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キーワードは、「本当は・・・」

2010-12-18 04:43:18 | 癒し
「根底の意識」
いつの間にか、この言葉を良く使うようになりました。

例えば、誰かに対して、自分の内側でくすぶる感情や、目の前の出来事。
これらが何に反射して起こっているのかというと「根底の意識」なのだと思います。ただし、自分以外の存在(高次も邪も)の介入や、カルマの弁済など、出来事の全てがその時点で納得できるものでもありません。

そして、これは掘れば掘るほど出てきます。キリがありません。
よって私個人的には、「掘る」ことは目的にしない方が良いと思います。「掘る」ことで一生が終わったら仕様がないし、それがあり得るくらい、これはディープな作業ですから。

実生活に於いて何かを実現させようとするとき等、例えば、
「これは、本当に私が望んでいることなのかな?」
「本当は、私も悪かった。でもそう言えなかったんだよね」

その時々の本当の気持ちを大切にする習慣から、根底の意識と自分を隔てる壁はだんだん取り除かれていきます。時間を要したとしても、それは必ず取り除かれていきます。

「本当は、私・・・」
「私だって、本当は・・・」

このようなお気持ち、どうぞ大切にして下さい。


そして、また私が良く引用する「宇宙はマクロコスモス、人間はミクロコスモス」の概念に繋がっていくのですが、宇宙にも根底の意識があると私は感じています。そしてそれが、全ての命を有機的に完全な調和のもとに生かし活かすことであるなら、私たちの根底の意識も、自分の全てを大調和させること、ではないでしょうか。

今起こっていることも、一見とてもそうには思えなくとも、自分を調和に導いている。
そして調和とは、自分以外のものも同様に生かし活かすことなので、恐らくここに、自我やエゴを外す教えに繋がるのではないかと思います。自分と他者もそうですし、自分の様々な感情もそれぞれに大切。肉体的にも、目だけが大事、内臓だけが大事、ということではないですよね。

「私だって、本当は・・・」という気持ちに耳を傾けるとき、それは調和に向かう一歩であり、次第にかさぶたのような、壁のようなものを順番に感じるかもしれません。でも、今自分が感じる全てがそれであれば、それこそ現段階で知るべき「根底の意識」なのだと私は思います。その時々の根底の意識に接することで、次の階段も現れてくるのでしょう。でもきっと、その時々で必要な、調和=共生を教えられるのではないかな、と思います。

また、無意識の領域だけで委ねるのが、決してベストではないと思うんです。
私たちには意志がありますから、自らの意志で自らを整えていくことが出来る。
これも右肩上がりで順調に運ぶときもあれば、大揺れに揺れて、バランスを失うことでバランスを目指せるということもあるでしょう。その過程で、自分自身の受け容れ=調和を経験することもあるでしょう。


こうした理解を超えた壮大なシナリオが、ミクロコスモスの私たちの中に在ります。壮大なシナリオと共に生きていく力が、誰の中にも必ず在ります。


調和・・・他者の存在を意識し、その存在に力を与えること。全体を考え、行動すること。
・・・難しいですね。私も、根っこの「何か」が心のヒダに張り付いていて、心身ともにギュっと緊張感があるんです。今、そのように感じていて、その存在と寄り添おうとしています。


2010年も、もう少し。
2011年、お互いにエキサイティングな一年にしていきましょう!!
あ、でも、今から!


今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます☆

今日も皆さんの温かい心が、大切な誰かに届く一日でありますように。



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