ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆ ふたたび、真面目に 『鷗外 闘う家長』 山崎正和 著 新潮文庫 

 

 この書は、鷗外、漱石、荷風の海外体験の比較から始まる。
 明治の文豪三人が、まったく異なる立場で、ほぼ同じ時期に、またまた異なる国へ赴いたのである。
 往々にして漱石と鷗外はその海外体験を「海外」という単語で、そのエリアを一括りにして語られるように思う。
 明治時代に於いても、況や現代でも、「海外」の地は、海外と一括りで言えるほど、同一な文化圏ではない。
 このことは、第二次世界大戦の状況からも推測できることであることは勿論のこと、今日のEUへに対するそれぞれの国の対応状況見ても一目瞭然である。

 鷗外はドイツへ行き、漱石はイギリスへ行き、荷風はフランスへ行った。
 勿論、三者の目的もまったく異なる。
 鷗外は医学、漱石は英文学と英語の習得ために国費で留学し、お金持ち坊っちゃんの荷風は、父の転勤で幼い時に上海で暮らし海外の空気に馴染み、その上での、アメリカ生活経由でのフランスへ私費の遊学である。
 日本明治政府という視点でみれば、陸軍の医官ある鷗外、東大の教師である漱石、酔狂の荷風、それぞれが背負っているものは、まったく違う。
 では、文学という視点からみれば、どうか。
 これについては、鷗外が、やや、気の毒である。

 鷗外はその人生で、ほぼ挫折を知らない。
 明治日本の軍部の中枢に登り詰めた人である。
 こんな逸話がある。
 一葉が、亡くなった時、鷗外は陸軍総監の軍服を着衣し、軍馬に騎乗し葬列の先頭を行くと言ったのだという。
 これについては、樋口家が反対したのか、文壇仲間が反対したのか、分からないが、ないことになった。
 このような逸話からも、国家への忠誠心がなにかと勘ぐられて、鷗外は、文人というよりも、軍人という体裁を重んじたというふうに解釈されがちだ。

 しかし、そうではないと、言ったのが、この山崎正和である。
 鷗外観に、まさに一石を投じた人である。
 
 鷗外森林太郎も、浮かばれるというものだ。
 『舞姫』を書き、『青年』を書き、『阿部一族』を書き、『渋江抽斎』を書いた、やはりすごい作家である。
 それで、面白いことに、鷗外の対極にいるような荷風が、鷗外にいたく心酔し、荷風が亡くなった遺骸のそばには、読みかけの『渋江抽斎』が、あったと言う。

 山崎正和は、面白い研究者であり、文学評論家である。
 私は、存外、この山崎の著書が好きだ。

 いずれにせよ、この三人は、三人の方法によって、「近代的自我」について、「近代的文学」について、徹底的に苦悩し、獲得していったことに間違いない。
 私は、漱石を読み、鷗外を読み、荷風を読み、一葉を読み、こうして、この年まで、ずっと楽しく本を読む人でいられる基礎を為してくれたこの三人と、一葉の著書に出会えたことは幸いだった。


 

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