旅と酒とバッグに文庫本

人生3分の2が過ぎた。気持ちだけは若い...

村上春樹氏がエルサレム賞受賞する

2009年02月17日 | 読書

大のマスコミ嫌いで知られる村上氏の姿を見るのは
久しぶりであった。
イスラエルによるガザ地区への攻撃があったばかりで
そのイスラエルにて授賞式に出席となると
これは氏ならずとも随分逡巡したに違いないと思われる。
それでも彼は賞を辞退するよりも、作家としての責任において
授賞式に出席し、しかもイスラエルの首相が出席する中
堂々と自分の意見を若干柔らかい調子ではあっても
氏お得意の比喩を交えながら、きちんと述べるに至った経緯は
賞賛に値するものであった。

大人しそうな、気弱そうな村上氏が、スピーチを待つ姿は
大丈夫かしらと思われたが、個人の自由というものを
人間が生きてゆくうえでの最重要課題としてあげる彼のスピーチは
実に堂々としたものであった。

それに比べて、比べるのも村上氏に失礼に当たると思われるが
G7の会議後の記者会見で大あくびのベロンベロンに酔った姿で
世界に醜態をさらした中川財務担当大臣。
風邪薬の呑みすぎのせいであると言い訳し
お酒も呑んだが「ゴックン」はしていないなどと
まるで幼稚園児のような稚拙な表現。

人間的には作家と政治家が入れ替わったほうが良いと思っているのは
たぶん私だけではないと思うが
世の中うまくいかないもので、誠実で礼儀正しく、勇気があって頭の良い人は
絶対に政治家なんてものにはならないんだなーこれが。

たった一人で、イスラエルという巨大な国家組織に
堂々と立ち向かった村上氏に、私は絶大な拍手を送るとともに
彼から真の勇気というものを教えていただいた次第である。


「ぐるりのこと」と「ジャージの二人」

2009年02月16日 | 映画

暖かい小春日和の日曜日、いつものように自転車でと思っていたが
午前中は仕事があったので、それを済まし
昨年の今頃に亡くなった先輩のお仏壇にお参りに行き
カミさんと私と、未亡人になった奥様と三人でしばしの歓談。

大きな団地の明るいコンパクトな部屋で、ここには私も昔住んでいたので何となく寛ぐ。
人間って、これくらいの住環境があれば充分なんじゃないかと思われ
個人の欲望で山を削り、田んぼを埋め立て、贅沢な一軒家を建てるよりも
こうしてみんな瀟洒な団地住まいをして、政府は安くそれを貸し出し
広い自然環境を残して暮らしたほうがずっと幸せになれるような気がする。

東京で暮らす息子のことを思っても、民間の家賃相場というものは
ほんとうに高いなーとつくずく思われる。
もちろん貰う給料がそれに比例して遥かに高ければ問題はないのだが
払う家賃が1ヶ月に稼げるお金の半分から、3分の1という事実は
本当に馬鹿げているとしか思えない。

そんなことを考えていると、カミさんが以前から観たいといっていた
「ジャージの二人」が例の昭和館にきているので
我々は早々に団地を退去して、上映時間が迫っている映画館へと急いだ。
映画館近くのスーパーでサンドウィッチやおにぎりを買い
昭和館へ滑り込んだ。
滑り込みセーフ。
こういったマイナーな映画にも関わらず結構お客さんが入っていたのには
驚くとともに、北九州の文化度もまんざら捨てたもんじゃないと思った。

「ジャージの二人」と「ぐるりのこと」の二本立てで千円。
しかもスタンプカードが一杯になっていたので、一人無料。
これもいいなー。
座席は広くないし、背の高い私には、座席の間隔も狭くて
少々足がつらいのだが、そんな不平不満は胸のうちに仕舞っておこう。

映画は二本とも、ドラマチックなものじゃないので少々眠くなるも
淡々とした日常の生活のなかで、我々のようなフツーの存在である人間にとって
シ・ア・ワ・セとは一体何なのだろうと深く考えさせられる映画で
二本とも朱玉のような佳作であり、実に深い感銘を受けたのだった。
そんなに期待していたわけでもなかった映画が
期待はずれに良かった時ほど「儲かったー」と心底思うものだ。
どちらも監督は私らより一回り後の世代の方であるが
なんだか日本映画はやっぱり捨てたもんじゃないなーと思わせてくれる。
そういえばちょっと前に娘が
「最近、仰々しいハリウッド映画を観る気がしなくなった」と言っていたが
ならば観てください、この映画たちを…。

親子っていいなー、結婚っていいなーと心底思えますよ。
どちらの作品も観終わったあとに悲壮感はありません。
どちらかというと、やっぱり生きてて良かったなーと思い
身近に居る人たちを大事にしようと思い
急がずゆっくりと自分のペースで、無理にじゃなく
自然にその人たちと関係が築いて行けたらと思えます。
問題のない親子なんていないし、問題のない夫婦もいない。
人間の関係は複雑だし、でもそんなことを少しずつ乗り越えてゆき
お互いのことを大切に思うことで
その関係がずっと深まって行き、そしてそういったなかで
人はシ・ア・ワ・セを実感できるんだということが、しみじみと感じられます。

夕方、実家に親父の94歳の誕生祝のつもりで寄ってみたが
最近調子が悪いみたいで、眠り呆けていて
枕にだらしなく涎のシミを作って、こんこんと眠っている父だったが
弟によると、最近よく転んで、腕の皮が剥がれ、ただれているのに
病院にも行かず、家で治療しているが悲惨な状態であり、
精神的にも凶暴になったり欝になったりで、手に負えないとのこと。
ちょうど電話して入院のことを話そうと思っていたところだと…。
小便の匂いが漂う、親父とお袋の部屋で
すっかり年老いた二人を前にして、なんだか私は
今日一日、実に人間の生き様についてじっくりと考えさせられてしまった。


峠越え

2009年02月09日 | 自転車

このところすっかりやる気を無くし、ほとんど乗ってないチャリだが
「自転車キャンプツーリング」でグーグル検索をかけてみると
おーおーあるある、ギョウサン出てくる。
ということはこれだけ多くの人が自転車を使って「旅」をしているんだなと
妙に感心してしまう。
ところが片っ端にページを開いてみるが
これが何とも道具自慢やノウハウものばかりで
やれどこのメーカーのストーブがいいだの
どこのテントが扱いやすいだのと言った記事が多く
いささかウンザリしてくる。
なにかこうザクッと胸に突き刺さるようなブログはないもんかと思って
ページを開いて行き、ややウンザリしかけた時だったが
これがあったんだなー。

http://tenjinbashi5.blog122.fc2.com/blog-entry-629.html

内容の多さにもびっくりしたし、写真も多く、またその写真が良い。
そして実際によく走っている。
何より感心したのが、70歳を超えるご老人(と言っては失礼か?)が
若い人たちと一緒になってかなりの峠越えをやっておられる。
これにはさすがに私も度肝を抜かれた。
まあ、各自ごゆっくりご覧あれ。

というわけで、こんなもの見せられて黙っている私ではない。

「おーやってやろうジャン、俺も…」

昨日の日曜日、幸いなことに天気もよく寒さもあまり感じない。
久しぶりに「ルイ・ガノ」を引っ張り出し
ザックに一眼デジカメや買ったばかりの小型三脚、
そして簡単な食料などを詰め込み、いそいそと出掛けた。
本当はストーブやコッフェルなども詰めて、景色のいいところで
食事したいと思ったが、なにせ初めての峠越えに挑むのに
そうそう重い荷を持ってゆくのも少々不安だったので
必要最低限のものに留めた。

ルートは、平尾台登坂にしようかと思ったが、
小倉南区から河内の貯水池に抜ける山越えを選んだ。
まあ、これもかなりきついルートではある。
時々カミさんと行く、「あじさいの湯」へ向かう山越えである。
車で行っても、かなり急な坂をずいぶんと登らねばならない。

小春日和とまではいかないが、ずいぶんと暖かくなった
田舎道をのんびりと走る。
しばらくはゆるい上りなので、ほぼ平坦と思える道を快適に飛ばす。
最近、チャリブームなのか、この道にもずいぶんと
ローディが目立つようになった。
たいていは4,5人で走っていることが多いが
私のようにマイペースで走れる単独行の方も多い。

遠くにこれから超えようとしている山並みが見える。
あの山を越えるのかと、少々辟易するも
70歳超えのKご老人のことを思うと、俄然やる気が出る。
夏に蛍を見に行く、頭上に高速道路が走る辺りまで来ると
坂は少しずつ上りがきつくなってくる。
これからが正念場だ。
フロントギアをセンターにし、バックギアをインナーに落とし
足に無理に負担が掛からないようにしながら
回転数が落ちないようにだけ気をつけ、少しずつ登ってゆく。

勇んで登り始めたものの、峠に近づくころには汗びっしょりで
ウィンドブレーカーを脱がずにはいられない。
インナーのシャツはすでに汗で濡れている。
カーブにたどり着く度に、
「このコーナーを曲がれば峠が見える」と思いながら必死に漕ぐが
漕いでも漕いでも峠は見えず
「次のコーナーを曲がってもまだ登り道があったら、絶対休もう」
と覚悟を決め、萎えそうな気持ちになりながらも
なんとか足を着かず登りきる。

「やったー」この気持ちだよね、峠越えの爽快感は…。

一気に下るのももったいないような気がして
途中の草地で休憩する。
汗を拭き、水分を補給し、チョコレートを少し齧る。
ザックを背負っていた背中は汗ビッショリである。
やはりサイドバックのほうが楽かもしれないと思う。
ここで先日買ったばかりの小型三脚を取り出し
カメラをセットして記念撮影。

少々重いものの、はやりデジ一眼を取り付けるには
これ以上軽くて小さな三脚にするには無理がある。

さて休憩後、本来なら河内の貯水池方面に舵を取り
途中で食事をしながらのんびりと帰宅するつもりであったが
ここでスケベ心が沸き起こる。

「こうなったら、もういっちょう超えるか」

河内方面には向かわず、また更なる山越えを目指して畑貯水池方面へと走る。
しかしこれは思ったよりもずっと楽だった。
そもそも標高が高いところに居たので
ほんの少し坂道を登ると、すぐに峠のトンネルが見えてきた。
ここを通り抜け、一気に貯水池へと下る。
スピードが出すぎて怖いくらいだ。
チャリはブレーキがプアなので怖い。
カーブでは充分にスピードを落とさないと
たまにセンターラインをオーバーして曲がってくる車があるので
充分な注意が必要だ。

それにしても閑散としている。
以前はよくここを車を飛ばして、ラリーみたいに
後輪を滑らせながらドリフトでコーナーを抜ける練習をしたものだが
最近はとんとご無沙汰で、八幡西区に取引先が無くなったせいもあって
この道を通るのは本当に久しぶりである。
以前あった釣堀もかねた川魚料理の店も無くなってしまっていた。
実はここで食事をしようと思っていたのでがっかりである。
山菜蕎麦や虹鱒の塩焼きが美味い店だったので楽しみだったのだが
致し方ない、手持ち無沙汰で少し戻って畑観音にお参りすることにした。
ここを訪れるのも本当に久しぶりである。
チャリで参道の激坂を登り始めたが、狭く苔むしており、とても無理だった。
チャリを押しながら2~300メートルばかり参道を進むと
本堂や滝が見えてきた。
ここは不動明王、弥勒菩薩、水子地蔵、毘沙門天となんでもありの
お参り場であるが、何となく人間的で俗っぽいので好きな場所である。

線香の匂いが漂う瀧の辺りで、顔を洗ったり写真を撮ったりして
しばらく休憩した。
ここも人が少なく閑散としている。
夏場は涼を求めてもう少し多くの人が訪れると思うが
駐車場から本堂まで随分歩かされるのが災いしているのか
来るのはお年寄りが多いようで、若い人は少ないようだ。
地蔵の顔が千差万別で面白く、人間も同じように部品がついているのに
配置がちょっと違うだけで個性がある顔ができるのは
実にこの地蔵の顔の在りかたに似ているなと妙に感心してしまう。

もちろん作った人の心も反映されていると思う。

 

畑観音を後にして、久しぶりに近くの実家へと立ち寄り
父と母に挨拶して、ここで昼飯をご馳走になる。
二人ともこの2,3月で90歳と94歳になる。
よく長生きしてこれたものだと思う。
最近は少し惚けてきたが、まだまだ言葉も通じるし、しっかりしている。

お昼1時過ぎ、そろそろと腰を上げ、帰宅の途についたが
これからがまたしばらくアップダウンの連続である。
おまけに荒生田あたりから山越えで小倉南区に抜ける道を選択し
またまた今日3度目の長い登りに苦しむ。

ここで住宅街のアップダウンを抜けるときに
下りでかなりスピードを出していた私は
不意に現れたセンターラインオーバーの車に危うくぶつかりそうになり
急ブレーキをかけるも、スリップしてコントロールを失い
ガードレールに激しくぶつかって止まった。

「ふーっアブネー」

幸い自転車も身体も何事もなく無事だったが
コーナーだけは充分注意しないといかんなーと改めて思った。
この日はヘルメットを被っていたので安心してガードレールに
ぶつかって行けたが、もしヘルメットがなければ
頭を庇うあまり、変な体勢でつっこみ怪我をしていたかもしれない。

ゴルフ場を通り過ぎ、峠近くでイノシシの子供、俗に言う「ウリ坊」に出会った。
母親の姿は見えなかったが、カピバラくらいの大きさの子供が
2頭でドライバーが捨てたに違いない弁当のカスを漁っていた。
私の出現に驚いて、慌てて山に逃げ込む姿が可愛かった。

家に帰りついたのはちょうど3時くらいで
距離的には50キロちょいだったが、いつもの3倍くらい疲れた。
しかし新しい喜びを会得した私の峠越えはこれからしばらく続きそうである。


セレスとの邂逅、そして北九州市議選

2009年02月02日 | Weblog

昨日の日曜日、久々の、晴れという天気予報を見て
ずっと行きそびれていた鱒淵ダムへ出掛けた。
引っ張り出したのは「Surly」ではなくて「ルイ・ガノ」である。
本当に久々である。
寒そうなので、パッド付きの長いサイクルパンツを穿き
重ね着でその上に短パンのサイクルパンツ、
そして上着は、長袖のTシャツにフリース、その上にウィンドブレーカー
という格好である。

鱒淵ダムの下まで約10キロ、風が強かったが
まあこれは難なく進んだ。
快調である。
しかし身体が温まらず寒い。
そして指先がかなり冷たい。

ダム湖下のサイクリングセンターで一息つき
水分を少し補給する。
なんだかサイクリングパンツの下に穿いたままの
下穿きがモコモコして、気持ちが悪かったので
公衆トイレの狭い個室で難渋しながら、パンツを脱いだ。

下穿きのモコモコ感も無くなり
さて、これから長い上りにはいる。
ギアを落とし、ペダルを軽くして、ゆっくりと漕ぐ。
最初はかなりフラットな上りなので楽々と漕ぐが
頂上付近になると、かなり急な上りになるので
気持ちも体力も萎え、足を着こうかと思ったが
私はいつもセレスに会いに行く時は難渋しながら行くことにしているので
ここはいつも気力でカバーする。

「くそーっ、なんだ坂、こんな坂」

と呪文を唱えながら上って行くのである。

ダム湖にたどり着いた時には、少し汗をかいていたが
吹きすさぶ寒風で、一気に冷える。
襟元をすべて閉め、暖かくしながら進む。
しばらく走ると、いつもセレスと泳いだ土手にたどり着く。
そして2年前、私はここにセレスの骨を撒いたのだ。
ルイ・ガノのタイヤはオンロード用のツルツルタイヤに代えてあるので
湖面へと続く雨で泥濘の小道は怖かった。
一気に湖面へと吸い込まれそうな恐怖感を感じる。

「滑ったらダムに沈むな」と思いながら、スリップしないように
そろそろと立ち漕ぎで降りていった。
自転車を降りて、押せばいいのに、私はいつも格好をつけたがるし
靴が泥だらけになるのも嫌なのだ。

ダム湖はまだ寒い。
私は掌を合わせて、セレスの冥福を祈り
彼女の大好物であったカワハギの干物を投げ入れてやった。
それは沈むことも無く、強風にあおられながら
水面を滑っていった。
ダムは水が少なく、干しあがった湖底にちらほらと白いものが見えた。
一瞬私は、セレスの骨が残っていたのかと手にとってみたが
それは貝殻のかけらだった。
しばらく目を凝らして骨らしきものを探してみたが
2年の月日は残酷なもので、すべて粉々になってしまったか
土泥に埋もれてしまったのか、見当たらなかった。

身体はすっかり冷え切ってしまい、私はダム湖を巡る小道を
いつものようにペダルを漕いだ。
この寒い中にも時折老年の夫婦連れやお爺ちゃんと孫らしき幼子が
犬を連れたりして散歩している。
路面はこのところの悪天候でぬかるんだり、濡れたりで
自転車のタイヤは容赦なく撥ねを揚げる。
頂吉少年自然の家近くまで来ると、こんなところにも
本日が投票日の市議選のポスターが掲示されている。
自然の家が投票場になっているのだろうか
それにしてもこんなところにまで看板を立てなければならないとは
やはり選挙は金がかかるものだと思う。

辺りには誰も居ないので、じっくりとポスターを眺めてみた。
この中のI氏は私が撮影したものだ。
自分で言うのもおこがましいがなかなか良い出来栄えである。
ゴテゴテしてなくてすっきりした感じが良い。
きれいなブルーのバックが清潔感を醸し出している。
今日の結果次第で、この中の4名が落選することになる。
自分なりに結果の予想をしてみる。
まあ無所属の若い、勢いだけが目立つが
何をやりたいのか判然としない二人と
笑顔が強張った新人無所属の中年K氏。
この3人は間違いなく落ちるなと推測される。
どう贔屓目に見ても地盤も脆弱だし、政党の推薦もなく
まだなんの実績もない。
何より顔が良くない。
どう見ても知的とは言いがたい顔である。
するとあと一人は、共産党の女性候補か多分自民党大物のうちどちらか。
多分自民党の大物M氏だろうと思った。
何故なら歳をとり過ぎているし、胡散臭い。

人の笑顔というものはなかなか面白いものである。
日ごろ笑ってない人は、いくら笑顔を作っても
所詮付け焼刃なのである。
だから笑顔を見れば、その人なりがわかってしまうので
むしろ無表情のほうが判断しにくいのに
日ごろあまりいい笑顔をしない人ほど笑った顔をポスターに仕立てる。
私を見透かしてくださいと言ってるようなものだ。
心地よい笑顔というものは本当に心から笑う人でないと出来ないものである。
笑顔にはその人の人生の全てが見える。

夢中でポスターを眺めているうちに、天気予報は外れて
ポツポツと雨が降ってきた。
逃げ場がないのと、小雨だったのとで
私は濡れながら麓に向かって走った。
雨に濡れると急速に身体が冷える。
少し風邪気味なのがひどくならなければいいがと思いながら
私は全速力で下り坂をくだって帰途に着いた。

さて案の定、深夜の選挙速報で私の予想通りの結果になったことは
言うまでもない。

しかし私の関心は、その結果よりも
見事に票割された公明党の候補に関してだった。
真っ先に当選確実が伝えられ、複数候補に
見事なまでに票が平等に散らばっている。
無論全員当選である。
私は共産党も組織的に票を宛がっているものと思っていたが
その予想は見事に外れて、まあ民主的に投票していることが今回わかった。

宗教団体をフルに動員して、選挙に勝つために
個人を無視してまで、票を宛がうやり方を私は怖いと思った。
そういったやり方を叩き潰すためにも投票率を上げなければならない。
いくら組織的にやっても何にもならないことを
思い知らせてやらなければならないのだ。
私は組織的な選挙運動を否定しているのではない。
いくら組織的に運動しても、最終的には投票は個人に委ねられるべきである。
それが民主的な選挙というものだ。
見事なまでに組織によってコントロールされた人々の自主性の無さが
怖いと思っているのである。