あやつりぞうくん

お調子者のぱぱ。心配性のまま。宇宙一かわいい僕(陽和音)。
二人は今日も陽和音に夢中。わがやは毎日、陽和音びより

キリンのように

2009-09-25 22:05:11 | Weblog
来年度、陽和音はいよいよ幼稚園の入園を認められる年となる。



子供の集団を見つけた瞬間、その輪に飛び込むのは、陽和音の特技なのかも知れない。

おそらく、まだ他人と知人の括りがないからだろう。

子供であれば、大きくても小さくても構わないようだ。

とにかくいつも飛び入り参加。

鬼ごっこのじゃんけんを見つければ、グーチョキパーも分からないクセに参加している。

勝ったか負けたかも分からないのに、嬉しそうに走り回る。

誰も陽和音は追っていない。

仲間に入った気でいるのだから呑気なもんだ。




特に女の子には人気がないようで、

ズカズカと輪に入ってくる陽和音に対して、

『きゃー!この子また来た~!来ないで~!』

といって逃げられる。

その彼女らを、ものすごく楽しそうに追いかけている様子をよく目にする。

避けられているという認識もないので幸せなことである。




お菓子を食べている子供を見つければ、

『何たべてるの?』

と聞きに行き、

虫取りをしている子供を見つければ、

『何?見せて!見せてよ!!』

としつこくまとわりつく。





とにかく、一人ではなく、人と。

家ではなく、外に。

そんな彼には、幼稚園という場所は何とも幸せな空間なのではないか。



心も体も大きく発達する幼児期、

これから陽和音が生きていくうえでの土台となるだろう。

家庭から離れ初めての集団生活、

良い刺激、悪い刺激ともに様々なものを浴びてくるのだろう。

数多くある幼稚園の中から、その大切な幼児期を過ごす環境を選んであげるのが今の私の仕事である。



区内には幼稚園が山ほどある。

しかし、親の期待なのか、時代なのか、英語やら絵画やら鼓笛やらを特色とし、色んなカリキュラムを組んだ保育をしている園が非常に多いなぁと感じる。

我が家では、出来るだけ自然にゆったりとした保育をとの想いから、そういった園を選んで見て回っている。


お勉強は取り入れず、遊びを中心に・・・・という大きな方針は一緒でも、一つ一つ雰囲気が全く違う。

それぞれにいい所や、気になる?ところがあり、

見て回るうちに判断基準が分からなくなってきたのが正直なところ。


期待を多く持ち過ぎていたのだろうか。

沢山の幼稚園を見過ぎたのだろうか。

そんな風にも迷っている時、一つの考えに到達した。



幼稚園に通い始めても、まだまだ家が基本にあってこその生活。

幼稚園に多くを求めるのではなく、必要なのは私の時間と労力を惜しまないことだと。

一番は、今までと変わらず、陽和音をよく観ていてあげること。

色んな幼稚園を見て回って、いいなと思った環境を、私と陽和音の時間に準備してあげること。

これから続く子育ての、新たな目標が出来たように感じた。



先生と生徒も人と人、

子供同士も人と人、

陽和音に訪れるその出会いに感謝できるママでいたい。



『どんな子に育って欲しいですか?』

・・・・・幼稚園の面接で聞かれそうなことじゃない?

オレは、夢とモラルを持った人かな~!とパパ。



その時私は何と答えただろうか?

ものすごく適当に答えたような。

今、私はこう思う。

人とのつながりに幸せを感じられる人間になって欲しい、と。

陽和音と名付けた想い、そのままに。




ひなくん、よーちえん行けるの!!

ママとバイバーイ出来るの!

おにーちゃんだから!

よーちえんバス乗りたいな~。

キリンのように、まいにち首をながーくして待っている憧れの幼稚園。

期待に胸ふくらませる陽和音くん、その輝く目で走りまわっておいで!!




どうか、陽和音が心から喜べる出逢いがありますように。

(その前に幼稚園に入園できますように)

陽和音が登った道のり

2009-09-25 20:51:16 | Weblog
夏の始め、その訪れが嬉しくて日記を書いた。

嬉しくて、楽しくて、はしゃいではしゃいで、あっという間に通り過ぎた。

陽和音2歳の夏、それは彼にとって、ものすごく大きな山を乗り越えた季節でもあった。

それと同時に、私は、今まで気付かなかった“陽和音”に出会うこととなった。




その大きな山とは、彼がお兄ちゃんになる、という出来事。

7月4日、陽和音にとって従兄にあたる赤ん坊が誕生した。

その赤ん坊の名前は『明道(あきみち)』




私の姉の出産だった。

陽和音にとって、ばーばとねーね(姉)はいつも自分のことを見てくれる存在。

すぐ近くに住んでいるボクのねーねが、何と、赤ちゃんのママになった。

ボクのばーばだと思っていたら、その視線は、ボクと赤ちゃんで2分の1に。

ボクのママは、ボクだけのもの。それだけは変わらない。





『あきみちって呼ぶ!!』

と、自分で宣言したのだが、ずっとしばらく『あかちゃん』と呼んでいた。

触ってみたいけど、いっぱい触るとママやみんなが『優しくね!』っていう。

どうやって触ったらいいか分からない。

2歳のお兄ちゃんだけど、ボクだって赤ちゃんだもん。

ママの赤ちゃんだもん。

この赤ちゃん、何だろう。





明道が産まれて2週間、

明道の目やにが気になる・・・・と、陽和音の通う小児科へ。

ちょうど風邪気味だった陽和音と明道は、同時に診察室に入り、順番で診てもらうことに。

この赤ちゃん、ボクと同じだ。

ボクと同じ先生が、ボクと同じように赤ちゃんにもモシモシしてる。

ボクと一緒だ。




その後、ボクの大好きなお友達が遊びに来た。

みんな、『あきみちくん!』っていってお世話している。

ボクの大好きなお友達が、赤ちゃんのこといい子いい子してる。

ボクもいい子いい子した。

「あきみち!」って呼んでみた。




その頃から、陽和音はその赤ん坊を、『赤ちゃん』でなく、『あきみち!』と呼ぶようになった。




ボクと同じ。

ボクと同じ。

彼の存在を認識するきっかけとなる一日だったのかも知れない。





その頃彼は、時々、目をパチパチさせる癖を見せるようになった。

小児科の先生によると、過度の緊張の現れだという。

もちろん精神的なもの。

赤ん坊に近付きたい気持ちと、どこまで触れていいかの加減で戸惑ったりしたのだろうか。

みんなの注目が赤ちゃんに行ってしまうのが不安だったのだろうか。

それとも反抗期の真っただ中であったことから、ママがきつく叱り過ぎたからだろうか。

それ以外にも様々な想いが頭をよぎる。

大胆で、自由で、物おじしない、私の目にはそんな風に映っていた陽和音。

私が思うよりもずっとずっと繊細だった。

だって子供だもの。

何でも分かっていると思って、厳しくし過ぎたことも多かった。

出来るだろう、大丈夫だろうと、過信していたことが多かったのかも知れない。

もっともっとゆっくりいこう。




明道が産まれて以来、陽和音の一日のコースに、明道の家にいくというスケジュールが加わった。

毎日に近く、明道との時間を過ごしていた。

『あきみちのとこ行かない』という言葉から、

『あきみちのとこ行きたい』という言葉に変わって行き、

最近では『ひなくんの大事のあきみち』という何とも可愛らしく長い名称へと変化していった。

これこそが、陽和音の心の現れだと感じている。




一緒に住んでいるわけではなく、

ママは一人ずついて、

だけど一緒にいる時間がたくさんあって、

弟じゃないけど兄弟みたいで、

とっても変わった形で訪れたお兄ちゃんへの一歩。




陽和音の中で、沢山の想いと戦ったと思う。

自分より小さい明道。

何も出来ない明道。

みんなに何でもやってもらっている明道。

なんだろう、なんだろう、と思っているうちに、

何だか好きになってきた。

好きになって大好きになって大切になった。




目のパチパチも次第に消え去った。





『あきみち大きくなったかなぁ?』

『あきみち、あんよあんよ出来るようになったかなぁ?』

明道に会いに行く道のり、自転車に乗りながらいつも彼はそう私に問いかける。





彼は自分の力で登ったのだろう。

お兄ちゃんになるための山を。

そして見つけたのだろう。

お兄ちゃんであるひなくんの居場所を。





ひなくん、お兄ちゃんだから、幼稚園行けるから、野球やってるから・・・・・・





そんな言葉が毎日私の耳に届いてくる。