。
いや、カミさんと二人だったかな…、立ち寄った記憶がある。
駐車場の片隅に、荷を満載した2台の「SURLY」。
色は黒だが、1台は私のと同じロングホールトラッカーで
もう1台はクロスチェックだった。
辺りを探すと、若い男性の二人組みが昼飯の弁当を食っている。
彼らに話しかけ、しばらく談笑。
福山を出て自転車で九州を一周し、これから山陰を通って
北海道を目指しているらしい。
夏の北海道に間に合いたいらしいが
九州に2ヶ月もかけて、のんびりしてしまったために
今は急ピッチで漕ぎ続けているらしく、少々お疲れ気味のようだ。
昨夜は下関の海響タワーの近くにテントを張り
その日は萩を目指しているらしいが、その前日は
佐世保からかなりの距離を漕いで来たようで、その無謀さに
私は少々飽きれた。
「北海道、間に合いますかね?」
「そりゃー、このペースで漕げば充分間に合うだろうが、でもその前に
身体がいかれちゃうよ。普通に漕いでもきつい距離なのに、あの荷物でしょう?」
「はあーっ…」「やっぱきついですかねー?」
「そりゃきついでしょう、だって今でも疲れているみたいだし…」
「ええ、昨日も今日も100キロ以上ですからねー」
「でもまあ、頑張ってみます。間に合わなければそれでもいいし
時間だけはたっぷり有りますから…」

高校の同級生らしく、現在23歳だが、一生懸命働いてお金を貯め
無期限で日本一周の旅に出たらしい。
基本的には野宿。自炊。
もう少し違った場所で会っていれば、家に泊めてあげられたのに
と思いながら、彼らの健闘を祈って別れた。
二人ともいい顔をしていた。
二人の若さが羨ましかった。

行きと同じフェリー乗り場に着いたのは、16時前だった。
ここの食堂で私は遅い昼食を摂るつもりで居たのだが
(ここのうどんは麺が細くて美味い)
食堂は16時で終わりということで、またもお預けである。
フェリーの船上で、心地よい夕風に吹かれ、チャーリー・パーカーを聴きながら
長かった二日間の時間と、出会った人たちのことを考え
一瞬間、私は眠っていたようだった…。