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求めるべきは新天地? ユダヤ人社会、イスラエル首相の移住呼びかけに拒否反応

2015-02-23 07:07:23 | megamiyama

「ネタニヤフ首相がユダヤ人にイスラエル移住を呼びかけ」たというニュースを受けて、リバティwebが注目すべき記事を書いています。(http://the-liberty.com/article.php?item_id=9259)

『 大川隆法・幸福の科学総裁は、2014年5月に、旧約の預言者、第二イザヤの霊言を収録した。第二イザヤの霊は、イスラエル・パレスチナ紛争について、「イスラエルのほうが"引っ越し"すべき」として、エルサレムの地に対する執着はないことを明らかにした。』

『争いの根源は、イスラム教徒であるアラブ人を、ユダヤ教が敵視していることにある。ユダヤ・パレスチナ問題を解消するためには、宗教的寛容の精神によって共存の道を探る必要があるだろう。(晴)』

と。

もともと「イスラエル」は(今も昔も!)先住者を追い出して建国した国。

先住者の権利を認めない限り、エルサレムに平和はないということに、とっくに気づいているからこそ、ユダヤ人は新天地を求めて世界各地に散らばっているのでしょう。

ウォールストリートジャーナルには、ユダヤ人社会、イスラエル首相の移住呼びかけに拒否反応」の記事が載りました。

ユダヤ人社会が求めているのは、安住の新天地。

本来は、アメリカによる「イスラエル国家建設」は失敗に終わったと潔く認めるべきなのですが、各国のリーダー(為政者)達はこれまで通り、真逆の方向に突き進もうとしています。。

イスラエル国家が、エルサレムに固執し、先住者と争い続ける限り、このままいけば世界は核戦争に向かって突き進むしかないのだ ということに、イスラエル自身も世界(特に日本!)も、いい加減気づいて策を練るべきでしょう。

ところで、「ユダヤ人樺太?移住計画」は、今急に降って湧いた話ではなく、昔から日本でも考えられていたようです。

日本が米国に負けてさえいなければ、いまあるすべての国際紛争はなかったかも知れないと思うと、やはりここは日本が見て見ぬふりをせず、積極的に国際問題に関わっていくしか、道はないのでしょう。

再び戦争に巻き込まれるというサヨクな脅迫観念に打ち勝ち、度量の狭いエゴイスティックな一国平和主義から抜けだし日本が国際社会の調停役を買って出ることで、世界が平和になるのなら、日本人は、テロリストにつかまって殺されようが、北方領土を失おうが、厭わない覚悟くらいは持つことができます。(先の大戦で日本の兵士達が皆持って居たように)

「日本」が世界の紛争を身を挺して解決したとなれば、それこそ、子々孫々にわたって民族の誇りとなるでしょう。

あるサイトで、今から10年程前に書かれた石原晋太郎氏の“奇妙なエッセイ”を見つけましたので、ソレも下に転載します。ご参考まで…


http://jp.wsj.com/articles/SB11096553489394754382504580471372418435384

ユダヤ人社会、イスラエル首相の移住呼びかけに拒否反応

2015 年 2 月 19 日 19:32 JST

 

デンマーク・コペンハーゲンのユダヤ教礼拝堂で発生した銃撃で犠牲になった男性の葬儀に集まった人々(18日) Associated Press

 【ブリュッセル】イスラエルのネタニヤフ首相は欧州在住のユダヤ人に向けて、イスラエルに居を移すよう呼びかけている。欧州でテロ攻撃が続発していることを受けたものだ。だが、この呼びかけは欧州各国の首脳だけでなくユダヤ人からも反発を招いている。ユダヤ人社会に果たすイスラエルの役割に関する議論がここにきて再燃している。

 

 フランスのパリとデンマークのコペンハーゲンで起きたテロ攻撃を受け、ネタニヤフ首相はイスラエルを「すべてのユダヤ人の家」と呼んだ。しかしこの発言は、多くのユダヤ人にとって、数世代にわたって家族と共に暮らしてきた国で感じている受容の感覚を無視したもので、侮辱でさえあると映っている。

 

 欧州ユダヤ会議の幹部、アリー・ザッカーマン氏は「この呼びかけにやや混乱している。これは基本的にテロに屈するよう訴えるものだ」と話す。また、欧州ユダヤ協会の代表を務めるメナヘム・マーゴリン氏も、欧州ではユダヤ人が安全に暮らせないという誤ったメッセージを欧州の各国首脳に送るようなものだと指摘する。

 

 ネタニヤフ首相の発言に対するこうした広い拒絶反応は、ユダヤ人活動家たちがこれまで頻繁にイスラエル指導者のもとで結束を図ってきた経緯を考えると普通ではない。また、シオニスト運動が始まった当初から続く意見の対立も再燃している。つまり、すべてのユダヤ人はイスラエルに移住すべきだというシオニストの考えと、イスラエルは世界中に数多く存在するユダヤ人コミュニティーの1つにすぎないとする考えだ。

 

 イスラエルに大量の移住者が流れ込むと予想するイスラエル人はほとんどいない。だが、ユダヤ人の移住を促すイスラエルの指導者たちと、ユダヤ人の受け入れを強化している欧米諸国の指導者たちとの間には目に見えない緊張が根強く存在していた。ネタニヤフ首相の呼びかけはこの緊張を表面化させたのだ。

 

 イスラエル首相府によると、同国政府は年内の移住を希望するユダヤ人への支援費用として追加で4000万ドル(約47億5000万円)を用意した。ユダヤ人の移住を推進するNGO団体「イスラエルのためのユダヤ機構」(JAFI)の広報担当、イガル・パルモア氏は「欧州に暮らす多くの、おそらく数万人のユダヤ人が移住を検討する歴史的な瞬間になる」と述べた。

 

 ただ、パルモア氏はテロ攻撃が移住の動きに影響を与えるかどうかを判断するのは時期尚早だと指摘する。同氏によると、デンマークのユダヤ人コミュニティーには約7000人が暮らしているが、イスラエルに昨年移住したのはわずか12人だ。フランスでは50万人のユダヤ人のうち、昨年は約6900人がイスラエルに移住した。2013年は3300人だった。

 

 ベルギー・ブリュッセルを拠点に反ユダヤ主義と戦うAJCトランスアトランティック・インスティテュートの代表、ダニエル・シュバメンタール氏は、多くのユダヤ人は今、欧州大陸を安全だと感じていないと話す。ただ、欧州を離れるかどうかの決断はネタニヤフ首相の呼びかけによってではなく、状況の変化によって左右されると指摘する。

 

 とはいえ、暴力から逃れようとしているユダヤ人にとって、イスラエル自体も安住の地にはなり得ないと指摘するユダヤ人指導者もいる。ドイツのユダヤ人中央評議会のジョセフ・シュースター議長は「イスラエルはテロ攻撃に遭わない暮らしを保証できる環境にはない」とし、ネタニヤフ首相の呼びかけを「不適切」と批判した。

 

 また、ネタニヤフ首相は昔の問題を持ち出すことを軽く見ていると懸念する指導者もいる。すべてのユダヤ人を将来のイスラエル人だと表現してみせることで、首相はある危険を冒していると指摘する。それは、ユダヤ人の真の忠誠心は生まれた国に対するものではなく、イスラエルかもしくは世界各地のユダヤ人コミュニティーに対するものだという長年の非難を再燃させてしまう危険だ。

 

 イスラエルの野党・労働党で歴代の党首に仕えてきたダニエル・レビー氏は「二重の忠誠心という古典的議論だ」と指摘する。

 

 ネタニヤフ首相の呼びかけは、欧州各国の指導者からも非難されている。国民の安全を守る自分たちの能力に対する挑戦でもあるからだ。デンマークのトーニングシュミット首相は銃撃事件に遭ったユダヤ教の礼拝堂を弔問し、デンマークのユダヤ人は「デンマークに属している。彼らはわれわれのコミュニティーの重要な一部であり、この国のユダヤ人コミュニティーを守るためにできることは何でもする」と述べた。

 

 今回の論争は異例ではあるが、前代未聞というわけではない。ネタニヤフ首相の呼びかけは2004年に当時のシャロン首相がフランス在住のユダヤ人に呼びかけたことと同じだ。シャロン首相はフランスのユダヤ人が反ユダヤ主義に脅かされているとして、「できるだけ早くイスラエルに移住しなさい」と訴えた。この発言にフランスの政治家やジャーナリストはこぞって反発した。

 

 ネタニヤフ首相の呼びかけに不満を抱いているユダヤ人指導者の多くは、欧州諸国にはユダヤ人コミュニティーを守るために、もっとやるべきことがあると言う。安全対策の強化や過激化する勢力との戦いなどだ。しかし、だからといってネタニヤフ首相の呼びかけが正当化されると考える指導者はいない。

 

 英国のユダヤ人代議員会議で代表を務めるビビアン・ワインマン氏は「(ネタニヤフ首相は)自分の意見を言う権利がある」としたうえで、「各地に離散したユダヤ人の指導者は皆、共通して拒否反応を示している」と述べた。


以上、「ウォ-ルストリートジャーナルJAPAN」より転載。


世界各地で、その国に長年住み慣れ裕福に暮らしている人達に、火種の渦中に戻って来いと云っても、無理な相談でしょう。

ここで、石原晋太郎氏の“奇妙なエッセイ”を紹介します。

氏は、「ある、とんでもない提案」として、「北方領土にパレスチナ人の新国家を建設すれば良い」と書いているのですが、「アラブの諸民族の中でも極めて優秀とされるパレスチナ人ならば、短期間にして充実した新国家の建設は可能に違いない。」の箇所は、「世界の諸民族の中で極めて優秀とされるユダヤ人…」に置き換えて読んだ方がよっぽど説得力があります。

「北方領土にユダヤ人の新国家建設」では、強きをくじき、弱きを助けたい日本人の賛同を得られないに決まっているので、わざとパレスチナ人に置き換えたのでしょうか?

試しに一度、これを「北方領土、イスラエル新国家建設案」と読み替えてみてください。

とたんに、石原晋太郎節が冴え渡って聞こえてきます。(石原さんって肝心な処で、読みがズレる気がするのは、気のせいでしょうか?)


◆石原慎太郎エッセイ『日本よ』2004年5月3日発売の産経新聞より転載

http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no23.html


「ある、とんでもない提案」


 文明が進み人間や情報の行き来がより簡単になって、今日、世界では予期せぬ出来事、予期できぬ出来事が頻発しているが、しかしその根底に理由無き理由などありはしない。そのすべてに人間たちの歴史がさまざまに介在している。そして世界はいまだかつてない危機に繋がる不安定に晒されている。
 識者にいわせれば今日の世界の不安定要因の七〇%はパレスチナ問題にあるともいう。確かに戦後からこのかた、かの地ではすでに四度の戦争が行われ、さらに今なお血で血を洗うテロと弾圧がくり返されている。ユダヤ教、イスラム教という絶対神を仰いだ一神教同士の憎しみの激しさと戦いの凄まじさは、日本人のように鷹揚(おうよう)な汎神論的価値観の保有者には理解に遠い観があるが、しかし現実には悲劇に継ぐ悲劇が進行してい、それが増幅しさらに他の地においても新しい危険を醸し出している。
 パレスチナ問題はもともと、イギリスの第一次、第二次戦争後の外交野心にきざした無責任な二枚舌、いや三枚舌外交のもたらしたものだが、戦後世界でのユダヤ人の復権台頭に伴って、彼等がその致命的中枢を支配する、今日世界唯一の超大国になりおおせたアメリカの動向をも規定している。それは世界のアメリカ化への兆候への反発とあいまって世界中で、ハンチントンが懸念した文明の衝突の態様を示すにいたってしまった。
 パレスチナを巡るパレスチナ、ユダヤ両民族の過去の歴史を眺めれば、気の遠くなるような長い長い経緯を背景にしてもなお、周囲の大国に一方的に振り回されつづけた両民族は気の毒というよりない。そして彼等が共にそれぞれの強い信仰を踏まえた民族と文化の沽券(こけん)にこだわりつづける限り解決の道は遠く、その火種はとどまることなく世界中に蔓延(まんえん)しつづけるだろう。
 私はかつて、当時ごく親しかったエジプトの大使にパレスチナの人々に安住の地を与えるべく、一度はイスラエルに占領された、あのほとんど瓦礫(がれき)の連なりのシナイ半島の一部をパレスチナ人に提供したらどうだといったことがある。答えは、とんでもない、あなたは日本の政治家として日本の領土の一部をそうする決心が出来ますかということだった。
 そこでの、敢えてとんでもない提案だが、第二次世界大戦のどさくさにソヴィエトにかすめ取られたきりこの半世紀余未だに還ってこない北方領土の国後なり択捉の一島を、世界の安定のために割譲しパレスチナ人に入植させ新しい国家の建設をさせるというのは、はたして能天気な話だろうか。そのためにはロシアもまた同意する必要がある。北方四島だけではなくシベリアのような広大な国土をもてあましたままでいるロシアにとって、その領有にいかなる正当性も有り得ぬ島の一つを、持て余したきりで国家の沽券のためいたずらに抱えつづけることなく、世界の安定のために返還ではなしに、彼等にしても割譲ということになるのかも知れないが、新しいパレスチナ建設のために提供する決心をしたら世界の歴史は大きく変わっていくに違いない。
 国後や択捉はそれぞれ面積からいっても、沖縄本島を上回る十分な大きさを持ち、気温はパレスチナの地に比べれば寒くはあっても、豊かな緑や水に恵まれた豊穣(ほうじょう)の地である。ちなみに沖縄本島の総面積は一二〇〇平方キロメートル。国後は一五〇〇平方キロメートル。択捉は三二〇〇平方キロメートル。パレスチナ自治区の面積は六〇〇〇平方キロメートル。入植地ガザは三六〇平方キロメートルでしかない。
 アラブの諸民族の中でも極めて優秀とされるパレスチナ人ならば、短期間にして充実した新国家の建設は可能に違いない。日本もまた至近な友国として多角的な協力が可能だし、そうした協力は水爆を保有し日本向けのミサイルを配備し、尖閣諸島を侵犯してはばからぬ中国へのODAの提供なんぞよりもはるかに世界中の納得を得られるに違いない。
 そうした至近な隣国との交流は新しい混血混交をもたらしさらに、文明の衝突の代わりに、新しい文明文化の造成にも繋がっていくに違いない。これはこの現代にして初めて可能な、人類として未曾有の実験ともいえるだろう。戦後このかたパレスチナの独立のために辛苦してきたアラファト議長も、かつて囚われのユダヤ人たちを率いてエジプトを出た「出エジプト記」のモーゼのように決心して、国家民族のための新しい実験に乗り出したらどうかと想うのだが。過去にも民族の大移動が歴史を変えた事例もある。
 と、こんな夢想?を提言としてものすれば、かつてソヴィエトから被った非道を忘れ得ぬ人々から(私もまたその一人だが)非難の声が返るかも知れないが、今日の日露関係の態様からすれば私たちの目の黒い内にあれらの島々が全て戻ってくるとはとても思えない。あの豊穣な土地を人間の財産として人間たちのために今最も有効に役立てる術は、あの島のどれかに新しいパレスチナを、世界の意志として作り上げることではないかと思うが、これははたして戯(たわ)けた夢想に過ぎないだろうか。それを実現することは、強い信仰を持つパレスチナの人々にとっても決して屈辱ではあり得ないと思うのだが。
 余り世の役にたっているとは思えぬ国連あたりで、こんな提案を持ち出してみたらと思うのだが。




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