旅と酒とバッグに文庫本

人生3分の2が過ぎた。気持ちだけは若い...

懐かしい人

2009年04月27日 | Weblog
昨日、近くのホームセンターに買い物に出掛けた。
一通りの買い物を済ませ、私は店の外にある花や植木を見ていた。
その時である、ふと予感のようなものを感じて私は振り返った。
植木の枝の間から、懐かしい口元が見えた。
唇を固く結んで、両端を吊り上げて笑うその微笑。
それは紛れも無くあのMの微笑みだった。
距離にして約20メートル、まるで望遠レンズを覗いた時のように
その微笑みはアップで写し出された。

Mとは、もう35年ほど前に付き合ったことがある。
私が大学を卒業し、小さな店に勤めていたころのことである。
彼女は、まだ短大の学生で、二十歳。
私は彼女より4~5歳年上だったと思う。
私たちの交際は1年ほど続いたが、彼女の家の厳格な習慣から
あまり思ったような交際ができず、いつのまにか疎遠になってしまった。
とても感じの良い娘で、頭も良かったので、別れたあとも
私の記憶の中ではずっと気になっていた。

しばらくして私は一度、車を運転している途中に彼女を見かけたことがある。
小さな児を胸に抱いて、バス停に佇んでいる姿を見て
「ああ、結婚したんだ…」と思い、その幸せそうな微笑に
私も嬉しくなった記憶がある。

それから一度も会うことも無く、永い年月が経った。

顔の下半分は紛れも無くMだった。
私はちらっと視線を顔の上半分に移した。
それから私は、それがMであるかどうか確信が持てなくなった。
バス停で見かけたときは、まだ彼女そのものだったが
それから30年近い年月の変遷は、彼女を変えてしまったのか
それとも私の記憶を曖昧にさせてしまったのか
解からなくなってしまった。

それでもあの微笑にだけは確信があったので
まず間違いはあるまいと思ったが、私も家内と一緒だったし
向こうも娘さんのような方と一緒だったので声は掛けず仕舞いだった。
私の感じでは、たぶん向こうも私に気づいたように思う。
連れの女性を促して帰ろうとしていた。
そしてその後姿は紛れも無くMだった。
相変わらずの長い黒髪、少しO脚気味の歩き方
体型は以前より少し肉がついたような感じだが
昔は全く感じられなかった生活感が少し漂っていた。
化粧もせず、普段着だったので私を避けたような感じだった。

一瞬私は、あとを追いかけたがやめた。
そして白のワーゲン「ポロ」を運転して去ってゆくのを見て
まず彼女に間違いあるまいと確信した。
車を見て確信するというのも変な話だが
彼女の感性からして、「ポロ」はまず間違いあるまいと思ったのだから
仕方の無いことである。

それにしても偶然ってあるんだなーと思った。
いま私は、村上春樹の「東京奇譚集」という本を読んでおり
その物語は、「奇譚」とあるように、奇妙で、不思議で、偶然性の強い
物語ばかりである。
そんな本を読んで、世の中って結構不可思議なことがあるんだなー
と思っていた矢先に懐かしい人が現れるなんて…

旅を感じる

2009年04月24日 | Weblog

もうすぐ5月の大型連休がやってくる。
またさぞかし、高速道路は混み合うことだろう。

猫も杓子も、この連休を利用して、どこかに行かねばならない脅迫感に苛まされ
とりあえず車で出掛けてみるので、そういった事態になる。

この混雑というか、渋滞や人の多さを見なければ連休の実感が沸かない
といった自虐的な人までいらっしゃるようで
これには唖然として言葉を失ってしまう。
私なんぞは、なるべく人の居ない静かなところのほうが好きだし
素晴らしい風景を目の前にしても、独り占めして楽しまないと
気が済まないほうだから(元来わがままなのである)
どこに行っても観光客などが大勢でそぞろ歩いているのを見かけると
プイと横を向いて、違うところに行きたがる。

そんな訳で、今度の連休もいつもどおり家の大掃除と
連休後半に自転車かカブにテントでも積んで、近くの静かなところに出掛け
ビールでも飲みながら、本でも読んでいようと思う。
これは最高の贅沢である。

本といえば、最近これも娘から薦められたんだが「東野圭吾」など
手軽に読めて実に面白い。
「容疑者Xの献身」や「悪意」などは結構面白くて、
つい時間が経つのも忘れてしまう。
彼の小説は、実によく練られていて、流石と思わせるものと
まったくの駄作とが入り混じっているので、選別するのが大変だ。
ちょっと書きすぎの感もある。
「村上春樹」や「藤原伊織」などと一緒に読んでいると
その文体や語彙の浅さは否めないのだが、人間に対する観察力や
その眼差しの優しさには、頷ける。
それにしても最近は本の購読はもっぱら「ブックオフ」のバーゲンで
10冊くらい買い込んでくる有様で、やはり新刊をきちんとお金を払って
購読しないと、作者に対して申し訳ない気持ちに時々なる。

閑話休題。

さて表題の「旅を感じる」についてであるが
私には「旅の原点」のようなものがあって、その影響からいつまでも
抜け出せないままである。

昔は今のように、家族揃って旅に出るなどということは滅多に無かったし
たとえ出掛けても、車も無く、ほとんど汽車かバスを利用しての
日帰り旅行がほとんどだった。
子ども会の遠足や、家族での海水浴、夏休みの田舎へのお袋の里帰りなど
泊りがけで出掛けるのはお袋の田舎くらいであって、ほとんどが日帰りである。
(このお袋の田舎でのことは、私の精神形成に多大な影響を
与えてくれたのだが、それは後述にする。)

だから本当に泊りがけで出掛けた最初の旅行は
小学校の修学旅行が初めてである。
だがこの修学旅行に関する思い出は、中学や高校でのものも含めて
私にはほとんど記憶に残っていない。
たぶん今でもそうだが、大勢で「ワーワー」言いながら旅をするのは
昔から苦手だったに違いないというか、面白くなかったのだ。
他人に気を使いながら何を見ても、気もそぞろでちっとも頭に入ってないのである。

私が初めて「旅」らしきものをしたのは高校2年生の春休みである。
初めは仲の良い友達と二人で出掛ける予定であったのだが
いざ出掛けるとなると彼は尻込みして、結局私は一人で出掛けたのである。
それが私にとって初めて「旅」と呼べる「九州一周ヒッチハイク」であった。
当時私の家は戸畑にあって、ここから大分廻りで九州を南下し
鹿児島から熊本、長崎へと北上するヒッチハイクでの
10日間くらいの旅であった。
コットンパンツにナイロンのジャンパー姿で学生帽を被り
背中に大きなキスリングバッグを背負ってのヒッチハイクであった。
学生帽を被ったのは、当時から背の高かった私は
ドライバーに警戒されないようにと
高校生であることを示すために学生帽を被ったのである。

この旅で初めて私は他人の情けに触れた。
車に乗せてもらい、見知らぬ人の自宅に泊めていただき、
宮崎では当時志望だった「航空大学」の見学をしたり
新婚さんの時計屋さんの家にも泊めてもらいながら
ご馳走に預かり、様々な人と知り合い、話をし
怖い思い(トラックのホモっぽい運転手に誘われたりもした)もしながら
九州を一周したのだった。

だが概して人々は優しかった。
まるで自分の弟や息子のように私を扱ってくれ励ましてくれ
そして優しく送り出してくれた。

この「旅」の経験がこれから先の私の「旅」に大きな影響を与えることになった。
このブログにも以前に書いたが
私はこの先、南の島々に興味を持ち、徳之島、沖永良部島、与論島
そして後に沖縄への旅へと誘うことになるのであった。

今でも私は妻と二人で時々泊りがけで出掛けるが、それはもはや「旅」ではなく
私にとっては、ただ「出掛ける」のである。
私にとってはある意味、時間の長さが必要である。
それは2,3日という短い時間ではなく最低でも一週間。
それが「旅」の最低条件である。
しかし、時間が絶対条件にはならない。
なぜなら日帰りや、1,2泊自転車やカブで出掛けるのは
私にとって「旅」であり、決して「出掛ける」のではない。

「無職の不良中年」さんと出掛けるキャンプも
私にとっては、「旅」のひとつであって、決して「出掛ける」のとは違う。

ということになると、私にとって「旅」の基準というものは
時間を掛け、お金は掛けず、一人もしくは二人の人数で
人との何らかの出会いや、見たことも無いような風景を求めて出掛ける
それが「旅」と実感できる瞬間であると言える。

まあ、あまり「旅」を分析しても仕方がないんだけれど
自分にとって「旅」を感じるときは
それらの一つでも感じていれば、きっと「旅」していると実感しているのだと思う。

私の老い先はあと何年あるのかはわからないが
「旅」をずっと続けていければ、それは私にとって最高の人生であろう。



「青い鳥」

2009年04月03日 | 読書

先日、カミさんが博多の娘のところへ行った帰り
娘から重松清氏の「青い鳥」を託されてきた。
私に読めという娘からのメッセージなのだろう。

重松氏は彼が直木賞をとった「ビタミンF」以来全く読んでなかったので
少々億劫でもあったが、ちょうど他の本を読了したところだったので
ベッドの中で読み始めた。
今ちょうど「青い鳥」まで読み終わったところである。
というのはこの本は彼が小説新潮に連載していたものを集め、加筆し
1冊の単行本として上梓したもので、一応短編集の形をとっているが、
村内先生という人物がすべての物語に登場する。
彼は先生でありながら、「どもり」であり、カ行とタ行、および濁音の
発音がひどく吃音になる。
彼は、しがない「おっさん先生」であり
彼の「どもり」は、生徒たちの嘲笑の的になるのだが、彼の人懐っこい笑顔と
真摯に本気で生徒に向き合う姿勢に、生徒たちは
少しずつ魅かれてゆく。
彼は、とりわけクラスの中でも少数派である孤独な生徒に関わる。
物語の中でその孤独な生徒と心を通じ合わせるようになる過程で
他の多くの生徒も何がしかの変化を感じ取ってゆく
そういった物語である。

あるちょっとしたきっかけで、学校で全く言葉がでなくなった生徒
父親が起こした死亡交通事故のせいで揺れる生徒
深い恨みも無く思わず担任をナイフで刺した生徒
苛められ冗談めかして笑いながら自殺未遂をおこした生徒
彼らは一様に疎外され孤独な毎日を送る生徒だが
そんな彼らの些細な変化に気づかない担任の先生たち
村内先生だけが、彼らの胸のうちを悟り、少しばかり
彼らに手を差し伸べるのだ。
しかし彼は臨時の講師であるため、やがて学校を去らねばならない。
その学校の生徒たちと向き合えるのはほんのわずかな時間しかない。
そういった環境下で彼は生徒に生きることの大変さや他人に対する責任を
教えていくのである。
いや、教えるという一歩的な関わり方ではなく
共に考え、行動してゆくといったほうが正確だ。

学校という小さな場は、社会の縮図そのものであり
人と人の関係、強者と弱者、微妙な心の揺れと駆け引き
みんな同い年ということを除けば、我々が生活する場と
何の相違もない。

重松氏は心優しい作家である。
彼が村内先生に託した優しさは、彼自身の優しさであり
すべての人とは関われないが、せめて自分が関わる場での
人と人の関係において、本気で言葉を述べ
自信が本気で、誠実に生きてゆくことでしか何も変わらない
ということを切々と訴えているように思う。
彼自身にも村内先生と同じ吃音があったという。
誰しも内に、そんなコンプレックスを抱えながら生きている。
「青い鳥」は、だからこそ人間は、お互いにいがみ合うのではなく
支えあいながらでしか生きてゆけないのだという
彼の強烈なメッセージなのである。

物語は学校の中でのことがほとんどであるが
多くの先生たちはこの本を読んで
生徒とどう関わったらよいのかという「ハウ・ツー」本には
してもらいたくないと思った。
いや、そんなことは誰が村内先生のまねをしても無理なのである。
自分自身が変わらなければ、人も人との関係も変わらないのである。
この作品は、重松氏が学校を舞台に書いた、
多くの人に向けた心優しいバイブルなのである。

すべての人が村内先生にはなれないけれど
教会でバイブルを手に、必死に祈りを捧げる信者さんのように
我々もこの本を片手に少しでも村内先生のように
人に優しく、強く生きてゆきたいと思わせる朱珠のような佳作であると思った。