🍀🍀寧静致遠🍀🍀③
ご縁があって、私の研究室に日本抗生物質学術協議会の常務理事・八木沢行正先生のご子息が配属になりました。
彼が私の部屋で熱心に実験に打ち込むのを喜びになった八木沢先生は、私にアメリカで勉強するよう勧めてくださり、
カナダ・アメリカのめぼしい研究所、大学に紹介状を書いてくださいました。
1ヶ月ほど学会へ出席しながら紹介先をすべて回り、
帰国後、留学先を5つに絞って手紙を出したところ、
すべてオーケーの返事をいただきましたが、
1カ所だけ、給料がよその約半額のところがありました。
ただ、電報で真っ先に返事をくださり、
よそと違ってポストドクター(博士研究員)ではなく、客員研究教授として迎えてくれるというのです。
それまで苦労かけてきた家内に相談すれば、1番給料の高いところにしましょうと言うのは分かっている。
それでも、そのオファーは何か違うなぁと。
結局、1番安いところに行ったわけですが、それがよかったのです。
そのオファーをくださったのは、ウエスレーヤン大学のマックス・ティシュラー先生でした。
ティシュラー先生は、アメリカの製薬大手メルクの中興の祖と謳われる大人物で、
ほどなくアメリカ化学会の会長に就任されました。
16万人もいる会員のトップですから大変忙しく、
私の研究姿勢を高く評価してくださった先生は、研究室のマネジメントをそっくり任せてくださったのです。
その上、先生の元を訪れる学会の大御所は、ほとんど紹介していただきました。
まさに私の大恩人です。
きょう私が締めているこの自慢のネクタイは、
先生の形見です。
先生がお亡くなりになった時に奥様からいただいたものですが、
大事な時はいつもこれを締めて、先生のご恩を忘れないようにしています。
アメリカの研究関係はとても素晴らしく、
私はこのままずっとアメリカにいてもいいなと思っていましたが、
突如として北里研究所の水之江公英所長から、予定を早めて帰ってきてくれという連絡が入りました。
私の所属していた研究室のボスが定年退職するので、
君に後を継いでもらいたいというのです。
私よりも上の方がたくさんおられたのでビックリしましたが、
その所長にはお世話になっていたので帰らざるを得えなくなりました。
1972年のことです。
当時の日本はまだ発展途上で、貧乏な日本の研究所に戻れば、アメリカと同水準の研究を続けられなくなります。
ただ、私は日本人の頭脳は素晴らしいと思っていて、お金さえあれば絶対大丈夫だと考えていました。
そこで知恵を絞りまして、向こうの会社に共同研究の提案をして、研究資金を出してくださいと掛け合ったのです。
私はその資金を使って日本で研究をする。
成果が出たら御社にライセンスを渡すから、
儲かった分から特許料を払ってくださいと。
これを私の米国の友人は「大村方式」と名づけました(笑)。
留学する時は1番給料の安いところを選びましたが、
帰る時はティシュラー先生の勧め務めもあり、1番たくさんの研究資金を出してくれるメルクと契約を結びました。
留学する日本人はたくさんいますが、
このように研究費を確保して帰って来るなんて人は、おそらくいないでしょう。
まさに人生の分かれ道だったと思います。
では、研究への支援を得て帰って何をやるか。
当時の自分の研究室では、まだそんなに大きなことに取り組める状況ではありませんでした。
相撲では昔、 "舞の海" という小さな力士が "曙" という大きな横綱を倒しましたが、
もし、舞の海が曙と同じことやっていたら勝てなかったでしょう。
私の研究室も同様に、よそと変わったことをやらなければダメだと考えました。
当時は人の薬を開発して、その使い古したものを動物にも使っていましたが、
私は動物用の薬を先に探してみることにしたのです。
そういう中で一緒に仕事をするようになったのが、ウィリアム・キャンベルさんという非常に優秀な研究者です。
動物が感染する寄生虫の研究をしており、
彼と開発したエバーメクチンとイベルメクチンによって、
私たちはノーベル生理学・医学賞を受賞したのです。
この薬は、まず動物用の画期的な抗寄生虫薬として1981年に売り出され、
20年間ずっと売り上げトップに君臨し続けました。
これは人間にも非常に安全で効果の優れた寄生虫薬ということで、
1987年にフランス政府の許可を得ました。
この薬のかつてない効果を少しご紹介しますと、
カナダの牧場で、ダニで皮膚が侵されカサカサになった牛に、
200マイクログラム/キログラム
という少量を一回皮下注射するだけで、すっかり治ってしまう。
それから、フィラリアを媒介する蚊の発生する夏の間、
犬に飲ませるとフィラリアに感染しなくなり、昔は8 9年で亡くなっていた犬が、十何年も生きるようになりました。
人間にとっては、もっと大事なことがあります。
1973年にロバート・マクナマラという世界銀行総裁が、
「西アフリカ諸国の人々の健康と経済的な見地から、
最も重篤な病気はオンコセルカ症である」
と発表しました。
オンコセルカ症はブヨが媒介する線虫によって発症し、
皮膚に酷いかゆみを起こしてミクロフィラリアが目に入り、
これが死滅すると失明する大変な病気です。
私も現地に行ってみましたが、集落の5人に1人はこの病気のために目が見えないのです。
そうなると農業もできないから経済発展もできない。
これを何とかしようということで1974年に撲滅運動が始まるんですが、
なかなかいい薬がなかった。
それからもう一つ、リンパ系フィラリア症という蚊が媒介して罹(かか)る病気があります。
最後隆盛も罹ったと言われていますが、
これがひどくなった人の脚を見ると、何を履いているんだろうというくらい腫れ上がっています。
世界人口の2割、13億人以上がこの病気の蔓延地域に住んでいて、
2000年当時には83カ国で1億2,000万人、日本の人口と同じくらいの人が感染していました。
そこへ、このイベルメクチンが生まれたわけです。
この薬を「メクチザン」という名前で無償共与することになりました。
それによってこれらの病気は激減し、
リンパ系フィラリア症は2020年、
オンコセルカ症は2025年には撲滅できると言われています。
非常に安全な薬ですから、現地にお医者さんや看護師さんがいなくても、村人がちょっと講習を受ければ投与できます。
2013年には、他の病気の人も合わせると、世界中で3億人もの人がこの薬を飲んでいます。
かつて私が現地を訪れた時の子供たちも、今では立派な青年になっています。
テレビのインタビューに、
「この薬のおかげで、もう目が見えなくなることはない。
だから今は、村人のために一所懸命頑張っています」
と答えているのを聞いて胸が熱くなりました。
日本では糞線虫症といって、沖縄で何万人もの人が感染していた病気がありますが、
琉球大学の斉藤厚先生の研究でイベルメクチンによって治ることが分かり、まもなく撲滅できます。
沖縄の医師会から感謝状をいただきましたが、
私がやったわけではない。
微生物がつくってくれた薬なのです。
それから疥癬(かいせん)。
これはダニによる病気で、皮膚科の先生が1番てこずる病気なんですが、
イベルメクチンを一回飲むだけで半分の人は治ってしまう。
治らなくても二回飲めば95%以上は治ってしまうのです。
皮膚科の学会で講師を頼まれた時には、皮膚科の革命だと称賛していただきました。
(つづく)
(「致知」6月号 ノーベル賞生理学・医学賞受賞 大村 智さんより)
ご縁があって、私の研究室に日本抗生物質学術協議会の常務理事・八木沢行正先生のご子息が配属になりました。
彼が私の部屋で熱心に実験に打ち込むのを喜びになった八木沢先生は、私にアメリカで勉強するよう勧めてくださり、
カナダ・アメリカのめぼしい研究所、大学に紹介状を書いてくださいました。
1ヶ月ほど学会へ出席しながら紹介先をすべて回り、
帰国後、留学先を5つに絞って手紙を出したところ、
すべてオーケーの返事をいただきましたが、
1カ所だけ、給料がよその約半額のところがありました。
ただ、電報で真っ先に返事をくださり、
よそと違ってポストドクター(博士研究員)ではなく、客員研究教授として迎えてくれるというのです。
それまで苦労かけてきた家内に相談すれば、1番給料の高いところにしましょうと言うのは分かっている。
それでも、そのオファーは何か違うなぁと。
結局、1番安いところに行ったわけですが、それがよかったのです。
そのオファーをくださったのは、ウエスレーヤン大学のマックス・ティシュラー先生でした。
ティシュラー先生は、アメリカの製薬大手メルクの中興の祖と謳われる大人物で、
ほどなくアメリカ化学会の会長に就任されました。
16万人もいる会員のトップですから大変忙しく、
私の研究姿勢を高く評価してくださった先生は、研究室のマネジメントをそっくり任せてくださったのです。
その上、先生の元を訪れる学会の大御所は、ほとんど紹介していただきました。
まさに私の大恩人です。
きょう私が締めているこの自慢のネクタイは、
先生の形見です。
先生がお亡くなりになった時に奥様からいただいたものですが、
大事な時はいつもこれを締めて、先生のご恩を忘れないようにしています。
アメリカの研究関係はとても素晴らしく、
私はこのままずっとアメリカにいてもいいなと思っていましたが、
突如として北里研究所の水之江公英所長から、予定を早めて帰ってきてくれという連絡が入りました。
私の所属していた研究室のボスが定年退職するので、
君に後を継いでもらいたいというのです。
私よりも上の方がたくさんおられたのでビックリしましたが、
その所長にはお世話になっていたので帰らざるを得えなくなりました。
1972年のことです。
当時の日本はまだ発展途上で、貧乏な日本の研究所に戻れば、アメリカと同水準の研究を続けられなくなります。
ただ、私は日本人の頭脳は素晴らしいと思っていて、お金さえあれば絶対大丈夫だと考えていました。
そこで知恵を絞りまして、向こうの会社に共同研究の提案をして、研究資金を出してくださいと掛け合ったのです。
私はその資金を使って日本で研究をする。
成果が出たら御社にライセンスを渡すから、
儲かった分から特許料を払ってくださいと。
これを私の米国の友人は「大村方式」と名づけました(笑)。
留学する時は1番給料の安いところを選びましたが、
帰る時はティシュラー先生の勧め務めもあり、1番たくさんの研究資金を出してくれるメルクと契約を結びました。
留学する日本人はたくさんいますが、
このように研究費を確保して帰って来るなんて人は、おそらくいないでしょう。
まさに人生の分かれ道だったと思います。
では、研究への支援を得て帰って何をやるか。
当時の自分の研究室では、まだそんなに大きなことに取り組める状況ではありませんでした。
相撲では昔、 "舞の海" という小さな力士が "曙" という大きな横綱を倒しましたが、
もし、舞の海が曙と同じことやっていたら勝てなかったでしょう。
私の研究室も同様に、よそと変わったことをやらなければダメだと考えました。
当時は人の薬を開発して、その使い古したものを動物にも使っていましたが、
私は動物用の薬を先に探してみることにしたのです。
そういう中で一緒に仕事をするようになったのが、ウィリアム・キャンベルさんという非常に優秀な研究者です。
動物が感染する寄生虫の研究をしており、
彼と開発したエバーメクチンとイベルメクチンによって、
私たちはノーベル生理学・医学賞を受賞したのです。
この薬は、まず動物用の画期的な抗寄生虫薬として1981年に売り出され、
20年間ずっと売り上げトップに君臨し続けました。
これは人間にも非常に安全で効果の優れた寄生虫薬ということで、
1987年にフランス政府の許可を得ました。
この薬のかつてない効果を少しご紹介しますと、
カナダの牧場で、ダニで皮膚が侵されカサカサになった牛に、
200マイクログラム/キログラム
という少量を一回皮下注射するだけで、すっかり治ってしまう。
それから、フィラリアを媒介する蚊の発生する夏の間、
犬に飲ませるとフィラリアに感染しなくなり、昔は8 9年で亡くなっていた犬が、十何年も生きるようになりました。
人間にとっては、もっと大事なことがあります。
1973年にロバート・マクナマラという世界銀行総裁が、
「西アフリカ諸国の人々の健康と経済的な見地から、
最も重篤な病気はオンコセルカ症である」
と発表しました。
オンコセルカ症はブヨが媒介する線虫によって発症し、
皮膚に酷いかゆみを起こしてミクロフィラリアが目に入り、
これが死滅すると失明する大変な病気です。
私も現地に行ってみましたが、集落の5人に1人はこの病気のために目が見えないのです。
そうなると農業もできないから経済発展もできない。
これを何とかしようということで1974年に撲滅運動が始まるんですが、
なかなかいい薬がなかった。
それからもう一つ、リンパ系フィラリア症という蚊が媒介して罹(かか)る病気があります。
最後隆盛も罹ったと言われていますが、
これがひどくなった人の脚を見ると、何を履いているんだろうというくらい腫れ上がっています。
世界人口の2割、13億人以上がこの病気の蔓延地域に住んでいて、
2000年当時には83カ国で1億2,000万人、日本の人口と同じくらいの人が感染していました。
そこへ、このイベルメクチンが生まれたわけです。
この薬を「メクチザン」という名前で無償共与することになりました。
それによってこれらの病気は激減し、
リンパ系フィラリア症は2020年、
オンコセルカ症は2025年には撲滅できると言われています。
非常に安全な薬ですから、現地にお医者さんや看護師さんがいなくても、村人がちょっと講習を受ければ投与できます。
2013年には、他の病気の人も合わせると、世界中で3億人もの人がこの薬を飲んでいます。
かつて私が現地を訪れた時の子供たちも、今では立派な青年になっています。
テレビのインタビューに、
「この薬のおかげで、もう目が見えなくなることはない。
だから今は、村人のために一所懸命頑張っています」
と答えているのを聞いて胸が熱くなりました。
日本では糞線虫症といって、沖縄で何万人もの人が感染していた病気がありますが、
琉球大学の斉藤厚先生の研究でイベルメクチンによって治ることが分かり、まもなく撲滅できます。
沖縄の医師会から感謝状をいただきましたが、
私がやったわけではない。
微生物がつくってくれた薬なのです。
それから疥癬(かいせん)。
これはダニによる病気で、皮膚科の先生が1番てこずる病気なんですが、
イベルメクチンを一回飲むだけで半分の人は治ってしまう。
治らなくても二回飲めば95%以上は治ってしまうのです。
皮膚科の学会で講師を頼まれた時には、皮膚科の革命だと称賛していただきました。
(つづく)
(「致知」6月号 ノーベル賞生理学・医学賞受賞 大村 智さんより)
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