ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ 『共同幻想論』  吉本隆明 著   河出書房

晩ごはんのあと、なにがきっかけだったか、吉本の『共同幻想論』の理解について、夫の話が大盛り上がり。

この本です。
若い時に、繰り返し、繰り返し、読み続けた本。

買った日付けが記されていた。


“アテネ”は、書店の名前。
今はもうない。


それにしても1970年の時というと、私はいくつだったろう……。


夫との会話は、まさに「共同幻想とは、なにか」。
同じ年齢で同じ頃、ちがう環境で、吉本を読み、お互いがどう理解したのかは、異なっていて、かなり面白かった。

そして同じ時間を経て、またその理解がどう変化したのかとか、話題は尽きず2時間ほど、喋っていただろうか。


吉本の“共同幻想”という思想が、レヴィー・ストロースの“構造論”と類似しているという議論というか批判があったそうだ。
全然、知らなかった。
吉本が『共同幻想論』を執筆し上梓した頃はまだレヴィー・ストロースの『構造論』の翻訳が出版されていなかったらしい。

「学生時代だったか、みすずかどこかから出版された『構造主義とはなにか』みたいな本を読んだ記憶があるよ」と私。
「それは、『共同幻想論』が出版されてから4,5年あとだよ」と夫。

検索してみると、確かにそうだった。
『レヴィ=ストロース『構造人類学』荒川幾男、生松敬三、川田順造共訳 みすず書房は、1972年が初版本。

吉本が、フランス語が堪能であれば、原文のレヴィ=ストロースを読んだかも知れない。
しかし、それは不可能に近い想像にしか過ぎない。

更に話は、吉本から飛んで、戦前のドイツ文学から、敗戦後のフランス文学の流行についてになる。
仏文出身の書き手は、加藤周一、大江健三郎、澁澤龍彦、天沢退二郎、辻潤、武田無想庵、そうそう永井荷風や内田百閒もかな、などなど、数え切れないほどいる。
あらためて、驚いた!!

本家本元のフランス文学は、あまり読んでいないけれど、加藤周一や、大江健三郎、内田百閒、永井荷風などは、ほぼ全作、読んだような気がする。
高校生から大学生時代に、そして、大人になっても永井荷風や加藤周一とかは、読んでいたかな。


古い本棚をみると、吉本の本がどっさりあった。
本をどんどん処分していたので、『共同幻想論』ぐらいしか残っていないと思っていた。
およそ、30年ぶりぐらいに手に取ったかも知れない。


本棚に発見した吉本。

この列の後ろに並んでいた吉本。

さすが、この私でも、処分しなかったのだと、思った。

埴谷雄高は、見事に、消えていたけれど。














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