ケセランパサラン読書記 ー私の本棚ー

◇ 旅のつづき   ヴィリー・グラーフとザールブリュッケンSaarbrücken

ザールブリュッケンSaarbrücken に行きました。
白バラのヴィリー・グラーフの故郷であり、お墓のあるところです。

白バラグループの仲間たちが民族裁判後、即刻、断頭台で斬首されましたが、ヴィリー・グラーフだけは死刑判決後、約半年間、投獄され続け、ゲシュタボに取り調べられました。

白バラグループとは、当時ナチのレジスタンス活動を行っていた、ミュンヘン大学の学生たちです。

そのグループの中でも、ハンス・ショルとゾフィ・ショルの兄妹は、よく取り上げられ、映画にもなっていますが、実は私が一番、興味を抱いたのはヴィリー・グラーフでした。

敬虔なカトリック教徒で、寡黙な人であったようですが、とても理論的で、行動的でもありました。
白バラグループのメンバーが逮捕、斬首されたあともハンブルグ大などの学生に、その活動が秘かに受け継がれて行く基礎を作った人です。

ヴィリー・グラーフの意志を受け継いだ学生が撒いビラが、アメリカやイギリスに渡り、ナチドイツ敗戦時にイギリス空軍によって、ドイツに撒かれることになりました。

彼一人、厳しく長期間に於いて取り調べられましたが、仲間、協力者について、一切語らず、誰一人逮捕者がいません。

あらゆる証拠を下宿に残し、ミュンヘン大学でビラを撒いたハンス兄妹とは、そこが決定的に違います。
ハンス・ショルは、ビラを撒いたその日、衣服のポケットにクリストフ・プロープストの書いた草稿まで持っていたのです。

ハンス兄妹がミュンヘン大学で逮捕後、その日に、ヴィリー・グラーフも逮捕されました。

白バラの仲間、支援していた教授、7人すべてが逮捕され、斬首されました。

ヴィリー・グラーフは、白バラのなかで、唯一、彼はヒトラーユーゲントに入りませんでした。
勿論、故郷のザールブリュッケンというフランスとドイツの国境の街という土地柄ゆえ、ということもあるでしょうが。

ヴィリー・グラーフは聖ヨハン教会の墓地に埋葬されています。
その教会の壁にはモニュメントがあります。

彼が幼い時から通った教会です。
また反ナチの意志を堅く抱いた場所でもあったかと思います。





ヴィリー・グラーフのモニュメント。


ちょっと近づいて。
これを、墓銘碑とする勘違いもあるようですが、違います。


旧市庁舎には、胸像があります。



旧市庁舎の廊下です。



ザールブリュケン市役所発行の冊子です。
ヴィリー・グラーフの生き方と活動に言及し、名誉市民になったと、記されています。

足を延ばして、聖ルードリッヒ教会へも行きました。
中には入れましたが、工事中で、本来の白一色の素敵な内部の写真はなしです。


<追記>
ザールブリュッケンの駅です。

DBの列車の食堂車で、すっかりお喋りに花が咲いた女性です。
ドイツのビールの注ぎ方を指南して下さいました。


ヴィリー・グラーフについて書かれている代表的な書籍2冊です。



<追記2>
街を散策をしていたら、トルコ人のスィーツ屋さんで、超有名なお菓子バクラヴァを見つけました。
バクラヴァは、日本では、ちょっと食べられないくらい高価で、しかもなかなか見つけられないのです。
コーヒーと、このバクラヴァのお皿が、€3.50でした😍 


























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