旅と酒とバッグに文庫本

人生3分の2が過ぎた。気持ちだけは若い...

見本となる老い方を、高村薫

2007年08月31日 | Weblog
昨日の西日本新聞に作家の高村薫氏の寄稿が掲載されていた。

我々団塊の世代(私は尻尾に引っ掛かっている年代だが)が
これから大量に退職することによって起きるであろう
企業内における技術継承の問題や日本という国家内での
社会保障制度(年金、介護など)の問題を提起し
決してマスコミなどで騒がれているような
団塊の世代景気などに結びつくものではないことを明言している。

定年後の生活を悠々自適でエンジョイできるのは
ほんの一部の人間だけで、多くの人は
定年後も働かざるを得ず、また細々と年金に頼って生活する人たちも
預貯金はやがて来るであろう介護のために
取り崩すことはないであろうという。

目先の利益に惑わされて一時の間、若年層を雇用しなかった企業のつけ
少子化という名のもと、なんの対策もなくここまで来てしまった国家
これらを考慮すれば、まだまだ団塊の世代は
悠々自適な老後とは無縁で、企業のために働き、その技術を若い世代に伝え
また、我々を支えるであろう若年層のために
少ない年金がさらに少なくなることを受け入れ
さらに何もなければ、少しくらいの贅沢はできるかもしれないが
病気、老いという要素は遠慮なく忍び込んでくるので
とてもじゃないが、優雅な退職後の生活などは期待できそうもないということだ。

そこで高村氏は、これからの十数年を我々が如何に生きてゆくかによって
老いることの見本を示して欲しいと述べている。

もちろん彼女自身も含めてのことだろうが
最低限の生活が営まれるのに必要なお金はともかくとして
老後を如何に過ごすかと言う大きな命題に我々は
立ち向かわざるを得ない。
それは、人としてどう生きてゆくかということであり
なにも、海外旅行や趣味に金を掛けて余生を過ごすことでもない。
人が幸せに生きるためには、どうすればいいのか
それも子や孫の世代に大きなつけを背負わせることもなく
どうすれば充足感のある残りの人生が送れるかという命題だ。
しかし最初に書いたように、これは最低限の生活が営まれるという
保障があってのことだ。

残念ながら、現在のわが国において
毎年何万人と言う人々が自殺によって命を絶っているという現実を前にして
悲観的にならざるを得ない。
だがこの現実を何とかしてゆくのは、政治家の問題だ。
そして我々に出来ることは、幸せとは何か
幸せな社会とは何かを、それぞれが追求すること意外に道は無い。
目先の利益や、自分勝手な考えを慎み、人が幸せに生きるために
それぞれが行動し、考え、充足感を得て老いて行く。
そのためには具体的にどうして行けばよいのか
私は、深く考えさせられた。

お金が無くても人が人として幸せに生きてゆける希望のようなもの
精神的な支柱、そんなイメージが頭に浮かべば、夢は具現化しそうである。
老いの見本となるような生き方とは、
とどのつまり人が人生の価値を何に見出すかということに尽きる。

楽園

2007年08月28日 | 読書

先日、近くの本屋でふと目に留まった
宮部みゆきの「楽園」を衝動買いし、1週間あまりで
一気に上下巻を読んでしまった。

彼女の小説は、映画にもなった「模倣犯」以来だったが
少し雑になったように感じた。
だが、流石にエンターテイメントとしての面白さは抜群で
文章もわかりやすいので、時間を忘れて夢中になるには最適だった。

少し雑になったように感じたというのは
彼女の執筆量は大変多く、そのせいか
内容を煮詰める作業が中途半端に思われたからだ。

たとえば、「等」の超能力的なものを最初は科学的に立証するはずだった
「前畑滋子」は、いつのまにか物語の進行とともに
その作業は「茜」やその両親との確執などの人間関係の解明に向けられ
中途半端に「等」の能力を認めたうえでの調査に変わってしまう。
そしていつのまにか、「等」の祖母の霊能者的な暮らしや
最後には、母の敏子にもそういった能力を暗示させ
まあ、物語としては面白く、申し分ないのだが
最初のテーマが少しぼやけたように感じられ
やはり、「模倣犯」のほうが一枚上手だったかなと
思わざるを得なかった。

この小説は、宮部自身がみた夢
家の床下に死体が隠されており、しかもその死体は
自分の姉であったという、そういった夢から書き始めたものらしいが
テーマとしては、子を想う親の心情と出来の悪い子
しかも殺人を犯した我が子を殺してまで
もう一人の娘を庇おうとした親の心情だろう。
ちょっと突拍子のない設定だと思われるが
まあ、こういった事象は現実に起こらないとも限らない。

しかし、悪そのものといった男と彼を取り巻く人間模様を描いた
「模倣犯」のほうが、ずっと面白かったし
内容的にも深かったのは言うまでもない。

「楽園」のおかげで、すでに1週間以上も自転車をサボってしまったなー
なにせ、夜は12時過ぎまでベッドで
朝は5時からベッドで、別府の旅館にまで持って行って
そこでもといった感じだったから
少しメタボってしまった。


写真日記part3

2007年08月27日 | 写真

朝靄の井手浦、この川には毎年多くの蛍が飛び交っていたが、ちょうどそのシーズンに工事が始まり、川の草は刈り取られ、無粋なコンクリートが置かれ、その上に、トラックの走る道が作られた。

朝靄、谷あいに位置する集落の朝は美しい。

井手浦の浄水場、我々が毎日使う水はこの浄水場から送られてくる。ここの水は大変美味い。向こうに平尾台の削られた山肌が見える。セメント会社が削り取っているのだが、この山肌も痛々しい。

大分の「うみたまご」水族館でクラゲの遊泳。水槽の上からライトを当て、クラゲが色を変化させたように見える。不思議な空間。クラゲは迷惑ではないのだろうか?
新しい水族館はどこも、見せ方に工夫があって面白いが、度が過ぎるとシラケル。
それに人の多さと料金の高さには閉口する。館内の人数くらい制限して、ゆっくり見れるようにして欲しい。

久しぶりで別府温泉に泊まった。「シーサイドホテル美松大江亭」の屋上露天風呂からの眺めは絶景で、目の前が別府湾なので、風呂に入りながら朝日が望める。朝5時半ころに撮影。少し曇り気味で、海は乳が流れ出したようにトロリとしている。
別府には多くの小さな温泉があって面白い。無料でお湯に浸かれるところもある、さすがに老舗の温泉町だ。またこの街の竹細工も有名で、資料館の竹風鈴の爽やかな音に魅せられた私は、帰宅後、オークションで探し、取り寄せた。
「カラン、コロン、カラン、コロン…」

日田の豆田町、あまりに観光化されすぎて昔のような落ち着きはなくなった。店も観光客目当ての御土産屋ばかりで、つまらない。こういった町は人々が、そこで普通に生活しているそのままの町の方が良いのに、日本はどこに行っても商売根性が剥き出しになる。
その時点で、その町の観光にはピリオドが打たれる。私的にだが…。



写真日記part2

2007年08月25日 | 写真

義母を見舞う、寝たきりで90歳を過ぎ、痴呆も進んでいるが、この日は
「よう来たね」と言葉を発した。日によって具合が変わるようだ。悪い日は
我々の顔を見ても無反応である。若いころからの留意で、顔にはシミもなく
シワも少ない。

 

義母の足、皮膚の老化が進み、爪が痛々しい。


雨後の川面、大量のゴミが流されて来る。このゴミは海に流され、
浜に打ち上げられる。


朝起きた時に部屋の窓から覗いた空、一面のうろこ雲がきれいだ。
毎日とても暑いが、秋が近いのかなー。


写真日記

2007年08月24日 | 写真



孫と爺、川で遊ぶ。この日は風があり涼しかった。




サイクリングロード、田んぼの中をクネクネと走る。




川面に写る竹林、視覚が混然として焦点が定まらなくなる。




集落、山すそに点々と家が立ち並ぶ。草いきれのなかで人は働く。

もう少しすれば、涼しい朝の風が感じられるだろう。それにしても今年は
「ツクツクホウシ」はどうしたのか、鳴き声をきかなかったなー。



佐賀北高校

2007年08月23日 | Weblog
ものを書く時はいつも、その感動が少し醒めてから書くことにしている。
感動の真っ最中に書けば、どうしても大げさにならざるを得ないし
気分で突っ走ってしまうからだ。
だから本当は昨日書きたかったのだが、1日置くことにした。

昨日の高校野球のインターハイにあたる全国高等学校野球大会での
佐賀北高校の優勝は実に感動的だった。
大会の前評判には1勝することを目指す、数少ない公立高校としてしか
認識されてなかったように思う。
それが延長15回引き分けの再試合に勝ったあたりからだろうか
甲子園でのダークホースとして徐々に注目され始め
帝京高校を破ったあたりからは、もう誰もがその奇跡を思い始めたようだった。

そして昨日の優勝戦。
誰もが、もはやこれまでと思ったに違いない8回にその奇跡は起きた。
ワンアウト後に打席に立った、投手の久保君が
広陵高校野村君のスライダーにタイミングを狂わされながらも
なんとか後に繋ごうというバッティングで三遊間を破り出塁。
私はこの久保君のバッティングこそが真の価値ある1打だと思った。
なにせ、それまでチャンスと言えば1回裏だけで
三振の山を築き、わずか1安打。
毎回のように三者凡退。誰もがこのまま終わるのかなーと考えていたと思う。
そう、選手を除いては。
回も終盤の8回に、やっと出た2安打目。
大観衆がどっと沸いた。
行け行けの大声援である。
これがたぶん甲子園の魔物の正体だ。
野村君とて名門校広陵のエースであっても、やはり高校生。
この大声援の波に呑まれた。
ほんの少しずつだが、それまでとは違って手元が狂う。
次のピンチヒッターも名前は忘れたが、素晴らしい振りで出塁し
ワンアウト1、2塁。
1度狂った手元の修整は容易ではない。
微妙に狂った球筋は、わずかずつだが軌道を逸れてフォアボールが続く。
二者連続でフォアボールを出し、押し出しで1点を失ったあたりで
もう野村君はそれまでの野村君ではなかった。

私もこの時点で、もしかしたらと思ったのは事実だ。
甲子園に来てから当たっている副島君の一振りは見事だった。
高めに浮いた野村君のスライーダーは、ものの見事に左翼席に吸い込まれていった。
もうなにがなんだかわからない大興奮で観衆は騒然。
天と地がひっくり返るとは、こういったことを指すのだろう。
ピッチャーの野村君は笑っていた。はにかむように笑っていた。
その笑顔も印象的だった。彼は閉会式でも爽やかだった。涙は無かった。
死力を尽くしたのだろう。

この試合をテレビでではあるが観戦できたことを幸せに思った。
野球は筋書きの無いドラマといわれるが、
それこそ二束三文のテレビドラマとは雲泥の差である。
本物の感動があった。
先日亡くなった「阿久悠」がこの試合を観ていたら
なんといっただろうか?

高校野球に限らず、高校スポーツを取り巻く環境は最悪の状態である。
サッカー、陸上などもそうだが、これらの競技を教育の一環と規定するなら
先日から話題になっているスポーツ特待生制度などは
今一度検討してしかるべきであろう。

目立つことで自分を高く売り込みたい選手とその指導者および両親。
そしてその欲望をうまく自校の宣伝に利用しようとする私立学校。
この両者の思惑が一致して、高校間のスポーツ格差は拡大する一方である。
だからこそこの佐賀北校の優勝は価値あるものとなったし
観衆もほとんどが、そういった思いを胸に抱えていたので
あの大声援になったのである。

競技の質の向上と言う面では、確かに特待生を得て
より強いチームを作り、その強いチーム同士で戦うことにより
より一層のレベルの高まりはあるであろう。
しかし、どの競技においてもそうだが、日本人の競技レベルは
若年層ほど高いが、プロや一流のレベルになると
なかなか通用しないのも事実である。
若いころから完成度を求められ、成人した時点ですでに完成されているもんだから
それ以上、伸びようがないのである。

私は高校生レベルまでは、このような特待生まで獲得して
強いチームを作るやり方は遠慮してもらいたいと思う。
勝利至上主義であるよりも、各自のその競技に対する取り組みや
向上心を養ってゆくのが一番いいと思う。
野球が好きなんだ、という心が一番大切だと思う。

レベルの高い戦いは、カレッジに行ってからやってくれい~!

それにしても佐賀北高校、ありがとう。
この感動はずっと忘れません。

朝のランドスケープ

2007年08月11日 | 自転車

朝チャリは続いている。
5時半起床、5時50分出発。
このところ天気がいいので、風景が良く見える。


「未だ朝日の恩恵を受けない紫川」

鷲峰山に登る、結構勾配がきついので私もきつい。山頂では爺さん、婆さんがラジオ体操をやっていた。ここでは私は「にいちゃん」と呼ばれた。みんなここで知り合ったらしいが、大変仲が良い。


「鏡のような静止した川面」


「朝日の照射と倉庫」


「鉄塔と田圃」


「ユートピアに続く小道」


「kaze,sora,kumo to ine」

早起きは三文の得なり。


部屋を借りる

2007年08月09日 | Weblog

先日の日曜日、この暑い中、朝早くから町内の清掃活動で
公園の草取り。
皆さん汗だくになりながらも、よく見ると日陰に入り込んで草を刈っている。
そうだよなー、誰が好き好んでこんな暑い日に草取りなんかするんだ。
じぶん家の草取りさえも、ほったらかしなのに。

私も早々に引き揚げ、朝ごはんを食べてから久しぶりに
「じゃじゃ馬」に乗る。
カミさんは前日から、博多の娘のところに行っており
私も、午後から博多に出かける予定である。

「あつい…」

最近は朝早く起きて自転車に乗っているので
10時過ぎからの暑さには辟易する。
このところ歩道も車道も自由に、段差など気にせずに乗れるので
ルイ・ガノのMTBばかり乗っていたので
「じゃじゃ馬」は本当に久しぶりだ。

やはり700CのタイヤはGOOD!!
軽快感が違う。
向かい風をものともせずに進む。
それにしても、この北九州空港への道は
最近、自転車乗りが増えたなー。
女の子が一人でパステルブルーの「ビアンキ」に乗っていたり
自転車部の連中か、競輪の選手か
競技用のギアなしの自転車で、すごいスピードで走っていたりする一団とも出会う。
我々の年代の「おっさん」もドロップハンドルの自転車や
MTBなどでゆっくり走っていたりする。
結構いい自転車も多い。
スペシャライズド、ジャイアント、ビアンキ、ジオス、コルナゴなど等…
あまり時間がないので、空港までは行かず、連絡橋の上の
休憩場所でしばらくひっくりかえって空を眺め
まだいくらか冷たい水を一飲みし、帰路に着く。

さて家に帰ってから昼飯を食い、少し眠たいのを我慢して
シャワーを浴びた後、博多へと出かける。
幾分雲行きもおかしく、高速をでた若宮あたりで雨に会う。
酷い降りだった。
久山町を抜けたあたりから、雨も小雨になり
都市高速に入るころには、すっかり止んでいた、というより
降った形跡がなかった。

娘やカミさんとは西新の不動産屋で落ち合う。
娘の部屋探しである。
大学に入ってから、4年間と、就職をしてから1年半
ずっと1Kの狭い部屋に住んでいたのだが
かなり手狭になり、広い部屋へ引っ越すことになったのだ。
ネットでいろんな物件を調べて、プリントアウトしカミさんに持たせたのだが
まったく役に立たなかったらしい。
情報が遅いのである。
ネットに掲載されるのが遅いため、掲載された時点で
部屋が埋まっていることが多いのである。

それにしても高いなー、家賃が。
いや、家賃もだが、敷金や礼金などで、軽く家賃の4~5か月分はかかる。
それに引越しの費用、カーテンやその他諸々の費用。
いったいいくらかかるのか?
ホームレスやネットカフェ難民が増えるはずである。
少ない賃金で、その中から50万は貯めておかないと
部屋を借りることができないのだ。
小さなワンルームでさえも、2,30万はかかるのだ。
東京に居る息子はどうしているのだろう?
そんな金、持ってないはずなんだが。
しかも退去時には、敷金のうちのほとんどが敷引きとして
持って行かれる。
その敷引きで、部屋をきれいに改装してくれるのかといえば
直すところだけ直して、いくぶんでもきれいなところは
そのままにして貸すのだから、始末が悪い。
大家丸儲けである。
最近は裁判でもって、いくらか店子に有利な判決も出だしたようであるが
まだまだ、この不動産業界には不可解な慣習が多い。
不動産業者と大家がカルテルを結んで自分らの利益のために
団結しているようである。

こういったところこそ、改革してほしい。
規制緩和も必要だ。
大家と直接交渉できて、安く部屋を借りることができるようになれば
都会に出て働く若い人たちも、おおいに潤うというものだ。


朝チャリ始める

2007年08月02日 | 自転車



ずっと暑い日が続く。

夜自転車に乗っても、なんだか澱んだ暑苦しい空気と
排気ガスの多さに辟易して、長い間自転車に乗らないでいた。
それに周りの景色がほとんど見えないこともその一因だった。
反面、漕ぐことに集中できるので、トレーニングにはなるのだが
トレーニングしてレースに出場するつもりもないので
できれば楽しく乗りたかった。

私の仕事は、大抵夜7時半には終わり、8時には家に帰る。
それから夕食を取り、夕刊を読み、風呂に入り、
そうすると「ニュースステーション」っが始まる。
これを見始めると、終わるのが大体11時過ぎだから
それから少し本を読んだりすると、寝るのは12時過ぎになる。
それゆえ、朝起きるのはどうしても、7時過ぎになってしまう。
友人たちから、「歳を取るとどうも朝早く目が覚めてねー」などと聞かされる。
「早いって、何時ごろ目が覚めるの?」
と聞き返すと、「5時には目が覚めるな」と言う。
私もその時間にトイレに行くために起きたりすることはあっても
またすぐ寝てしまうため、本当に目覚めるのは
やはり朝7時をすぎてからになる。
「夜は何時に寝る?」と聞けば
「夜はアカン、酒呑んでたら10時には寝てしまう」
なるほど、そういうことか、と思ってしまう。
寝るのが早いから、朝早く目が覚めるのだ。
自明の論理である。

それで私も、夜型を改めるごとく
「ニュースステーション」を無視して、11時前に寝るようにしてみた。
しかし長年染み付いた習慣はそうそう変わらない。
なるべく、6時には目を覚ますように心がけたんだが
やはり眠い。
それでも、少々無理して起きることにして今日で三日目である。

朝の空気は旨い。
夜と違って、ひんやりしているし、排気ガスも少ない。
稲穂に付く朝露などを眺めながら、のんびりとマイペースで漕ぐ。
小さな道もよく目に付くので、いままで行ったことのないような道を
選んで分け入ってみるのも楽しい。
本当に小さな道を進むと、農家の庭先で行き止まったりもする。
行くのは大抵田舎のほうなので、6時過ぎには
散歩したり、畑仕事をやっていたりと、皆さん早い。
朝餉の支度の匂いも台所から漏れてくる。
子供のころ、夏休みになるとよく母に連れて行かれた
久留米の田舎のイメージが浮かぶ。
用水路がコンクリートで固められていたり
道路がアスファルトだったり、家の軒先に車が停まっていたりと
子供のころの田舎の風景とは若干異なるのだが
面影はある。

昨日は曽根の田園地帯を抜けて、例の曽根干潟まで行ったし
今朝は、紫川沿いをずっと走り、中谷の県道に出るあたりまで川を遡ってみた。



 

 


時々、こんなところで晩年を過ごし、そこで死ねたら
と思うほど、素敵な場所に遭遇することがある。


今朝行った紫川沿いの徳吉地区にもそういったところが見られた。
川沿いに細いひんやりとした小道が続き
その崖下を川がゆったりと流れ、湧き水があり
聞こえるのはセミの声ばかりで、庭には夏の花が咲き乱れ
裏には、鬱蒼とした山の濃密な自然が迫っている。


こんなところで毎日川を眺めながら暮らすだけでも
精神的な安らぎは大いに感じられるだろう。
時々洪水で床下が浸水したりするのは、その恩恵の反動としては
仕方の無いこととして、諦めれば済むことだろう。
大きな洪水で家が流されたりするのは、ちと困るが…

ところで、デジカメだが、リコーのcaplioR4をオークションにかけて
売ってしまった。
どうも画質が気に食わないし、操作感もいまいちで
とくにストロボの効き具合がどうにもといった感じだったので
オークションに出したら、かなり高く売れた。
それで、他のコンパクトデジカメを物色してみたが
やはり、28ミリという広角レンズからは離れることができず
canonのIXY900isという奴を手に入れた。
最後までフジのF31fdと迷ったが、レンズの画角で900isに決めた。
液晶もきれいだし、さすがcanonで操作感もいいし
なによりファインダーが付いているのが嬉しい。
カメラは、やはりファインダーを覗きながら撮る姿勢が一番しっくりくるのである。
今度はうまく使えそうである。
今朝、早速撮ってみたので、画像をアップしておく。