親愛なる、くそったれな自分へ

いままでとこれからの大したことない人生を文章にしてみようと思う。
頑張れない、続かない、くそったれな自分へ愛をこめて。

もはや、それは言いたいだけ。

2023-05-16 19:37:44 | 考え方

なんて思うこと、ありませんか?

 

英語の授業で、新しく習った単語だったり。

SNSで流れてきた若者言葉だったり。(この表現がすでに若くない)

最近、覚えたカタカナビジネス用語だったり。

こういうやつに限って、あまり仕事ができないことが多い気がします。(失礼)

 

 

わたしにとって、 多様性 ってその類の言葉。

 

なんか、苦手だ。

 

いや、ちょっと違うな。

 

多様性を多用してくるのがいやなのだ。

 

 

多様性を振りかざして、強く出てくるのは違う。

最近の言葉でいうと、マウントをとる、みたいな。

 

だって、多様性は武器ではないし、それ自体に攻撃力があるものでもない。

仮に、武器だとしたら、振りかざしたら危ない。

 

 

ちょっと前に花上淳さんのコラムに、こんなようなことが書いてあった。


 理解してほしいだなんて思っていない。
 多種多様な生き方があって、それを否定することなく、当たり前のこととして受け入れる。

 (一部抜粋です、ちょっとニュアンス違うけど同じようなこと)

 


理解と聞くと、難しそうに感じる。

でも、受け入れること、受け止めることはハードルが低そうだ。

 

自分と異なるモノ・コトに対して、いいね!ボタンを押す。

これだと思う。

 

 

女らしさ、とか、男らしさ、とか。
それはそれで、わたしはいいと思うし、大事にしたい。

 

だってそれも、多様性の一部だと思うから。

新しいものだけが多様性でないはず。

 


女らしさ、男らしさ、それもいいよね!

でも、わたしは違う考え方なんだ!

みんなちがって、みんないいよね!

 


これに尽きる。

 

金子みすゞさんはこれを100年くらい前に世に出していた。

 

 


多様性、多様性とあえていうから格好が悪い。

背中で語ればいいのだ。


そんなことは常識でしょ?別に改めて言うことでもないよ。


そう背中に書いておけばいい。

そういうTシャツ作って着ちゃうとかね。

例えばの話ですけど。

 

あ、いや、でも、着てたらそれはそれで面白いから好きかも。

 

 

 

今日はこのへんで

 

 

明日、また

 


機会損失とわたしの気持ち。

2023-05-15 20:50:00 | 考え方

機会損失とは、営業や販売などの機会を逃すことで、
本来得られるはずの利益を失う「未来的な損失」のこと。
儲けを逃すことであり、「チャンスロス」とも呼ばれています。

 

簡単に言うと、

今日は卵の特売日!仕入れた卵は全部売るぞ!
やった!昼前に全部売れた!
完売御礼!

これではダメということ。


特売品が、昼前に売り切れて喜んでるようじゃ、この仕入れ担当は、たぶん出世できない。

多めに準備をしておけば、その分、午後も売上があったはず。

さらに言えば、卵の特売目当てで来たお客さんは、きっと夕飯の買い物もしていくだろう。

卵の売上だけではなく、プラスαの売上も逃したことになる。

ゼロではなく、もはや、マイナス。

チャンスロスだ。



なになに?
今日は、いきなり真面目な内容から始まったんだけど!?

 

安心してください。

別に難しい話をしたかったわけではないです。


人生にもチャンスロスが生じるな、と思ったのです。

 

チャンスの神様の前髪は、いつでも掴めるようにしておかないといけない。


でも、チャンスを逃すまいと、頑張りすぎると疲れてしまうなと。

 

 

気が乗らない、飲み会、イベント、コミュニティへの参加
やりたくない仕事
苦手な人たちとの、無理なお付き合い

 

それによって自分の時間が減って、生産性が落ちてしまったら本末転倒だ。

精神的な部分もそう。

精神が健康でなければすべてが崩れてしまう。



だから、30代は わたしの気持ち にフォーカスしようと思った。

 

「今日は行きたくない。」
「これは、まだわたしには必要ない。」

 

はじめは、断ることに心がチクっとするかもしれない。

不安になることも多いと思う。

でも無理の先にいるわたしはきっと笑っていない。
楽しめていない。

それはハッピーではない。

 

なんでもかんでも、気持ちのままに動けばいいということではない。

ときには、無理という名の頑張りも必要。

ただ無理はし過ぎない。



わたしの人生は、わたしが主人公。

皆さんの人生は、皆さんが主人公。

 

代わりはいないし、誰にも代られてはいけないのです。

 

主人公がハッピーエンドになるような物語になるように。

 

めでたしめでたし

 

で、終わりましょう。

 

 

ではこのへんで

 

 

明日、また

 

 

ぶきっちょでも、真っ直ぐならいいんじゃない?

2023-05-14 20:45:45 | 家族

さっき、久しぶりに聞いた曲から拝借。

そんな生き方ができたらいいな、と思うこの頃です。

 

 

今日は母の日。

ということで、わたしの母のことを書こうと思う。

 

わたしは母のことを下の名前で呼ぶ。

みっちゃん、だ。

 

みっちゃんにはなんでも話す。

小さい頃はもちろんだが、学生時代、大人になってからもそれは変わらない。

 

そんなこと、よく母親に話せるね!なんてことも。

本当になんでも。

 

いまは、母親でもあり、親友みたいな存在でもある。

 

そんなみっちゃんに対しても、学生時代はひどい態度をとった。

思春期特有の不機嫌さを惜しみなく発揮した。

 

いま思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

その節は本当にごめんなさい。

 

みっちゃんは基本あまり怒らない。

イライラをぶつけても、イライラのカウンターパンチは飛んでこない。

これが真の強さなのか。

 

そして、大人になって改めて思うことは、いまもむかしも、子どもに対してとても献身的だ。

 

”母親なんだから、子どもに対して献身的なのは当たり前”

 

それは、なかなかに馬鹿野郎な考え方である。

お腹の中からやり直していただきたい。

 

母親である以前に、一人の人間だ。

やりたくないこと、具合が悪いとき、やる気の出ない日だってある。

それでも、母親業は容赦なく毎日続く。

 

できてることは、当たり前。

できてないことは、お母さんできてないよ、になる。

 

恐ろしすぎる。

でもそれが、母親業なんだと思う。

 

それをイヤイヤせずに、やってくれたみっちゃん。

そして、世の中のすべてのお母さん。

 

まじ、リスペクトです。

 


感謝の仕方は人それぞれです。

なんでもいいんだと思います。

ぶきっちょでも、真っ直ぐなら感謝の気持ちは伝わると思います。

 


皆さんにとって、素敵な母の日になりますように。

もう、数時間しかないけど。

 


ではこのへんで

 

 

明日、また

 


どーでもいいから、笑ってごまかしてみる

2023-05-13 23:59:00 | 日記
いまイヤホンから流れている。

正確にはちょっと歌詞は違うんだけど。

24時すぎちゃったけど、笑って誤魔化すことにする。



あしたは母の日、ということで実家に帰っておりました。


いま、自宅に向かう電車の中で必死こいて筆を走らせている。


いや、指を滑らせている。




そういえば、一人暮らしをはじめて一年が経った。


まだ一年しかしてないのか!


そんな言葉が飛んできそうだが気にしない。




当然のことだが、新しいことを始めると気づきが多い。


一人暮らしは発見の連続だった。



と同時に、わたしがどれだけ世間知らずかも思い知らされた。


テレビはコンセントを挿せばすぐ見れると思ってた。


これは弟にもバカにされた。

しょうがないじゃん、知らなかったんだもん。



皆さん、安心してください。

こんな30歳でも、今日も生きてます。



なんか、すみません。



さて、

発見というか、再認識したのは、

家族、特に母に対しての感謝とリスペクト。



一人暮らしは全て自分のペースで進められる。


やるも、やらないも全て自分の責任。


だが、家族が一緒だとそうはいかない。


特に子どもは母親に頼りがちだ。


だから母親って、ほんと大変だと思う。



世の中のお母さん、まじ、リスペクトです。



明日は母の日だし、少しわたしの母のことを書こうと思う。




ではこのへんで


明日、また


わたしはそれを好きと言うんだぜ!

2023-05-12 19:20:50 | 恋愛・人間関係

偉大なるサンボマスター様から拝借いたしました。

「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」名曲です。

 

最近、好きな人ができた。
…と思う。

得意の勘違いが発動したかもしれない。

 

ふっと思った。

その人に憧れているだけではないかと。

もちろん、憧れからくる好きだってある。

わたしはどんな形の 好き に対しても常に肯定的でいたい。

だって、ラブ・ストーリーは突然に、やって来るから。

 


前に彼が言っていた。

人生の時間が足りない、と。
気が付いたら夏が終わってるなんてことあるんだよね、と。

さすがにそれは大袈裟じゃない?
と思う反面、本人の感覚的には、あながち間違ってはいないのかもしれない。

それくらい、日々、やることに追われているのだ。

 

でも、たぶん、彼にはそれが合っているんだと思う。

なぜなら、それを楽しそうに話すから。

決して愚痴は言わないのだ。

 

…いや、たまに言ってるかも。

 

わたしにとって、彼はアトラクションのような人。
並んででも乗る価値があるように思える。

次元が違いすぎる彼を見ていて、ヘコむときもあるけど。

 

それでも、できるだけ近くで彼を見ていたいと思うのだ。

 

そう、私にとって彼はそういう存在。

 


調子に乗って、たくさん書いてしまった。

これ、本人に見られたら相当恥ずかしいやつだ。
ある種のラブレター的なものになってしまった気がする。


でもこれでいい。
ここは いままでとこれからの大したことない人生 を文章にするところだから。

これもわたしの大したことない、わたしの人生の一部。

 

ちょっと自分語りが過ぎましたね、すみません。

 

今日はこれくらいで。

明日、また