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Round & Round The Ring I Go

よもやまブログ。

ジャレド・ダイアモンド著:銃・病原菌・鉄

2014-02-28 03:24:00 | 本の感想
文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
ニューギニア人ヤリの問いかけるもの
第1部 勝者と敗者をめぐる謎(一万三〇〇〇年前のスタートライン/平和の民と戦う民の分かれ道/スペイン人とインカ帝国の激突)
第2部 食料生産にまつわる謎(食料生産と征服戦争/持てるものと持たざるものの歴史/農耕を始めた人と始めなかった人/毒のないアーモンドのつくり方/リンゴのせいか、インディアンのせいか/なぜシマウマは家畜にならなかったのか/大地の広がる方向と住民の運命)
第3部 銃・病原菌・鉄の謎(家畜がくれた死の贈り物)


文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
第3部 銃・病原菌・鉄の謎(承前)(文字をつくった人と借りた人/発明は必要の母である/平等な社会から集権的な社会へ)
第4部 世界に横たわる謎(オーストラリアとニューギニアのミステリー/中国はいかにして中国になったのか/太平洋に広がっていった人びと/旧世界と新世界の遭遇/アフリカはいかにして黒人の世界になったか)/科学としての人類史


(カバー紹介文)
アメリカ大陸の先住民はなぜ、旧大陸の住民に征服されたのか。なぜ、その逆は起こらなかったのか。現在の世界に広がる富とパワーの「地域格差」を生み出したものとは。1万3000年にわたる人類史のダイナミズムに隠された壮大な謎を、進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学など、広範な最新知見を縦横に駆使して解き明かす。ピュリッツァー賞、国際コスモス賞、朝日新聞「ゼロ年代の50冊」第1位を受賞した名著、待望の文庫化。

世界史の勢力地図は、侵略と淘汰が繰り返されるなかで幾度となく塗り替えられてきた。歴史の勝者と敗者を分けた要因とは、銃器や金属器技術の有無、農耕収穫物や家畜の種類、運搬・移動手段の差異、情報を伝達し保持する文字の存在など多岐にわたっている。だが、地域によるその差を生み出した真の要因とは何だったのか?文系・理系の枠を超えて最新の研究成果を編み上げ、まったく新しい人類史・文明史の視点を提示した知的興奮の書。ピュリッツァー賞・コスモス国際賞受賞作。朝日新聞「ゼロ年代の50冊」第1位。



非常に有名な本で、以前友人から概略を聞いて感心し読もうと思っていたのだが、しばらく存在を忘れていた。本を本屋で買う時代だったら目に入る機会もあったと思うが、ネット時代の欠点の一つだな。

この本とは関係なく以前から思っていたことだが、歴史において「何でそうなったか」の説明は比較的容易だが、「何でそうならなかった」かの説明は難しい。例えば、かつて繁栄を極めたオスマン・トルコは、なぜ近代に入ってヨーロッパに大きく後れを取ってしまったのか。そういったことが気になりトルコに関する本を何冊か読んだこともあったが、トルコの通史を一通り見たところでその疑問は晴れない。トルコはトルコでどの時代も日々懸命に歴史を刻んできたわけで、決して怠けて昼寝をしていた時代があったわけではない。

この作者も基本的には似たような疑問を抱いたようだ。きっかけはニューギニア人のヤリという人物が投げかけた問い。「あなた方白人は、沢山のものを発展させてニューギニアに持ち込んだが、私達ニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。壮大な疑問だが、これに答えようとしたのが本書で、その目論見は大まかには達成されていると見ていいだろう。

作者は人間の知能・能力は人種を問わず同じだと仮定する。約1万年前、世界のあちこちで同じようなレベルの狩猟採集生活をしていた人間たち。それが時代を経て大航海時代以降ヨーロッパが世界を圧唐オた。まだ狩猟採集生活を送っている人達も一方でいたのに。その発展の違いは何か。この本によれば、まず大きな違いとなる一歩目は農業であるという。農業をすることによって人口が増え、分業化が進み、いわゆる社会の発展という軌道に入る。文字でさえも、その初期においては記録などの仕事に専従するテクノクラートなしでは普及・発展し得ない。定住型と非定住型の人達が接触した場合、結局は前者が後者を追いやることになるという。

では農業を始める始めないの違い、あるいは早く始めた地域と遅く始めた地域の違いは何か。作者は大陸毎の農業に適した植物の原種について論じている。それによれば、(意外なことに)大陸毎の植物の多様性には大きな違いがあり、ユーラシアは圧涛Iに恵まれている。具体的には麦があったかなかったかの違いが大きい。農業にまで持っていける植物の性質というのは、普段我々が思っているよりずっとシビアなようだ。
また、農業の伝播という点でも東西に同一気候帯の広がるユーラシアは他の大陸(アメリカ・オーストラリア・アフリカ)よりずっと有利だと。例えば南北に細長いアメリカ大陸ではどこかで農業が発生しても、他に伝わる速度は極めて遅いか伝わらなかった。

家畜を持つ持たないも、農業の労働力の他、軍事力として大きな差となる。また家畜を持つことによって様々な疫病も抱え込むことになり、その免疫力を持つことになる。この差は他民族との接触の時に大きな意味を持ち、中南米へのヨーロッパ人の入植時、疫病の蔓延により原住民は大きく人口を減らした。
植物同様、家畜も家畜化できる動物というのは極めて種類が限られており、ユーラシアはその点でも他の大陸より恵まれていた。

大まかには以上が彼の描いた発展した地域としなかった地域の違いとなる。各論や強弱の付け方、細部におけるかなりいい加減(時に白人的差別の眼差し)な知識など、気になるところは多々あったが、その描いた道筋には大まかには賛成である。特にこの作者が「発明」より「伝播」の重要性を説いているのは共感する。本当にオリジナルな発明などは人類史上全体でも稀にしかなく、多くは伝播により習得した文化・技術なのだと思う。


以下印象に残った部分の大意を挙げる。

上P29 もし、一つの民族がどのような経路をたどって他民族を支配するようになったかの説明ができたら、そのこと自体が、一民族による他民族の支配を正当化することにつながるのではないかという懸念もありうる。この種の危惧は、原因の説明と、結果の正当化や是認とを混同する典型的な誤解にもとづいたものである。何かの経緯を解明することは、その結果得られた知識をどう役立てるかとはまったく別問題である。

上P135 アメリカ先住民がもともと銃器や馬を持っていなかったことは忘れられがちだが、銃器や馬はヨーロッパ人によってアメリカ大陸にもたらされた。

上P223 野生種から栽博墲ヨの変遷を考えたとき、大昔に栽秤サされるようになった植物がある一方で、中世になるまで栽秤サされなかったものがあるのはなぜか。また、現在に至るまで、まったく栽秤サされていない植物があるのはなぜか。

上P233 オークの場合を考えてみると、栽秤サに失敗してしまう理由が揃っている。まず第一に問題になるのが、オークの成長の遅さである。また、野生のオークはリスなどによって森全体に広まり発芽するので、希望する特性を有する個体を選別栽狽ナきる確率は非常に低い。

上P239 野生植物の多くは樹皮の部分が多いとか、人間が食べられる果実・葉・根茎を形成しないといった理由で食用に適していない。二十万種ある顕花植物のうち人間が食べられるのはわずか数千種である。しかも、多少なりとも実際に栽狽ウれているものは、そのうちの数百種にすぎない。そして、その数百種のうちの大半は、生産基盤として人間の食生活や文明を支えるにたる食物ではない。その証拠に、世界で一年間に消費される農作物の80%は、わずか十数種の植物で占められている。

上P291 結婚生活についてのトルストイの指摘はひとつの原則であり、いろいろな事柄にあてはまる。人は、成功や失敗の原因をひとつにしぼる単純明快な説明を好む傾向にあるが、物事はたいていの場合、失敗となりうるいくつもの要素を回避できてはじめて成功する。人類史を大きく変えた動物の家畜化の問題も、この原則によって説明できる。シマウマやヘソイノシシなどの大型哺乳類は家畜化できそうなものだが、人類史において家畜化されたことがない。それはなぜだろうか。

下P23 元々シュメール語の特定の文字は含まれていなかったので、シュメール文字はどんな発音で読んでも意味は変わらなかった。ちょうど「4」という記号が、英語で「four」と発音されても、ロシア語で「chetwire」と発音されても、まったく同じ意味を伝えるのと同様である。しかしシュメール人は、何を意味するかが絵で描ける名詞を、それと同じ発音の(絵で描くのが難しい)抽象名詞として使うという、同音異義語のアイディアを思いつき文字の可能性は大きく花開いた。

下P137 灌漑施設が先か国家形成が先か。そんなことより確実で疑う余地のない事実に基づいて考えるのが、根本的に正しいように思う。これまで見てきたように、地域の人口規模と社会形態のあいだには、相関関係がある。つまり、人間集団においては、そこで暮らす人々の数が、その社会的複雑性をもっともよく示している。小規模血縁集団は人口数十人程度の集団である。部族社会は数百人、首長社会は数千人から数万人、そして国家は一般に5万人以上の集団である。

下P355 バンツー諸族のうち、最も南に居住するコーサ族も、ケープタウンから800キロ東のところにある南アフリカ共和国のフィッシュ川より先には南下していない。

下P382 政治や技術の分野において中国が自分たちよりも遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまった理由。中国の長期にわたる統一とヨーロッパの長期にわたる不統一が要因の一つ。

下P389 取るに足りない特異な理由で一時的に誕生した特徴が、その地域に恒久的に定着してしまい、その結果、その地域の人々がもっと大きな文化的特徴を持つようになってしまう「歴史のワイルドカード」もありえる。


藤岡換太郎著:山はどうしてできるのか ダイナミックな地球科学入門

2014-02-27 06:38:00 | 本の感想
山はどうしてできるのか
準備運動 世界一高い山はエベレストか
1合目 山を見るための4つの視点
2合目 山の高さとは何か
3合目 論争の夜明け
4合目 大陸は移動する
5合目 プレートとプルーム
6合目 山はこうしてできる1 断層運動、付加体、大陸衝突ほか
7合目 山はこうしてできる2 火山活動
8合目 山はこうしてできる3 花崗岩、蛇紋岩、石灰岩の山
9合目 日本の山のなりたち
10合目 プレートの循環、山の輪廻


(カバー紹介文)
あたりまえのように「そこにある」山は、いつ、どのようにしてできたのか。あなたはこの問いに正しく答えられますか? 実は「山ができる理由」は古来から、地質学者たちの大きな論争のテーマでした。山の成因には、地球科学のエッセンスがぎっしりと詰まっているのです。本書を読めば、なにげなく踏んでいる大地の見え方が変わってくることでしょう。


2007年6月にラジオ深夜便こころの時代で放送された平朝彦氏の「地球探検~地底七千メートルへの挑戦」。単なる堆積ではおよそ説明できない四万十帯の複雑怪奇な地層を、プレートテクトニクスの考え方の導入で見事解き明かしていく過程をお話になっていて、非常に面白かった。
その時語られたプレートテクトニクスについての話をより理解したいと思っていた時にこの本に出会い、大変興味深く読んだ。

山はどうしてできるのか、素朴な問いかけだが子供の頃自分も親に聞いたような気がする。どういう返事をもらったのかは覚えていないが、もし今自分が子供に同じ問いかけをされたらどきりとしそうな難しい問いだ。

プレートテクトニクスに関係した前半部分は大変分かりやすく、また面白い。プレートテクトニクスがだんだん証明されていった過程など、感動的ですらある。
逆に個別的な事象の説明になる後半部分は、自分にはよく理解できない部分が多かったかな。分かりやすい本ではあるが、様々な形態の山を全て簡単説明できるほど、やはり自然は単純ではなく、全てが解明されているわけでもないのだと思う。


以下、印象に残った部分、大意。

P16 ハワイ島にある火山、マウナケアは標高4205mだが、標高は海抜からの高さであり、周辺の海底の深さは、およそ5000mある。つまり、もし海水を取り去ったとすると、9000mを超える世界最高の山ということになる。

P40 陸をつくっている岩石は花崗岩。海洋を作っているのは玄武岩。マントルをつくっているのはかんらん岩。密度は花崗岩が2.7g/cc、玄武岩が3.0g/cc、かんらん岩が3.3g/cc。こうした違いは、岩石を組成する鉱物の比重、量比と鉱物のつくる組織などによって決まる。


上の、陸、海洋、マントルを作っている岩石の重さの違いが、プレートテクトニクスの肝となる。 非常に単純な理屈で地球的営みが説明できることには感動する。

P131 付加体による山の形成と、大陸どうしの衝突による山の形成は、堆積物が付加体となって陸になるまでは同。違うのは、大陸は軽いためにプレートのように海溝に沈み込めず、ついにはもう一方の大陸とくっついてしまうということ。

P151 火山島はプレートにのって移動する。しかし、ホットスャbトはプレートより深いので、その移動とは関係なく同じ場所にある。年代がたてば島は北西へ移動していくが、ホットスャbトの位置にはつねにマグマが供給されるので、そこには次の新しい火山島が形成される。こうして、島が移動しては次々に新しい島ができるため、きれいな列となる。

P156 島弧は海溝に海のプレートが沈み込むところにできる。日本列島では、その東の沖に日本海溝や伊豆・小笠原海溝があり、ここから日本列島の下へ太平洋プレートが沈み込んでいる。沈み込むプレートは「スラブ」とも呼ばれ、スラブの中には水が含まれており、その水が地下深くで放出され、沈み込まれる側のマントルに供給される。するとマントルの岩石の融点が下がり、溶けやすい成分が溶け始めてマグマができる。このとき、地下約110kmの深さでマントルをつくるかんらん岩が溶け出してマグマが形成されるので、地表から見ると一本の線のように見える(太平洋側の山地・山脈)。この線を「火山フロント」と呼ぶ。
ただしマグマの形成は地下約170kmの深さでも起こることがわかっており、火山フロントとは成分が違うもう一つの火山の列形成する(日本海側の山地・山脈)。

P208 石垣島の近くの黒島海丘はシンカイヒバリガイなどの化学合成生物群集とメタンハイドレートが知られている。1771年に発生した八重山の大津波はこのあたりが震源であると考えられており、琉球で知られている最大の津波は高さ85mだったという説もある。化学合成生物群集やメタンハイドレート、そして大津波などは、すべてフィリピン海プレートが琉球弧の下へもぐりこんでいるために生じたもの。


保立道久著:歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇

2014-02-26 03:03:00 | 本の感想
歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇
1 大地動乱の開始 七・八世紀
2 大地動乱の深化と桓武の遺産 九世紀前半
3 陸奥海溝津波(貞観津波)と清和天皇
4 神話の神々から崇り神へ 地霊の深層
終章 君が代の時代と東北アジア


(カバー紹介文)
奈良・平安の世を襲った大地の動乱。それは、地震活動期にある現在の日本列島を彷彿させる。貞観地震津波、富士山噴火、南海・東海地震、阿蘇山噴火…。相次ぐ自然の災厄に、時の天皇たちは何を見たか。未曽有の危機を、人びとはどう乗り越えようとしたか。地震・噴火と日本人との関わりを考える、歴史学の新しい試み。



なかなか奥深いような煙にまかれたような、つかみ所のない本。
前半は奈良・平安期に起こった地震と、時の朝廷・天皇が取ったその対応について述べられている。当然それは現代のような災害対応中心のものではなく、彼らの世界観・宗教観の強く反映されたもので、その様々な対応の列挙から、日本人が古来から持つ宗教観への考察を深めた後半に突入する。

様々な神々、古墳の形態など、博学な作者の話は縦横無尽に行き来する。日本の神々の多様性・多重性は、災害をキーワードに解きほぐした所で、更に謎を深めているようにも見える。
正直、自分の知識・理解力を超えているようにも思ったが、断片的にはハッとするような文章も多かった。



以下、印象に残った部分・要獅唐キる。

P8 埼玉県の稲荷山古墳では後円部の頂上から富士山頂をまっすぐに見通すことがでといい、また有名な吉野ヶ里遺跡では、主要遺構が火山・雲仙に対して直線に配置されているという。

P19 このような経過は、天智が自分の胤を宿した女性の藤原鎌足に与え、そこから生まれたのが不比等であったという大鏡などの強力な所伝が事実を反映していることを示している。

P33 もちろん、このような仏教の冥福によって災異をのぞくという動きは、長屋王の時代にもあったことであるが、大地震は改めて仏教の地震からクローズアップした可能性が高いと思う。そもそも、仏典には、地震に対する言及が多い。仏教王・聖武が経典に描かれた災害論・地震論を重視したことが確実だ。

P65 (818年の関東地方の大地震について)朝廷は、関東諸国に使者を発して、国司と共に事態を対処させ、今年の税を免ずること、緊急給付を行って人々を飢えから救うこと、家屋を修繕し、死者を葬ることなどを命じている。この処置を「民夷を論ぜず」に行え、つまり平民にも蝦夷にも等しく及ぼせと指示されていることは、王朝の方針を示すと同時に、当時の関東地方に相当数の蝦夷がいたことを示す点でも興味深い。

P179 神話学の大林太良によっても、出産によって国や島が生まれるというスタイルの神話は、太平洋地域に広く分布している。ほぼ同じ地域に海中に火の起源を求める神話が分布するというのも重要であろう。このような女性の体内・陰部からの診療起源神話について、神話学では、イモ類・雑穀栽狽ノ随伴する死体化生型の作物起源神話、あるいは焼畑文化との関係を論じてきた。

P198 雷電・地震・噴火を代表する自然神は、8・9世紀、その神格を祟り神に変容させていった。雷神=タカミムスヒ、地震神=スサノオ・オオナムチ、火山の女神=イザナミ・オオゲツヒメなどの織り成す神話世界は、不気味な鬼、死霊や疫神の世界に暗転していったのである。
歴史家・河音能平は、かつて、この変容を、地域の共同体の自然神が自己の神格を変容させていった過程として解き明かした。疫病・飢饉などの頻発に直面した神自身が、自分を災害をもたらす力をもつ神、つまり祟り神であることを自覚し、その自覚を出発点として自己を抑制し、災害を防ぐ神として神格を変容させていったと説明している。

P215 地域社会の人々は、御霊会の祭りによって、強力な怨霊=祟り神を自分たちの世界に取り込み、それを自分たちの気分を表現するものとして前面に掲げた。それは王権も恐れる最強の霊を祭ることによって、自分たちの村をアジール(自治的領域)とし、容易には制約年貢を渡さないという傾向の宣言であったに違いない。


加藤秀治郎著:日本の選挙 何を変えれば政治が変わるのか

2014-02-26 02:00:00 | 本の感想
日本の選挙 何を変えれば政治が変わるのか
第1章 日本的「選挙制度論」の虚妄 こんな議論では改革はできない
第2章 民主主義思想と選挙制度の類型 各選挙制度はどんな理念にもとづくのか
第3章 選挙制度の細目とその作用 細かな違いがときには結果を大きく変える
第4章 政治制度と選挙制度 選挙制度を変えるだけでいいのか
第5章 選挙制度の作用 選挙制度を変えれば政治は変わるのか
第6章 選挙制度改革の視点 どう議論し、どう改革すればいいのか
終章 理念なき選挙制度を排せよ


(カバー紹介文)
とるに足りない些末な問題と見られがちな選挙制度だが、政治全般に及ぼす影響力は決して小さくない。「選挙制度が適切なら何もかもうまくいく」という哲学者オルテガの言をまつまでもなく、選挙は民主主義をいかなる形態にも変えうる力を秘めている。小選挙区制や比例代表制の思想的バックボーンをわかりやすく紹介し、「選挙制度のデパート」と揶揄される無原則な日本の現行システムを改善するための道筋を示す。



「日本の選挙」というタイトルだが、学問における選挙というものの世界的スタンダードを分かりやすく教えてくれる。その上で当たり前のように私達が受け入れている日本の選挙制度の特殊性・矛盾を挙げている。学校の社会科ではあたかも完成形のように日本の選挙制度を教えているが、当然そんなことはない。そもそも選挙制度というのはどういう形にせよ、何らかの問題点があるものであり、最終的にどういう形を選ぶかは目指す理念によるということをこの本は教えてくれる。日本の場合、山県有朋らが議会の力を削ぐために採用したのが中選挙区制度という極めて特殊な形態であり、世界の政治学では中選挙区制という用語すらないという。

また、例えば国会で小選挙区制が採用されていながら、地方選挙では中選挙区制が相変わらず採用されているなど、言われてみれば不思議な日本の選挙制度について指摘している。こういうことを指摘されるまで分からない程、(自分を含め)一般的日本人は選挙の理念の理解が乏しく、当事者として考えてこなかったのかもしれない。

一般的な教養として、選挙の単なる勝った負けたとか、自分がどこに投票するか以前に選挙の基礎的な理念の勉強が必要なのかもと。そのためにはせめて海外のいくつかの代表的な選挙制度について知識が入り口として相応しいかもしれない。この本にはそれが書かれている。


以下、興味深かった箇所の要獅唐ーる。

P6 諸外国の選挙制度が基本的に小選挙区制か比例代表制をとっている。「世論を鏡のように反映する議会」を目指すのが、比例代表制であり、「民主政治は多数決の政治」と、割り切った考え方をし、選挙区の多数派の代表を議会に送ればよいと考えるのか、小選挙区制である。

大まかには、上が選挙に関する大きな二つの考え方となる。日本人の素朴な発想としてはより少数の意見が反映される比例代表制が好ましいように思われるが、当然小党分立が起こりやすく、議会の運営は紛糾しやすい。また、細川連立政権の時のような「第一党が政権につかない状態」が起きやすく、果たしてそれが民主的と言えるかという問題もある。また、比例代表制を採っていても、ドイツの「5%条項」のように、ある投票率に届かない少数獲得政党は切り捨てる阻止条項を持った国は多い。ナチス・ドイツが台頭したことからの反省でもあり、政治がただ単に多様な意見の反映だけでは済まないというリアリズムでもある。

P57 シュンペーターの主張は選挙後に政府に大幅な決定権を認めるものであり、それを超えて国民が政府をコントロール」しようとするのは民主主義的方法の精神に反するとする。民主主義の原義は単に、競争する個人・集団の中で最も多くの支持を集める人々の手に政権が渡されるべきだ、ということを意味し 、小選挙区制が主張される。

P62 ャpーはに二大政党制を賛美するのだが、それが彼のこれまでの主張である「多元的価値観を尊重する開かれた社会」に反していないのか、という批判が予想される。そこで、彼はこう書いている。「政党の役割とは、与党は政権を営むことであり、野党は政府・与党を批判的に監視していくことである。そして、多元的な見解、イデオロギー、宗教・宗派に対する寛容が保たれているかどうかを監視することは、〔野党が担うべき〕批判的な監視活動の一部なのである」。したがって、「イデオロギーや世界観の多様性が、そのまま政党の多元性に反映されねばならないとの考えは、私には、政治的に誤ったもののように思われる」という。

P83 フランス型の二回投票制であれ、オーストラリア式の優先順位付投票制であれ、過半数にこだわる点が特徴だが、その背後にある考えは、代表の選出を、候補者の乱立など、偶然の要因に委ねたくない、ということである。「漁夫の利」で少数勢力が勝ったりする可能性を排除するには、こういう制度がよいと考えられているのである。

P188 (選挙区確定の方法について)まず、基準を人口ではなく、有権者数にするとよい。未成年者の比率などが多少関係するが、バランスでは人口とそう違いはない。また、選挙なのだから有権者を基準にして悪いことはない。メリットは、有権者名簿がいつでも確定されていることであり、これなら国勢調査を待つ必要がなくなり、毎年でも調整できる。


渡邉義浩著:魏志倭人伝の謎を解く 三国志から見る邪馬台国

2014-02-26 00:15:00 | 本の感想
第1章 倭人伝と邪馬台国論争
第2章 倭人伝の執筆意図
第3章 倭国を取り巻く国際関係
第4章 理念の邪馬台国
第5章 邪馬台国の真実
附章 魏志倭人伝訳注


(カバー紹介文)
考古学調査と並び、邪馬台国論争の鍵を握るのが、「魏志倭人伝」(『三国志』東夷伝倭人の条)である。だが、『三国志』の世界観を理解せずに読み進めて も、実像は遠のくばかりだ。なぜ倭人は入れ墨をしているのか、なぜ邪馬台国は中国の東南海上に描かれたのか、畿内と九州どちらにあったのか。『三国志』研究の第一人者が当時の国際情勢を踏まえて検証し、真の邪馬台国像に迫る。「魏志倭人伝」の全文と詳細な訳注を収録。



魏志倭人伝の謎を解明しようと、ああでもないこうでもないと色々な仮説・解釈が存在しているが、その多くが日本側の事情と魏志倭人伝のすり合わせである。
この本は中国古代史の専門家が書いた魏志倭人伝検証本。三国志全体に精通している作者からすれば今までの魏志倭人伝解釈は、全く常識的な知識すら欠け落ちたままの空論に見えたことだと思う。最終的に「邪馬台国はどこか」という、このテーマでは避けて通れない結論部分に賛成するかどうかはともかく、魏志倭人伝を読む上で、当然踏まえなければならないことが多く書いてある。面白かった。

以下、興味深かった箇所の要獅唐ーる。

P142 倭人伝は、陳寿の「三国志」が全体といて持つ偏向を共有している。司馬懿の業績を讃えるという目的があり、司馬懿の遼東平定に伴い来貢した倭国を、孫呉の脅威となりうる東南の大国として、好意的に描いたのである。

上がこの本最大の主張であると思われる。その目的のために様々な調整が倭国の描写に反映されることとなる。作者の意見を信じるなら、魏志倭人伝の文字通りの解釈はナンセンスということとなる。以下の多くはその調整の細部に関するものが多い。

P36 陳寿を推挙した張華と社預は、ともに西晋における討呉派を代表する人物。陳寿は、必然的に討呉を正当化すべき政治的な立場となる。これが倭人伝に記されている邪馬台国の位置が、孫呉の背後とする大きな理由。

P52 陳寿は、『三国志』魏書の種本とした『魏略』のなかに、西戎伝があるにも拘わらず、烏桓・鮮卑・東夷伝のみを書いた。それは、景初年間(二三七~二三九年)に、司馬懿が公孫淵を滅ぼすことにより、東夷の民が中国の命令に従ったことを強調するためである。

P61 高句麗や韓は、倭よりも中国との接触が古く、頻繁である。常識的に考えれば、倭よりも中国の文化を受け入れているはずだが、東夷伝ではそう描かれていない。中国との関係が急速に悪化していた韓族を蔑む一方で、倭を中国同様礼により教化された国として描いている。

P76 注目すべきは、「朝貢の品物に答える」として回賜の品目以外に、さらに多くの財物を選んで賜与するという、特別な恩恵を卑弥呼に与えていることだ。銅鏡は、倭のために特別に製作した三角縁神獣鏡であるという。

P106 倭人伝は、皇帝の制書や使者の報告書に基づく資料的な価値の高い部分だけではなく、『漢書』の研究に基づき制作された部分も多い。

P112 会稽県東冶県の東に倭国を置いたことにより、必然的に、倭国の南方系の要素が強まる。そこで陳寿は『魏略』では欠けている記述を『漢書』の地理志から引き写した。

P113 倭人伝の中でも、特に目立つのは女性の多さを挙げる部分。『周礼』における男女比、文化の中心から離れるほど女性の比率が高くなるとされる。

P133 陳寿が、帯方郡から邪馬台国までの距離を一万二千里としたのは何故か。岡田英弘の仮説によれば、卑弥呼に与えた「親魏倭王」とクシャーナ朝ヴァースデーヴァ王に与えた「親魏大氏王」の釣り合いを保つためという考え方がある。邪馬台国とクシャーナ朝は洛陽から等距離に置かれたとするものである。

P136 倭人伝の距離と方位は、理念に基づいて作成されていると見てよい。それは大月氏国と同等、方位は呉の背後となるように設定されている。