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東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

幻の御所が原物語。

2020年06月26日 14時04分27秒 | 日記

 

 

 

 

 

 

 

 

勝山市史P913.

北谷村聞書。

五所が原のくらし。

「てんぼ」てんぼはわらじの上へはくもの。

「しゃなくみ」は足袋の上はいてわらじをつける。ゆきわらじは、すわらじ゛の

1倍半位の大きさで、親緒はついていない。

「たばこ」たばこ入れを、ソキロ、インロウという。

タバコは高いので代用品を飲んだ。

サンケラ(サルトリイバラ)は、すぐに粉になりよくない。

栃の葉はタバコによく似ているので、刻んで使う。

とうもろこしのびけばかりのんでいた人もあったが、あまりうまくない。

よもぎは、もめばすぐ粉になり味も良い。

「食事」

(あさい)は朝飯。 (まえびるは)午前のこびる(間食) (上り)は昼飯。 (よけ)は夜飯。

タバコは栽培したものは貴重な現金収入なので 自分たちでは色々工夫して

タバコもどきを考えていた事、先人たちのご苦労をおもう。

 

 

勝山の風土。p198から。

谷。  加賀大杉の圓光寺門徒が多い。

中野俣。 平家の落人の伝説、また小豆峠の出作りで定着定着したもの14戸。

御所が原。 源野の姓多く源氏の子孫との伝説がある。

      我が家は御所が原の源野の本家。

      また織田、苅安の姓も相当あって白峰の系統であろうと思われる。

      御所が原の名は木地氏と関係が深いといわれている。

出作りからの定住。

      白峰村村史の織田家文書「はく山麓十八ケ村留帳」によると、

      「年中一両度村方へ罷出儀にて、家内、女、童共、本村存ぜず、、、、」

      とあり、推測されるのは、文久3年(1863)ごろから永久的出作りが始まり

      家数480軒の38パーセントがそれであったと考えられる。

      その出先については次の記録がある。

     1.青山大膳頭領分  上打波、下打波、木根橋、小原、栃神谷、

     1.小笠原左衛門領分 浄土寺山、暮見山、平泉寺山、谷(東山、御所が原、上原、奥の河内含む) 中野俣。

     1. 御両所     杉山。

      東山いこいの森はほとんど白峰からの出作りでした。

 何とか御所が原物語りを作りたい。


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