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第89回 「永遠の古賀メロデイ」 輿寛次郎: 23年7月

2011年09月27日 | 例会報告
 第89回例会は去る7月1日(金)、銀座ラフィナートで開催、出席者は11名でした。
今回は輿寛次郎会員に「永遠の古賀メロデイ」という話題でお願いしました。深い造詣からの興味あるお話と歌唱を楽しく伺いました。
 輿さんには平成20年7月に「西条八十を語る」で世相豊かな大衆歌謡の真髄を伺いました。今回はその延長線そのものでした。
 都合により会長挨拶を省略し、鈴木清会員による乾杯の後、本題に入りました。
一、 古賀政男を語る。
同氏は明治37年11月18日、福岡県
大川市で生まれ、昭和53年7月25日、73歳で亡くなった。父の死から2年経った大正元年夏、母や姉、弟と共に朝鮮に渡った。仁川に住む長兄の福太郎を頼って海峡を越えたのである。七歳だった。彼の地の小学校に転校し、商業学校を卒業、後に帰国し明治大学に入学、昭和4年大不況の中卒業した。
「永遠の古賀メロデイ」
東京ラプソデイは昭和11年、西条八十の門下生門田ゆたかが作詞,古賀政男作曲で、藤山一郎が歌って大ヒットになった。銀座の柳や、ニコライ堂、浅草、新宿等、しかし当時の柳並木や路面電車は消えても、古賀政男の魂の奥底から、血と涙を通じて出てきたメロデイが人々の心を打つ。悲しみに口ずさんで慰められ、苦しみに口ずさんで励まされる。それ故永遠に口ずさまれる歌曲、古賀メロデイは生き続けていくのであろうか。
 古賀政男は「詩は姉、曲は妹」と言っていたが、一番多い作詞が佐藤惣之助である。
  レコードの売り上げが示す古賀メロデイ 
 の戦前のベスト5は、
 1「誰か故郷を想わざる」(昭和15年)
 2「酒は涙か溜息か」(昭和6年)
 3「影を慕いて」(昭和7年)
 4「人生劇場」(昭和13年)
 5「あヽそれなのに」(昭和11年)であり、戦後のベスト3は、
 1「柔」(昭和39年)
 2「悲しい酒」(昭和41年)
 3「湯の町エレジー」(昭和23年)である。同郷の弟子、歌手の大川英策によれば、古賀メロデイにも、「無法松の一生」や「人生劇場」のような男歌と、「影を慕いて」「悲しい酒」といった女歌がある。
  パートナーの歌手は藤山一郎、門下生は大川栄策、菅原都々子、美空ひばり、歌い継ぐのは森進一、五木ひろし、小林幸子等の歌手である。
  国民栄誉賞は王貞治を第一号として昭和五二年に始まった。第二号は古賀政男、第九号が藤山一郎、その間に美空ひばりが入り、その後服部良一、吉田正、遠藤實と続いている。
二、 古賀メロデイを歌う
1、「東京ラプソデイ」(昭和11年)
西条八十の門下生門田ゆたかが作詞で、藤山一郎が歌い、レコード売り上げ三五万枚
の爆発的大ヒットとなった。

  1花咲き花散る宵も
   銀座の柳の下で
   待つは君ひとり 君ひとり
   逢えば行く テイルーム
   楽し都 恋の都
   夢のパラダイスよ 花の東京

  2現に夢見る君よ
   神田は想い出の街 
   今もこの胸に この胸に
   ニコライのかねもなる
   楽し都 恋の都
   夢のパラダイスよ 花の東京

3番浅草、4番新宿と続くところまで「東京行進曲と同じ形式であった。この歌のエピソードとして、銀座は京橋地区管理部、神田は丸の内地区管理部管内でそれを統合した千代田地区管理部の替え歌にして当時合唱した。

2「ああそれなのに」(昭和11年星野貞志作詞、古賀政男作曲)

  1空にや今日もアドバルーン
   さぞかし会社で今頃は
   おいそがしいと 思うたに
   ああそれなのに それなのにねえ
   おこるのは おこるのは
   あたりまえでしょう

  2どこで何して いるかしら
   何か悲しい 日暮れどき  
   想うはあなたの ことばかり
   ああそれなのに それなのにねえ
   おこるのは おこるのは
   あたりまえでしょう

3「誰か故郷を想わざる」(昭和15年、西条八十作詞、古賀政男作曲)

  1花摘む野辺に 日は落ちて
   みんなで肩を 組みながら
   唄をうたった 蹴り道
   幼馴染の あの友この友
   ああ 誰か故郷を想わざる

  2ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この川
ああ 誰か故郷を想わざる

 4「建設の歌」(昭和15年、西条八十作詞、古賀政男作曲)
映画「熱砂の誓い」長谷川一夫、李香蘭
       主演の主題歌で、建設業界の替え歌としてもうたった。

よろこびあふれる歌声に
    輝ける荒野の 黄金雲
夜明けだ 夜明だ 大陸に
    わきたつわれらの 建設の歌
    
5「人生劇場」(昭和13年、佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)

   1やると思えば どこまでやるさ
    それが男の 魂じゃないか
    義理がすたれば この世は闇だ
    なまじとめるな 夜の雨

   2あんな女に 未練はないが
    なぜか涙が 流れてならぬ
    男ごころは 男でなけりゃ
    わかるものかと あきらめた

6「夢淡き東京」(昭和22年、野村俊夫作詞、古賀政男作曲)

    柳青める日 燕が銀座を飛ぶ日
    誰を待つ心 可愛いガラス窓
    かすむは春の青空か あの屋根は
    かがやく聖路加か
    はるかに 朝の虹も出た
    誰を待つ心 淡き夢の町 東京

7「湯の町エレジー」(昭和23年、野村利夫作詞、古賀政男作曲)

   1伊豆野山々 月あわく
    灯りにむせぶ 湯の煙り
    ああ 初恋の
    君をたずねて 今宵また
    ギターつまびく 旅の鳥

   2風の便りに きく君は
    いでゆの町の 人の妻
    ああ 相見ても
    晴れて語れぬ このおもい
    せめてとどけよ ながしうた

8「トンコ節」(昭和26年、西条八十作詞、古賀政男作曲)
 炭坑節にヒントを得て、タンコウをトンコに変えた作詞である・お座敷ソングとしてヒットした・

言えばよかった ひと言が
   なぜに言えない 打明けられない
   バカな顔してまた帰る
   恋は苦しい 朧月
   ネー トンコ トンコ

9「芸者ワルツ」(昭和27年、西条八十作詞、古賀政男作曲) 
 当時流行したテネシー・ワルツからヒントを得た御座敷ソングである。
   
   あなたのリードで 島田もゆれる
   チークダンスの なやましさ
   乱れるすそも はずかしうれし
   ゲイシャ・ワルツは思い出ワルツ

10「柔」(昭和39年、関沢新一作詞、古賀政男作曲)
古賀政男の愛弟子である美空ひばりが歌った。戦前の藤山一郎、戦後の美空ひばりが
双璧である。「柔」や「悲しい酒」など、古賀メロデイのなかでも「記念すべき作品
」をひばりは歌っている。

   勝つと思うな 思えば負けよ
   負けてもともと この胸の
   奥に生きてる柔の夢が
   一生一度を一生一度が待っている

11「悲しい酒」(昭和41年、石本美由起作詞、古賀政男作曲)
 「柔」でひばりはレコード大賞を受けた。
 「悲しい酒」はひばりが歌った古賀メロデイの集大成のようなものだった。古賀
  とひばりの結びつきはキングとクイーンの連携だった。

    ひとり酒場で 飲む酒は
    別れ涙の 味がする
    飲んで棄てたい 面影が
    飲めばグラスに また浮ぶ

12会員が歌う
 輿さんの熱唱に応えて、エールを送ろうと会員の有志が歌唱した。
 (1)「酒は涙か溜息か」(昭和六年、高橋掬太郎作詞、古賀政男作曲)
 藤山一郎こと増永丈夫が東京音楽学校在額中、こえをおさえて歌った。悲しい歌を、逆にあまり感情を入れずに歌って、大ヒットした。

   酒は涙か ためいきか
   心のうさの 捨てどころ
とおいえにしの かの人よ 
    夜毎の夢の 切なさよ

 (2)「影を慕いて」(昭和7年、古賀政男作詞作曲)
  いろいろな経緯の後、藤山一郎が歌って大ヒットした、厭世の歌である。

     まぼろしの 影を慕いて 雨の日に
     月にやるせぬ 我が想い
     つつめば燃ゆる 胸の火に
     身は焦がれつつ しのび泣く

     わびしさよ せめていための 
     なぐさめに
     ギターをとりて 爪びけば
     どこまで時雨 ゆく秋ぞ
     トレモロ寂し 身は悲し

 輿さんの解説と熱唱が終わって、歌は世につれ、世は歌につれであるとの感を深くしました。話題が終わって懇談に移り、多くの会員から質疑応答と意見交換が活発になされ、熱心な議論となりました。
 例会は和気藹々の中で経過し、梅雨の晴れ間の御語を楽しく過ごしました。
        (岩淵  忠 記)
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